2008/05/21 - 2008/05/21
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yukibxさん
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ヒコーキで飛んだ「ミヨーの斜張橋への旅」で昼食をとった小さな村が
ラ・キャヴァルリー(La Cavalerie)だ。着陸したアエロドロームからミヨーへ向かって車で5分のところにある。
エルサレムを奪回する目的で編成された十字軍騎士団の話は、高校の世界史誰でも学んだと思う。
テンプル騎士団は、十字軍であるが、フランスからエルサレムへの巡礼道の保安のため、そしてキリストの墓を守るために結成された。この騎士団を中心に豊かに発展し、繁栄したラルザック地方に点在する村のひとつだ。
波瀾万丈な運命のテンプル騎士団と同様、ラ・キャヴァルリーも歴史の流れに打ち勝つことなど、到底できなかった。
栄えた村は、宗教戦争でプロテスタントに徹底的に破壊され、
今はといえば、13世紀、15世紀の建物がかろうじて残っているだけのひっそりとした村と化していた。
ミヨー(Millau)の橋を見学したあと、ラ・キャバルリー散策、そして、世界的に知られているブルーチーズの一種、ロックフォールに行き、ロックフォールが「眠っている」カーヴ見学をお薦めする。
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十字軍が征服したエルサレムへの巡礼者の通る巡礼路の安全をはかり、宿泊、病気になった時の看護などを目的として1113年に結成されたヨハネ騎士団、そして、キリストの墓を守る、という目的で1120年に結成されたテンプル騎士団。
彼らが住んでいた村がこのラ・キャヴァルリー。
写真で見られるように、周囲にはなにもないラルザック(Larzac)にポツンとある。 -
村にあるテンプルおよびヨハネ騎士団の遺跡には、陶器の
サイン標識があるのでわかりやすい。さらに村の入り口の小さなツーリスト・オフィスで貸し出しているヘッドホーンを使えば要所要所で説明をきくことができる。 -
住居、教会、すべての建物は、土地にあるローズ (Lauze)という石で作られている。この石はかなり重い。
ニュアンスのある色が多様あって、なかなか
きれいだった。 -
村にはほとんど人がいない。唯一、出会ったのが遊んでいる子供達。「写真をとっていいかしら?」というと
きちんとポーズをとってくれた可愛い男の子。
8才くらいだろうか。 -
ここに定着したテンプル騎士団を中心にいくつかの村が形成されていった。
写真はコース地方 (Causse)独特の田舎の家。
家の一階は羊、山羊などの動物小屋。2階が住宅となっている。
バスク地方でも見られたが、一階の動物の小屋は動物の体温で住居部分を暖める暖房の役割があった。 -
テンプルあるいはヨハネ騎士団の僧が住んでいたのだろうか。
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教会に入る。
十字架の掲げられている石壁のみは12世紀のもの。
つまりテンプル騎士団が活躍していた時代に既に
存在していた。 -
いまだに残っている12世紀の厚い石壁。
写真がぼやけていて、とても残念。 -
この教会のステンドグラスは現代風なモチーフだった。
色彩にしろモチーフにしろ味わいのあるデザインだ。
暖色なので、石造りの教会に差し込む光線に暖かみと優しさ
を与えている。 -
教会の目の前にこんな建物があった。1450年に完成した住居だ。テンプル騎士団の財産やパワーを恐れ、フランスのフィリップ美王はテンプル騎士団を解体する。総責任者のジャック・ド・モレーが火炙りにされたのが1307年のことだから、この家はそれから150年も後に建てられた、ということだ。
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十字軍のことなど、ほとんど忘れていたので、これを機会にちょっとサイトなどを幾つか見てみた。
そんな中でテンプル騎士団のユニフォームのイラストがあった。
十字軍のエルサレム遠征は、聖戦という建前だったが、現地でエルサレムをイスラムから奪略した時、住民は全員惨殺される、という一大悲劇をくりひろげた。
ごく最近の2001年にローマ法王パウロ2世が、正式に謝罪した。 -
1307年にテンプル騎士団が解体され、ヨハネ騎士団が引き継いだ。ヨハネ騎士団は、後にマルト騎士団となる。
ヨハネ騎士団は15世紀にラ・キャバルリー村およびその周囲の騎士団の村々にに城壁を築く。 -
要塞の北西の塔。
城壁を築いたのは、村の安全のため、とはいうものの宗教戦争の時代、1568年、プロテスタンに襲撃され、村は全滅に近い状態になった。
立派な城壁ではあるが、村の人々は軍人ではなくて農民だっただろうから、落とされるのはやむを得なかったのだろう。。 -
この村の至るところにマルト騎士団のシンボルマークが
みられる。
ラ・キャヴァルリー村は、たまたまミヨーへの途中にあったので見学した。しかし、ラルザック地方のこの周辺には、テンプル騎士団やヨハネ騎士団のもとに発展した村々が散らばっている。
いずれにせよ、過去の栄光は遠い彼方、という感じで、人影もないし、活気もなく、裏寂れている。でも、なにかしら心を揺すぶるような空気が漂っていた。 -
小さなラ・キャバルリーの村ではあるが、数件のホテル・レストランがある。
そのひとつのレストラン・ド・ラ・ポストで昼食をとることにする。
17ユーロのメニューを選ぶ。
アヴェロン地方の郷土料理を味わう。ボリュームのある醍醐味のある料理。 -
土地のワイン。
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私たちの見た限り、ラルザック地方はかなりの起伏があるし、土壌も石や岩が多いので、山羊や羊が飼われている。だから、チーズは山羊乳のチーズが中心だった。
いろいろな種類のチーズを少しずつ味わってみる。
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