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私は前日早く寝たということもあり、この日の朝は日の出前の午前6時ごろに目が覚めた。私たちが泊まっていたホテルの前には比較的大きな道があったのですが、真っ暗ということもあり、人影が全くなかった。<br /><br />私は旅行へ行った時は、1日中動き回るので疲れが溜まり、ホテルに帰ってくるとすぐに寝てしまう。そのため、私は朝起きるのが異常に早く、早朝からがたがたと物音を立ててしまうために、今回同じ部屋で寝ていた友人もその物音に気づき目を覚めた。<br /><br />目を覚ました友人と私は、7時の朝食の時間までまだ時間があったので、3階立てのホテルの屋上へ行き、日の出を見ることにした。日中は非常に暑いが、太陽が出ていないというということもあり、非常に肌寒く感じた。<br /><br />6時40分ぐらいになり、前方が明るくなってきた。このホテルの周辺には、チュニジア政府が景観の保全のために規制しているのかどうかは知らないが、このホテル以外高い建物が無かった。そういうこともあり、非常に美しい太陽を拝むことができた。(この時も写真を撮影したのですが、真っ暗で写らなかった。)太陽が顔を出し、町全体が明るくなるにつれて、ホテル前のカフェも営業をはじめ、道には人通りも多くなってきた。<br /><br />太陽も全部顔を出したので、朝食に向かうことにした。朝食は1階のレセプションの前で食べることになっていたので、1階に下りた。しかし、朝食開始時間の7時になっていたが、レセプションは真っ暗だった。隣の部屋では従業員がテレビをつけながら寝てた。私たちは、特に急いでもいなかったので、ソファーの上で待っていた。<br /><br />私たちが待つこと30分、その従業員はのそのそ起きてきて、私たちに一言、二言声をかけて朝食であるフランスパンを買いに出かけた。<br /><br />その間に他の2人の友人も目を覚まし、朝食をとるために一階へ降りてきた。4人でその日の予定について話していると、朝食が出てきた。私たちは出された二本のフランスパンとコーヒーをぺろりとたいらげた。私たちはご飯が足りなかったので、従業員にフランスパンのおかわりがほしいと言ったが、もうないと言われ、結局自分のお金でフランスパンを買いに行くことになった。(フランスパン一本、D0.33)元々フランスの植民地だったせいか、フランスパンの味は絶品だった。<br /><br />1時間の朝食を終わらせ、10時にサハラ砂漠への入り口の町、Douzへ出発することにした。人一倍仕事をしていなかったその従業員は夜勤を終わらせ家に帰ってしまったために、最後のお別れはできなかったが、その後この3日間お世話になったホテルに出勤してきた従業員や眉毛のつながったレセプションの若い女性に別れを告げて、Douzへ向かうために、ルアージュステーションへ向かった。<br /><br />ホテルから途中バザールに立ち寄ったりしながら、向かうこと約十分トズールのルアージュステーション(バスターミナルと隣接している)に到着した。しかし、ルアージュステーションに着いたのはいいのですが、Douz行きのルアージュががなかなか見つからなかった。(ガフサ行きのルアージュはたくさん出ていたが…)<br /><br />そして、待つこと15分Douzに向かう6人乗れるワゴンタイプのルアージュがきた。前の二席には運転手とトズールで医者をし実家に向かおうとしていたチュニジア人、そして後ろに私たち4人が座った。このルアージュで一緒に乗り合わせたチュニジア人は、スースの大学で医者になるための勉強をし、数年間フランスへ留学し医学を勉強していたとのことだった。<br /><br />この国の人々はアメリカに対する感情は非常に悪いけれど、フランスに対する憧れは強いということが随所に感じられた。例えば、ガフサまで一緒に乗り合わせたチュニジア人も「将来の夢はフランスへ行き働くことだ」と言っていたし、また首都チュニスにあるフランス大使館のビザを申請するところでは、いつも人が並んでいるところを目にした。こういうところから見て、フランスは19世紀の末から、20世紀の中頃まで植民地にしていた訳ではあるが、比較的良い政治をしていたのかな、と感じ取ることができた。(フランスとチュニジアは同じ言語を話しており、他のどの国よりもフランスの方が親近感があるのかも知れないが…)<br /><br />ルアージュの中で彼は「スースは良い町だ。スースの町に行った方がいい」と私たちに勧めた。この時、私たちはスースには行く予定は全く無かったが、彼があまりにも勧めたので行く事にした。<br /><br />私たちの乗ったルアージュはオアシスの町トズールを離れ、いつもの地平線の広がる大地の中を走って行った。このトズール~ドゥーズまでのは道の真ん中に穴が多く空いており大変道が悪く、道の両脇にはバーストしたタイヤの残骸を数多く目にした。それでも相変わらず、ルアージュの運転手は平均速度120キロで走っていた。<br /><br />しばらく走ると道の両脇の大地が白くなり、塩を精製している工場などが視界に入ってきた。チュニジアで最大級の塩湖であるショット・エル・ジェリド湖を通過しているということがわかった。私は事前に運転手にこの湖で写真を撮りたいと伝えておいたということもあり、この塩湖にあるおみやげ物屋で数分間の休憩を取ることになった。<br /><br />ドゥーズへ向かう途中のケビリという町で、同乗していたチュニジア人が降りた。そのケビリという町から南へ数十キロ進み、Douzへ着いた。Douzのルアージュステーションに着くと、早速若い男性が近寄ってきて、「ホテル?ツアー?」と言ってきた。最初は普通に断っていたのですが、あまりにもしつこく同じことを言ってくるので、「やかましい」と恫喝した。「まあ、チュニジアの中でも屈指の観光地なので仕方がないのかな」とも思ったが、この町に来て最初から不愉快な思いをした。<br /><br />私たちは今日泊まろうとしていたホテルがわからなかったので、一人の老人にホテルの位置を尋ねた。すると、彼は何故かわからないけれど、私たちを自分の家に招待してくれ、オレンジを出してくれた。<br /><br />そして、家の奥から彼の娘さんが出てきて、私たちの片言の英語をアラビア語に訳してくれた。彼は自分の家にある日本の放送、タイの放送など衛星放送の映るテレビを私たちに自慢げに見せてくれた。親切でか何故かわからないのですが、彼は「今日観光した後にうちの家に帰って来い(今日はうちの家にとまらないか?)」との申し出があったが、この申し出には丁重にお断りした。「イスラムでは、旅人をお迎えする」という教えがあると聞いたことがあるので、今思うと、恐らく彼はただの親切で私たちに申し出てくれたのだと思う。<br /><br />再び目的のホテルを探し歩いた。私たちの目指していたホテルはルアージュステーションからはかなり離れたところにあった。宿を見つけチェックインを済ませ、急いでサハラ砂漠へのラクダツアーに行った。<br /><br />私たちはとりあえず「砂漠さえ見れたらいい。」と思っていたので、ラクダにのって砂漠に行く2時間ツアーに参加することにした。(ホテルでは、砂漠へのツアー2時間、D20と言っていたが、ホテル・サハラの近くにあるラクダ乗り場に直接業者と交渉すると、ツアー2時間、D5になりました)<br /><br />ラクダに乗り、先へ進むと直ぐに砂漠の中に入った。砂のじゅうたんは永遠に広がっており、風によって砂に描かれた模様は美しくとても感激した。途中砂漠の真ん中に立ち止まり、ラクダを下りて砂を触っていると、遠くのほうから月光仮面のような服装をした男性が、馬に乗ってやってきた。私と友人は彼は怪しいと感じていたので、「馬に乗って記念撮影しないか?」と言ってきたが「No.」と言った。一方、2名の友人は馬に乗って記念撮影してしまい、しっかりとD10取られていた。砂漠ツアーに参加される時はくれぐれも月光仮面風の服装をした男にはご注意を。<br /><br />再びラクダに乗り、いざ帰ることに。このツアーも終盤にさしかかってきた頃、月光仮面の件でただでさえ感じを悪くしていたのに、さらに追い討ちをかけるように、このラクダツアーの総元締め風の男が近づいてきて、「ツアーはどうやった?チップ。チップ」と、チップを要求してきた。<br /><br />私はチップを「何でこの元締めに渡す必要性があるのだろう?案内してくれた人にチップを渡すならわかるけれど。ましてやチップは相手に言われて渡すものではない」と思い無視した。この意見は他の3人も同様だった。そういうことで、「チップ、チップ」と言ってくる男を完全に無視して、振り切るように宿泊先に向かった。<br />

チュニジア・東欧旅行記6(トズール~ドゥーズ)

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2002/01 - 2002/01

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SATORU

SATORUさん

私は前日早く寝たということもあり、この日の朝は日の出前の午前6時ごろに目が覚めた。私たちが泊まっていたホテルの前には比較的大きな道があったのですが、真っ暗ということもあり、人影が全くなかった。

私は旅行へ行った時は、1日中動き回るので疲れが溜まり、ホテルに帰ってくるとすぐに寝てしまう。そのため、私は朝起きるのが異常に早く、早朝からがたがたと物音を立ててしまうために、今回同じ部屋で寝ていた友人もその物音に気づき目を覚めた。

目を覚ました友人と私は、7時の朝食の時間までまだ時間があったので、3階立てのホテルの屋上へ行き、日の出を見ることにした。日中は非常に暑いが、太陽が出ていないというということもあり、非常に肌寒く感じた。

6時40分ぐらいになり、前方が明るくなってきた。このホテルの周辺には、チュニジア政府が景観の保全のために規制しているのかどうかは知らないが、このホテル以外高い建物が無かった。そういうこともあり、非常に美しい太陽を拝むことができた。(この時も写真を撮影したのですが、真っ暗で写らなかった。)太陽が顔を出し、町全体が明るくなるにつれて、ホテル前のカフェも営業をはじめ、道には人通りも多くなってきた。

太陽も全部顔を出したので、朝食に向かうことにした。朝食は1階のレセプションの前で食べることになっていたので、1階に下りた。しかし、朝食開始時間の7時になっていたが、レセプションは真っ暗だった。隣の部屋では従業員がテレビをつけながら寝てた。私たちは、特に急いでもいなかったので、ソファーの上で待っていた。

私たちが待つこと30分、その従業員はのそのそ起きてきて、私たちに一言、二言声をかけて朝食であるフランスパンを買いに出かけた。

その間に他の2人の友人も目を覚まし、朝食をとるために一階へ降りてきた。4人でその日の予定について話していると、朝食が出てきた。私たちは出された二本のフランスパンとコーヒーをぺろりとたいらげた。私たちはご飯が足りなかったので、従業員にフランスパンのおかわりがほしいと言ったが、もうないと言われ、結局自分のお金でフランスパンを買いに行くことになった。(フランスパン一本、D0.33)元々フランスの植民地だったせいか、フランスパンの味は絶品だった。

1時間の朝食を終わらせ、10時にサハラ砂漠への入り口の町、Douzへ出発することにした。人一倍仕事をしていなかったその従業員は夜勤を終わらせ家に帰ってしまったために、最後のお別れはできなかったが、その後この3日間お世話になったホテルに出勤してきた従業員や眉毛のつながったレセプションの若い女性に別れを告げて、Douzへ向かうために、ルアージュステーションへ向かった。

ホテルから途中バザールに立ち寄ったりしながら、向かうこと約十分トズールのルアージュステーション(バスターミナルと隣接している)に到着した。しかし、ルアージュステーションに着いたのはいいのですが、Douz行きのルアージュががなかなか見つからなかった。(ガフサ行きのルアージュはたくさん出ていたが…)

そして、待つこと15分Douzに向かう6人乗れるワゴンタイプのルアージュがきた。前の二席には運転手とトズールで医者をし実家に向かおうとしていたチュニジア人、そして後ろに私たち4人が座った。このルアージュで一緒に乗り合わせたチュニジア人は、スースの大学で医者になるための勉強をし、数年間フランスへ留学し医学を勉強していたとのことだった。

この国の人々はアメリカに対する感情は非常に悪いけれど、フランスに対する憧れは強いということが随所に感じられた。例えば、ガフサまで一緒に乗り合わせたチュニジア人も「将来の夢はフランスへ行き働くことだ」と言っていたし、また首都チュニスにあるフランス大使館のビザを申請するところでは、いつも人が並んでいるところを目にした。こういうところから見て、フランスは19世紀の末から、20世紀の中頃まで植民地にしていた訳ではあるが、比較的良い政治をしていたのかな、と感じ取ることができた。(フランスとチュニジアは同じ言語を話しており、他のどの国よりもフランスの方が親近感があるのかも知れないが…)

ルアージュの中で彼は「スースは良い町だ。スースの町に行った方がいい」と私たちに勧めた。この時、私たちはスースには行く予定は全く無かったが、彼があまりにも勧めたので行く事にした。

私たちの乗ったルアージュはオアシスの町トズールを離れ、いつもの地平線の広がる大地の中を走って行った。このトズール~ドゥーズまでのは道の真ん中に穴が多く空いており大変道が悪く、道の両脇にはバーストしたタイヤの残骸を数多く目にした。それでも相変わらず、ルアージュの運転手は平均速度120キロで走っていた。

しばらく走ると道の両脇の大地が白くなり、塩を精製している工場などが視界に入ってきた。チュニジアで最大級の塩湖であるショット・エル・ジェリド湖を通過しているということがわかった。私は事前に運転手にこの湖で写真を撮りたいと伝えておいたということもあり、この塩湖にあるおみやげ物屋で数分間の休憩を取ることになった。

ドゥーズへ向かう途中のケビリという町で、同乗していたチュニジア人が降りた。そのケビリという町から南へ数十キロ進み、Douzへ着いた。Douzのルアージュステーションに着くと、早速若い男性が近寄ってきて、「ホテル?ツアー?」と言ってきた。最初は普通に断っていたのですが、あまりにもしつこく同じことを言ってくるので、「やかましい」と恫喝した。「まあ、チュニジアの中でも屈指の観光地なので仕方がないのかな」とも思ったが、この町に来て最初から不愉快な思いをした。

私たちは今日泊まろうとしていたホテルがわからなかったので、一人の老人にホテルの位置を尋ねた。すると、彼は何故かわからないけれど、私たちを自分の家に招待してくれ、オレンジを出してくれた。

そして、家の奥から彼の娘さんが出てきて、私たちの片言の英語をアラビア語に訳してくれた。彼は自分の家にある日本の放送、タイの放送など衛星放送の映るテレビを私たちに自慢げに見せてくれた。親切でか何故かわからないのですが、彼は「今日観光した後にうちの家に帰って来い(今日はうちの家にとまらないか?)」との申し出があったが、この申し出には丁重にお断りした。「イスラムでは、旅人をお迎えする」という教えがあると聞いたことがあるので、今思うと、恐らく彼はただの親切で私たちに申し出てくれたのだと思う。

再び目的のホテルを探し歩いた。私たちの目指していたホテルはルアージュステーションからはかなり離れたところにあった。宿を見つけチェックインを済ませ、急いでサハラ砂漠へのラクダツアーに行った。

私たちはとりあえず「砂漠さえ見れたらいい。」と思っていたので、ラクダにのって砂漠に行く2時間ツアーに参加することにした。(ホテルでは、砂漠へのツアー2時間、D20と言っていたが、ホテル・サハラの近くにあるラクダ乗り場に直接業者と交渉すると、ツアー2時間、D5になりました)

ラクダに乗り、先へ進むと直ぐに砂漠の中に入った。砂のじゅうたんは永遠に広がっており、風によって砂に描かれた模様は美しくとても感激した。途中砂漠の真ん中に立ち止まり、ラクダを下りて砂を触っていると、遠くのほうから月光仮面のような服装をした男性が、馬に乗ってやってきた。私と友人は彼は怪しいと感じていたので、「馬に乗って記念撮影しないか?」と言ってきたが「No.」と言った。一方、2名の友人は馬に乗って記念撮影してしまい、しっかりとD10取られていた。砂漠ツアーに参加される時はくれぐれも月光仮面風の服装をした男にはご注意を。

再びラクダに乗り、いざ帰ることに。このツアーも終盤にさしかかってきた頃、月光仮面の件でただでさえ感じを悪くしていたのに、さらに追い討ちをかけるように、このラクダツアーの総元締め風の男が近づいてきて、「ツアーはどうやった?チップ。チップ」と、チップを要求してきた。

私はチップを「何でこの元締めに渡す必要性があるのだろう?案内してくれた人にチップを渡すならわかるけれど。ましてやチップは相手に言われて渡すものではない」と思い無視した。この意見は他の3人も同様だった。そういうことで、「チップ、チップ」と言ってくる男を完全に無視して、振り切るように宿泊先に向かった。

  • 砂漠の夜明け。

    砂漠の夜明け。

  • トズールからドゥーズまでの道の両側は塩で真っ白になっていた。一瞬雪を思わせる。

    トズールからドゥーズまでの道の両側は塩で真っ白になっていた。一瞬雪を思わせる。

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