2008/05/13 - 2008/05/24
140位(同エリア206件中)
明石DSさん
国際飯店の食堂はなかなか豪華です
メニューも豊富で味も良し
やっぱり良いホテルは違います
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5日目:満洲里:5月17日(土)曇り、ミゾレ雨、雪などなど
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2008.平成20年5月17日(土)
■7時29分
旅は修行と言いながら睡眠導入剤を持っての旅だ。今回も11泊の内一錠飲んだのは一回、半錠が二回、計3回だけだけど。昨日の夜は半錠飲んでぐっすり寝れた。朝食を食べに行く。
泊まっているのは満洲里国際飯店の安い方の2号棟だが朝食は同じでラッキーであった。それにここのモーニングには久しぶりに豆乳が有ったので飲む。大きいホテルなのに食堂はまだ朝早いからなのか?人は少なかった。
食べた後、ガイドとのロビーでの待ち合わせが9時半で、それまでまだ1時間以上有るので散歩に出た。ホテル前では朝早くからロシア人が車に大きな荷物を積み込もうとしていた。歩いているのも半分くらいはロシア人?って思うほどの満洲里である。
そこここで、そんなロシア人に何を売ろうとしているのか、中国人の立ち売りの“おばちゃん”が多かった。みんな巧みに、流暢に?ロシア語を駆使して交渉しているように見えた。私はそんな“おばちゃん”たちからは完全に無視されていた。ここでの客はロシア人なのだ。
そしてロシア人は、子供から老人まで多彩にいる。子供は一体何処の学校に行っているのか?親の買出しにたまたま付き添って来ているだけなのか?それともここに住んでいるのか?事情はそれぞれあるのだろうけど・・・。
今日の満洲里も私の感覚では真冬であった。でも寒さに対しての設備は抜群で、一歩建物内に入れば何処とも暖かい。それも過ごしやすい、空気の乾燥も感じずシャツ1枚でも普通に過ごせる。それが私にはとても不思議だった。
我が家では冬になれば室内でも寒いし、家の中全体の丁度よい適度な暖房っていうのが無いに等しい。こっちはどこでも建物内に入れば外の気温が分からなくなってしまう。外に出て初めて今日もやはり寒いのだと感じる。
9時過ぎに部屋に戻って直ぐに成吉思から部屋に電話があり「ロビーで待ってます」と言う事だった。後から分かったが、成吉思は着く前に確認の意味で先に電話して来る。この時も私がロビーに行ってもまだ姿がなく、ほどなく外から入って来た。これから三日間17.18.19日ガイドをしてもらう。
見積もり:
1、 ホテル代:200元/各地、部屋5泊分=1000元
2、 車代:2万円(17日から19日まで,計1304元、1日435元)
3、 ガイド料:150元*3日間=450元
4、 ガイドの宿泊料:50元/日*2日間=100元
5、 ハイラル/チチハル 軟臥200元/枚手数料含む
合計:1750元+2万円 (¥46,250円)
成吉思との交渉で決まった値段であり旅の行程だが、最初はガイドは別の人が来ることになっていた。でもその人が来れなくなり彼が担当してくれることになった。上記と別に運転手とガイドの食事代、昼は一緒に食べたので私が払い、夜は二人分50元を渡した。それでも上記料金は高くはないと思う。成吉思へ日本からメールで送った私の希望は「ハルハ河を見たい、ホルステン河を見たい」であった。
運転手は漠河(Mo he)さん。
52歳最近定年退職し、つい二ヶ月前ほどからこの旅行社の運転手として雇われている。仕事のある時に電話が掛かってくるらしく先の仕事は全く分からないそうだ。以前はやはりトラックの運転手をしていたとのこと。娘二人で、すでに結婚し今は夫婦二人で気楽な生活のようだ。寡黙で運転も荒くなく淡々と仕事をこなしてくれた。昼食時は三人で食べ始めても、いつも先に席を外し車に戻って待っていた。
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とりあえず、こんなんを食べました
朝食はどこでもバイキング形式だから
好きな物を好きなだけ・・・。
ここだと朝から食欲もでます -
今朝の満洲里
服装を見れば日本の冬ですね
歩いているのも朝からロシア人だらけです -
国際飯店の前で朝早くから車に荷物を積み込んでいました
ロシア人の誰も彼もが買い物目的で来ているようです
個人で商売しているのも多いようですが
ロシアから車ごと国境を越えて来ます -
昨日は「外国人は入れません」と言われた国門へのゲート
今日は何のお咎めも無し
このええ加減さは一体何やねん
下から上まで何もかも、全てがこの調子やろ
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■9時41分:中ロ国境、中俄互市貿易区へ到着
昨日は外国人は入れないと門前払いされたが、さすがガイド付きなので20元の門票を買い、すんなり入れた。ここも来る前に写真でよく見ていた場所である。今、中国側の線路をまたいでの国門(ゲート)を大規模工事している途中で完成の暁には、国門に入り線路の上からロシア側を見れるようになる。
私の年一度の中国旅行での見聞だが、中国各地では何処に行っても記念碑、建物、公園、道路などなど凄い規模で新しく作られている。開発区もどんな地方にでもある。こういった道路・不動産・その他の工事こそ賄賂やピンはねの巣窟であり共産党幹部に金が流れる仕組みがあるのだろう。だからこそ誰が見ても“ど派手”で不要無用の長物ばかりがそこら中に作られる。
不要無用ということは、見かけだけで中味はどうでも良い事にもなり、その後のメンテナンスを考えても無責任に作りやすいということも有るだろう。庶民の生活向上に直接繋がる下水や水、その他の大切な社会資本整備などはそっちのけで、やたらにどうでも良い張子の見かけを作っているという感じがする。
ここから金網越しにロシアの監視塔も近くに見える、中国側より粗末なのが面白い、それで十分なのだろう。そして遠望にはロシア側の国境の街が見えた。そこは5000人くらいの人口だそうだが、その多くが商売の為に住み着いた漢族だそうだ。因みに満洲里の人口は16万人(2004年)で95%が漢族、モンゴル族は3.3%だそうだ。今や世界の商売出来る所には漢族あり。
そして、この辺りはノモンハン方面も同様に北朝鮮からの脱北者や中国人の不法出国者がロシア・外蒙古を経ての脱出ルートになっており蛇頭のような犯罪組織が絡んでいるとのことだ。やはりこれだけ陸地で国境を接していたら不法出国、入国を防ぐのも至難のことだと思う。外蒙古・シベリアに入った後、ヨーロッパに行くらしい。
この辺りの中ロ国境地帯には緩衝帯というのがあまり無いのに驚く、すぐ向こうに相手国の普通の人が住む場所があるような・・・。でも私が最初に見た陸続きの国境?が韓国・北朝鮮との南北の軍事境界線(北緯38度線)だったからかもしれない。そういえば中朝国境も何も無かったし。
今、内蒙古自治区は人口1200万人になったそうだが、その内モンゴル族は300万人の少数民族としての立場であり、1956年から始まった毛沢東主導による民族大移動の結果のようだ。
新疆ウィグルと同じで、看板などもモンゴル語だけでは駄目で漢字との併用が法律で定められている。漢字だけの看板は無論OKだが。それにしてもモンゴル語の表記を見かけるのは少なかった。
10時28分:国境から去る
国境の風景を堪能した後は、この地区にある市場、ロシアの土産物屋に入って見たりしたあと市内に戻った。 -
向こうが昔ながらのロシアの国門
こっち側の工事中が中国の新国門
全ては賄賂の象徴です
金かけて作り換えることが共産党幹部の力で商いです -
新国門の完成図
ド派手ですが、一体門票はいかほどに
今は20元でしたが・・・。
因みに今度のは5代目だそうです
6代目の完成図もすでに出来ているようですが?? -
国境の柵からロシアを見る。
左側の粗末な塔がロシアの国境監視塔
ロシアの国境の町もすぐ近くに見えました
でもすでに漢民族に乗っ取られているようですが -
こんなんもついでに建っています
一体何やねん、一応写真で見たことあったので写したけど -
1935年:昭和10年頃から日本人がこの社宅に住んでいたのだろう
厳寒の満洲里で過ごした10年にどんな思い出があるのだろうか?
古き良き時代の思い出話を聞いて見たい
でも、暗〜い話しなら聞きたくはない
何故って、私は今までそんな話ばかり読み聞かされてきた
もう、そんな話ならうんざりだ
どうせなら何があったとしても明るく面白く雄雄しい話をしてくれ
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■10時42分、東清鉄道の職員住宅を見る
・・・・・・抜粋↓
1935年:昭和10年3月になってソ連は北満鉄路全線の利権を満州国に売却し、満州から撤退した。こうして旧・東清鉄道は満州国有鉄道となり、経営は満鉄に委託された。
・・・・・・以上
↑と言うことは、昭和10年〜20年8月までの10年間くらいは日本人が満洲里の駅近くの職員住宅に暮らし、その子供たちは近くの小学校に通っていたのだ。その満鉄職員住宅は駅南側、北北東100mくらいの所に、当時のままなのか?ある程度固まった戸数が並んでいた。昔はもっと有ったのかも知れないが、きっと美しく立ち並んでいたと思う。
今も人が暮らしているようだが、ここも変わらず暮らしぶりが汚な過ぎる。何でもっと自宅周辺を綺麗にしないのか?不思議だが。せっかくの美しい?建物が台無しである。各戸には「満洲里俄式建築群:重点保護文物単位」とのプレートが貼り付けてある。
10時55分:満洲里日本人小学校へ行く
小学校跡は駅から、そして職員住宅からすぐ近くにある。駅前広場から南に延びている幹線道路:天橋東路を300mほど歩いて三道街と交差したところの道路南、端から二番目の建物、今は博物館として当時の姿のままある。当時は駅南側の方が人が沢山住んでいたのかなあ?今の市の中心街はどんな感じだったのだろう・・・。
日本人小学校の名前はなく、ようするに満洲里:日本人小学校として只一つここに存在していたのだろう。2002年8月から博物館として存在している。門票20元。門票の裏面には、1926年創建、典型的な俄式建築、最初は中ロ合弁鉄路学校→日本警護隊事務室→満洲里鉄路医院との書き込みがある。日本人小学校であったとの説明は無い。
満洲里での思い出を綴ったHPにも満洲里には幼稚園も小学校も無かったと書いている方もおり、建物全てが小学校として使われていたのではないのかもしれない。そして今もこの博物館の隣には結構大きな哈爾濱医科大学付属第四医院:満洲里第一南区医院という長い名前の病院があった。
博物館のなかは整備され多くの写真や物が展示されノモンハン関係の日本軍の鉄兜なども置いてあった。説明書きにも興味あるのが多く、尚かつ写真もOKなのでデジカメでパチパチ撮っておいて後から説明をゆっくり読もうと思っていたのに、デジカメがこの少し前からおかしくなっていてシャッターがすぐに降りずフラッシュもヒカラなくなってしまっていた。8月9日のソ連軍侵攻時の写真も数枚あった。
案の定、ピンボケが多く説明書きも読めない。この状態が明日、明後日と続いたので心配したが、ピンボケも多いがまあ何とか写っているので安心した。結局、あっちこっち触っている内に二日後くらいに元に戻ったけど。 -
左側が旧満鉄職員住宅、右側奥の方が満洲里駅(表玄関)
駅から歩いて200メートル有るか無し
職住接近とはこのことだ -
こんな風に建ち並んでいます
もうちょっと家の周囲も綺麗にしろよ
一体中はどうなってるんや
ペチカがあるだろう居間は・・・。
猫に小判はとはこのことか、ホンマに情けない。 -
満洲里日本人小学校
門票(20元)の裏面の説明には日本人小学校の表記はなかった
1926年建立、典型的なロシア式建築。
中ロ合弁鉄路技工学校→日本警備隊公室→満洲里鉄路医院
2005年6月:満洲里市博物館
当時満洲里に住んでいた方の手記の中には↓
『満州里には日本人が少なく幼稚園も小学校もなかったので・・・』
一時期学校として一部だけを使っていたのかも知れません -
内部は病院から改装されて綺麗になっています
展示の写真もOKでしたが
デジカメ不調でピンボケばかり、ガックリ
当時の写真もあったのに・・・。 -
小学校の廊下を思い起こします
病院としても、そんな感じの内部でした -
満洲里国際飯店で昼食を食べる
ロシア料理
この串刺し羊肉も美味かった
運転手の漠河さんで〜す
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■11時51分:満洲里国際飯店で昼食す
三人で100元以内で注文してくれと成吉思に言っておいた。ロシア料理、最初にやはりボルシチスープ、その他、何を食ったのか?写真を一枚写していた。それ以外に覚えていないが・・・。
どれも美味かったことは確かだ。やはり日本に長く暮らし日本人専門のガイドなので、自分でも言っていたが9割くらいの確率で日本人好みの料理を選べる・・・と。ガイドの大事な要件だと思う。そして料金だけはちゃんとメモっていた。
¥78元(¥1170円)モチロン三人分である。安いなあ〜。 -
何じゃ、こりゃあ、こんなとこにこんなもんがあったんか!
ビ、びっくり仰天とはこのことです
遠くに昇る白い煙も全〜部、蒸気機関車の蒸気です
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■1時31分:扎賜諾爾(ジャライノア)の石炭露天掘り
昼食後、一応満洲里内の日本関係の見学は終わってしまい、時間もあるので予定に無かった扎賜諾爾の露天掘りを見に行こうと成吉思が言ってくれた。「予定外だから、ちょっとガソリン代を気持ちだけ出して下さいね・・・」と“さりげな〜く”言う。そんな駆け引きは最後まで続くけど・・・。
そして道中、雨が降って来た。ミゾレ混じりのような冷たい雨だった。そしてミゾレ混じりの雪も降っていた。で、で、でも着いた露天掘り炭鉱にはビックリ仰天!な、な、なんじゃあこりゃあ・・・で、あった。
扎賜諾爾の人口は20万人くらいで、多くが炭鉱関係の職を得て働き給料も日本円3万円くらいあるそうだ。1902年からロシアが炭鉱を作り始め1903年から営業開始。満州国建立後多くの日本人がこの地に住んでいたとある。
撫順の露天掘りは聞いて知っていたが、満洲里に撫順より規模の大きな露天掘り炭鉱があるのは全く知らなかった。掘り下げた露天掘り炭鉱の周囲を階段状でレールが敷かれ蒸気機関車が走っている光景なんて想像外であり、凄いって言うしかない。
雨もちょうどこの時は、ほとんど降っていなかった。でもデジカメの調子が悪く、それが気になってちゃんと景色を見なかったのが心残りだ。帰国後Netで検索したら、やはり蒸気機関車好き、カメラ好きの方が結構この地を訪れている。私も十分とは言えないが、行って見れたし、見たし、写真も何とか撮ったぞ。
この光景を見るだけで一見の価値あり、おまけに日本とも大いに関わりのある地である。これからここを訪ねる日本人観光客も増えるに違いない。つまらぬ観光地よりよっぽどこの露天掘り炭鉱の方が一見の価値がある。何せ、今現実に蒸気機関車がバリバリの現役機関車として仕事に付き、煙をモクモク上げ幾筋ものレール上を右に左にと走っている。一体全部で何両が同時に動いているのだろうか??
世界にはまだまだ想像外の景色が山ほどあるに違いない。
2時17分:満洲里に戻り「単四電池」を買う
日本から持って来たカシオの電子辞書が電池切れ状態になってやはり不便だからと電池を買った。10元の電池を買うのにまず先に伝票を書いてもらいお金を払ってから商品を受け取るに行く。この百貨店のような大きな店は公営なのか?民営なのか?知らないけど、中国旅行を始めてから10年になるけど最初の内はこんな買い方をするところが多かったけど、ここ最近は記憶が無い。
2時30分:ホテルに戻る
まだ早いけど、晩飯代50元と彼に言われた「追加の気持ち」と言うことで50元、計100元を渡したら成吉思も納得顔だった。二人と別れて一人で又朝行った場所へ、小休止後にゆっくり歩いて行こうと思う。 -
いやはや、これは実際にこの場所に行かないと
この広さ、規模は、ピンと来ませんよ
何の予備知識もなくいきなりこの場に立った私は
ただただ驚いたしだいです
蒸気機関車だらけです。そこらじゅうで同時に走り回っています -
俺って別に蒸気機関車に趣味はなかったはずやけど
ここでこんなん見たら感動します
何でここが有名な観光地になっていないのか?
それも不思議だけど・・・
日本人とも大いに関係ある場所なのに -
広いデカイ訳が分からん
石炭が地球の裏側まであるのか否か?
掘った跡地はどうすんの?
巨大過ぎる池になってしまうんちゃう? -
満洲里の百貨店で単三電池4本買いました。
さすが世界に冠たる日本製品
ここでも日本メーカーのコーナーが多いです
ロシア人が買い漁るのでしょうか? -
駅前広場から左方向にある
黄色い建物から向こうに並んでいる
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■3時半:一人で歩く
電子辞書は電池を換えても駄目だった。壊れてしまった、元々落として潰れかけていたのを瞬間接着剤と当て金で何とかこれまで使って来た代物だった。蝶番の所で線が断線してまって万事休す。3万円くらいで買った辞書も十分使ったから悔い無く満洲里にゴミとして置いていく。
又駅前の職員住宅附近から日本人小学校の附近をブラブラした。そして、その南側一帯にこの地の普通の労働者の家々が並んでいる。レンガ作りの粗末な家並みなので、「あれも満洲時代からあった建物なのか?」と成吉思に聞いたら、「あれは戦後に作られた家々です。中国の家は作りも悪いし粗末だからすぐに悪くなります・・・」とのことだった。
そんな家並みの路地を歩きながら生活の様子を観察するのが興味深い。牛がゴミ箱に頭を突っ込んで何かを漁っていたり・・・。この辺りは舗装もなく道は土のままだから乾燥し風が吹けば砂埃が凄いし、雨や雪解けではきっと泥濘になるのだろう。そのまま凍結すれば道も凸凹になるのは必至だ。駅の北側と南側に別の世界があった。
電柱に求人票が貼ってあった。男女問わず、女性試用期間800元(12,000円)、男性試用期間1000元(15,000円)との給料だった。これでも数年前に比べれば随分良くなっているのだと思う。中国は漢字だから読めずとも意味は大体分かる。こういった張り紙こそ今現在の当地の情報で面白い。
四人の子供たちが坐ってそれぞれの小さなゲーム機を手に持って夢中に遊んでいる。
ブラブラと歩き続けて、最後の満洲里を満喫した。明日は朝からノモンハンに向けて出発だし。満洲里には直接ロシアの車も入って来ている。ナンバーを見れば分かるし、やはりロシア国産車はロシア車の形をしている。ロシア風建築は彫刻も施され内装も華美で洗練された美も感じるが、車は何故か?野暮ったい。デカイけど。
5時20分:ワンバに入る
1時間近く坐っていた。
18時59分なら現地時間17時59分だ。
ローマ字で日本の掲示板に書き込んだ。こうやって書き込んでおけば、時間も分かるし旅行記を書く参考にもなる。日本語はホンマ素晴らしい。ひらがな・カタカナ・漢字・それにローマ字も使える。こんな素晴らしい言語は日本語くらいだろう。
明日行く新巴爾虎左旗(阿木古朗)の気温は天気予報では1℃〜10℃となっていた。
6時49分:満洲里の夕陽を写す
まだ結構高い位置にあるけど夕陽の趣はあった。
7時
西二道街にある国際飯店の斜め前(南側)の小さなレストランで食事をする。メニューが分からず揚州焼飯があったのでそれを頼んだ。そしてロシア風スープと。ここにはロシア人家族たちも小さい子供連れで食事に来ていた。満洲里に暮らしているロシア人も多そうだ。
さあ、今日も充実の一日を過ごした。
明日がいよいよこの旅のメーンであるノモンハンへ行く。 -
この一角だけ写せば満洲里の面影が
当時の雰囲気が残っているように感じる
日本人が暮らしていた時はもっともっと綺麗だろうけど
そんな愚痴ばかり書き連ねる私です -
今、ここで育つ子供たち
オイ、オカンに言うとけよ
もっと綺麗にしろって
臭い汚いじゃあ話にならんぞ
じゃあないと、心まで臭い汚いになってまうんや -
線路の北側と違って満洲里の雰囲気があるなあ
これが厳寒の時期ならもっともっと昔の満洲里が偲べる
きっと、そうだろうけど寒さに弱い私です
暑さにも弱いですが -
満洲里にも有った中国名物・落とし穴。
中国旅行で注意喚起を要することは多々有れど
これも最重要なことの一つです
上から何が落ちてくるか?下にも嵌らぬように
危険予測、危機管理の訓練には是非中国への旅を
日本人の錆びついた自己防衛本能を目覚めさせるには
中国旅行が最適ですよ -
無論全ては自己責任、フフフ、何か文句でも?
-
さりげなく落とし穴があります
ここで暮らす子供たち、生き物にとって
何も不思議ではありません
嵌ったら怪我します
もしかしたら死ぬかも
只それだけです。
畳の上で寿命を全うするなんて、所詮贅沢と言う物です -
駅の表玄関、南側に広がる庶民の住宅街
これぞ満洲里って言う風景に思うんやけど
北側の新市街とあまりに格差がある過ぎるんちゃう
白布仁曰く「戦後の建てられた家々」だそうですが
年期を感じます
道は舗装もなし -
えさ箱ではありまへんでぇ〜
街中のれっきとしたゴミ箱です
ゴミ箱を漁る乞食ではなく牛
何か美味い物でも・・・ありまっか?
ゴミ漁る牛を眺むる満洲里 -
満洲里の庶民の日常風景
働き場所は線路を越えて北側なのか?
ピカピカの新市街から
心落ち着く我が家に向かう人々
勝手に推測していますが -
求人票:生産工人若干名
女性試用期間800元(12,000円)
男性試用期間1000元(15,000円)
それでも数年前に比べれば良くなっているように思う
貼り紙:私の貴重なる情報源で〜す -
これも満洲里の光景
ゲームに熱中する子供たち
それぞれに小さなゲーム機を手に持って夢中に遊んでいる。
持ってない奴はおるようで・・・。
苛めは有るや無しや? -
線路を歩道橋で越えたらこれでっせ
線路を挟んでこの落差、これも観光目玉になりそうですが
中国を象徴する姿です
ロシア人の一団が向かってきた
線路を挟んで南北にロシアと中国があるんかも? -
この店でロシアと蒙古音楽のCDを買いました
彼女が日本のお金を見せてというので見せたら
ちょうだいと言うのでに日本の100硬貨をあげました。
「これ人民元で幾ら?」と聞かれて
「10元:150円」と答えてしまいました
騙すつもりはなかったのですが、計算が出来ず
ホントは6.7元ほどです -
満洲里のビル街から見る夕陽
どこでみても大地に沈んで行く夕陽は美しく
感傷的な気分になります
あ〜我、今満洲里に立っているのか・・・なんて
感傷的にならなければ損だという根性が情けない(泣) -
洲里飯店の斜め前のこの店で・・・。
一人夕飯を食す。 -
こんな物を食いました。
揚州焼飯・ボルシチ
腹は膨れたという記憶が残ってます
明日はノモンハンへ行く
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