2013/05/25 - 2013/05/25
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ぱっしょんKさん
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仕事に疲れました。って訳じゃないんだけど、5/21に突然思いました。
どっかいこう!
さらに中国南方航空のマイルの期限がやってくるポイントもあったから、南方航空の飛行機でいかなくては。
土日1泊となると飛行機の多い大都市に行くしかないなぁ〜。大都市で世界遺産となると。。。。
白羽の矢を立てたのが明清朝の皇帝陵墓群に指定されている明孝陵のある南京に行くことに。
急遽立てた計画は。
◎5/25
8:00〜9:50 CZ3559 深セン→南京
空港バス1号線で南京駅にそこから地下鉄で移動
明孝陵、中山陵あとは時間と体力を見て現場で決定。
5/26
総統府など状況みて。
17:40〜19:55 CZ3828 南京→深セン
とまぁ計画も適当。
とにかく行ってからだね〜
成り行きに任せてさぁ、出発!!
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- 中国南方航空 深セン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今日の飛行機は中国南方航空。
ということはラウンジが使用できます。
というわけでここで朝食をいただきます。
肉まんとベーコン、ウインナーとスプライトで朝食は終了。
今回はたまったマイルを使ってグレードアップをしてビジネスクラスで行きます。
今回は飛行機は遅れず離陸。これはラッキー。 -
飛行機に乗っているのは2時間弱。
ビジネスクラスの点心メニューを注文。
蒸し餃子3種類とやきそば、サラダとフルーツ盛り合わせ。
コーヒーとナッツ。
ビジネスクラスはやっぱり高級ですね。 -
CZ3559はエアバス321での運行。
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空港バス1号線で南京駅に向かいます。
南京駅までは1時間。 -
南京駅に到着。南京には約20年ぶりに来ました。
駅が立派に変わっていました。 -
南京駅前に広がる玄武湖。玄武湖の向こう側に南京市内の高いビルが。
-
地下鉄1号線に乗って孝陵を目指します。
-
南の広州、深セン、香港の地下鉄と違い椅子はプラスチック。
ちなみに南の地下鉄はステンレスの椅子。 -
途中、新街口駅で地下鉄2号線に乗り換えて下馬坊駅で降ります。
-
下馬坊遺址公園が駅のすぐ横にあります。
この中を通って明孝陵を目指します。
っていうか、下馬坊はこの前で馬やかごを降りる場所ですから、明孝陵の一部といえなくもないのですが。。 -
龍紋石雕構件。
長さ5.1メートルの龍の彫り物。
神烈山碑亭の建物の一部なのだそう。 -
禁約碑。
石碑の上部に玉で遊ぶ2匹の龍の彫刻が。
明孝陵の破壊及び拝謁することが厳禁であるという皇帝の詔が刻まれています。 -
神烈山碑。
1531年に鏡山を神烈山と名前を変えたのを記念して立てた石碑。
もともとはこの石碑を囲う亭があったようです。最初に見た龍紋石雕構件はここの建物の物。
ちなみに今の名前は紫金山になっているようです。
さらにこの辺の観光スポットは鏡山風景区と昔の山の名前が付けられています。 -
ここが下馬坊。
こっから先はお偉い様もみなさん歩きで参拝していたのです。
では、歩きましょう。 -
ここを明の時代の皇帝も通って参拝してたんですね。
-
文苑英華という彫刻があります。
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中身は文芸作品の紹介がメイン。
有名なのみっけ!紅楼夢だ!! -
途中、博物館の建物がある場所があります。
その中の一つ南京十朝歴史文化展覧館を見て行きます。
ここ南京は中国八古都の一つ。過去10の王朝がここを都にしています。
ちなみに八古都は北京、洛陽、開封、鄭州、西安、安陽、杭州そして南京。
そういえば、今回南京にきたことで、全部制覇したわ!! -
南京に関わるおそらく世界で一番有名な人ですね。
三国志の英雄呉の孫権です。 -
南京に10王朝の明細です。
ここを都にしたのは三国の呉にはじまり、一番最近は中華民国。
日本と戦争していた当時の首都はここ南京。 -
仏都南京の説明があります。
孫権が江南に持ち込んだ仏教。時代とともにここ南京でも発展していきます。
とまぁ、後から作ったものばかりですが、南京の時代を学ぶ事ができました。
すぐ隣の建物、明孝稜博物館に行きます。 -
明孝陵博物館です。
先ほどの南京十朝歴史文化展覧館とは入り口が反対側にあります。 -
清同治年代に書かれた明孝陵の額があります。
もともとは、孝陵陵門に掛かっていたもの。
孝陵は主な建造物は戦火で焼かれてしまったので、この額はかなり貴重。 -
明孝陵未開窟の陵なのでここの博物館には残念ながら出土品のたぐいはありません。
明朝設立当時の皇帝の椅子を再現しておいてあります。 -
燃えてなればこんなに立派だったんだよ。
ここは時代の中心に有った都市。
戦火はさけられなかったってことですね。 -
明孝陵に入ってきました。神道である石象路にやってきました。
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まず獅子。各動物座ってるの、立ってるのの順番できます。
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かい豸。
熊の目、頭には1本の角を持つ想像上の神獣。
人が争ったときに正しくない方を角で突き刺すとのこと。 -
らくだ。
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そして象。
北京の十三陵でもこうでしたが、その腕、どうなってんの? -
麒麟です。(低い声でね)
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最後は馬。
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石象路を出たら、右に神道は曲がって行きます。
この石柱から後は250メートルの翁仲路。 -
石象路に神獣がならんでいますが、翁仲路は武官、文官がならんでいます。
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鎧を着た武官。
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そして文官。
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神道を抜けると極星門に出ます。
この中はいよいよ明孝陵の陵宮。 -
基本的に明清代の陵は作りは同じ。
まずは橋があります。
ここの橋は金水橋又の名前を五龍橋と言い元々5本橋があったそうですが、現在は3本しか残っていません。 -
明孝陵の第一門文武方門。
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特別告示碑。
1909年、清朝の宣統帝のときに立てられた、明孝陵とその付近の史跡の破壊を禁じる石碑。
アヘン戦争後にやってきた外国人による破壊に悩んでいた事が分かります。
日本語、英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、ロシア語の6カ国語で書かれています。 -
日本語で書かれたもの。
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碑殿。
清康煕帝が第三回南部巡視の時に壁などが崩れているのをみて、修繕の命令を出した。
その時『治隆唐宋』の文字を紅楼夢の作者曹雪芹の祖父曹寅に渡して、永遠に残すために石碑を作るように命じた。
とのこと。で、その石碑がこの建物に納められています。 -
その石碑がこれ。
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治隆唐宋の両脇にある石碑は乾隆帝の書いた石碑です。
入って左側の石碑。 -
そして右側の石碑。
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神帛炉
祭祀用の絹織物と祝版を焼く為の物。
この奥の享殿の前に左右2つあります。
黄色、緑の瑠璃で作られているので、目立ちます。 -
朱元璋とその皇后、側室の位牌を祀る巨大な木造建築享殿があったところ。
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上に建っていた建物は消失してしまっています。
が石柱の基礎が56個も残っていて、大きな建物だったんだろうなぁと感じさせます。 -
享殿には今小さなあばら屋が建っていて売店になっていました。
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内紅門。
2006年に再建されたもの。 -
内紅門を入るとしばらく歩きます。
その奥には、 -
メインの建物、方城とその門の上にある明楼が見えてきます。
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方城に行く前に橋があります。
昇仙橋。長さ57.5メートルもあります。
朱元璋が埋葬される時棺はこの橋を渡って墓室にいきました。
その為この名前昇仙橋の名前が付けられました。 -
いよいよ一番奥。方城に入って行きます。
その上にある明楼。 -
方城の東側、西側には赤い壁レンガでつくった壁があります。
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では方城に入って行きます。
-
門を出た一番奥には明太祖墓の文字が。
-
方城の上に上がります。
明楼に上がろうと思ったのですが、 -
裏山に続く道を発見。
いままでの経験上この後ろには朱元璋の遺体が眠る宝城があるはず。
行ってみます。 -
宝城はまったく手つかずの山。
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どっかに朱元璋や皇后が眠っているはずですが、さっぱり分かりません。
自然の山を利用した陵なんですね、 -
宝城は諦めて明楼に来ました。
来る時に歩いてきた道を見下ろします。
明孝陵はこれで終わり。
明孝陵の東側にある明東陵遺址に行ってみます。 -
享殿前門の跡。丸く城壁が続いて行きます。
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享殿の跡。
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発掘中に発見された排水施設の遺跡。
10本の石柱と2面の石壁で作られたものの遺構。 -
明東陵の復元図がありました。
建物の基礎があるだけですから、さらっと東陵は見て終わりです。
携帯電話のGOGLE MAPで見たら、すぐそばに孫権のお墓があるんですが、山の中を2周しても発見できず。
近くにいた係員の人に聞いたら、坂を降りたところだとのこと。 -
言われたところに行ってみると東呉大帝孫権記念館が建っていました。
ここがお墓なのか?
よくはわかりませんが、とりあえず入ってみる事に。 -
三国志に出てくる戦いが図解されています。
-
孫権と一緒に撮影できるスペースがありました。
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孫権記念館の裏側が梅人情という庭園。
裏山全体が梅の木でいっぱいです。ここは梅花山と名付けられています。
いい時期に来れば梅が奇麗なようです。
後になって調べたら、孫権はここに埋葬されています。
ということは孫権記念館は墓そのものではないかなぁ。 -
梅花山の頂上にある博愛閣。
孫権はこの山のどっかに眠っているんですが、規模、地下神殿、範囲など全く分かっていないとの説明文があり、なんとなくすっきりしました。
時間は16時半。やばい時間が!!
中山陵に急いで向かいます。 -
観光車に乗って孝陵から中山陵に移動しました。
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中山陵
孫中山(孫文)がねむっている陵墓です。
額には博愛の文字が。 -
門を越えると長い参道が続きます。
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20年ぶりに来ました。が、相変わらずすごい角度で建物が並んでいます。
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碑亭があります。
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中には孫総理ここに埋葬されると表されています。
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こっから急な階段を登ります。
急だし高いし!
気合い入れ直し。おりゃ!! -
がんばってのぼれや!
さすがに近代になると獅子の像もライオンに似てくるんだね。 -
孫文が地下で眠る祭殿に到着しました。
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祭殿に入ると孫文の座像が入り口に向かって座っています。
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祭殿の壁には一周、刻文が刻まれています。
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時間は5時。やっぱり来るのが遅かったか。
昔来た時はここから中に入って孫文の仮の棺を見れたのですが。。
今は公開しているか分からないですけど、その下に孫文が眠っているって説明を受けました。 -
祭殿から見える景色は素晴らしいです。
さぁ階段降りますか。 -
階段の途中にある奉安記念銅鼎があります。
これは1929年中華民国当時の上海特別市政府が贈った物。 -
側面にへこんで割れた跡が。
日中戦争のときに鉄砲の玉があたった跡だそうです。 -
中山陵の門をくぐり、来たのとは違いまっすぐにすすんで地下鉄の駅を目指します。
孝経鼎という鼎があります。表面に孝経が全文刻まれています。 -
中山陵園の正門のようです。
バスを使い下馬坊駅まで行き、地下鉄で新街口に向かいます。 -
新街口の町並みです。
南京一の繁華街。人通りが絶えない街。 -
歩いて10分。長江路に入ったところに今日のホテル南京国信酒店があります。
四つ星ホテル。 -
部屋はベーシックルーム。
朝食付き1泊458元。 -
バスルームはバスタブ付き。
-
洗面台もかなり奇麗です。
部屋に入ってしばらくしたら、携帯電話が鳴りました。
電話を取ると、飛行機チケットとホテルの予約に使っている携程旅行ネットからでした。
その女性は明るい声で
「明日の中国南方航空CZ3828がフライトキャンセルになりました。」
おいおい!最近多いなぁ!このパターン。前回茘波でもこのパターンかっ喰らいましたが、今回はさすがに南京と言う大都市。
他のフライトが多いので、切り替えも楽。
18:55発の深セン航空ZH9858に無事変更終了。
明後日からの出勤も問題なしです。
安心したら、外は大雨。夕飯どうしよう。。。 -
けっきょくホテルの1階のレストランで夕食を取る事に。
-
牛肉とたまねぎの黒胡椒炒め定食でこの日は締め。
翌日は。。。。
朝おきたらどこ行くか決めたいと思います。
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