新潟旅行記(ブログ) 一覧に戻る
佐渡の最北端、二つ亀の画像です。干潮になると道が出来て<br />島に渡ることが出来ます・<br /><br /><br /><br />幾年、経とうとも記憶に深く刻み込まれ、忘れられない旅が有るものである。<br />それは高校三年の夏休み直前、一学期の事だった。退屈な授業の中でも<美術>を教えるM先生の授業はいつもユニークで楽しみな時間だった。授業は時に脱線し、そのまま暴走してしまうこともしばしばだった。このM先生の説によればゴッホが自殺したのは同性ながら、恋焦がれていたゴーギャンにつれなくされ、振られてしまったショックが一番の原因とのことだった。そんなユニークな授業中、どんな経緯からそんな話になったのか今になっては記憶にないが、石仏、石地蔵の話になった。その歴史と信仰の対象としての石地蔵の存在について述べた後、M先生はこういった。<br /><br />「この石仏が佐渡ヶ島の最北端の弾崎という場所に行けば幾らでもある。何百もある。これを古物商や骨董屋の所に持っていけば一体5千円位で幾らでも買い取ってくれる」と・・・当時、頭とフットワークだけは軽かった僕はこの話に大いに反応した。 自分の座席、前後左右の同級生に、<佐渡ヶ島に行ってみないか!?>と問うと頭とフットワークのこれまた軽い三人が即、賛同を示した。<br />美術の授業時間が終わる頃には既に我々4人は佐渡ヶ島に渡って石仏を一人当たり三体は担いで旅費を浮かせ持って帰ることまで決めていた。今思い返してもアホの極みであるとこの文章を書きながらも思ってしまう。<br /><br />高三の夏休み、予備校の夏期講習の費用さえ使い込んではコンサートに出掛けたり、映画館で暇を潰すような、志の低いふざけたダメ受験生だった。夏休みの一週間くらいの旅は、何て事は無いと思うような大学受験に対しての意識の低さは救いがたいものがあった。<br /><br />夏休みに入る前の試験休みに我々4人は上野発の夜行列車で新潟に向かった。旅の前夜、後楽園球場で行われたロックコンサートに別の友達と出掛けていた。<グランド・ファンク・レイルロード>というアメリカの三人組のロックバンドで凄まじい稲光と激しい雷鳴雨の中でのとてつもない大音響の伝説的なコンサートとして今でも知られている。コンサート翌日になって新潟に向かう車中でも眠ろうとすると24時間前とはいえ、前夜の興奮と大音響が残音として耳の中で鳴り響いてはリフレインしてなかなか眠りに付けなかった。<br /><br />佐渡ヶ島ではキャンプをして過ごす予定だった。<br />前年の夏休み前半にパチンコ屋の店員のアルバイトで得た金で友人とテントを共同購入していた。<br />高校二年の夏はテントを共同購入した友人と信州を数か所キャンプしながら一週間を過ごした。今でも覚えているが、あの頃は信州周遊券というチケットがあり急行列車までは信州内が一週間乗り放題で更に東京までの往復も混みで学割、僅か2200円だった。今思い返しても、とてつもなく当時の国鉄は格安運賃だったなと思ってしまう。もっとも当時の高校生のアルバイトも時給300円程度だったが。今時の高校生バイト代の三分の一程度の時給だったかと思う<br />当時のテントは今のナイロン製の軽いテントではない、綿製の強固で重いテントだった。肩に食い込みような重いテントを担いで我々は佐渡ヶ島に向かった。ペグも今のようにプラスチック製ではなく、鉄製だった。<br /><br />新潟港からフェリーで佐渡の両津に向かった。更に両津から漁船のような小型船舶に乗り換えて佐渡ヶ島の最北端、弾崎に向かう最中、海の色が明らかに違ってきているのが判った。マリンブルーとはこの色の事かと感じ入った。トビウオが船と併走するように跳び回っている。海上の1Mくらい高いところを十数メートルは跳んでいる。羽を震わすように跳んでいるのが判るほどの至近距離を幾匹ものトビウオが空を切るように次々と跳ぶ都度に船の乗客からは大きな歓声が沸いた。<br />船上ではフォークギターを持った乗客が数人で<あの素晴らしい愛をもう一度>を弾きはじめた。<br />歌はやがて大合唱になって夏晴れの日本海の波間に消えていく。他に何曲も弾いていたと思うのだが、この曲しか記憶には残っていない。僕は今でもあの曲の12弦ギターの耳に心地の良いイントロを聴くと佐渡の最北端に向かう船上での大合唱を反射的に思い出すほどに深く印象に残っている。<br /><br />両津から二時間ほどで佐渡ヶ島の最北端、弾崎の船着き場に到着した。<br />二つ亀キャンプ場という矢印看板に従い、なだらかな丘を登っていくとこの地に唯一あるホテルが経営していると思われるキャンプ場があり、幾つかのテントが既に張られていた。<br />早速、テントを張る最中に夕立のような激しい雨が降り出した。我々4人はびしょ濡れになりながらも、テント廻りに水はけ溝を掘り、更にペグを手早くハンマーで打ち込み、形を整えてからテント内に飛び込むように逃げ込んだ。6人用テントだったが4人が入れば寝返りも打てぬほどのテントの中で、雨水を吸い込むような軽く浸み始めた綿製のテント壁面をぼんやりと眺めながら、軽く放心状態で途方に暮れたような気分になった。<br /><br />夕立のような激しい雨は小一時間ほどで上がった。空腹を覚えた我々はそれぞれに缶詰を取り出した。飯盒炊さんの道具は僕が家に置き忘れてきた所為で、缶詰で空腹を満たすしかなかった。軽く皆の冷ややかな視線を感じた。カップヌードルは当時、まだ売り出されていなかった。画期的な携帯ヌードルとして売り出されようになったのは、この年の秋からだった。夕刻、雨上がりで野営のテントから飛び出し、食事を始めたが野外テーブルに缶詰だけを並べているような冴えないグループは我々くらいのものだった。気の毒に思ったのか、隣り合わせにテントを張っていたグループから手作りのカレーライスを振る舞われた。しかしこのカレーライスがとてつもなく美味しかった。今まで食べてきたカレーライスの中でも三本の指に入ると思う。<br />勿論シチュエーションがそうさせたという事もあると思うが。<br /><br />腹を濡たした我々はテントに籠もり今度は馬鹿話をしながら酒盛りを始めた。もう少し違うことは出来ないのかと今になって思う。格安のジンや安ウイスキーを何本も持ってきている奴がいた。加減することもコントロールする事も出来ぬままグラスも無ければ、氷も水さえもない中で安ウイスキーをラッパ飲みで廻して飲んでいる内に、慣れない酒ですっかり気分が悪くなり、座っていられない状態に酩酊してしまった僕は、すぐに立ち上がることも出来ぬまま、紫煙とアルコール臭で溢れたテントから外に酔い覚ましにふらつく足で飛び出した。外は既に真っ暗だった。いったいアホな僕たちは何時間、酒盛りをしていたのだろうと思った。<br /><br />テントの傍に備え付きの木製のベンチと固定テーブルがあった。僕はベンチに倒れ込むように横たわった。目を閉じたまま、随分と長い時間が過ぎたような気がする。頬を撫でる涼やかな夜風にふと横たわったまま、ふと目を開けた。<br /><br />その刹那、僕は驚愕した。酔いも醒める程の驚きだった。とてつもない密度で無数の星が煌めいている。文字通りにキラキラと煌めいている。空いっぱいに銀色のカーペットが敷き詰められているようだった。まるで手で届きそうな錯覚にとらわれ、思わず両手を星空に突きだした。佐渡の夜空に、これほどの光り輝く星たちが居る事に感動した。いくつもの流れ星を観たのもこの時が初めてだった。17歳の佐渡ヶ島の旅で何より印象深い体験だった。<br /><br />翌朝、キャンプ場から浜に降りていった僕たちは、石像、石仏群を探しに海岸沿いの遊歩道のような道に出た。そして石仏群は唐突に我々の前に現れた。遊歩道から外れた場所に岩が削られたような洞窟が幾つもあった。その幾つもの洞窟の中に20センチに満たない小さな石像から50センチも無い大きさの石仏像がとてつもない密度で並んでいる。ある石地蔵は子供の半天を着ている。毛糸の帽子を被ったり、前掛けをしている小さな石仏像もある。その表情はとてつもなく、寂しげに外海府の海に向かっている。小石を幾つも集めケルンを建てた上に風車がカラカラと悲しげな音を立てながら、幾つも、もの寂しい風情で廻っている。小さな石地蔵の傍には寄り添うように小さな人形が置かれている。子供を亡くした親が子供の冥福を祈るために添えたものに違いなかった。親の切ない思いが伝わって来るような情景だった。胸を衝かれる思いだった。<br /><br />ここは文字通りの<賽の河原>だった。我々は後ずさりするようにその場を静かに離れた。誰もが口にしなかったが、誰もが自分達の浅はかな考えを恥じていたと思う。<br /><br />        17歳の夏の事だった。<br /><br /><br />夏休みが明け、二学期になったおり、美術のM先生に佐渡ヶ島の最北端に石地蔵ハンターに行って来ましたよと告げた。M先生は少し驚いた表情を見せた。<br />石地蔵なんかやばくて持って帰れませんよと云うと、M先生曰く、あそこは賽の河原だからそんなことしたら罰があたるよと至極当たり前の事を言った。5000円で幾らでも売れるなんて余計な事を云うなよと、ふと思った。軽く梯子を外されたような気持ちになった事を覚えている。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

17歳の夏、佐渡ヶ島に石地蔵を盗りに向かったアホな僕 編

21いいね!

1971/07/18 - 1971/07/23

2964位(同エリア10463件中)

12

0

kio

kioさん

佐渡の最北端、二つ亀の画像です。干潮になると道が出来て
島に渡ることが出来ます・



幾年、経とうとも記憶に深く刻み込まれ、忘れられない旅が有るものである。
それは高校三年の夏休み直前、一学期の事だった。退屈な授業の中でも<美術>を教えるM先生の授業はいつもユニークで楽しみな時間だった。授業は時に脱線し、そのまま暴走してしまうこともしばしばだった。このM先生の説によればゴッホが自殺したのは同性ながら、恋焦がれていたゴーギャンにつれなくされ、振られてしまったショックが一番の原因とのことだった。そんなユニークな授業中、どんな経緯からそんな話になったのか今になっては記憶にないが、石仏、石地蔵の話になった。その歴史と信仰の対象としての石地蔵の存在について述べた後、M先生はこういった。

「この石仏が佐渡ヶ島の最北端の弾崎という場所に行けば幾らでもある。何百もある。これを古物商や骨董屋の所に持っていけば一体5千円位で幾らでも買い取ってくれる」と・・・当時、頭とフットワークだけは軽かった僕はこの話に大いに反応した。 自分の座席、前後左右の同級生に、<佐渡ヶ島に行ってみないか!?>と問うと頭とフットワークのこれまた軽い三人が即、賛同を示した。
美術の授業時間が終わる頃には既に我々4人は佐渡ヶ島に渡って石仏を一人当たり三体は担いで旅費を浮かせ持って帰ることまで決めていた。今思い返してもアホの極みであるとこの文章を書きながらも思ってしまう。

高三の夏休み、予備校の夏期講習の費用さえ使い込んではコンサートに出掛けたり、映画館で暇を潰すような、志の低いふざけたダメ受験生だった。夏休みの一週間くらいの旅は、何て事は無いと思うような大学受験に対しての意識の低さは救いがたいものがあった。

夏休みに入る前の試験休みに我々4人は上野発の夜行列車で新潟に向かった。旅の前夜、後楽園球場で行われたロックコンサートに別の友達と出掛けていた。<グランド・ファンク・レイルロード>というアメリカの三人組のロックバンドで凄まじい稲光と激しい雷鳴雨の中でのとてつもない大音響の伝説的なコンサートとして今でも知られている。コンサート翌日になって新潟に向かう車中でも眠ろうとすると24時間前とはいえ、前夜の興奮と大音響が残音として耳の中で鳴り響いてはリフレインしてなかなか眠りに付けなかった。

佐渡ヶ島ではキャンプをして過ごす予定だった。
前年の夏休み前半にパチンコ屋の店員のアルバイトで得た金で友人とテントを共同購入していた。
高校二年の夏はテントを共同購入した友人と信州を数か所キャンプしながら一週間を過ごした。今でも覚えているが、あの頃は信州周遊券というチケットがあり急行列車までは信州内が一週間乗り放題で更に東京までの往復も混みで学割、僅か2200円だった。今思い返しても、とてつもなく当時の国鉄は格安運賃だったなと思ってしまう。もっとも当時の高校生のアルバイトも時給300円程度だったが。今時の高校生バイト代の三分の一程度の時給だったかと思う
当時のテントは今のナイロン製の軽いテントではない、綿製の強固で重いテントだった。肩に食い込みような重いテントを担いで我々は佐渡ヶ島に向かった。ペグも今のようにプラスチック製ではなく、鉄製だった。

新潟港からフェリーで佐渡の両津に向かった。更に両津から漁船のような小型船舶に乗り換えて佐渡ヶ島の最北端、弾崎に向かう最中、海の色が明らかに違ってきているのが判った。マリンブルーとはこの色の事かと感じ入った。トビウオが船と併走するように跳び回っている。海上の1Mくらい高いところを十数メートルは跳んでいる。羽を震わすように跳んでいるのが判るほどの至近距離を幾匹ものトビウオが空を切るように次々と跳ぶ都度に船の乗客からは大きな歓声が沸いた。
船上ではフォークギターを持った乗客が数人で<あの素晴らしい愛をもう一度>を弾きはじめた。
歌はやがて大合唱になって夏晴れの日本海の波間に消えていく。他に何曲も弾いていたと思うのだが、この曲しか記憶には残っていない。僕は今でもあの曲の12弦ギターの耳に心地の良いイントロを聴くと佐渡の最北端に向かう船上での大合唱を反射的に思い出すほどに深く印象に残っている。

両津から二時間ほどで佐渡ヶ島の最北端、弾崎の船着き場に到着した。
二つ亀キャンプ場という矢印看板に従い、なだらかな丘を登っていくとこの地に唯一あるホテルが経営していると思われるキャンプ場があり、幾つかのテントが既に張られていた。
早速、テントを張る最中に夕立のような激しい雨が降り出した。我々4人はびしょ濡れになりながらも、テント廻りに水はけ溝を掘り、更にペグを手早くハンマーで打ち込み、形を整えてからテント内に飛び込むように逃げ込んだ。6人用テントだったが4人が入れば寝返りも打てぬほどのテントの中で、雨水を吸い込むような軽く浸み始めた綿製のテント壁面をぼんやりと眺めながら、軽く放心状態で途方に暮れたような気分になった。

夕立のような激しい雨は小一時間ほどで上がった。空腹を覚えた我々はそれぞれに缶詰を取り出した。飯盒炊さんの道具は僕が家に置き忘れてきた所為で、缶詰で空腹を満たすしかなかった。軽く皆の冷ややかな視線を感じた。カップヌードルは当時、まだ売り出されていなかった。画期的な携帯ヌードルとして売り出されようになったのは、この年の秋からだった。夕刻、雨上がりで野営のテントから飛び出し、食事を始めたが野外テーブルに缶詰だけを並べているような冴えないグループは我々くらいのものだった。気の毒に思ったのか、隣り合わせにテントを張っていたグループから手作りのカレーライスを振る舞われた。しかしこのカレーライスがとてつもなく美味しかった。今まで食べてきたカレーライスの中でも三本の指に入ると思う。
勿論シチュエーションがそうさせたという事もあると思うが。

腹を濡たした我々はテントに籠もり今度は馬鹿話をしながら酒盛りを始めた。もう少し違うことは出来ないのかと今になって思う。格安のジンや安ウイスキーを何本も持ってきている奴がいた。加減することもコントロールする事も出来ぬままグラスも無ければ、氷も水さえもない中で安ウイスキーをラッパ飲みで廻して飲んでいる内に、慣れない酒ですっかり気分が悪くなり、座っていられない状態に酩酊してしまった僕は、すぐに立ち上がることも出来ぬまま、紫煙とアルコール臭で溢れたテントから外に酔い覚ましにふらつく足で飛び出した。外は既に真っ暗だった。いったいアホな僕たちは何時間、酒盛りをしていたのだろうと思った。

テントの傍に備え付きの木製のベンチと固定テーブルがあった。僕はベンチに倒れ込むように横たわった。目を閉じたまま、随分と長い時間が過ぎたような気がする。頬を撫でる涼やかな夜風にふと横たわったまま、ふと目を開けた。

その刹那、僕は驚愕した。酔いも醒める程の驚きだった。とてつもない密度で無数の星が煌めいている。文字通りにキラキラと煌めいている。空いっぱいに銀色のカーペットが敷き詰められているようだった。まるで手で届きそうな錯覚にとらわれ、思わず両手を星空に突きだした。佐渡の夜空に、これほどの光り輝く星たちが居る事に感動した。いくつもの流れ星を観たのもこの時が初めてだった。17歳の佐渡ヶ島の旅で何より印象深い体験だった。

翌朝、キャンプ場から浜に降りていった僕たちは、石像、石仏群を探しに海岸沿いの遊歩道のような道に出た。そして石仏群は唐突に我々の前に現れた。遊歩道から外れた場所に岩が削られたような洞窟が幾つもあった。その幾つもの洞窟の中に20センチに満たない小さな石像から50センチも無い大きさの石仏像がとてつもない密度で並んでいる。ある石地蔵は子供の半天を着ている。毛糸の帽子を被ったり、前掛けをしている小さな石仏像もある。その表情はとてつもなく、寂しげに外海府の海に向かっている。小石を幾つも集めケルンを建てた上に風車がカラカラと悲しげな音を立てながら、幾つも、もの寂しい風情で廻っている。小さな石地蔵の傍には寄り添うように小さな人形が置かれている。子供を亡くした親が子供の冥福を祈るために添えたものに違いなかった。親の切ない思いが伝わって来るような情景だった。胸を衝かれる思いだった。

ここは文字通りの<賽の河原>だった。我々は後ずさりするようにその場を静かに離れた。誰もが口にしなかったが、誰もが自分達の浅はかな考えを恥じていたと思う。

        17歳の夏の事だった。


夏休みが明け、二学期になったおり、美術のM先生に佐渡ヶ島の最北端に石地蔵ハンターに行って来ましたよと告げた。M先生は少し驚いた表情を見せた。
石地蔵なんかやばくて持って帰れませんよと云うと、M先生曰く、あそこは賽の河原だからそんなことしたら罰があたるよと至極当たり前の事を言った。5000円で幾らでも売れるなんて余計な事を云うなよと、ふと思った。軽く梯子を外されたような気持ちになった事を覚えている。












この旅行記のタグ

21いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (12)

開く

閉じる

  • SUR SHANGHAIさん 2009/01/15 10:46:20
    光ってますね。
    お久しぶりです。
    だいぶ遅れましたが、今年もよろしくお願いします。

    若かった時というのは、その時には全然気付きませんが後で振り返ると光ってますね。取り戻せない時間が燃えている輝き、なのかも。
    ふう〜、誰にでもあったはずのあふれる活力、そして若いが故の能天気…は今いずこ。ノスタルジ〜〜〜…

    この旅行記は行き先が佐渡ヶ島で、『青春』の二文字からかけ離れたイメージの場所のせいか、いっそう印象が際立っていると思います。
    船の中を流れる合唱の歌声とその様子、見上げた夜空の恐ろしいほどの星の数、立ち並ぶ賽の河原の石像群…がリアルに想像できました。

    わたしも≪女だてらにカミング・アウト編≫なんて書いてみたい。
    ただし、言う気があっても、その勇気がありません。ハハハ…苦笑

    kio

    kioさん からの返信 2009/01/15 22:29:40
    RE: 光ってますね。
    surshanghaiさん こんばんわ!

    今年も宜しくお願いします・

    > 若かった時というのは、その時には全然気付きませんが後で振り返ると光ってますね。取り戻せない時間が燃えている輝き、なのかも。 ふう〜、誰にでもあったはずのあふれる活力、そして若いが故の能天気…は今いずこ。ノスタルジ〜〜〜…

    いや〜 うちの学生の息子を見ていて感じます。
    夜遅く11時頃、バイトから帰ってきて、これから服を買いに行って来ると
    嬉々として出掛けてしまうパッションというかフットワークというか、
    親父は真夜中に開いている店があるのかや?とユニク○って深夜営業してるんかな〜と思いつつもTPOを選ばないエネルギーがちょいと羨ましく感じたりします。
    自分は夜中に家に帰ってたら、もう何処にも出掛けたくないですもん。

    > この旅行記は行き先が佐渡ヶ島で、『青春』の二文字からかけ離れたイメージの場所のせいか、いっそう印象が際立っていると思います。
    船の中を流れる合唱の歌声とその様子、見上げた夜空の恐ろしいほどの星の数、立ち並ぶ賽の河原の石像群…がリアルに想像できました。

    余所のレスにも書きましたが、長い間、この17歳で感じたことを文章に
    して置きたいと考えていました。私の佐渡島で感じた思いが、読んで
    頂いた皆さんにも伝わっているようでちょいと嬉しいです。


    > わたしも≪女だてらにカミング・アウト編≫なんて書いてみたい。
    > ただし、言う気があっても、その勇気がありません。ハハハ…苦笑


    それ絶対に書くべきです。旅の自分史として残して置くのも
    悪くないですよ。surshanghaiさんのバックパッカー時代、
    或いはそれ以前の旅にまつわるエピソードetc

    題して<青の時代、私の旅の日々>編 ど〜〜よ??

    SUR SHANGHAI

    SUR SHANGHAIさん からの返信 2009/01/15 22:52:05
    RE: 光ってますね。

    > > わたしも≪女だてらにカミング・アウト編≫なんて書いてみたい。
    > ただし、言う気があっても、その勇気がありません。ハハハ…苦笑


    それ絶対に書くべきです。旅の自分史として残して置くのも
    悪くないですよ。surshanghaiさんのバックパッカー時代、
    或いはそれ以前の旅にまつわるエピソードetc

    題して<青の時代、私の旅の日々>編 ど〜〜よ??

    ***********************************

    ↑ ははは、ありがとうございます〜。
    いつかは、と思いつつ、過去掘り起こし編はまだまだ≪言う気≫と≪勇気≫のバランスが取れないお年頃のようです。
    よって、長い目で見ていただければ、と。
    また変にネットでイジメに遭うのも怖いし…。ボソッ…。

    kio

    kioさん からの返信 2009/01/15 23:01:59
    RE: RE: 光ってますね。

    > ↑ ははは、ありがとうございます〜。
    いつかは、と思いつつ、過去掘り起こし編はまだまだ≪言う気≫と≪勇気≫のバランスが取れないお年頃のようです。
    よって、長い目で見ていただければ、と。
    また変にネットでイジメに遭うのも怖いし…。ボソッ…。

    嗚呼 きっと、とてつもなく破天荒な若き旅の日々を体験されてるんだな〜と
    思わず察してしまいます(笑)
    <言う気>と<勇気>のバランスがご自身の中で巧く釣り合ったとき、
    青の時代シリーズ、編に突入し新境地を開いてください。
    ホントに期待していますからね〜〜 では また
  • 唐辛子婆さん 2009/01/06 00:20:01
    謹賀新年
    kioさん

    おひさです。

    最後の「ふと思った」

    なんだとお!と首締めあげたくなりませんでしたか?

    立派な犯罪誘発行為だぁ(^^)

         〜いつまでたってもアホな唐辛子婆より〜

    海辺のキャンプ、椎名誠の世界みたいで楽しませていただきました。

    kio

    kioさん からの返信 2009/01/07 23:12:34
    RE: 謹賀新年
    パワフルでとてもフットワークの軽い唐辛子婆さん
    謹賀新年です。今年も宜しくお願いします。


    > 最後の「ふと思った」
    > なんだとお!と首締めあげたくなりませんでしたか?

    いえいえ 教師の話に感化され、その土地までいってしまう
    若かかりし頃のフットワークの軽さに自分が眩しく感じてしまうほどですよん。

    がましゃんも、唐辛子婆さんも未だにフットワークの軽さと
    知的好奇心を失わないマインドを持ち合わせていらっしゃって
    私は眩しく感じてなりません

    > 海辺のキャンプ、椎名誠の世界みたいで楽しませていただきました。

    なんてお馬鹿な事しかしないというか、お馬鹿なことしか出来ないと云うか
    それが若さと云えばそれまでなんですけどね。
  • osdさん 2009/01/05 22:18:38
    17歳の夏は光っている!
    kioさん
    新年おめでとうございます。

    ホント ご無沙汰です。
    去年は4トラでちょっとイヤなことがあり、さらに100年に一度の株式の暴落に出合ったデートレーダーはガックリ…(;一_一)
    もっぱら、孫のめんどう(赤ちゃんの沐浴もジジがしたのだ)
    で…旅行も4トラの余裕もありませんでした。

    kioさんの新作楽しく読みました。
    17歳でタバコ吸ったり、安酒を飲んだり、でも
    苦しいような光っている「青春」がある。
    天空の星に感動する瑞々しい感受性がある。
    「賽の河原」に無口になる、若者の素直な知性がある。
    kioさんの切り口の斬新さにいつもながら魅了されました。

    「オレの17歳は、何をしていただろうか」思い誘われました。
    <回想>
     夏休みの学校の図書室。
    読んでいた本から疲れた目を上げると、窓の外に美しい田んぼが見えた。
    稲穂が青々と光っていた。風が吹くと、海の波のように次から次に風の吹 く方向に「どヮどヮ」と波立っていった。
    空にはポッカリ白い雲。 なんとなく「アッ、青春だ」
    梶井基次郎をはじめて読んだ時のことだった。

    17歳は苦しかった…が今思えば輝いていた自分があったような気がする。年をとったのである。
    kioさんの新作に誘われて、久しぶりに若い感興を覚えました。

    ※正月に「青春の門」と「新三河物語」を読みました。
    青春の門、食わず嫌いで今まで読んでいませんでした。筑豊篇はまずまず楽しめましたが、それ以降はつまらなかった。
    「新三河物語」宮城谷昌光著は内容が濃くて大変面白かった。

    本年もよろしくお願いいたします。次のカキコミ期待しています。
                         
                                  osd

    kio

    kioさん からの返信 2009/01/07 22:58:52
    それぞれの17歳

    osdさ〜〜ん こんばんわ
    確かに気持ちに余裕がないとなかなか
    ネットも楽しめませんよね


    > kioさんの新作楽しく読みました。
    > 17歳でタバコ吸ったり、安酒を飲んだり、でも
    > 苦しいような光っている「青春」がある。
    > 天空の星に感動する瑞々しい感受性がある。
    > 「賽の河原」に無口になる、若者の素直な知性がある。
    > kioさんの切り口の斬新さにいつもながら魅了されました。

    17歳の頃、酒もたばこも実は美味いと思ったことなんて
    一度も無かったですよん。なんとなく無理してお馬鹿な背伸びを
    していたんでしょうね。
    私の拙い話をとても丁寧に読んで頂き恐縮です。
    過分な感想を頂き、ありがとうございます。

    > 「オレの17歳は、何をしていただろうか」思い誘われました。
    > <回想>
    >  夏休みの学校の図書室。
    > 読んでいた本から疲れた目を上げると、窓の外に美しい田んぼが見えた。
    > 稲穂が青々と光っていた。風が吹くと、海の波のように次から次に風の吹 く方向に「どヮどヮ」と波立っていった。
    > 空にはポッカリ白い雲。 なんとなく「アッ、青春だ」
    > 梶井基次郎をはじめて読んだ時のことだった。

    いや〜〜 がまだす@熊本さんの破天荒な17歳の頃とまた随分と違うような気がする(笑) やはり文学青年だったと思われる若き日のosdさんのテイストが匂う
    文章ですね
           
      おっとがましゃん、失礼っ! がましゃんとosdさんはほとんど同世代かと・・

    > 17歳は苦しかった…が今思えば輝いていた自分があったような気がする。年をとったのである。

    この文章、とてもシンパシーを感じる言葉ですね。
    苦しいけど輝いていましたよね ホントに・・・
    でも17歳の時はそれを実感出来ていなかった。


    > ※正月に「青春の門」と「新三河物語」を読みました。
    > 青春の門、食わず嫌いで今まで読んでいませんでした。筑豊篇はまずまず楽しめましたが、それ以降はつまらなかった。

    五木寛之は高校の頃から好きで<青年は荒野をめざす>も私を激しく欧州に
    誘った書物の一つでした。<青春の門>も学生の頃に筑豊編、以後自立編、
    放浪編あたりまで読みましたが、それ以降は読んでいませんねえ
    何でだろう?

    osdさん 今年も宜しくお願いいたします

                                 
  • ゆみナーラさん 2009/01/04 21:47:32
    アホという言葉に昔を思い出します
    kioさん改めまして、あけましておめでとうございます!
    新作お待ちしておりました。佐渡の写真なんでしょうか、どこか果てないところへと続いているような光景がとても素敵です。

    kioさんの当時を回想されたノンフィクションをいつも見ていると、お金や損得の絡んだ余計なものはなくとも、若さと貪欲な好奇心そして単純さ、それだけで満たされる青春時代の良さが静かに力強く伝わってくるので、読み終わるとつい自分の「アホな」学生時代を思い出します。

    その先生もユニークというかある意味残酷^^!ですが、そんな思いつきな一言から石仏探索に、興奮冷めやらぬライブの後そのまま夜行列車で重たいテントを背負って、肝心の飯盒を忘れて缶詰で乾杯、浴びるように酒を飲み頭上にうそのように広がる星空に大いに感動し、実は石仏がそのようなものでないと分かり一同自分たちの行動を省みる・・・・

    すべてが自分も同じように通過した、単純な思いつきでガムシャラに行動した時代に経験したことと重なり、久々自分の当時のアホさをかわいらしく、でももうあのように無鉄砲には過ごせない時代を羨ましく思いました。
    あ"〜でもそういう気持はやっぱりいつまでも忘れたくないな〜〜!!

    kio

    kioさん からの返信 2009/01/04 22:55:56
    RE: アホという言葉に昔を思い出します
    ゆみナーラさん 明けましておめでとうございます

    今年も宜しくお願いします。

    17歳の頃のアホな旅行記、読んで頂き併せて多分投票も頂き?
    ありがとうございます。
    この画像は佐渡の最北端、二つ亀という場所です。数十年前、キャンプ場が
    有ったエリアからの画像だと思います。佐渡の観光協会から拝借した
    画像です。

    > kioさんの当時を回想されたノンフィクションをいつも見ていると、お金や損得の絡んだ余計なものはなくとも、若さと貪欲な好奇心そして単純さ、それだけで満たされる青春時代の良さが静かに力強く伝わってくるので、読み終わるとつい自分の「アホな」学生時代を思い出します。

    とても深い理解をしていただき恐縮です。若い頃のパワーというか
    エネルギーって何だか良い悪いは別にして凄いですよね。

    > その先生もユニークというかある意味残酷^^!ですが、そんな思いつきな一言から石仏探索に、興奮冷めやらぬライブの後そのまま夜行列車で重たいテントを背負って、肝心の飯盒を忘れて缶詰で乾杯、浴びるように酒を飲み頭上にうそのように広がる星空に大いに感動し、実は石仏がそのようなものでないと分かり一同自分たちの行動を省みる・・・・

    いや〜 私の旅行記を見事に簡潔にダイジェストしていただき有り難うです!
    ゆみナーラさんのサイトで正月三が日の内に新作アップすると宣言した手前
    必死こいて書き上げました。

    また佐渡に行って同じような星空を観て、17歳の時と同じように感動するかと
    云ったらそれは微妙かもしれませんね。
    加齢と共に、すっかり感性が摩耗した感、多々有りますから(汗)
     
    > すべてが自分も同じように通過した、単純な思いつきでガムシャラに行動した時代に経験したことと重なり、久々自分の当時のアホさをかわいらしく、でももうあのように無鉄砲には過ごせない時代を羨ましく思いました。

    映画<stand by me>はご覧になっていますか?
    少年の感性、行動パターン、思考回路は国境、人種の違いを越えても
    実に普遍的なものだなという感じを強く持ちました。

    ゆみナーラ

    ゆみナーラさん からの返信 2009/01/05 00:24:45
    RE: RE: アホという言葉に昔を思い出します
    > ゆみナーラさんのサイトで正月三が日の内に新作アップすると宣言した手前必死こいて書き上げました。

    kioさん、貴重な三が日を・・・・お疲れ様でございました^^!
    しかしすごい集中力でないと、普通じゃこれだけの内容書ききれませんよね。さすが、あっぱれです!!

    > 映画<stand by me>はご覧になっていますか?
    > 少年の感性、行動パターン、思考回路は国境、人種の違いを越えても
    > 実に普遍的なものだなという感じを強く持ちました。

    実は見ていないんですよ。
    近いうちビデオを借りて見てみることにします。
    最近の、自分の中でのテーマが、このkioさんの旅行記の言葉をまたまた拝借すれば、「果たして若いという理由が許されなくなってきた年代の私は、どこまでアホでいて良いのだろうか、それともそろそろアホでありたい気持をスッパリ諦めなければならないのだろうか」という辺りですので、そういった映画や色々なものから少しずつ納得できる妥協点が見つかればいいな〜と思っています。
    すみません、つまらないことを書き込みまして・・(−−!)お勧めを有難うございました!

    kio

    kioさん からの返信 2009/01/07 22:03:31
    RE: RE: RE: アホという言葉に昔を思い出します
    ゆみナーラさん こんばんわ〜

    > kioさん、貴重な三が日を・・・・お疲れ様でございました^^

    この時の体験、佐渡島で感じたこと、何かの形で書き残して置きたいと
    ず〜〜〜っと、思っていたんです。ただ書き始めるまで
    時間がかかるもので、無理矢理、自分にプレッシャーを
    かけて、ゆみナーラさんの板に三が日で書き上げると宣言したんです。

    毎晩二時間くらいつつ、六時間くらいかかりましたが
    結構 愉しみながら少しずつ書いてましたよん



    > 実は見ていないんですよ。
    > 近いうちビデオを借りて見てみることにします。

    大傑作というわけではないですが
    佳作な心に残る素晴らしい作品ですよ。
    今は亡きリバーフェニックスが男気のある役で
    良い演技をみせています。

kioさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP