2009/07/19 - 2009/07/19
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■関門海峡両岸と長府へ⑤
<長府毛利家の菩提寺 功山寺>
■功山寺
功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある曹洞宗の寺院で長府毛利家の菩提寺です。鎌倉時代に創建された禅寺で仏殿は我国最古の禅寺様式を残しており国宝に指定されています。
また、ここは高杉晋作達が 1864年12月15日に奇兵隊等諸隊の決起を促して挙兵した場所です。そばに下関市立長府博物館があり、幕末、維新の資料を多く展示しています。
★今回の訪問ルート
・広島市から °゜°゜°。。。ε=ヘ(;^^)ノ トコトコ
→下関みもすそ川公園 →関門トンネル人道 →門司観潮遊歩道
→和布刈神社 →ノーフォーク広場 →関門トンネル人道
→下関みもすそ川公園 →赤間神宮 →火の山公園
→長府市功山寺 →長府博物館 →長府毛利邸
→古江小路 →菅家長屋門 →旧梶山家表門
→忌宮神社 →集童場 →相撲資料館
→昭和レトロ展示館 →乃木神社 →笑山寺
→帰路 ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=。。。(o^^)┘トコトコ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【手記】
今回のひとり旅、高湿度の猛暑の中を、歩く・歩くの連続でした。
前日は、やはり深夜の帰宅。そんなことは関係なく、早朝4時半起き、勝手にからだが動き出す…5時すぎ出立。睡眠時間3時間くらい、、、よーやるわ・・と思う今日この頃の「馬鹿Godzilla.」で~す。^^)
総走行距離は430㌔、この日も日帰りの強行軍観光でした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
-
■関門海峡両岸と長府へ⑤
<城下町長府>
火の山公園から長府へ。長府は、毛利藩5万石の城下町として栄え、明治維新の中心舞台となった町です。当時の町並みが残っています。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺へ>
笑山寺前。長府の歴史と共に町中を流れ続けている壇具川沿いの町並みです。
スポーツカーが通過しています。カックいい! -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺へ>
壇具川に架かる両山橋より写。右手が笑山寺。
車道というより風流な散策道です。初夏には蛍が飛び交う清流だそうです。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺>
功山寺(こうざんじ)は山口県下関市長府にある曹洞宗の寺院で長府毛利家の菩提寺です。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺総門>
功山寺の総門は、木造、瓦葺き、間口4.4mです。
仏殿の建立につづいて古く、室町時代の建造物と考えられ、平成16年6月15日に国の登録文化財(再現することが容易でないもの)に指定されました。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺総門>
毛利藩の本家(毛利元就→長男隆元→長男輝元)は萩に城を築いていましたが、毛利元就の四男である毛利秀元は長府を中心に3万6千石(のちに5万石余)を治めることとなり毛利長府藩が創設されました。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺>
これが現在の城下町長府のはじまりです。いまも古江小路などには長屋門や練塀がつづく、しっとりした町並みが残っています。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺地蔵菩薩堂>
総門を入るとすぐ左手に小さな地蔵堂があります。
この地蔵菩薩は地蔵盆の時にだけ開帳され、普段は、微かにしか拝見することが出来ません。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺>
古い土塀が残っています。歴史を感じさせる、なんとなくムードの良い参道です。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺参道>
総門をくぐって、参道を少し歩いて行くと正面に山門が見えてきます。
山門(三門)とは、本堂に入るのに通らねばならない門、三解脱門(空・無相・無作)にたとえ、その略からといわれています。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺山門>
ここは高杉晋作達が 1864年12月15日に奇兵隊等諸隊の決起を促して挙兵した場所だそうです。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺山門>
古い土塀で囲まれた山門付近の景色。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺山門>
下関市指定文化財(建造物)。
この壮大な二重櫓造りの功山寺山門は、安永二年(一七七三)長府藩主十代毛利匡芳の命により建立(再建)されたものです。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺山門>
建築様式の特色として、土間に自然石の礎石(礎盤)を並べ、本柱四本と控柱八本で支えられた重厚な門、入母屋造り、本瓦で葺かれた屋根は見事な反りを見せています。
また、櫓を支えている太い十二本の柱は全て円柱で柱の上部を僅かに円く削り込み、その下部先端は急に細めた、粽型となっています。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺>
山門横の苔生した石垣と土塀。これはいい・・長い歴史を感じさせます。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺>
功山寺は、数々の歴史の舞台となったところで、毛利元就に追われた大内義長が自刃したり(大内家滅亡)、高杉晋作が倒幕運動のきっかけとなる旗揚げをした(回天義挙)ところでもあります。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺>
今にも倒れそうな山門わきの塀。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺>
法堂 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府功山寺高杉晋作像>
ご存じ、幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍した人物です。高杉晋作は、奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けました。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<国宝(建造物)功山寺仏殿>
鎌倉時代末期の唐様(禅宗様)建築様式の典型的な建造物です。床は四半瓦敷、礎石と柱の間に木製の礎板を入れ柱は上下部分が細く粽型になっています。
見事な曲線を見せる桧皮葺、入母屋造りの屋根を支えている化粧垂木は天井中央より放射状に配置され、扇垂木とも呼ばれています。
-
■関門海峡両岸と長府へ?
<国宝(建造物)功山寺仏殿>
また、二重屋根の内部の組み上がりの高さが異なった箇所を補うために海老虹梁(梁と同意)が用いられています。
さらに前面両角には釣鐘型の特徴をもった花頭窓を有するなど、わが国最古の禅寺様式がよく残されており、鎌倉の円覚寺舎利殿同様、寺院建築史上、貴重な建造物です。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<国宝(建造物)功山寺仏殿>
この仏殿は、内陣柱上部に「此堂元應二年卯月五日柱立」の墨書があることから、西暦1320年に建てられたものとみられています。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<国宝(建造物)功山寺仏殿>
功山寺はもと臨済宗・長福寺と呼ばれていましたが、毛利秀元により曹洞宗・笑山寺と改称、さらに慶安三年(1650)秀元の没後、戒名(功山玄誉大居士)をもって功山寺と改称しています。
平成五年七月 山口県教育委員会 下関市教育委員会
〜説明書きより〜 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<国宝(建造物)功山寺仏殿>
毛利家墓所。毛利家の菩提寺です。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<下関市立長府博物館>
そばに下関市立長府博物館があり、幕末、維新の資料が多く展示されていました。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<下関市立長府博物館>
昭和55年4月1日に開設した郷土の歴史博物館で、「下関の歴史と文化」を基本テーマとし、下関と周辺地域の歴史・民俗に関する資料の収集・調査研究および展示活動を行っています。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<下関市立長府博物館>
館内は撮影禁止です。^^;) -
■関門海峡両岸と長府へ?
<下関市立長府博物館>
また、収蔵品は、長府毛利家遺品・幕末維新資料を中心に各時代各分野にわたっています。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<博物館横の慰霊塔>
全国から集めた有名・無名の勤王の士を祀った霊石が丸い塚に並べてありました。 -
■関門海峡両岸と長府へ?
<長府町並み>
次の訪問記は「長府毛利邸」です。
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