2008/06/02 - 2008/06/03
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satoshi.s2さん
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古代近江王朝ロマンを求めてドライブしてきました。
⇒京都東IC⇒白鬚神社⇒鵜川四十八体石仏群⇒日吉神社⇒高島歴史民俗資料館(休館)⇒鴨稲荷山古墳⇒志呂志神社⇒えな塚⇒安閑神社⇒彦主人王御陵⇒田中神社⇒玉泉寺⇒三重生神社⇒興聖寺・旧秀隣院庭園⇒山神社⇒朽木郷土資料館(休館)⇒朽木陣屋跡⇒しんあさひ風車村⇒大荒比古神社⇒藤樹書院・良知館⇒日吉神社⇒玉林寺⇒藤樹神社⇒藤樹記念館⇒陽明園⇒ビジネスホテルタカラ
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
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式内社 三重生神社
御祭神 彦主人王・振媛
境内社 足羽神社・気比神社・垂井神社
例祭日 四月二十九日
縁起 彦主人王は、応神天皇の五世の孫にして、よく神道を修められ、三國の坂中井から垂仁天皇七世の孫振媛を迎えて妃となさいました。当社はこの二神を奉祀しています。
王は、余暇に山狩や河漁を楽しまれたと伝えられています。
振媛が三子をご出産になるとき、彦主人王の夢に三尾大明神のお告げがあり、「この度天より授かる子は天孫の大いなる迹をふむべき男子なり」と。そこで山崎社(三尾神社)の拝殿を産所として南天に祈られ、また、王も自ら北の仮社で北極星にお祷りされたので、彦人、彦杵、彦太の三子を安産されました。
故にこの社を三重生神社と呼ばれるようになり、今に安産の神として崇められる由縁です。
御子が五歳のとき、彦主人王が薨られたので振媛は彦杵と彦太をお連れになって越前高向館にお帰りになり、養育されていましたが、十三年後、振媛も薨られました。二柱とも二月十八日が御命日であり、明治維新までこの日を例祭日としていました。薨長男彦人王(天迹部皇子)は、この地で成長され紃史(刺史)となって北越五ヶ國を治められました。三男彦太尊は、後の二十六代継体天皇(男大迹の天皇)となられました。
勅使の詠まれた御歌(古来勅使参向の社)
「近江なるうしの祭りのこととへば 如月なかば雪は降りつつ
近江のやうしの祭りのこととへば 志らゆう花を雪とまかへて」
−参道石碑− -
参道
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拝殿
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社務所
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手水舎
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本殿
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気比神社
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垂井神社
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足羽神社
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石造宝塔
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