2008/10/22 - 2008/10/27
1138位(同エリア1512件中)
明石DSさん
22/14:02:54
この新快速にのってパラオへ行く
みんなは日常かな?俺は海外旅行フフフ
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2008.平成20年10月22日(水)
■これから準備
まだ一度もリックに荷物を詰めぬまま出発の朝を迎えた。と、言っても関空(発)は20時45分で集合は18時45分だから。
そして家内も昨日の3時頃から夜勤のために家にいず、今朝の10時前に帰って来る。どうも家内がいないと荷物をリックに詰める気もせず家内待ちの朝だった。
「まだ用意何もしてないの・・・」と、
帰って来た家内の一声とともに用意開始。
パラオの旅紹介で必要とされていた防虫スプレー・香取線香を持っていったがホテルに蚊はいなく、防虫スプレーも二度ほど使ったがさして必要とはしなかった。
■雨の中を出発
日本で見るパラオの天気はずっと雨と曇りマーク。24日の今回のメーンテーマであるペリリュー島戦跡巡りの日は、雨だけの予報。
そして我が家出発時も雨。雨、雨、雨か、これだけ予報が悪ければ開き直るしかなく、かえって気持ちはすっきりだ。
午後1時50分。
家内はすでに夜勤明けの就寝中で、一人仏壇の前で旅の無事を願い般若心経を詠む。リックを担いで家を出る。玄関にある鏡に映る我が姿は、減量中故に?二ヶ月前に比べて痩せ老いた顔だった。
やはり6〜7kgのダイエットをすればこうなるのか・・・まだ見慣れない。しかし体力は付いたはずだ。
そして・・・。
出発間際にOWS日本事務局を通じて連絡が出来、突然の不躾なお願いにも係わらずパラオ在住の倉田先生にお会いできることになり、一挙に旅の期待が膨らんだ。
倉田先生のことは
「アンガウル、ペリリュー戦記」:星亮一(著)で詳しく紹介されている。
倉田洋二先生を簡単に紹介すれば・・・。
「アンガウル、ペリリュー戦記」星亮一(著)より以下抜粋
1941年、昭和16年。
15歳でパラオに渡り、水産講習所に入所、そして18歳で卒業後、現地の南洋庁水産試験場に職を得て魚の研究に没頭する。
1944年7月。
現地召集されアンガウル島での戦いに大砲隊に配置され参戦。9月23日迫撃砲弾を受け負傷。10月19日、残存部隊が最後の反撃に出たが、動けない倉田先生たちは自決用の手榴弾を手渡された。
その後、戦い終わったアンガウルで味方の反撃を待ちながら三ヶ月くらいが経過した時、三人の仲間で何時ものように米軍キャンプに食料を奪いに行き米兵と遭遇し捕らえられる。
ペリリュー捕虜収容所移送(船坂弘氏と出会う)
⇒グアム⇒ハワイ⇒サンフランシスコ⇒ウィスコンシン⇒アイオワ⇒クラリンダ⇒終戦後:日本へ
昭和21年から資源科学研究所で海産爬虫類の勉強、現東京海洋大学で貝類増殖学の勉強。東京都水産試験場勤務、小笠原諸島などで魚介類、ウミガメの研究。
1973年、昭和48年。戦後再びパラオを訪ねる。
国際ウミガメ会議の日本代表でワシントンへ。沖縄諸島のウミガメ増殖指導。
1985年・昭和60年からは沖縄、ミクロネシア諸島、パラオ、インドネシア、タイ、シンガポール、フィリピンなどでウミガメとワニの資源増殖調査や指導。
1996年・平成8年、娘さんとお孫さんも一緒にパラオに移住。現在に至る
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22/14:37:34
三ノ宮そごうデパ地下“とらや”にて
如何ほどの物に・・・と、しばし迷う
ムムム
されど迷う
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■三ノ宮〜関空へ
JR西明石〜三ノ宮、¥450を割安¥400円で買って、14:03分、新快速で三ノ宮(着)14:22分。
倉田先生に、お会いするのに手ぶらで行くことも出来ず、どうせなら・・と、無理やりOWSのNさんに、電話で何が良いのか聞き「虎屋の羊羹」と教えて頂いた。
ちょうど“そごう”の地下に虎屋が出店しているので楽々ゲット。いや、実はどれにしようか?ちょっと迷った後に決めた。これで準備完了。
まだたっぷり関空集合の18:45分まで時間があるが、いつもの如く私の旅は朝からすでに始まっており、何処にいようが日常とは気分が全然違うのだ・・・。 -
22/20:16:34
関空は空いています
ガラガラです
赤字経営もやむなし
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■リムジンで関空へ
15時20分のバスに乗って空港へ向う。16時半頃に到着。
関空三階のレストラン街で素そばを食う、¥600円也、高くてまずいけど腹が減っていたのでうまい。18時30分頃手続きをして、7時にはNo32の搭乗口に坐っていた。
昼からソバ一杯だけだった。このまま機内食が出なければ腹が減るので搭乗口にいた女性に「機内食は出るのですか?」と聞いたら、パソコン画面で検索してくれて「機内食は出ないです、4時間足らずのフライトですので・・」との返事だった。
それなら食べておこうと、近くの軽食店で焼きそば¥500と紅茶¥160を頼み食う。しかし、む、む、無念にも機内食は出た。
JO8895便パラオ行きは直行便なので結構人は多かった。全部が日本人という感じであった。日航の飛行機で海外に行くのは過去に1〜2回のように思う。機内への入口上の日の丸を写し、入る。
20時半には飛行機内に入り2:3:2の座席の窓側ニ列の窓側の席に坐る。隣に坐る人はいなく一人でニ座席占有だった。
21時34分頃飲み物が出て、「なんや軽食もでないのか・・・」と、ガッカリしていたら22時12分に“出ない”と言われていたのに、結構なボリュームの食事が出た。慌てて乗る前にまずい“コンビにそば焼き”を食ったのに・・・なんやねん。
さあ、一路パラオへ -
22/16:57:02
関空の3階レストラン街で素ソバを食う
¥600也
高くて不味いが腹減っているので旨い -
22/20:35:54
日の丸に感激
いつもは中国の飛行機が多いから
日の丸に万歳! -
22/21:34:38
やっぱりジュースだけか、食べておいて正解だった・・・と
それにしてもショボイなあと、この時はそう思っていたけど
そのちょっとあとから食い物が大量に
なんやねん、飯でないて聞いたのに
減量中の我が身には・・・ -
22/22:12:36
えっ!飯出るの・・・。
それもようけあるやん、夜食にしては多いのんちゃう
ホンマ騙されてしまった、ふざけやがって
みんな食う
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