2008/01/01 - 2008/01/03
258位(同エリア336件中)
松村博司さん
この旅の目的地は4カ所。
順番に原城、島原城。
3番目の目的地がこの名護屋城。
そして名護屋城博物館。
長崎から佐賀の唐津までひたすら北上。
朝8時に出発して、
到着は10時10分。
本日最初の目的地、
豊臣秀吉築城、
超巨大城郭名護屋城址に到着です。
挫折禁止(松村博司の貧乏旅日記)
「有明の周辺で明けおめを叫ぶ旅」
http://bonkuraii.blog56.fc2.com/blog-category-48.html
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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長崎自動車道を降りて厳木多久有料道路に接続。
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時間は9時20分。
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料金は200円です。
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地図を見るとそんなに長い有料道路ではないようです。
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さよひめ?
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佐用姫伝説のさよひめですわね、唐津ですし。
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あの山は何ですかね、方角的には天山?
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有料道路終了。
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でっかいお寺が見えます、手前は大仏殿っぽい?
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奥は三重塔ですかね、一番上の屋根の大きさから言って。
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さあ、ここから地道になります。
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あと1時間ですね。
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もうちょっと早く梅松鶴を出た方がよかったかな?
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意外とこの日の朝はトド君も早めに準備を整えていましたので、出ようと思えば出られたのですがね。
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まあ、朝くらいのんびりしたいですから。
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8時出発は妥当といえば妥当でしょうか。
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さて、私たちが今走っているのは佐賀です。
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なぜ佐賀なんでしょうかって話ですね。
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二日目に雲仙地獄巡りで長崎観光がNGになったのならば三日目に行けばいいだろうって話もありますし。
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今、これを書きながらその手があったなんて思っていますがw
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2009年正月の旅、つまり来年に佐賀、福岡の旅でよかな〜なんて今思っています。
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ともあれ2008年、正月の旅です。
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三日目の佐賀。
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これは初日の天草、島原とはまた違った理由で楽しみにしていた場所です。
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当初、帰りがけに時間があれば吉野ヶ里遺跡にでもよろうかと考えていました。
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しかし、考えてみれば佐賀には秀吉が朝鮮出兵のために築城した名護屋城址があるではないですか。
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そして唐津城やらなにやらといろいろあります。
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調べてみると意外とおもしろそうなところがたくさんあります。
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日本三大稲荷の一つ、祐徳稲荷神社もあ〜あ〜などといいながら時間が無くて通り過ぎたのはここだけの話;;
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岡山にも三大稲荷の高松稲荷がありますし、せっかくだから行っておきたいとも思ったのですが残念ながら時間的にどう考えても無理なのでパスしました。
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同じような理由で伊万里もパス。
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行きたいところはいくらでもあるのですが、とりあえず本日のメインは名護屋城址と吉野ヶ里遺跡。
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そのルート上にある何カ所かをチョイスして立ち寄るといったスタイルで。
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とりあえず回れるだけ回ってみましょう。
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とまあ、そんな甘い皮算用をしていたのですが・・・
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これが運の尽き><
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ここ最近、詰め込めるだけ詰め込んだスケジュールが比較的うまくいっていたので油断をしていたのですが。
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本日、ついに甘い段取りが崩壊となるのです;;
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毎度おなじみのここまでのルートです。
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てなわけで名護屋城に到着です。
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駐車場は道路の両端に並んでいるような形になっています。
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思ったよりお客さんが多いなと言うのが正直な感想。
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で、さっそく遺構。
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大手口前井戸だそうです。
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そして正面の建物が名護屋城博物館。
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ここでトド君としばし協議。
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城址を先に見て回るか博物館を見て回るか。
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博物館は急ごうがゆっくりだろうが時間は変わりませんが、城址見学は時間を見ながらどこまで見るか調整することが出来るので先に博物館にはいることにしました。
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で、入場チケットをどこにやしたっけ?
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と必至に探していたのですが考えたら入場無料だからそんなものが存在するはずもなくw
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てなわけで入り口で貰った冊子類です。
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ついでに受け付けカウンターのお姉さんに名護屋城を回るのに地図をお願いして巨大なガイドマップを頂きました。
A4x3のサイズなので大きすぎてスキャンできませんでした^^;
二つ上のピンクの表紙の冊子は名護屋城跡探訪マップなのですが場内を回るのはちょっと見にくいかも^^;
受付で貰ったマップは2D平面マップで細々と書き込みがあるのでけっこう使い勝手がいいです。
大変参考になりました。 -
で、入り口にいきなり現れたのは草庵茶室の復元です。
平成8年から9年の発掘で発見された遺構から復元されたものです。 -
発掘では茶室跡の他に井戸や飛び石、池、門などなど発見されたのですがこれが博多商人が書き留めた茶湯日記の記述そのままだったということで、その遺構が1592年5月28日に催した山里の座敷開きの茶室だったとのことです。
これは秀吉が建てた茶室で唯一発見されたものであるとともに、安土桃山時代のものとしても唯一の遺構ということで大変貴重な発見とのことです。 -
金箔キラキラの秀吉というイメージがあったのでちょっと意外です。
あのお方にわびさびの心が理解できたのかってそれはちょっと失礼だろう^^;
で博物館内部に進入です。
事前調査では基本的に撮影禁止ですが名護屋城か区全体を復元したジオラマと日本の安宅船や亀甲船の模型は撮影可と聞いていたのですが、訪れてみるとすべて撮影禁止になっていました;;
そもそも以前は入場料200円かかっていたようですし、何か事情が変わったのでしょうか・・・
無念です;;
博物館の内容としては名護屋城築城前と後の日本と朝鮮の関係や城址から発見されたものの展示。
そして巨大な城郭のジオラマと船の模型といった感じです。
城郭のジオラマを前もって見たおかげでだいたい城の雰囲気がつかめるようになりました。 -
てなわけで地図を片手に名護屋城を探検ですw
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で、まずは長屋建物跡です。
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この時点であまりの迫力に、すでにのけぞっていますw
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そういえば一年前の高千穂の旅でも三日目最初の訪問地が岡城で石垣群に感動したものですが、その時のことを思い出します。
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大手口から三の丸へ上がっていきましょう。
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ちなみにこの城、関ヶ原の合戦の後に寺沢広高が入りますがその後、唐津城を築城。
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その際に建築資材にこの名護屋城が利用されます。
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そんな理由で名護屋城は廃城となったわけです。
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が、私はてっきり秀吉の死後、無用となって荒廃していったのかと思っていたのですが違っていたのですね^^;
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で、同じ廃城になった原城で知った事。
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この名護屋城を見てなるほどと妙に納得したことがあります。
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それは石垣。
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私の印象に強く残っている石垣群と言えば岡城。
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廃藩置県で明治に入って廃城となった城です。
それに対してこちらの名護屋城や原城は一国一城令で廃城になった城。 -
原城に訪れたとき、島原の乱の後再利用できないように徹底的に破壊されたと聞いていたのですが石垣はちゃんと残っていました。
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で調べてみると石垣の上部と四隅を破壊することで再利用できないようにするとのこと。
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なるほど〜
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名護屋城を見ると、なるほど〜。
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唐津藩の寺沢氏は関ヶ原の合戦の後、天草4万石を加増されるのですが島原の乱の責任を取らされる形で没収、当時の藩主、堅高は心労で自殺してそのまま改易となります。
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全国の廃城となった跡地は幕命により破壊されるわけですが、ここも例外ではありませんでした。
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至る所の石垣が崩れているのは荒廃して崩れたわけではなく、乱後に再利用できないように破壊された後だったんですね。
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下の写真なんかはこんな感じでわかりやすいですね。
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さあ、名護屋城探索は始まったばかり。
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どんどん先へ進んでいきましょう!
つづく〜
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