2009/05 - 2009/05
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西部旅情さん
日本にも影響を与えた鳩摩羅什訳の仏典
中国の仏教の発展は、彼らの業績を抜きにしては語れない。鳩摩羅什の訳した『妙法蓮華経』『大品般若経』『阿弥陀経』などの仏典は、日本の仏教に多大な影響を与えたことでも知られる。
鳩摩羅什は、クチャに生まれた。インドの世襲の宰相の家に生まれたわけだが、父親が宰相の地位を拒否して出家し、亀慈に至り、亀慈国王の妹を娶って、彼が生まれたのだ。鳩摩羅什は、7歳で出家した後、若くして頭角をあらわし、西域にその名を轟かした。名声は、中国の王朝、前秦にも伝わる。皇帝の苻堅は、鳩摩羅什を獲得して帝政を補佐させようとした。かくして、鳩摩羅什は、苻堅に派遣された呂光によって捉えられる。
呂光は、亀慈を破り、西域の30余りの国を平定した後、鳩摩羅什を連れての中国への帰路、涼州(現在の武威)にたどり着くと、苻堅の死を知らされる。呂光は、独立して後涼を建てた。従って、鳩摩羅什も、この地にいざるをえなかった。その間、約17年間。呂光父子はあまり仏教に関心を持たなかったため、鳩摩羅什は何もすることができず、ひたすら経典や漢文に没頭した。この長い期間の漢文学習が、後の翻訳作業に役立ったのはいうまでもない。
呂光を破った姚萇の息子、姚興は、鳩摩羅什を奪い取ることを決意し、兵を出す。401年、ついに姚興は、国師の礼をもって長安に鳩摩羅什を迎え入れ、西明閣、逍遥園で仏典を翻訳させた。3000人の弟子とともに行われた鳩摩羅什の漢訳は、97部、425巻にもなった。
鳩摩羅什が入滅したのは、413年、70歳の時であった。
西安市の西南約30kmのところにある草堂寺は、855年逍遥園を基礎として建てられた。この寺には、西域の風習によって火葬された鳩摩羅什の灰骨が龕に入れられ舎利塔に収納されている。1500年前のこの舎利塔は、高さ約2.4m、8面12層で、乳黄色の大理石づくり。八宝石塔とも言われ、塔身には浮彫の紋飾がある。残念ながら龕は存在しないが、舎利塔自体は、小亭によって守られている。
寺内の建物は、中華民国の時代に建造されたもの。
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