2009/05 - 2009/05
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西部旅情さん
天水の見所の第一は、市の中心から東南67kmにある麦積山石窟である。麦積山は海抜1742m。秦嶺山脈の西端で、遠くからみると円錐形に積み上げられた藁積みに似た岩山であることから麦積山と呼ばれる。
麦積山へは車で行くことになる(天水の北道区から、麦席山のほか、希望者が多ければ仙人崖、石門山まで回るツアーバス、天水駅前から麦積山行きのミニバスが出ている。)市内を出ると車は、なだらかな黄土の山の連なる高原を緩やかに登っていく。途中、天水のビール工場がみえたり、炭焼き場がみえたりしながら、穏やかな高原の農村をいくつも過ぎて秦嶺山脈西端の緑の山波に至ると、頭にだけ緑を乗せてニョキッと突き出した藁積み形の山を遠くに望むことになる。
麦積山は高さ142mの岩山。垂直に切り立った赤褐色の崖に、摩崖の大仏や、無数の窟龕と大小の仏像が彫られている。麓から見上げると、まるで蜂の巣のようであり、壮観でありながら、楽しくなるような素朴な愛嬌も感じられる。
創建は五胡十六国時代の後秦(384〜417年)のときといわれ、北魏、西魏、北周時代に至る4〜5世紀の間に多くの窟龕が彫られた。新たな窟龕の造営は唐代までつづき、その後の修復の手は清代までつづいたという。石窟の古さでは、敦煌の莫高窟に次ぐもので、秦嶺山脈を越えてくるかつてのシルクロードが麓を通り、仏教の伝来の道筋を感じさせてくれる。莫高窟が壁画を特徴とするのに対し、麦積山石窟は7000余りのぼる塑像、石刻をその特徴としている。
唐代の734年の大地震によって崖の中央が崩れ落ち東西に分断されたが、現在は、東崖に54窟、西崖に140窟が残されている。12世紀ごろに桟道が落ちた西崖は後世の改修が少なく、比較的登ることが容易な東崖には明代以降の改修・改作が施された。現在は、桟道が整備され、東崖、西崖の両方を見ることができる。
初期(後秦)の石窟は第51、70、74、75、78、165窟などで西崖の東端、桟道の2層目に集中している。第74.78窟は正面の本尊の左右に脇侍菩薩を配し、木芯塑像の堂々とした量感と薄い衣などの表現にインドのガンダーラの風格がある。また、北魏のころの石窟波最も多く、約半数ある。第115窟は台座に「景明三年」(502年)の年号が墨書きされ、一仏二菩薩の塑像は、豊頬で微笑し、薄い衣である点など、やはり西方的な表現である。しかし、これ以後に造営された塑像は、面長身痩、襞の多い衣など、漢民族の様式へと変化していく。第76窟は、一度も修復されておらず、北魏のころの生活をいまに伝える。西魏の石窟は、大きな第127窟に代表され、ほとんどが彩色塑像であり女性化しながらも気品を漂わせている。
北周の石窟は45窟あり、塑像1000体、壁画80平方メートルという。特に「散華楼」と呼ばれる第4窟は、地上83mの東崖に7つの窟が31mの幅に並んでおり、仏龕の上に描かれた飛天や天馬の浮き彫りが美しい。天馬はかつての「三維立体画」の手法で描かれていて、どの位置からみても馬の目がこちらをみているようにみえる。第3窟の無数の仏を彫り並べた千仏廊も見逃せない。
これら麦積山の石窟は、全体を見ると、時代の変遷を感じさせるさまざまな表情に満ち、なお1600〜1400年の時を経た古朴典雅な風格を備えていて、みていて飽きることがない。桟道を登り降りしながら崖に穿たれた仏教芸術を鑑賞し、往時の人々の生活や心に思いを巡らせたり、あるいはそこから周辺の秦嶺山脈の風景に目をやる時間が楽しい。
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