2008/05/13 - 2008/05/24
45037位(同エリア47413件中)
明石DSさん
がら〜んとしてるけど客は泊まっている
朝食まずいからあんまり食いに来んのかも
まずかったです
2日目:哈爾濱巡り:5月14日(水)晴れ
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2008.平成20年5月14日(水)
■6時頃起床、シャワーを浴び準備をする。
シャワーの温水は勢い良く出るがバスタブの栓がなく水が張れない、言えば有るのかもしれないが、これで十分である。天気予報は晴れだったが朝の空は雲多く、予報でも雨に向かう予報が出ていた。ノモンハンだけは晴れて欲しいがこればっかりはどうにもならず「神のみぞ知る」だ。
7時25分:朝食を食いに
食堂は8階にあった。今回の旅を通じてホテルは全部朝食付だったがこの曼哈頓商務酒店が一番メニューの内容も味も悪かった。まあ食うことに関しては安いホテルを選んでいることもあり、あまり期待していないので不満はない。良ければ得したという感じである。
-
黒いパンだから黒パンか
茶碗の真っ黒な液体は、コーヒーのようです
金持ちではない?ロシア人も泊まっていました
日本人もきっと一人は泊まっています
日本では朝食付き3千3百円で泊まれません -
ソフィスカヤ寺院のある広場の朝の光景
行進訓練が長々と続く
三班くらいが別々に
■8時25分:ソフィスカヤ寺院へ行く
・・・と、言ってもホテルの真横であり、出て右側、道路を横切れば教会のある広い公園になっている。朝はさすがに哈爾濱なのか冷やりしていた。
教会は今は哈爾濱建築芸術館になっており内部に入れるが、結局入らずじまいで終わった。外から眺めているだけで十分だったから。朝の公園では制服を着た女子社員が軍隊行進のような行進訓練をしていた。何班かに分かれそれぞれの指揮官?の下に時折「イーアール・・・」と掛け声を掛け、その度に歩調を変えて三列縦隊で公園を回る。
これも中々面白い風景だった。日本で言う会社や工場での始業前の朝のラジオ体操のようなものだろうけど、それにしては時間も長く延々とやっていた。これがもし毎日の風景なら凄いと思うが・・・。それは定かではない。まさか???縄跳びグループもあった。
その後、ホテルの左隣の中国銀行(旧ロシア銀行)に両替に行った。
8時30分(開)である。一挙に8万円を両替する。去年昆明の中国銀行で5万円くらい頼んだ時に何故か?「2万円しか出来ない」と一度だけ言われた事があるが、ここは幾らでもOKという感じであった。銀行員のランクも肩章に星が付いており、この時の若い女性行員の制服には二つ星の肩章が付いていた。
一ヶ月の平均給与が1〜2千元のこの地方では大金の8万円=この時は、1万円=651.03元で計5,208.24人民元を手にし、一旦ホテルの部屋に戻り手持ちの封筒に百元札を入れ分けた。フフフ・・・。失くさないぞ、騙されないぞ・・・と、気合を入れ。 -
何か?そんな催しに向けての練習かも
朝の8時頃からやってる様子でした
一体彼女たちは何時に起きて家を出てきたのか? -
朝の露店
-
■9時20分:王文亮と出会い出発
9時半の約束だったが降りると彼は来ていた。写真も何もなく、互いに分からないが雰囲気で分かる。でもこの時は互いに一度はすれ違ったまま探していたが・・・。
ガイドの王文亮
哈爾濱の整体の専門学校を出た鍼灸師。専門学校を出た後、22歳の時に東京の町田に行き鍼灸師として6年間働いたそうだ。その間、直ぐに彼は技術を認められ支店の長になり、やがて本店で働く。オーナーは日本人で日本の鍼灸師も居たが中国人も多かったらしい。
そこで仕事漬けの毎日ながら給料も○○〜○○万円になり、稼ぐのは稼げたようだが心身ともに疲れ貯金を持って2年前(2006年)に故郷に帰郷し、「元々旅が好きでしばらくは日本語ガイドの仕事をしようと思いガイドの試験に挑戦し、合格したので今はこの仕事をやっています」・・・と、言うことだった。
「給料は十分の一になりましたが、今のところ不満はないです。将来は整体の自分の店を持とうと思っています。治療整体で自信はありますから・・・」と言っていた。そして「私のガイドのレベルでは一日本当は600元ですよ。貴方が電話で依頼した王旭さんは日本へ中国人を連れて行く旅行の責任者で、あまり分からず、貴方が日本語レベルはどうでも良いからというので200元で受けてしまったのです」と事情を説明してくれた。
でも王文亮にしても正社員ということで給料なので来たということなのだろう。一応自分のプライドとして値打ちを言っておかないとと思うのも無理はない。何せ600元が200元だから・・・。しかし私にとっても誰にとってもガイドというのは日本語レベルがどうあれ、今日一日の哈爾濱の旅を私がどう感じるかによってガイドの評価は決まる。ハイ
彼は6年間日本で整体・鍼灸師として頑張って働いてお金をためて帰国し、夢を実現させる為に着々と人生を歩んでいる。確かに彼の話から誇張も嘘も感じなかったし、腕の良い整体師でもあり30歳のやり手ガイドだろう。体重95kg、結婚もし、この秋には子供が生まれるそうだ。 -
何故だか?入れてくれません
何を勿体ぶってんの?みんな並んで待ってます
中国人は身分証明書、外国人はパスポートの提示が必要です
何故だか?入れてくれません
何を勿体ぶってんの?みんな並んで待ってます
中国人は身分証明書、外国人はパスポートの提示が必要です
何でやねん?
・・・・・・・・・・・・・・・・
■731部隊遺跡
そんな王文亮と運転手の三人で今日の旅は始まった。
まずは有名?な731部隊遺跡見学からである。
私は731部隊の残虐性を誰にどのように言われても、言われるまま思い込むことは最早ない。
南京事件同様731部隊のことは嘘と捏造で覆われ本当の真実が分からない。そんな状況でとやくいうこともなく、731部隊がその後の医療に如何に貢献したかの成果の方に興味がある。私がそんな日本人だとは、その時はまだ王文亮も露知らない・・・。
そして、やはり真実は今多くの日本人が思っている事と大きく違うようだ。この旅行記を書きながら石井部隊の真実を訴える一つのHP見つけた。
「博士の独り言」
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-396.html
私はこの上記に書かれている内容を信じる。731部隊の遺跡は哈爾濱の街から少し外れた平房区にある。
道中、哈爾濱の街の紹介をしてくれた。哈爾濱工業大学は優秀で中国の十指に入る理工系大学であり中国の有人宇宙ロケットのコンピューターもこの大学が担当したとのこと。日本の大学と違って研究機関は軍や企業と密接に連携があるようだ。アメリカのシリコンバレーとの比較はともかく、そういった町が哈爾濱でありコンピューター・インターネット関連ではレベルが高いようだ。
10時10分:731部隊遺跡に到着。
もっと遠いのかと思っていたが案外近かった。途中この部隊への引込み線だという線路も残っていて教えてくれた。そして門前で何故か?待たされた。次々と来た順で入場させるのではなく、人数を決めて入れているとのこと。それは間隔を開けてなのか?人数が揃ったらなのか?知らないが、まず並んで、ある程度の人が集まったら?係りの者が来て、中国人は身分証明書を見せ、私はパスポートを見せて無料で入場できるようだった。
私以外にその時は日本人は居なかった。
王文亮が中に入れば「中国語で話をしましよう」私が「何で?」と聞いたら「今、みんな大人しいですが・・・展示を見ていたら興奮するかも知れませんので・・・」と冗談で言っていた。 -
我731部隊の本部に向かって歩く
2000年まで地元の中学校として使われていた
2004年もまだ半分は中学校して使われていた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■11時39分入場す。
30分も門前で待たされやっと一塊15人ほどが入っていった。建物内部は展示が嘘ばかり故?撮影禁止。建物の中には石井四郎専用階段なる物もあった。しかし、私は中国のこういったプロパガンダは一切信用しない、出来ない人間なので、取り敢えずは此処で日本人医師たちが頑張って研究し国家のために働いていたのだと思いながら展示物を見て歩いた。
王文亮も次第に私の雰囲気を察し、私にはつまらぬ説明も無用と分かったようで、彼曰く「石井の三大功績」なるものを教えてくれた。それでよし。
?凍傷を治す治療法:37度の温度が一番凍傷を癒すには良いようだ。
?「石井式濾水機」(水のろ過器)
?細菌培養
上記HPから731部隊の残虐行為に対する「博士の独り言」の筆者の疑問を下記に抜粋列挙す。
・・・・・・・・・・・以下
第1に、
一切の証拠隠滅が行われたとする以上のような惨劇を支那人の誰が目撃したのか? 旧日本兵で実名でこうした証言する者は皆無である。
第2に、
語られる様子が、毛沢東が文化大革命で自国民を大量殺害した手法と同じである。森村氏の“ノンフィクション”発表以降に、支那が騒ぎ出した経緯をみれば、むしろ自国の出来事を語っているかのように聞こえる(“南京大虐殺”の手法も毛沢東と同じである)。
第3に、
旧満州国末期に、隊員の数倍もの数の遺体にかけて一挙に燃やすほどのガソリンが存在していたのか?
第4に、
土で埋めたはずのマルタの死体が出て来なかったのはなぜか? また、それだけの惨劇があったとすれば、跡地を小学校に使用する神経とはいかなるものか?
第5に、
片や、松花江という川に投棄したとする大量骨が発見されなかったのはなぜか?
以上『http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-396.html』よりの抜粋
・・・・・・・・・・・
日本人は国の為に一丸となり、ここ満洲でも太平洋諸島でも、インドシナの地でも頑張り戦い続けた。それが当時の列強国のあるべき姿であり何ら恥じ入るところも卑怯無法もない。戦争で起こった事は、それが戦争であり、爾後の人間の不用意で安易な、自らを偽善者ぶった言は恥ずべきである。殺すか殺されるか?敵を殺戮し相手の戦意を喪失させ勝利を得る・・・それが戦争だ。その究極の現実を少しは想像しろ。
戦争というのもは探せばお互いに平和時では考えられないことが起きる、起こす。当然だ。嫌なら戦争をせず奴隷に甘んじろ。戦争で起きたかも知れない父祖たちの悪事?を探す前に己の今を考えろ・・・過去の歴史の全てがあっての今であり今の日本人の生活だ。父祖に感謝することこそが先だろう。
それとも日本人以外の人間としてこの世に生を得たかったのか?それなら今すぐ日本から出て自らの望む国で国籍取得を目指せばよい。父祖の悪口を言う輩に日本人としての生活を享受する資格はない。それこそ偽善者であり卑怯者だ。
庭に出れば写真でも良くみたボイラー跡の風景があった。歩いていると私の携帯電話が鳴った。こんな時にこんな場所でと思ったら神戸に住む兄からだった。「Mはどうや大丈夫か?」と私の長男が中国出張にしょっちゅう行っているので12日の四川地震の安否を気遣って電話してきたのだ。
この旅行の為にauの新発売された世界180ヶ国で使える“W62S”を購入し持って来ていたから・・・「大丈夫や今日本にいるから、俺が今哈爾濱の731部隊の遺跡に来ているんや」と言ってもピンと来ていないようだったが。世の中便利になったものだ、メールも電話も日本同様に使える。 -
本部に向かって歩きながら
振り返って写真を一枚
こんな風景です
ここは最近まで中学校として使われていたそうですよ
↑2005年8月に発行された「731」:青木冨貴子(著)に拠る -
ボイラー跡
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2008.平成20年6月19日(木)
■731部隊
哈爾濱の平房へ行って七三一部隊の遺構を見て帰国後に、より真相を知りたくなり
三年前の2005年8月に発行された「731」:青木冨貴子(著)を読んだ。
著者は昭和23年生まれ、ご主人は米国人でニューヨーク在住のフリーのジャーナリスト。私とは二つ違いの同世代だ。
やはりリベラル派に属するのか?著者には共感しないが、内容は調査の裏づけに基づいた概ね客観的なものだと感じる。
いつものように自分なりにだが「731」に関する全容がこの本のお蔭で良く分かった。
今もそうだが生物化学兵器というのは核兵器と同じく、大量殺戮が可能な兵器として恐れられている。第一次世界大戦で使用されてから、世界中で研究されたのは当然の成り行きだろう。
そして、細菌や毒ガスというその性格上、核兵器よりも更に秘密裏に・・・。
中国は古代より、そしてドイツ・ソ連も使ったようだ。アメリカも朝鮮戦争で使用したと、この本には書かれてあった。731部隊の研究成果を基に、或いは七三一部隊の元軍医の協力を得て。
731部隊に平和時の倫理にモトルことは確かにあったのだろう。しかし、私はそれを幾ら知り得ても先人に対しての思いは変わらない。それは、国家の存亡を賭けた「戦争」という現実の中で起きたことは全て戦争の範疇であり、そこに平和時の価値観も倫理もルールも適用しない。
それが私の戦争というものの定義であるからだ。ということは、何をされても仕方がないというのも私の戦争の定義でもある。
マッカーサーが731部隊の細菌戦情報を欲しがっていたこと。又、ソ連は無論であるが、他国に情報が漏れない様にアメリカが独占したかったからこそ戦犯に問わない約束をし、情報の収拾、独占を図った。
そして731部隊の軍医たちは戦後の日本医学会の中心的役割を果たし貢献した。
その中で後の薬害エイズで有名になった「ミドリ十字」の内藤良一は、731部隊の戦後の黒幕であり疑問符が付く人間のように思う。
270頁
内藤良一の裏切り
『情報を提供することによって自分だけ戦犯から逃れようとするものだった。その為に、実験に人間を使ったことを他から聞いたと供述し、石井を裏切り、石井は罰せられるべきだとまで訴えている』
著者が直接取材した731部隊に従事した元関係者の、人体実験などに関しての直接の証言は、少年隊として平房に赴任し戦後、「中国帰還者連絡会」の会員になって活動していた元兵士の証言だけだ。
それに不幸にもソ連に抑留された軍医三人が、過酷な拷問の末に吐露し、口を割ったと言われるものだけである。だから今も巷に流布されている731部隊に関係する残虐非道な物語は、その上記4人以外の話については、全てが噂であり、又聞きだと思われる。
そして、私が平房に行って、入って、見た、あの本部跡は↓
・・・・・・・・
一棟と呼ばれた建物で、かっては総務部や診療所があった。少年隊の篠塚が到着後しばらく寝泊りしていたのもこの建物。2000年まで地元の中学校として使われていた。2001年9月から「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」として公開されるようになったが、2004年夏も西側半分は中学校としてまだ使われている。
・・・・・・・・
私が行った時は、使われていなかった。
ホントについ最近まで地元の中学校だったのだ。
それは事実である。 -
確かに小学校として使いたくなる建物だ
運動場もあるし -
平房区というのは郊外の住宅街のような感じに思えた
731部隊の真実が世に明らかになることを願う -
南京事件と同じ構図がきっとあるような気がする
昼食は豪華にここでロシア料理を食いました
三人で302元(4530円)も使いました
今日のこの店のお勧めは“アワビ”でした
全部旨かったです。腹も一杯になりました -
寡黙な運転手:郎咸輝(Lang xian hui) さん
背景にグランドピアノが写っている -
ボルシチとパンからのスタート
-
松花江に架かる鉄橋
花江の散歩はこの鉄橋傍から始まった
平日の昼下がり、散歩を楽しむ人は多い
昔も今もこれからも、心を癒す場所なのだろう
満洲時代も賑わっていたのだろう
その光景が目に浮かぶ
■昼食休憩の後は松花江に行った。
ロシア名:スンガリーで満洲・哈爾濱と言えば良く聞く名前の川だ。この川が南北に流れ東清鉄道が東西に走る。鉄橋が架かっていた。そして二人で河川敷のスターリン公園なるところを鉄橋の方から、今も当時のまま残る旧東清鉄道ヨットクラブの建物までゆっくり歩いた。
途中、防洪紀念塔を見たり、公園内に当時のレストランである建物が残っていたり、今もレストランとして使われているがボロボロに近かった。
3時3分
そして松花江を離れ次にガイドとしてお決まりのコースなのかロシア民芸品のお土産屋に行き、その後、連れて行ってくれたところが情けないながら今もって不明だ。
そしてその不明の場所に行く途中に「花園小学校」があった。車の中から指摘され前を素通りしただけだったが、花園小学校は当時の日本人小学校であり今も同じ名前の表示があった・・・が。でもWeb上で、当時哈爾濱で暮らし最近訪れた方の説明には以下↓のように書かれている
・・・・・・・・・・以下
花園小学校の建物は、現存していた。
現在は『中華人民解放軍93163部隊』という、空軍の司令部になっていた。建物の表面は綺麗にペイントされているが、建物そのものは当時のままという。この建物の中で、何千もの命が失われていった。軍事施設という事で、撮影は許可されていない。
・・・・・・・・・・以上 -
説明には、1930年建立:松花江站站舎の一つ、と書いてある
なるほど外見はそんな趣がある
今はレストランとして使われている
昔は何処にこの駅舎があったのか・・・。
王文亮は昔もレストランだったと言っていたが -
ローラースケートを楽しむ“おっちゃん”“おばちゃん”たち
さすが冬季は氷の街にもなる哈爾濱
冬はスケート、氷が融ければローラースケート
広場があるところローラースケート見かける -
逆光で見難いが旧東清鉄道ヨットクラブ
鉄橋からここまでブラブラ歩いた
食後の散歩にはもってこいの場所だ -
冬季は氷結してトラックも渡れる松花江
今は水量も少ないのでいささか寂しい -
ロシア商場
行って見ただけ
欲しいと思うものがない
ロシア製の双眼鏡が何処でも売っていたけど
誰が何のために買うのか、そんなに性能が良いのか?
分からんけど。形見たら何となく「ロシア製やな」って思うのは何故か? -
車窓から写した「花園小学校」建物は当時のままだが
今は『中華人民解放軍93163部隊という、空軍の司令部』
ふ〜ん、何で小学校の看板はそのまま残してるの? -
中国ではどこでも見かける小学校のお迎え風景
でもこの物凄さには驚いた
道路を人垣が塞いでしまい向こうに行くのも難儀なくらい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■連れて行ってくれた今もって不明なところは・・・。
当時の日本軍関係が居た場所で、今も人民解放軍の用地のようである。戦後は毛沢東が哈爾濱に来た時はここを宿舎としていたと王文亮は教えてくれた・・・が。車をこの場所から少し離れた所に置き二人で歩いていった。写真は残っているし、説明の断片も覚えているがそこが哈爾濱の何処で何であったのか覚えていない。
その場所に行く途中の小学校の前の人だかりに驚いた。下校時のお出迎え風景である。午後の3時過ぎ、道は車も通れないほど親と子で埋め尽くされ歩いて前を通って行くのも一苦労・・・これが「一人っ子」に期待をかける?家族の姿なのだ。
中国各地で見掛ける光景だけど、ここは驚くほど凄かった。王文亮曰く「この学校は有名校ですから・・・」ということのようだ。彼に聞いた「自分の子供もこの学校に入学させたい?」と、彼は「いやさせたくないです、普通の所に行かせます。小さい時から特別な環境で育てるのが良いことだとは思いません」と言うことだった。
そして帰り道、さっきの小学校の前にある今この辺で人気のあるジュース店に入りジュースを三つ買う(3元×3)。チェーン店化された小奇麗な店で味も美味しかった。どこでも学校前には必ずこういった店があり、露店の玩具売りや、いろんな出店も出ている。祭りのごとく。親や祖父母が迎えに来て子供がねだるからだろう。さすがに出迎え風景は一段落していたが、まだまだ親子は沢山いた。 -
毎日こんな風景があるんかい
ホンマ小皇帝様のお帰りのようだ
哈爾濱では有名小学校だそうです -
人をかき分けてやっと通りすごし
振り向けばこんな様子
爺さん婆さんの迎えは分かるが
若いおやっさん風も沢山来ている
一体仕事してんの?それとも何してんの?
職場を抜けるのも割りと自由な中国ならではかも -
旧日本軍関係の建物のようだったけど
説明をしっかり聞けず
今もってここが哈尓濱の何処なのか?何だったのか?
不明につき教えを乞う
毛沢東が哈爾濱来たらここに宿泊すると確か、言っていた。
暗殺回避、安全のために。独裁者は何時の世も暗殺を恐れて日々暮らす -
関東軍はここを何に使っていたのだろう
昔、日本軍人が堂々闊歩していたであろう
今、我、目をキョロつかせこそこそ歩く
今は人民解放軍の施設のようだ -
今時哈爾濱で人気のジュース店(チェーン店)
-
並んでいるジュースの素を見て旨そうに見えるや否や?
まずくはないけど、そんなに旨くもない
また飲みたいと思うこともなく -
旧大和ホテル
左手正面が哈爾濱駅
駅傍にある
・・・・・・・・・・・・・・・・・
■3時52分:そして最後に大和ホテルを見に行った。
龍門貴賓楼酒店の看板が掛かり哈爾濱駅前にある。今は工事中で中には入れないが、いずれ又ホテルとして使われるようだ。1901年に建て始め1903年に完成しロシア総領事館として使われていた。
これくらいの建物に当時は2年間も掛かっていたのか・・・。
1937年〜1946年まで日本人が経営する大和ホテルであったとのこと。戦後1年間まだこの地で日本人が経営できていたのである。大和ホテルは旧満州の主要な各駅にあり今も多くがそのまま残し使われている。
哈爾濱駅は1909年:明治42年10月26日にロシアの大蔵大臣と会談のため当地を訪れた伊藤博文が暗殺された所だ。王文亮にその場所を見たいと言ったが、「哈爾濱駅の一番ホームですが、何もありませんよ・・・」とのことで、その場所を確認することは出来なかった。
4時6分:ホテルの部屋に戻る
今日のガイドと専用車付きでの哈爾濱観光は終わった。王文亮と一緒に私の部屋に入り料金の精算と、明日の満洲里行きの夜行寝台切符を受け取った。
清算は・・・。
曼哈頓商務酒店の13、14、23の三日間の宿泊代¥220元×3=¥660元(9900円)
日本語ガイド代¥200元(3000円)
哈爾濱〜満洲里の軟臥切符¥338元(5070円)
そして今日の専用車の料金¥350元(5250円)
計1548元(23,220円也)
そして気持ちだけのチップを渡し、彼と別れた。
その他、印象に残ったこと。
毛沢東は暗殺を恐れ極力、飛行機には乗らずに移動した。何度か暗殺未遂も有ったらしい。金正日と同じだ。哈爾濱のガソリン1リットルの値段、日本円¥75円。安いなあ・・・だからタクシーの値段も安いのか。 -
満洲時代の桃山小学校
今も品格風格を失わず
ここから北に歩いて友誼路を渡ればすぐ松花江に出る
大日本帝国時代の小学校の勉強って
どんな授業だったのだろうか
今より百倍良かったと信じる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■4時50分:散策に出る
ちょっと部屋で休憩し、まず日本人小学校であった桃山小学校に向かって行った。地図を片手に、そして今回の旅から磁石が必需となった。磁石と地図を見れば方向は間違わない。今まで使えなかった、使わなかったがホンマ知らぬ土地でも地図と磁石があれば便利なことが分かった。
今は兆麟小学校であるが、建物は当時のままのようだ。最初は公爵の私邸として建築され、1922年に小学校として改築を始め1923年の2月に落成したと説明のプレートには書かれてある。公爵邸の趣の漂う立派な小学校であった。この小学校の校庭にも戦後死体が山のように積まれていたのだろうか。当時を知る方がそのようにHPで書かれている。
桃山小学校の横が公園だ。満州国時代も公園として同じような大きさで地図に書かれている。今は抗日共産党闘士であり、1946年に国民党に特務機関に暗殺された李兆麟の石像が立ち彼の名前を冠した公園になっているようだ。 -
運動場より校舎を写す
今、2008年、今から63年前まで
今とは違う日本国があり日本人がいた
戦後、国も人も、どちらも徐々に腐っていった
そして、最早、腐りきっているのかも???
戦い敗れたことを今痛感す。
このまま朽ち果てるのか? -
桃山小学校:正面玄関入ったところ
ピカピカ光る二本の柱
柱は何を見てきたのか? -
こんな建物で学べば子供だって情緒豊かに育ちそうだ
品良く行儀良く
この階段が、手すりが、子供を躾ける
兆麟小学校の生徒は?如何に? -
桃山小学校の裏玄関?
北の端から南に向かって写す -
兆麟公園
抗日共産党闘士:李兆麟の背中から公園を写す
この子園も昔から公園としてあった -
キタイスカヤ(中央大街)を北の端から南に向かって写す
帝政ロシアが作った街
満洲時代を経て尚その雰囲気を今に伝える
当時の建物が今も30棟ほど残っているらしい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■5時51分:中央大街へ
松花江から一番近いところからキタイスカヤ(中央大街)を南に向かって歩く。最初に似顔絵書きの絵描き集団が10人ほど一列に列をなして店開きをしていた。それぞれが自分の描いた似顔絵を前に並べて、私は何故か?これが好きで、前の似顔絵を見ながら一人の絵描きの前に坐った。白黒20元(300円)彩色30元の値段が統一値段のようである。
5時53分:似顔絵を頼む
白黒で頼む。椅子に坐ってやや斜め方向を向くように言われた。人通りも多く、前を通る人が時には立ち止まり見てゆく。ジロジロと見比べたり、覗き込む彼らの表情を逆に見ながら「似てるのか?」それとも「似てないのか?」いろいろ考える。
中には私と絵とを見比べ露骨に“しょうもない”というような顔をするオバハンもいてそれを見るのが面白い。でも、ホンマしょうもないかもと心配になったりもする。
そして頼んだ絵描きのおっちゃんが丁寧に書いてくれるのは良いけど、時間が掛かり過ぎ寒くなってきた。30分以上かかってやっと完成、それにビニールを貼り付ければ+10元、鉛筆書きだから汚くなるので計30元である。絵は本物よりも遥かにかっこよく、故に“似ていた?”し丁寧に描いてくれていた。「太好了=素晴らしい」と言い、おもいきり気に入ったという笑顔でお金を手渡した。
6時31分
キタイスカヤを南に歩く。全長1450m、幅21.34m。1924年に敷き詰められた花崗岩の石畳は当時のままだそうだ。1932年〜1945年満州国哈爾濱は日本人が闊歩し、五族の人種(日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人)が行き来しただろう。その通りを「05〜06:地球の歩き方」に載っている建物を確認しながら、写真を撮りながらゆっくり歩いた。
日露戦争後(1904〜1905年)の1910年代、20年代に建てられた物が多い。松浦洋行・秋林商行・その他、本を片手に往時を偲びながらボチボチと。昨日の夕方に歩いた時は、隣と間違っていた松浦洋行にも入った。現在でも30棟くらいが残されており保存建築物として使われながら街の雰囲気を保っている。 -
今製作中
この“おっちゃん”に描いてもらったけど
丁寧過ぎて?時間が掛かり寒かった
見世物?になっている自分 -
こんな風に似顔絵描きが並んで店開き
白黒:20元(300円)。カラー:30元(450円)です
この手前のオバハン、、、
似顔絵描きの兄ちゃんになんやかんや注文つけていた
誰かこのオバハンに“鏡”貸したって -
旧秋林商行 (現在:雅戈爾)
昔はロシア系百貨店か
この斜め向かいに日系百貨店:松浦洋行がある -
旧松浦洋行 (現在:新華書店)
昔のままのデパートの品揃えが見れたら
メッチャ興味あるけどなあ
そんな企画をして欲しいけど
今は本屋、客の入りはそれほどでもなく -
旧松浦洋行の内部の階段
この階段をどんな服着てどんな様子で上がり降りを
映画でしか見れぬ光景になりにけり -
旧松浦洋行の二階フロアーよりキタイスカヤを眺める
タイムスリップして思いを馳せる
あ〜我、ついに哈尓濱に来る -
曼哈頓商務酒店斜め向かいのこんな店で夕食です
昼の豪華なロシア料理と違い
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■7時7分:ラーメンを食う。
キタイスカヤを歩き、戻ってきてホテル近くでチェーン店の拉麺店に入った。ケンタッキーと間違うような偽作りの構えで、中もそんな風だった。中国文化はどこでも何でも偽物文化が顕著である。
店の名前は「美国加州牛肉百大王」米国カリフォルニア州の牛肉を使っているってことか?味は良かった。
拉麺¥9元+コーラ¥5元=14元¥210円
7時30分:部屋に戻る
良く歩き良く写真を写し、いろんなことを聞き見た今日の一日が終わった。明日は如何に?
今日は一日ホテルは水が出ているようだ。
これは中国では当たり前のことではない。 -
拉麺一杯とコーラ
14元:210円でした
まあ旨かった
明日に続く
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