![ピサ、シエナ、アッシジ、サンジミニャーノ、ラヴェンナそしてアマルフィ海岸 写真はあまりない。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/34/18/650x_10341855.jpg?updated_at=1251607578)
1994/03 - 1994/03
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Azucenaさん
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ピサ、シエナ、アッシジ、サンジミニャーノ、ラヴェンナそしてアマルフィ海岸 写真はあまりない。
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ピサの斜塔
今は上まで行けるみたいだけど、この頃は禁止されていた。高所恐怖症だからどっちにしても上がれない。
ピサへは、フィレンツェからバスで行ったり、電車で行ったり。フィレンツェから西へ90km
11世紀から13世紀にヴェネチア、ジェノヴァとともに海港として栄えた。 -
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ピサからジェノバの間にあるカラーラの町は、白い大理石が取れ、石の加工技術が大変高い。
アフリカ、中近東から輸入したものをイタリアで加工し、アメリカ辺りに輸出。 -
トスカーナのワイン
<赤>
キャンティ
ブルネッロ ディ モンタルチーノ
ヴィーノ ノービレ ディ モンテプルチャーノ
エルバ ロッソ
<白>
モンテカルロ ビアンコ
エルバ ビアンコ
アンソニカ
ヴェルナッチャ ディ サン ジミニャーノ
<デザートワイン>
ヴィン サント -
フィレンツェで毎回寄るジェラート屋さん
いっつもストロベリー
ジェラート=アイス、シャーベットの呼称。
・老若男女を問わず、日常生活にかかせない。
・新鮮な果汁やクリームを用いた自然食品。
・ヨーロッパでの発祥は、ルネサンス期のイタリアで17世紀以降、世界へと。
サンバルテルミーの大虐殺で悪名高き、メディチ家のカトリーヌがフランスのアンリ2世の王妃として嫁いだ際に、料理人、菓子職人、酒造業者を当時の先進国イタリアからごっそり連れて行き、粗野なパリの宮廷人たちを仰天させた。1533年10月20日。彼女が宮廷入りしたこの日がフランス料理の歴史における一大革新の日となった。中でも、シャーベットは、フランス人を茫然自失させた。
ルネッサンス時代は、フランスよりもイタリアの方が文化的に発達しており、商人たちは、料理を目と舌で楽しむ優美な芸術にまで高めていた。フランス国王アンリ2世、アンリ4世が共にメディチ家から妻を迎えた結果、フランス料理の質が著しく向上した。それまでは、腐敗しかかったり、固くてまずい肉をいかに料理をするかと数種の香辛料で香りづけし、濃度のあるソースで食べる調理法が発達していたが、繊細な味覚とは無縁であった。
その後、食事は 前菜・スープ・魚・肉・野菜・チーズ・デザートの順に1品ずつ運ぶ原則となり、食事のマナー・エチケットが確率したのもカトリーヌ・ド・メディシスの影響。王家の食卓に婦人の臨席が許されるようになり、銀食器やヴェネチアングラスがテーブルを彩り、冷菓が食卓に上るようになった。
シュークリームは、アンリ4世の妻マリー ド メディシスがイタリアから連れてきた菓子職人がフランスで作った。シュー(キャベツの意味)皮がカリフラワーやキャベツに似ているところからシュークリーム。 -
ボーボリ庭園からの眺め
フィレンツェを一望するなら、ミケランジェロ広場からがベター。
トスカーナの楽しみは、やっぱ赤ワイン。
ビステッカ ア ラ フィオレンティーナ(Tボーンステーキ)。
イタリアからフランスに16世紀以降伝わったもの
ジャム、パルメザン(パルマ産のチーズ)、マカロニ、レモネード、シャーベット
マカロニ=英語で「伊達男、しゃれ者」18世紀後半のイギリスの貴族や上級階級の子弟たちは、競ってヨーロッパ大陸に遊学、放浪し、文化面で追いつこうとした。特にイタリア帰りの気取った服装をした人々は、「マカロニ」と呼ばれた。 -
ベッキオ宮殿前の「ダヴィデ像」レプリカ
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ウフィツィ美術館
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ジョットの塔
84.7m 1334年-1359年 -
Duomoの入口
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アカデミア美術館
ミケランジェロ 25歳 「ダヴィデ像」1501年 -
アリエント通りの露店。何気に左側には、メディチ家の紋章が映ってる。
フィレンツェと言ったら革製品かな。
赤いブックカバーを買い、とても気に入ってボロボロになるまで使って 自分で修理までした。
それに引き換えバックは失敗ばかり。フィレンツェで何度かバッグを買ったけど、どれも実用的でなくてあんまり使ってない。(^^)
靴は、甲の広い日本人向きでないかな。フェラガモ 本店があるけど、見るだけ。
フィレンツェからのアウトレットツアーもあるのでブランド好きならどうぞ。いいものあったり、なかったり 運。
ピノキオのお土産もトスカーナ地方では、よく見かける。ピノキオは、トスカーナ州コローディ村出身?だから!(^^) -
サンジミニャーノ
フィレンツェから電車とバスを乗り継いで、白ワインを飲みに。ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ! -
お店で何杯か試飲しながら ワイン購入。
おおっと いけない。帰りのバスの時間がっ
慌てて坂道を駆け上がる。まわるねぇ〜。
なんとかセーフでバスに乗って電車の駅へ。
バスと電車の乗り継ぎが悪く、そこで時間潰し。駅前にあまりなにもなかったのでピザ屋さんへ。 -
ベネチア 92年頃
イチゴの発泡酒フラゴリーノ
イカ墨のスパゲッティ
ハリーズバー
ベネチアングラス・・・本物は、手作りらしい温かみがある。そのうち買おう買おうと思ったけど、まだ安物しか手に入れてません。・・・金箔の柄が洗っているうちに取れてきてしまいました。次に行ったときに「柄が、取れてきちゃったよ。」と 文句を言ったら 「スポンジで洗ってはダメ、手で優しく優しく洗って。」
そうそう。ベネチアでは、日本語 結構通じます。他のイタリアの都市では、日本人のガイドさんが付きますが、ベネチアでは、日本語を話すイタリア人ガイドさんが付きます。 -
サン・ジョルジュ・マジョーレ島
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会から -
サン・ジョルジュ・マジョーレ島とヴァポレット
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写真はありませんが、ベネチア映画祭で有名なLIDO島にも泊まったことがあります。ルキノ・ビスコンティ監督の「ヴェニスに死す」の世界に迷い込んだような錯覚に。
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サンマルコ寺院
9世紀 ビザンチン建築
フォーク最古の記録は、12世紀のヴェネチア
ヴェネチアの貴婦人がお菓子を食べるために使用。フォーク先進国イタリア。17世紀初めには、すべての町や都市でフォークが使われていた。
スペイン、フランスでは、17世紀になってから。1549年 イタリア人が、スペインを訪れた際に宮廷の人々がフォークを使わずに食事をしていたことに驚いた。
イギリスのエリザベス1世も手で食べていたのだ。 -
Ponte di Sospiri 溜息の橋
この橋を右から左に渡ると牢獄です。 -
夏は野外オペラ劇場になるローマ円形劇場
ヴェローナと言えば、やっぱロミオとジュリエットです。
ジュリエットの家のお庭には胸が輝くジュリエット像があります。
「恋人募集中の人は、ジュリエットの右胸をこすると幸せが訪れる。」
それにチョコレート バッチ BACI(キス)
ローマ円形劇場
古代ローマ世界で大きかった劇場の一つ。44段の階段席に25,000人収容。薔薇色の大理石、レンガのブロックの組み建造。紀元前1世紀末頃。
現存するローマ円形劇場では3番目の広さ。
1番2番は、どこでしょう。 -
ベローナのパスタ屋さん
ギリシャ、トルコから帰ってきたときにバールでカプチーノを飲みました。
「おいしぃ〜」と思わず日本語で言ってしまってました。カウンターだったので、作ってくれたお姉さんに丸聞こえで恥ずかしかったけど、私の喜びは伝わったようです。
トルコ、ギリシャの本格的コーヒーは殆ど飲まなかったかな。現地ではコーヒーを頼むと「ネスカフェ?」と聞かれました。日本でも飲まないインスタントコーヒーばかり飲んでました。マズイ。
そんでもって何気に入ったバールで なにも考えず頼んだカプチーノが美味しかったので思わず・・・ネ。
ずっとイタリアにいたら気付かなかったなぁ。
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