2009/02/07 - 2009/02/07
6383位(同エリア7012件中)
早島 潮さん
五箇山合掌集落を慌しく見学した後、バスで昼食のため婦中町の五万石千里山荘へ赴いた。
http://www.gomangoku.co.jp/shop/ShopTopAA.do?tenpoid=0003
建物は合掌造りになっていて庭からは白山連峰の雪景色が見られる立地条件のいい場所にある。
昼食後、今回のバスツアーの最後の訪問地越中八尾を訪問した。
おわら風の盆と曳き山祭で有名な所である。
今回は時期的には盆踊りも祭の曳き山も見られないが、石積みの町並を見るのが目的である。
越中八尾観光会館でバスから降り、古い町並の残る諏訪町へ赴いた。
http://www.yatsuo.net/kankou/ACCESS/index.html
今回のツアー参加の目的は第一に合掌造り集落の見学、第二に古い町並の見学であった。
第一目的は白川郷と五箇山見学で果たし、第二目的は高山の上三之町、古川の壱之町見学も終り、ここ八尾が最後なので名残惜しい気持ちである。
八尾の町並みを初め日本各地の美しい町並みを見る優れたサイトは次のURLである。http://tztom.cool.ne.jp/index/tabi_top.html
最後に八尾についてネットで調べたことを記録しておくことにする。
先ず八尾の町の歴史についてhttp://tztom.cool.ne.jp/04hokuriku/toyama/yatsuo/yatsuo.html
は以下の引用の通り説明している。
引用開始
城郭のようにそびえる石積みの段丘上に越中八尾の町はあります。もともと丘陵の下にあった八尾村は寛永8年(1631)井田川の洪水によって壊滅的打撃を受け、当時浄土真宗聞名寺の門前町であった丘陵上の相山村と合併することになります。
そうして始まった八尾の町は年を重ねるごとに町域を拡大していきました。飛騨往還の中継地でもあった八尾の町には旅籠や酒蔵、遊郭が並び初め宿場町の様相を呈しはじめ、やがて富山藩唯一の交易市場町として栄えました。
そうした中で生まれた八尾商人は、後に富山藩の財政を支えるまでに成長します。明治以降、鉄道や陸上交通の変化に取り残され、交易都市としての役割に幕を下ろした八尾に町に往時の喧騒さはありませんが、歴史を語る伝統的な街並みが残り、日本の道百選通りと命名された坂の通りには千本格子の家並みが続いています。引用終わり
曳山祭りについてhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E4%B8%AD%E5%85%AB%E5%B0%BE%E6%9B%B3%E5%B1%B1%E7%A5%AD
では以下の通り説明されている。
引用開始
越中八尾曳山祭(えっちゅうやつおひきやままつり)は、富山県(越中国)富山市八尾町(旧婦負郡八尾町)で毎年5月3日に行なわれる江戸時代中期より続く八尾八幡社の春季祭礼(神事)である。1993年(平成5年)までは5月5日に行われていた。引用終わり
またhttp://www.yatsuo.net/kankou/KAIKAN/hikiyama.html も必見のサイトである。
おはら風の盆については次のものが優れている。
http://www.city.toyama.toyama.jp/yatsuo/nourin/owara/
写真で概略を知るには次のサイトがいい。
http://www.yatsuo.net/kankou/digest/index020.htm
八尾の町を最後に富山西ICより北陸自動車道を長岡まで疾駆し、長岡からは20時41分発のMAXとき350号で東京駅まで。
鶴見の自宅にたどり着いたら23時40分であった。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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