2009/04/24 - 2009/05/10
40位(同エリア49件中)
ちゃおさん
この町へやってきた理由の一つに、終戦直後にビルマから逃れてきた日本兵の消息を尋ねられるかも知れない、ということと、タイには珍しい「温泉」がこの町にはある、との事だった。
「宝石市場」と言うのは継ぎ足し程度のことで、友好橋のたもとに市場の屋根が見えたので、寄ってみただけのことである。
処で、その旧日本兵。終戦から既に64年経ち、彼らが逃げ込んだ時からしても既に50年以上の、半世紀は経っているのだから、町の人、市場の人、誰彼に聞いてみても、知る者はいない。
考えてみれば、聞いた相手はみんな僕よりは若く、50歳前後以下の人達だったから、これ等の出来事は、全て彼等が生まれる以前のことだった。日本兵との間に生まれた子供達も皆60歳近くになっているはずで、もう孫の世代になっているに違いない。
中国国民党軍が中国本土から大量に逃れてきて、タイ北部の国境の町メーサロン(แม่สลอง・美斯楽)に一つの巨大な中国人の集落を作り、いまでもその子孫が共産中国ではなく、台湾台北と親しく親交を結んでいるのとは違って、逃れてきた日本兵は単発的で、しかもタイ政府からの摘発を怖れて身分を隠し、身元も変えて潜んでいた以上、今となってはタイ人の中に埋没しているのが当然で、むしろその方が彼らにとっても本望であったかも知れない。同僚、上司、部下の無惨な死に様を目にして、おめおめと人の前に出てくるような卑劣な者はいなかったに違いない。
それは兎も角、旧日本兵の消息らしきものは皆無となった今、次に向ったのは、一応は「温泉場」と言われる、この町の市立病院だった。尋ねられた人も目を白黒させ、別の誰彼に聞いたりして、思いつく場所として、ここを挙げた次第だったが、取り敢えず、そこまで行ってみることにした。
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この町では乗り合い小型トラック「ソンテウ」が数多く走っていて、どこに行くにも便利。「ソンテウ」に乗り合わせた母子。頬に白粉を差しているところより、ミャンマー人と思われる。
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ココナッツの皮をむき、中の白い部分を砕いている母子。
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中の白い部分はこんな感じの粉になる。
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建物と建物の間のこんな狭い場所を通り抜ける人。実は僕と途中で擦れ違った人。
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低いビルではまだ竹とか木を補強に使っている工事現場もある。
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この町にはイスラム系の人も多く住んでいて、ローテイーを売る店が多く見られる。
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出来上がった玉子とバナナ入りのローテイー。ロテイー・サイカイ・クルア。
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絞りたてのフルーツジュースなどもこの様な土瓶に入れられていて、如何にも美味しそう。
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これは仏様へのお供え物です。100バーツ位。
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町の豆腐、お粥を主体にした食堂。
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