2008/07/28 - 2008/07/28
75位(同エリア382件中)
ニンシアさん
『フォントネー修道院』は、1118年に『ベルナルド』が創立したフランスで現存する最古のシトー派修道院で、
シトー派の建物らしく 自然に囲まれた森の中にひっそりと建っています。
中世のブルゴーニュで膨大な資産と強大な権力を持ち 華やかに活動する『クリュニー修道会』に反発して、
貴族出身のベルナルドは 1098年に自給自足を重んじる質素で素朴な『シトー修道会』を設立、
「聖堂をタンパンや柱頭の彫刻でかざりたてるのは散財だ」と クリュニー派が聖堂建築に
多額のお金をかけるのを非難し、彫刻や壁画などの装飾の全くない聖堂や修道院を建てました。
雄弁家ベルナルドのもとには、彼の演説を聞き感激して修道院入りを志願するたくさんの人が集まり、
シトー派は12世紀末には500を越える修道院を擁するほどまでに拡大したそうです。
去年、南仏のセナンク修道院に寄った時 シトー派のことをあまり知らなくて
ちょっと勿体無いことをしました・・・
でも、今回は勉強して行ったので 静かな聖堂で佇み 回廊に腰掛け、修道士達がここでどんな暮らしをしていたのか どんなことを考えていたのかと12世紀にまで想いを馳せ とても感慨深い訪問になりました。
[行程]
2008年7月27日 独 ニュルブルク ≪仏 ボーヌ泊≫
28日 フォントネー・オータン ≪ボーヌ泊≫
29日 ヴェズレー・フォンテーヌブロー ≪ジヴェルニー泊≫
30日 ジヴェルニー・オンフルール・モンサンミッシェル ≪モンサンミッシェル泊≫
31日 カンカル・サンマロ・モンサンミッシェル ≪モンサンミッシェル泊≫
8月1日 ノルマンディー ≪ノルマンディー泊≫
2日 ノルマンディー
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フォントネー修道院前の広場にある石の十字架
十字架の真ん中にキリストがいます -
ユネスコ世界遺産のプレート
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修道院の案内図
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フォントネー修道院への入り口です
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入り口でチケットを買い修道院に入りました。
日本語のパンフレットをいただけたので
その説明を見ながら回れます。 -
チケットその1
フランスのチケットは ひとりひとり
違う図柄なので 良い記念になります -
チケットその2
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フォントネー修道院
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右手は製パン室
当時の円筒形の煙突が残っています -
製パン室と外来者用礼拝堂は
現在、博物館と書店になっています -
鳩舎と犬舎
12世紀から13世紀にかけて建築されたもの -
聖堂
奥行66m 高さ16.70m
1139年着工、1147年完成
(入り口部分は 18世紀に改修されたもの)
ロマネスク様式をとり 上空から見ると十字架の形をしています。 -
聖堂内部 (内陣方向)
時代はロマネスク様式クリュニー派の開花期でしたが、ベルナルドはその華麗さを否定し
聖堂を無装飾で簡素なものにして、視覚からくる必要以上の想像を掻き立てるものはすべて排したそうです。
飾りのない広い空間は、静かで穏やかです
(ベルナルドと クリュニー派については表紙を見てね) -
聖堂内部 (入り口方向)
重厚な壁に囲まれたシトー会の聖堂は
装飾を抑えたデザイン故に
大地とともにあるようなどっしりした安定感を感じます
(シトー会については表紙を見てね) -
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分厚い石壁にあけられた窓から眩しいほどの光が注いでいました・・・
ステンドグラスから差し込む芸術的でやさしい光とは 全く違った太陽の輝く美しさです
この石壁も 修道士が自分達で石を一つ一つ積み上げて作ったのです -
聖母子像は、聖ベルナルド没後に
修道士達の願いで作られたものです。
修道士たちは 毎日の祈りの中で
心の拠りどころとなる偶像が欲しいと
ずっと願っていたのでしょうか・・・・ -
聖堂内陣のステンドグラスは後の時代のもの。
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聖堂の側廊
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共同寝室
15世紀後半にできたもので、聖堂南側の階段を上ったところにあります
日に数回の祈りが聖堂で行われ、早朝や深夜の祈りにいけるよう 修道服を着たまま床に藁のマットを敷いて休んでいたそうです。(靴も履いたままの説有り)
天井は美しい船底型アーチ
聖ベネディクト(6世紀の人)の戒律により すべての修道士達は同一の場所で寝ることが定められていたそうです。 -
シトー派修道士たちは聖ベネディクトの戒律のもと 清貧・貞操・従順を誓い 質素な生活を送ります。
食事は1日に1回、農作業と神への祈りだけの 厳しい生活だったそうです。
ここでは 最も多いとき200人を越える修道士が生活していたそうですが
盛衰の歴史の中で、フランス革命当時 12人ほどとなり
1790年には国の所有物となって20世紀初頭まで製紙工場として利用され、次々転売されるたびに増築や取り壊しがされました。
1906年に美術愛好家に買い取られ 増築した部分を取り払い元の姿に復元されて 1981年に 歴史的記念物として世界遺産指定されたのだそうです。
〜現在は修道院ではなく個人所有の建物です -
寝室の天井の写真です。
シトー派を調べていた時、現在日本には「厳律シトー修道会」(トラピスト)に属する男子修道院が二つ、女子修道院が五つあることを知りました。北海道の当別修道院や大分の修道院で作られたバターやクッキーは知っていたけれど、トラピスト修道院がシトー派の流れだということを知り、《大分トラピスト修道院》で現在おこなっている日課(以下)を見て驚きました
午前3:30 起床
3:45 夜間の祈り
5:00 朝の祈り
5:45 ミサ聖祭
6:45 朝食
7:15 聖なる読書
8:00 三時課(祈り)
8:30 労働
11:00 労働終了
11:20 六時課(祈り)
11:30 昼食
午後1:30 九時課(祈り)
2:00 労働
4:30 労働終了
5:30 晩の祈り
5:45 夕の黙想
6:00 夕食
6:25 自習・講話
7:30 寝る前の祈り
8:00 就寝 -
神社仏閣にお参りしたり 観光気分であちこちの教会を訪れている私
いつも当たり障りなく中庸を歩いている私
・・・修道院で生きたシトー派の修道士からはどんなふうに映るのだろう・・・
寝室にあけられた窓から 鐘を鳴らすロープが垂れています -
回廊です ここに暫く腰掛けていました。
回廊は単に移動だけのものではなく 黙想の場であり作業の場でもあったそうです -
集会所
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集会所の横の小部屋
会議や面談に使われた -
写本作業室
12本の橋梁によって天井を支えている -
採暖室
二つの暖炉があり階段を経て、共同寝室・写本室に温風を送る。
修道院では、台所・病室と この採暖室だけ暖房があった。 -
写本作業室の外観
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客へのもてなしの為に 池では魚が育てられた
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大庭園から見た修道院 その1
その1からその3へ 向かって左から写しました。 -
大庭園から見た修道院 その2
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大庭園から見た修道院 その3
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大庭園
奥のほうの人が集まっているところに 泉があります -
泉です
初代の修道士たちは 水の重要さを重んじて
このフォントネに修道院を建てました
フォントネとは 泉というラテン語の語源をもち、泉に泳ぐ人という意味だそうです -
病室の庭では薬草が栽培されている
過酷な労働と飢餓のなか 祈り続けマリアを称える歌を唱和する修道士達は コオロギに喩えられることもあった・・・ (苦行のためシトー会で28歳を越えて生きる者は稀だったとの説も有る)
誰かが息をひきとる時は みな集まって静かに兄弟の死を見守ったそうです。 -
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鍛冶作業室へ
13世紀末に作られ 広さ53メートル、天井までの高さ13.50メートル(次の間の天井はもっと高いらしい)
全てを自給自足するシトー会の修道生活では
農耕、牧畜、山林整備に必要な道具を この鍛冶作業室で作りました -
鍛冶作業室内部
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屋根瓦の説明
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鍛冶作業室内部
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大ふいご・溶鉱炉
水準の高い溶接技術をもち様々な物を作っていた -
僧服をまとい 作業する修道士達の様子を表したミニチュアには、ふいごも溶接炉も水車もあって 当時の様子がよくわかります
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水車その1
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水車 その2
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水車 その3
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水車 その4
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製パン室
13世紀に建てられた
右端に当時の円筒形の煙突が残っています -
パン焼釜
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パンを焼く時に使った道具
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この鐘が鳴ると祈りの時間です
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白い石肌に囲まれた内省的な空間の中で
いまの自分とは かけ離れた生活を想い
静かで清らかな気持ちになりました
とても素敵な修道院でした。
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