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 古代近江王朝ロマンを求めてドライブしてきました。<br /><br /> ⇒京都東IC⇒白鬚神社⇒鵜川四十八体石仏群⇒日吉神社⇒高島歴史民俗資料館(休館)⇒鴨稲荷山古墳⇒志呂志神社⇒えな塚⇒安閑神社⇒彦主人王御陵⇒田中神社⇒玉泉寺⇒三重生神社⇒興聖寺・旧秀隣院庭園⇒山神社⇒朽木郷土資料館(休館)⇒朽木陣屋跡⇒しんあさひ風車村⇒大荒比古神社⇒藤樹書院・良知館⇒日吉神社⇒玉林寺⇒藤樹神社⇒藤樹記念館⇒陽明園⇒ビジネスホテルタカラ

古代近江王朝ロマンの旅:鴨稲荷山古墳、志呂志神社、えな塚

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2008/06/02 - 2008/06/03

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satoshi.s2

satoshi.s2さん

 古代近江王朝ロマンを求めてドライブしてきました。

 ⇒京都東IC⇒白鬚神社⇒鵜川四十八体石仏群⇒日吉神社⇒高島歴史民俗資料館(休館)⇒鴨稲荷山古墳⇒志呂志神社⇒えな塚⇒安閑神社⇒彦主人王御陵⇒田中神社⇒玉泉寺⇒三重生神社⇒興聖寺・旧秀隣院庭園⇒山神社⇒朽木郷土資料館(休館)⇒朽木陣屋跡⇒しんあさひ風車村⇒大荒比古神社⇒藤樹書院・良知館⇒日吉神社⇒玉林寺⇒藤樹神社⇒藤樹記念館⇒陽明園⇒ビジネスホテルタカラ

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
その他

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  • 鴨稲荷山古墳 <br /> JR近江高島駅の北約3kmの鴨川右岸に広がる沖積地に位置する古墳。古墳時代後期のもので、湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳です。 現在は前方部の墳丘がありませんが、周辺の地形などから、全長45m・後円部の直径25m・高さ5mほどの周濠をめぐらせた前方後円墳であったと考えられています。 明治時代に、後円部から横穴式石室と刳抜(くりぬ)き式家形(いえかた)石棺が掘り出されました。また、石棺内から、金銅冠(こんどうかん)・沓(くつ)・魚佩(ぎょはい)・金製耳飾・鏡・玉類・環頭大刀(かんとうたち)・鹿装大刀(ろくそうたち)・刀子(とうす)・鉄斧(てっぷ)などの象豪華絢爛な副葬品が発見されました。のちに、これらの副葬品は、朝鮮半島の新羅王陵の出土品とよく似ていることがわかり、この古墳の被葬者や場所と大陸との交流関連について、様々な興味と話題を呼んでいます。 <br />

    鴨稲荷山古墳
    JR近江高島駅の北約3kmの鴨川右岸に広がる沖積地に位置する古墳。古墳時代後期のもので、湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳です。 現在は前方部の墳丘がありませんが、周辺の地形などから、全長45m・後円部の直径25m・高さ5mほどの周濠をめぐらせた前方後円墳であったと考えられています。 明治時代に、後円部から横穴式石室と刳抜(くりぬ)き式家形(いえかた)石棺が掘り出されました。また、石棺内から、金銅冠(こんどうかん)・沓(くつ)・魚佩(ぎょはい)・金製耳飾・鏡・玉類・環頭大刀(かんとうたち)・鹿装大刀(ろくそうたち)・刀子(とうす)・鉄斧(てっぷ)などの象豪華絢爛な副葬品が発見されました。のちに、これらの副葬品は、朝鮮半島の新羅王陵の出土品とよく似ていることがわかり、この古墳の被葬者や場所と大陸との交流関連について、様々な興味と話題を呼んでいます。

  • 古墳隣のグランドで小雨の中老人がゲートボールを楽しんでいた。

    古墳隣のグランドで小雨の中老人がゲートボールを楽しんでいた。

  • 志呂志神社

    志呂志神社

  • えな塚<br /><br />継体天皇(けいたいてんのう、允恭天皇39年(450年)? - 継体天皇25年2月7日(531年3月10日))は第26代の天皇(在位:継体天皇元年2月4日(507年3月3日) - 同25年2月7日(531年3月10日))。オホド王。継体天皇以降、大和の勢力と越前や近江など北方の豪族の勢力が一体化し、ヤマト王権の力が国内で強くなった。また天皇家の系譜として伝わるものは彼以降はほぼ正確であるとされる。現皇室との血縁が確認できる最古の天皇である。しかし継体の出自に関しては諸説ある。<br /> 別名として伝わるのは『古事記』に袁本杼命(おおどのみこと)、『日本書紀』に男大迹王(おおどのおおきみ)、彦太尊(ひこふとのみこと)、『筑後国風土記』逸文に「雄大迹天皇(おおどのすめらみこと)」、『上宮記』逸文に乎富等大公王(おおどのおおきみ)。なお、隅田八幡宮(和歌山県橋本市)蔵の人物画像鏡銘(443年説と503年説)に見える「孚弟王(男弟王?)」は継体天皇を指すとする説がある。<br />

    えな塚

    継体天皇(けいたいてんのう、允恭天皇39年(450年)? - 継体天皇25年2月7日(531年3月10日))は第26代の天皇(在位:継体天皇元年2月4日(507年3月3日) - 同25年2月7日(531年3月10日))。オホド王。継体天皇以降、大和の勢力と越前や近江など北方の豪族の勢力が一体化し、ヤマト王権の力が国内で強くなった。また天皇家の系譜として伝わるものは彼以降はほぼ正確であるとされる。現皇室との血縁が確認できる最古の天皇である。しかし継体の出自に関しては諸説ある。
     別名として伝わるのは『古事記』に袁本杼命(おおどのみこと)、『日本書紀』に男大迹王(おおどのおおきみ)、彦太尊(ひこふとのみこと)、『筑後国風土記』逸文に「雄大迹天皇(おおどのすめらみこと)」、『上宮記』逸文に乎富等大公王(おおどのおおきみ)。なお、隅田八幡宮(和歌山県橋本市)蔵の人物画像鏡銘(443年説と503年説)に見える「孚弟王(男弟王?)」は継体天皇を指すとする説がある。

  • 記念植樹

    記念植樹

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