2009/05/09 - 2009/05/10
136位(同エリア270件中)
熱帯魚さん
週末、汽車に乗って南京に1泊2日の旅に行ってきました。
初の南京、行ってみたい場所が沢山ありましたが、
まず行ってみたかったのが中山陵(孫文のお墓)と明孝陵(明の朱元璋のお墓)。
この2箇所は初日に早速行きました。
◎ 上海駅から出発!
◎ 中山陵
◎ 国民革命軍陣亡将士公墓
◎ 明孝陵
◎ 孫権墓
【旅の日程】
1日目:午前の汽車(動車組)で上海から南京へ。中山陵や明孝陵を見学。夜は夫子廟の夜景を見に行く。
2日目:江南貢院、夫子廟、中華門を見学。夕方の汽車で南京から上海。
【旅の費用】
ホテル(漢庭南京駅店) 183元
地図 4元
汽車 98元(上海→南京の動車組2等、5元の手数料含む)
汽車 98元(南京→上海の動車組2等、5元の手数料含む)
その他交通費 15元
食費 46元
鐘山風景名勝区共通入場券 140元(明孝陵、中山陵、霊谷寺など)
江南貢院入場券 20元
夫子廟 30元
中華門 25元
合計(ひとりあたり) 568元
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道
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上海駅に到着しました。上海駅9時39分発のD5414に乗って南京へと向かいます。
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南京駅に11時半過ぎ到着!綺麗な駅です。
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今回宿泊先に選んだのは、漢庭酒店南京駅店です。南京駅から歩いて7分位のところにありました。
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ネットで予約して1泊183元でした。部屋にリュックを置いて出発!
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南京駅のバス停から「遊1」のバスに乗って中山陵へ向かいます。エアコン無しのバスに乗ったので1元でした。1時間ほどかかって中山陵に到着しました。
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中山陵のみの入場券だと80元、明孝陵のみだと70元なのですが、鐘山風景名勝区(明孝陵、中山陵プラス霊谷寺景区、音楽台、孫中山記念館)のセット入場券が140元だったので、セットの方を購入しました。
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まずは、中山陵(孫文のお墓)から見学します。門に書かれているのは孫文の書いた博愛の文字です。
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門には天下為公の文字が。この日の気温はなんと34℃でした。係員のおじさんがお花に水を上げていました。
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中には記念碑があります。
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中国国民党葬
総理孫氏ここに眠る…と書かれています。 -
孫文が眠っている祭堂にたどり着くためにはこの階段を登っていかないといけません。学校で中山陵について学んだことがあるという相棒が色々説明してくれました。
この階段、実は10段階に分かれています。孫文は10度革命(武装蜂起)を起こしました。その革命になぞらえ、階段が作られています。最初割と緩やかな階段が続きますが、8番目と9番目の階段はかなり傾斜がきつい階段になっています。そして10番目は短い階段。きつい階段になっているのは、革命の苦労を忘れるな、という意味が込められているそうです。 -
階段の途中にいた獅子。この獅子にも意味があるそうですが、相棒曰く「忘れちゃった」とのこと。
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階段を登りきると、南京の街が見渡せます。
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こちらが孫文が眠る祭堂です。民族、民権、民主(三民主義)の文字が書かれています。中は撮影不可です。
相棒によると、以前学校で勉強した時は、教科書に孫文の遺体の写真が載っていたとか。どうやら以前は公開されていたようです。今は遺体が安置されているお棺の上に、遺体を模した像が安置されています。
祭堂の天井には、中華民国の国旗、青天白日旗が描かれていました。 -
中山陵を出たところで、霊谷寺景区への無料バス(?)を発見しました。チケットを見せると乗ることが出来るとか。早速乗ってみることにしました。
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これに乗って霊谷寺景区へ向かいます。
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霊谷寺景区の入り口。
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国民革命軍陣亡将士公墓のアーチです。アーチの前には「大仁大義」、裏には「救国救民」の文字が刻まれています。
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アーチの両端には石獅がいました。勇猛な軍隊のたとえとして用いられているそうです。
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石亀跌とよばれる石碑。かなり大きな亀さんでした。建てられた理由はいまだ解明されていないとか…
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無梁殿
霊谷寺の建物のうち、現存する唯一の明代建築です。もともと無量壽仏を祀っていたため、無量殿とよばれたこともあります。建物自体はレンガのアーチで出来ており、梁が使用されておらず無梁殿と俗称されています。
1931年、国民党政府が霊谷寺の旧跡に戦没者の共同墓地をたてました。その際、無梁殿は共同墓地の祭堂となりました。 -
国民党の革命烈士の霊位
ほとんどが抗日戦争の犠牲者だそうです。 -
霊位の左右には、孫文の遺嘱が刻まれています。
「革命尚未成功」
は有名な言葉ですね。 -
中華民国の国歌です。
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無梁殿の中はトンネルのようになっています。このようにアーチ型にすることで、梁がなくとも建っていられるのでしょう。
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窓がとても素敵でした。この窓を見ると、お寺っぽくないような?祭堂になった際に、窓も変えられたのでしょうか?
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上海と江蘇での抗日戦争の国民党戦没者をまつった碑。
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漢白玉石碑と書かれていました。亀くんがとても強そうでした。
霊谷景区での散歩はこれくらいにして、次にバス(遊2)で明孝陵へ向かいました。 -
海底世界というテーマパークのバス停で降り、歩いて明孝陵へ向かいました。地図の苦手な2人なので、道に迷いましたが、何とか到着。
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全体図です。ここに来て気がついたのですが、ここは世界遺産だったようです…そういうのに疎いもので、到着してから気がつきました!笑
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歴史的建築物であるにもかかわらず、あまりにも損壊が激しかったため、清の時代(1909年)、日本語やドイツ語など6つの言語で損壊禁止の注意書きが建てられました。
その注意書きも、損壊激しいですが…? -
乾隆皇帝による碑文。
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壁の裏側を見たらしっかり亀のお尻がありました。かわいらしいです。
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本当は龍が彫られているものでしょうが、すでに損壊激しく龍の姿は見えません。残念です。
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柱のようなものが沢山立ってました。そして龍が沢山います。
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龍の頭がニョキニョキ突き出ていて、面白いです。
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アップして撮ってみました。雨が降ると、ここから水が流れるようになっていたようです。中国語で蛇口を「水龍頭」といいますが、これが語源だったようです。なるほど〜と思いました。
そこでふと、「日本語の蛇口は蛇と関係あるのかな?」と思いましたが、まだ調べてません。 -
享殿
1383年に建てられましたが、戦争により焼失。現存しているものは、清の時代に再建されたものだそうです。 -
こんなところに獅子を発見しました。しかもとてもカラフル。
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内紅門
陵墓の主人がまつられている場所へと続く門で、享殿の真北にあります。 -
昇仙橋
石橋で、埋葬の際、朱元璋の遺体がこの橋を通って運ばれたことから「昇仙橋」と呼ばれました。 -
方城です。一番の見所のはずが、修復作業中で、見学できませんでした!残念です。
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方城の壁には花の模様が彫刻されていました。中も見てみたいので、修復され再び公開されるようになったら是非また行きたいと思います。
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こちらが陵墓の神道です。文官、武官、ラクダ、獅子、馬などの石像が対になって並んでいます。
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こちらは文官。
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こちらは武官。
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麒麟です。角が折れてしまっていてちょっとかわいそうです。
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神道の夕暮れ。
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象もたっていました。かなり大きかったです。
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なぜか神道の石像で運動するおばさん。せっかくの遺跡なのに…それにもともとは皇帝のお墓の神道だったこの場所で、こんなことできてしまうなんて…
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地図を見ていた相棒が突然、
「近くに孫権のお墓があるって!」
と興奮した様子で言い出したので、孫権のお墓も見に行きました。 -
孫権は鐘山(現在の梅花山)に葬られたそうです。やっぱり三国志って男のロマンなんでしょうかね?相棒は明孝陵よりもこっちに大興奮でした。
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孫権のお墓を見終わった後、再び神道を通り歩いていくと、神功聖徳碑楼に到着しました。亀くんのお尻が見えます。
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石碑を横から撮ってみました。この日は沢山亀くんを見たような気がします。
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碑楼
明の時代(1413年)に建てられました。楼の上部は破壊されてしまい残っていませんが、碑と碑を囲む正方形の壁が残されています。
朱元璋の四男が建てたものです。朱元璋の一生の実績を2746の文字で記してあります。南京市最大の古碑だそうです。 -
大金門
本当はこちらが明孝陵の正門でした。脇から入っていったので、最後に正門から出る形になってしまいました。
このまま公園を歩いていきました。この公園、遺跡の展示があちらこちらにあって面白い公園なのですが、なにせ規模が大きくて、公園を出たときには空は真っ暗になっていました。
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