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地下から現れた秦の始皇帝の野心 秦始皇帝陵・秦始皇帝兵馬俑博物館 <br /><br /> 秦の始皇帝は、紀元前221年、楚・韓・魏・趙・斎・燕を平定して戦国時代に終止符を打った。中国史上初の天下統一を成し遂げた始皇帝は、「皇帝」の称号を初めて採用したことで有名だ。統一後にまず着手したのは、自らの陵墓、始皇帝陵の造営だった。また、晩年には、戦国時代以来の宮殿、咸陽宮に満足することができずに、新たに荘重な宮殿、阿房宮の建設にも乗り出す。これらには、何と囚人が70万人も動員されたという。 <br /><br /> 秦始皇帝陵は、西安の東北約37kmにある。墳丘は方形台状で、東西345m、南北350m、高さ76mの巨大なもの。現在は崩れて、この大きさになったが、造営当時は、東西、南北、おのおの150m近く足した規模であったらしい。その地下宮殿は、まだ発掘されていないが、「史記」によると、それを築き上げた皇帝の威容に見合うものであったようだ。 <br /><br /> 宮殿は、百官の像を並べ、奇器珍宝を満たしたもの。さらに、盗掘者には矢が放たれる細工がある墓室の床には、水銀によって河川大河が描かれ、天井には天体が演出された。その照明には人魚の油が灯されたという。実際に始皇帝が埋葬される時は、子供のいない宮女が共に埋葬させられ、造営に関わった工匠は、その秘密が漏れることを防ぐために生き埋めにされた、ともある。 <br /><br /> その秦始皇帝陵の東門から東に1kmあまりのところに、秦始皇帝兵馬俑博物館がある。 <br /><br /> 1974年3月、地元で農業を営む楊志発氏と楊培彦氏の二人が、井戸を掘っている時に、偶然、陶器でできた兵馬を見つけたことが発端となり、発掘調査が行われた。すると、秦始皇帝陵を守る近衛軍団の、実物等身大の兵俑馬俑が大量に出土したのである。世界中の人々を驚嘆させた大発見であった。 <br /><br /> この1号坑は、東西230m、南北62m、深さ5mになる、長方形の地下坑道式土木建築だ。約6000体の兵俑馬俑が収められていると言われており、まず俑坑をつくってから、そこに平均1.8mの兵俑、1.5mの馬俑、戦車が、兵法の布陣の原則に則って配列されたとされる。すべてが、敵からの攻撃に備えるため、秦始皇帝陵を背にして、東を向いている。 <br /><br /> 兵俑は、その階級によって、鎧や刀など身に付けたものが違うばかりが、容姿も民族によって異なっている。私達は、一体一体の個性の表れに、2100年以上前の中国文化の高度な水準を感じないわけにはいかない。 <br /><br /> 1976年5月には、1号坑の北約20mのところに、2号坑、3号坑も発見された。一番大きい1号坑が歩兵で知られるとしたら、2号坑は騎兵で知られる。2号坑内部には兵器展覧館があり、その逸品の数々はじっくりと見ておきたい。3号坑は、1号坑・2号坑の軍隊を指揮した司令部が表現されている。 <br /><br /> 各号坑とも(4号坑もあるが俑坑のみ)、ドームに覆われた博物館になっていて、現在も試堀作業は進行中だ。その全貌が解明されるのは、あと100年はかかると言われている。 <br /><br />http://www.westpassion.com

シルクロード――西安編?

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2009/05 - 2009/05

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西部旅情

西部旅情さん

地下から現れた秦の始皇帝の野心 秦始皇帝陵・秦始皇帝兵馬俑博物館

 秦の始皇帝は、紀元前221年、楚・韓・魏・趙・斎・燕を平定して戦国時代に終止符を打った。中国史上初の天下統一を成し遂げた始皇帝は、「皇帝」の称号を初めて採用したことで有名だ。統一後にまず着手したのは、自らの陵墓、始皇帝陵の造営だった。また、晩年には、戦国時代以来の宮殿、咸陽宮に満足することができずに、新たに荘重な宮殿、阿房宮の建設にも乗り出す。これらには、何と囚人が70万人も動員されたという。

 秦始皇帝陵は、西安の東北約37kmにある。墳丘は方形台状で、東西345m、南北350m、高さ76mの巨大なもの。現在は崩れて、この大きさになったが、造営当時は、東西、南北、おのおの150m近く足した規模であったらしい。その地下宮殿は、まだ発掘されていないが、「史記」によると、それを築き上げた皇帝の威容に見合うものであったようだ。

 宮殿は、百官の像を並べ、奇器珍宝を満たしたもの。さらに、盗掘者には矢が放たれる細工がある墓室の床には、水銀によって河川大河が描かれ、天井には天体が演出された。その照明には人魚の油が灯されたという。実際に始皇帝が埋葬される時は、子供のいない宮女が共に埋葬させられ、造営に関わった工匠は、その秘密が漏れることを防ぐために生き埋めにされた、ともある。

 その秦始皇帝陵の東門から東に1kmあまりのところに、秦始皇帝兵馬俑博物館がある。

 1974年3月、地元で農業を営む楊志発氏と楊培彦氏の二人が、井戸を掘っている時に、偶然、陶器でできた兵馬を見つけたことが発端となり、発掘調査が行われた。すると、秦始皇帝陵を守る近衛軍団の、実物等身大の兵俑馬俑が大量に出土したのである。世界中の人々を驚嘆させた大発見であった。

 この1号坑は、東西230m、南北62m、深さ5mになる、長方形の地下坑道式土木建築だ。約6000体の兵俑馬俑が収められていると言われており、まず俑坑をつくってから、そこに平均1.8mの兵俑、1.5mの馬俑、戦車が、兵法の布陣の原則に則って配列されたとされる。すべてが、敵からの攻撃に備えるため、秦始皇帝陵を背にして、東を向いている。

 兵俑は、その階級によって、鎧や刀など身に付けたものが違うばかりが、容姿も民族によって異なっている。私達は、一体一体の個性の表れに、2100年以上前の中国文化の高度な水準を感じないわけにはいかない。

 1976年5月には、1号坑の北約20mのところに、2号坑、3号坑も発見された。一番大きい1号坑が歩兵で知られるとしたら、2号坑は騎兵で知られる。2号坑内部には兵器展覧館があり、その逸品の数々はじっくりと見ておきたい。3号坑は、1号坑・2号坑の軍隊を指揮した司令部が表現されている。

 各号坑とも(4号坑もあるが俑坑のみ)、ドームに覆われた博物館になっていて、現在も試堀作業は進行中だ。その全貌が解明されるのは、あと100年はかかると言われている。

http://www.westpassion.com

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