2008/10/05 - 2008/10/11
7137位(同エリア7829件中)
messさん
☆ 3日目 ☆ 那覇市
沖縄3日目は、那覇市内観光。
〈コース:首里琉染 → 玉陵 → 首里城公園 → 首里金城町石畳道 → 識名園 → 壺屋やちむん通り〉
世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺産群 【識名園】へ。
【エアー】 往復:日本航空
【ホテル】 北谷町:ザ・ビーチタワー沖縄
那覇市:ホテル日航那覇グランドキャッスル
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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首里金城石畳道から、もしかして歩ける距離かな?
徒歩で【識名園】へ向かいます。
向かう道中で南国のお花。
上り坂もあり、道のり結構ありました。 -
【識名園】に到着。
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【識名園】 那覇市 字真地
18世紀終わり頃につくられた琉球王家最大の別邸です。
2000(平成12)年 3月30日 国指定特別名勝
2000(平成12)年12月 2日
世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺産群 -
〈通用門〉
園内で働く者が出入りしていた門。
格式のあるお屋敷にのみ許されていたヤージョウ(屋門)と呼ばれる屋根のついた形式です。 -
〈正 門〉
国王一家、冊封使が出入りしていた門。
こちらもヤージョウ(屋門)と呼ばれる屋根のついた形式。 -
識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶそうです)は国王一家の保養、外国使臣の接待などに利用されていました。
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造園形式は『廻遊式庭園』。
池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的としているそうです。 -
〈育徳泉〉
池の水源の一つにもなり、琉球石灰岩『あいかた積み』にしています。
井戸口の上には二つの碑、〈育徳泉碑〉と〈甘醴延齢碑〉が立てられています。いずれも戦災のため下部が破損したため、1980(昭和55)年に復元されたものです。 -
〈御 殿〉
赤瓦屋根の木造建築。
総面積525?(約159坪)。
往時の上流階級のみに許されていた格式あるつくりだそうです。 -
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〈御殿〉の中へ。
〈前の一番座〉
尚温王の冊封使がお茶のおもてなしを受けたお部屋。 -
〈茶の間〉
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〈三番座〉
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〈二番座〉
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〈一番座〉
冊封使を迎え入れたお部屋。 -
〈御裏座〉
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〈裏座二番〉
1866(同治5)年に冊封使を迎えた時の図面には『小便筒』と『糞箱』があったそうです。 -
〈控の座〉
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〈御茶湯御酒洋館羹所〉
炭火を加減してお茶やお酒、料理等を保存していました。 -
〈台 所〉
大きなまな板と土間に大小6つの焚き口。 -
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〈前の二番座〉
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〈駕籠屋〉
首里城から国王が乗ってきた御輿を納めるところであり、担ぎ手の一服所でもありました。 -
かつても国の名勝指定を受けていましたが沖縄戦で破壊。
1975(昭和50)年から約20年の整備を経て現在の姿を取り戻しました。
復元整備費は約8億円だったそうです。 -
園内の石橋は独特の雰囲気。
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〈六角堂〉
六角形のあずまや。 -
〈六角堂〉のある島へもアーチ橋が架けられています。
一つ石(琉球石灰岩)で造られています。 -
屋根が黒いです。
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〈ソテツ〉
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〈舟揚場〉
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道端にコロコロとたくさんいました。
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〈勧耕台碑〉
1838年(道光18)年、尚育王の冊封正使林鴻年が題したもの。
手入れの行き届いた田畑を見て、王が心から人々を励ましている
とたたえたそうです。
こちらも戦災で破損、1980(昭和55)年に復元されたものです。 -
〈勧耕台〉からの眺め
本島南部を望む展望所。
中国からの冊封使をここへ案内、琉球が小さな国ではないということを訴えたのでは、といわれています。 -
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〈番 屋〉
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