2008/02/17 - 2008/02/17
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フロッガーさん
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鷲宮神社は関東最古の大社と呼ばれ、埼玉県北葛飾郡・鷲宮町に鎮座する神社です。主祭神は天穂日命(アメノホヒノミコト)・ 武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト)を祀ります。
社伝によれば、古くは土師部(はじべ)と呼ばれる素焼きの土器を作る人々の移住地であったと言われています。初期の社名も「土師(はじ)の宮」と称したといわれており、この「はじ」が「わし」に転訛して「鷲宮」になったという伝え。天穂日命・武夷鳥命は出雲臣(いずものおみ)・土師連(はじのむらじ)らの祖先にあたり、土師部が彼ら祖神を祀ったものと考えられています。
この鷲宮神社が歴史上で書物に最初に登場するのは「吾妻鏡」であり、
建久四年(1193)と記載があります。鎌倉時代に入ると、関東における鎌倉幕府ゆかりの有力な神社として、鶴岡八幡宮・伊豆山権現・箱根権現・三島大社などの中に加えられました。鷲宮神社が幕府に保護されたのは、鷲宮神社が惣鎮守とした地域(大田荘)が当時の河川交通の要所として、また関東の中心部として政治的に重要であったためと言われています。
最近では、「らき☆すた」アニメ版で登場キャラの住居とされたこともあってアニメ系の人が群がる場所になってしまいました。この日もそれ系とわかる人達がちらほら観光に来ている模様(参拝ではなく)でした。個人的には宗教色もないのに「聖地」という言い方をするメディア感覚は嫌いですが、人が集まる事によって地域振興が行われるのであれば良いことだと思います。自治体や商工会等も観光名所にするために色々やっているようですし。
あくまで神的宗教場所である事を理解して、マナーある行動して頂ければ文句はないですねぇ(笑)
それでは境内をざっと御紹介。
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鳥居前から。右手が参道御茶屋さんにもなっている大西茶屋。
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大西茶屋の掲示板の下には「らき☆すた」・公式イベントを記念してつくられた石碑が飾られています。
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鳥居をくぐって参道を。朱塗りの灯篭が並びます。花を売るお店や大判焼きを売る屋台が営業していました。
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立派な造形の銅灯篭。本殿東側にあるこの灯篭は文政十二年(1829)に奉納されました。
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参道を拝殿方向に歩いていくと、まず目立つのが絵馬をかけてある所です。ピークは越したそうですが、いわゆる「萌絵馬」が表面を埋めています。この絵はここで書いているんですかね!?
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こちらも。
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いや〜違和感全開。。。(爆)と絵馬の巻きつけられている木を見上げます(^_^;)
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そういえば、狛犬はと。。。
これは? -
狛犬のしっぽだったのです(笑)。ここの狛犬は後ろ足を蹴り上げてる動感あふれる狛犬。見たい方は是非、鷲宮神社へ('-'*)
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そして、参道を向かって右側には八坂神輿殿と書いてある小社が。
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寄ってみると中には千貫御輿が安置されていました。
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そして本殿が見えてきます。本殿は御本殿・天穂日宮と共に神崎神社の二社が存在します。
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拝殿。明治元年(1868)に鷲宮神社は祭政一致の政策をとっていた明治政府のもとで、神祇官直接支配の准勅祭社に指定されることになります。
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拝殿・本殿と向かい合って神楽殿があります。鷲宮町には鷲宮催馬楽神楽(さいばらかぐら)という神事芸能が伝承されていて、国から重要無形民俗文化財として指定を受けています。この神楽殿がそれを行う場所です。建武二年(1335)に新田義貞が神馬を奉献します。同年、小山氏が箱根山の合戦で新田氏を破り、その戦功によって太田庄を拝領することになりました。太田氏の流れを汲む小山氏は鷲宮を深く敬っていたそうで、応安五年(1372)、小山義政は社殿を再興し永和二年(1376)には太刀を奉納しました。義政は鎌倉府に背いて滅ぼされることとなり、太田庄は鎌倉幕府の御料所となったのです。
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鎌倉幕府滅亡後は、下野小山(栃木県小山市)の豪族で太田氏の支族であった小山氏の保護下に置かれます。その後も古河公方の足利成氏・政氏・高基・晴氏・義氏・そして後北条氏の祈願所となりました。天正十九年(1581)には、徳川家康から400石の寄進を受けるなど昔から関東武士を中心に崇拝されてきた場所でもあります。
境内奥には縄文から古墳時代にかけての複合遺跡である鷲宮堀内遺跡もあります。社が何箇所もあり、森の中のような雰囲気。 -
古河公方を称したことで有名な足利成氏はこの社を祈願所としました。以後、歴代の古河公方もこれにならいます。特に足利晴氏は社領への守護不入と諸公事の免許、そして社領の寄進などを行っています。鷲宮の神主であった大内氏は鷲宮城主も兼任していました。
河越(川越)の合戦で足利晴氏が北条氏康に破れた後に古河公方は名目的な存在となります。太田庄も小田原北条氏の支配下に入り、北条氏康は鷲宮の社領を安堵し、大内氏も北条氏の配下に組み込まれることとなり北関東攻略の基盤としての役割を担いました。古河公方が名実ともに途絶える頃、北条氏はこの地を祈願所として社領等を寄進しています。
ということで、一通り参拝した後に大判焼きを買って帰りました('-'*)
2008年の正月の参拝人数は、アニメの影響もあって例年の倍の30万人(推定)になったそうです。ちょっと変わった参道の造りで拝殿前が一番狭いので、その人数ではたいそう混んだと思いますね(^^ゞ
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