2009/05 - 2009/05
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西部旅情さん
シルクロードを開拓した先駆者―張騫
武帝の命を受けて、匈奴の討伐を目的に西域に派遣されたのが、張騫である。
河西に勢力を誇っていた匈奴は、中国国内に進入し、さらに楼蘭など20ヵ国を征服。シルクロードを行き来する人々を襲い、交通上の弊害は甚だしいものがあった。武帝は、大月氏と連合することで匈奴を討とうと、張騫を派遣したのである。
張騫の後半生は、西域の開拓に捧げられたといってもよいものだった。その年月は30年以上にもなり、彼は使者として何度も西域を訪れた。
その道程は、波乱に満ちたものだった。第1回目の時も、大月氏に辿り着く前に、匈奴と一戦を交えて敗れ、冒頓単于の所在地の匈奴王庭に連れていかれて、そこの貴族の奴隷となったりした。その期間は11年にも渡る。命からがら脱出し、大月氏に着いても、何も成果はなく、帰国の途につかなければならない。その途次、またもや匈奴に捉えられ、1年も苦役を強いられる。内乱を機に抜け出して、やっと長安に戻ったのは、出発から13年後のことであった。出発時の人数は100人だったものが、無事に帰国できたのは張騫ともう1人の2人だけだった。
しかし、そんな境遇にあっても、張騫は使命を忘れなかった。7尺の竹竿に3束のヤクの毛をつけた、皇帝の使臣を表わす節を持って出発した張騫だったが、13年後に帰国した時、武帝に、ヤクの毛の抜けた節を両手で差し出したという。感激した武帝は、張騫を太中大夫に昇任させた。また、張騫の体験報告は、西域の人物や風俗習慣などに関するもので、武帝に、西域に対する十分な興味を抱かせた。
以後も遠征のごとに、張騫は辛酸を嘗めなければならなかったのである。
張騫らの功績は、文字通り、西域への途を開いたことにある。伝説によると、彼は、胡瓜・石榴・胡桃・葡萄など、十数種類の農作物を長安に持ち帰ったり、武帝が軍馬として欲しがっていた大宛産の汗血馬を連れたきたりした。張騫は、西域の物産の導入の先駆者でもあった。
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