2008/11/05 - 2008/11/05
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奥の院の入り口、一の橋から約300m西に行くと刈萱堂(かりかやどう)がある。ここは哀しい「石童丸物語」で知られる刈萱道心(かりかやどうしん)と石童丸(いしどうまる)ゆかりのお堂だ。
石童丸の父、加藤左衛門繁氏(かとう さえもん しげうじ)は、筑紫の国の領主だった(太宰府の苅萱の関の関守だったともいわれる)が、世をはかなんで出家し高野山で苅萱道心と称して修業の生活を送っていた。
父の出家直後に生まれた石童丸は十四歳のとき、父に会いたい一心で母千里(ちさと)とともに高野山への旅に出た。だが高野山は女人禁制、やむなく学文路(かむろ・和歌山県橋本市)の宿に母を残し一人で山に登った石童丸は、御廟の橋で一人の僧と出会った。
この僧は石童丸の父、苅萱道心だったが苅萱は世を捨てた身であり「そなたの父は死んだ」と墓まで見せて石童丸に偽った。傷心の石童丸が山を降りると、長旅で病んだ母は亡くなっているというさらなる不幸が待っていた。みなしごになってしまった石童丸は母の遺骨を背に再び高野山に苅萱道心を頼って登り弟子入りを懇願した。刈萱道心はやむなく親子の名のりをしないまま弟子とし、道念と名ずけた。
やがて、成人した石堂丸・道念をみとどけた刈萱道心は、断ち切れない親子の情愛を捨てて修行するために石堂丸に告げず信州善光寺に赴き、善光寺如来に導かれて地蔵菩薩を刻んだ。生涯修行を続けた刈萱道心は1214年に「刈萱堂往生寺」で刈萱上人と称され83歳で入滅した。
刈萱上人の入滅後に、石堂丸・道念は善光寺の方角に紫雲がなびいたのを見て善光寺に赴き、父と同じ地蔵菩薩を刻んだといわれている。
親子で刻んだ地蔵菩薩は「刈萱親子地蔵尊」と称され、刈萱上人入寂の地・往生寺に安置されているそうだ。
刈萱道心が長野に開山した善光寺に近い刈萱山寂照院西光寺を1993年に参拝したときには、刈萱道心と石堂丸親子が高野山で対面したときの像が境内に立っていた。父子は強い縁で結ばれていたのだが道心は生涯父であることを息子に明かさなかったという。なんとも哀れな「石童丸物語」は浄瑠璃「苅萱道心」や高野山苅萱堂縁起の仏教説話にも取り上げられ、現在も人々の涙を誘っている。
関連旅行記―1993年の埼玉・「キューポラのある街」川口から長野へ−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10126669/
(写真は高野山刈萱堂)
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刈萱堂。
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刈萱堂の堂内。
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290、 刈萱堂横の紅葉。
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刈萱堂。
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刈萱堂。
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刈萱堂。
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刈萱堂。
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刈萱堂の刈萱と石童丸の一代記。
308, 刈萱堂に掲げられている刈萱と石童丸の出逢いの場面の絵。 -
刈萱堂。
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刈萱堂の刈萱と石童丸の一代記。
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刈萱堂の堂内。
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刈萱堂の刈萱と石童丸の一代記。
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310,306,304,320、
刈萱堂。 -
刈萱道心が長野に開山した刈萱山寂照院西光寺。(1993年8月撮影)
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刈萱道心が長野に開山した刈萱山寂照院西光寺境内の刈萱道心と石堂丸親子が高野山で対面したときの像。(1993年8月撮影)
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刈萱堂に近い地蔵院。
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地蔵院の紅葉。
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刈萱堂に近い地蔵院。
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刈萱堂に近い遍照光院。
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遍照光院前の紅葉。
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遍照光院前の紅葉。
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刈萱堂に近い蓮花院。
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刈萱堂に近い蓮花院。
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刈萱堂に近い高室院。
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刈萱堂に近い高室院。
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