2008/05/03 - 2008/05/03
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nh155さん
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名所の様子は他の皆さんのブログが結構お詳しいのでさくさくっと流すことに致します。
<スケジュール>
13:50-14:10 陽書院見学
14:15-14:35 善竹橋、表忠碑見学
14:40-15:40 高麗博物館見学(お土産タイム込)
開城市内の移動中には思いっきり普通の通りを走るので、当然ながら一般市民の皆さんの目の前を通過することになります。年配の男性は、90年代初め頃には中国の都会でも辛うじて見られた人民服姿の方々も多く、女性もなかには明るい色のファッションの人もいましたが、ほとんどが押え目の色の上着+パンツ姿。目視した限りでは「バッジ着用率」もほぼ100%。
北の皆さんが我々のことをどこまでご存知なのかは知りませんが、特に若い人々はバスに向かって気軽に手を振ったり(芝居がかっていない様子で)、笑いながら見たりしていたのが印象的でした。
交通規制していたこともあるのでしょうが、立派な道路に我々の車だけが十数台の列を成して移動する様は、さながら映画撮影をしているかのようで、なんとも異様な光景だったのでした。
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統一館からどさくさに紛れて写した開城市内の様子。この通りはメインストリートらしく、辛うじて左右に高いビルがありますが、残りはほぼ皆低層の建物ばかりでした。
我々の隊列が通る際は人気があまり無いのですが、ほどなくするとそれなりに通りを横切る人民の皆さんの姿が見えました。それにしてもそれこそ数えるほどで、とても500年にも渡り高麗王朝の首都(919〜1392年,1232-1270年は一時江華島に遷都)として栄華を誇った街には見えません。 -
しかし本当に写したかったのはこの反対側にある...
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あぁぁぁぁ!(極度の興奮状態)
画面右下にぽつんと人が写っていることを考えると、この像の巨大さが想像出来るかと思います。因みにここは子男山という場所だそうです。街の中心部の真東に位置するのでちょうど朝ここから太陽が昇って来る、ということなんでしょうねぇ。さ・す・が。 -
統一館の向かいには、勇ましいスローガンと一緒に百貨店らしき建物がありましたが、営業している気配はありません。未完成なのか、売るものが無いのか...。見栄えのために急遽ガワだけつくったのかも。
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その前の広場には北のシンボルともいうべきスローガンの塔が!
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正面を通る時に隠し撮り。ファミリーも写ってしまいました。おばあちゃんは綺麗なチマチョゴリをお召しでした。街を行く人々は基本的に徒歩か自転車で、自転車も見たところかご付きの同じデザインのようでした。
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陽書院入口に有る建物。観光客の目につくところだからわざとこのスローガンを表示しているのか...真相は謎です。
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陽書院の門(遠景)。
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「陽書院」。高麗王朝の中心・鄭夢周の自宅跡地を16Cに整備したものだそうです。
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見どころは一番奥の建物にあるこの位牌くらい。
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この碑文を撮るふりをして...
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本当に撮りたかったのは、隣接する公園に遠足に来ていた小学生の一団。先生と一緒に大きな声で歌ったり踊ったりする姿が可愛かったのです。この直前におおっぴらに写していたら北の案内員さんに見つかって削除させられちゃいました。貴重な一枚。
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ガイドのお姉さん達と記念撮影する韓国人参加者。
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次は表忠碑です。
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この建物の中に2つの石碑が納められています。
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女性は左、男性は右のカメを撫でると願いが叶うとのこと。
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左「そんなんいうても、他力本願はあかんで」
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右「ほんまやで」
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カメを撫で回したあとは、向かい側の善竹橋へ。
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皆さんが寄ってたかって見ているのは...
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鄭夢周のものとされるこの血痕(ホントかなぁ...)。高麗王朝の忠臣・鄭夢周は優秀だったので、新王朝の李氏朝鮮からも仕官するようオファーが来たのですが、二人の主人に仕えることは出来ないとそれを拒否、ならばということでこの橋で殺されてしまったのだそうです。彼の死後も血痕が消えず周りに竹が生えてきたので、周と竹の発音が似ていることから「善竹橋」と呼ばれるようになったのだそうです。
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本当に写したかったのはこのおっさんではなく、その後方にあった...
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出た!万歳!しかも北のカラー(国旗と同じ)バージョンです。
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この日はとても暖かで、楊樹の柳絮がふわふわと舞う最盛期だったようです。空中を漂流する様を撮影するのは難しかったので、川面一面に浮かぶ姿を。
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出発までヒマになったのでシャッターチャンスを伺っていると、市中の道路と交差する場所にいかにもな看板が!
この写真からわかるように、我々の隊列はちょっと奥まった路地に隔離されて停車していました。市内観光しつつ人民と分断するには最適のスポットと言えましょう。 -
すぐ近くにあった、どうやらホテルのようでした、の外壁にあった美味しそうな冷麺の写真。その実態は??
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停車中のバスどころか
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先導車のナンバーまで「現代峨山」に代わってます。
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最後に向かったのは新緑の綺麗な...
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高麗博物館
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お寺を改造したような感じでした。でも本命はこれではなく...
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その後ろに広がる街の様子です。この手の中層住宅は良く見かけました。
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思わず緊張が解けるひとときです。
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見事な木々。いい加減歩き疲れた年配の方々は見学せずに木陰で休んでおられました。
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藤棚
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本殿のような建物に、各種陶器、金属器、革命的文物などが展示されていましたが、良く良く見ると???とはてなマークが。
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将軍様(先代)のお言葉。
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お土産屋さん。
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珍しく男性の店員さんも民族服姿でした。
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別棟にあったこの仏像を見て、先程の?が更に増えました。まさか観光客受け入れにあたって急ぎ模倣作品を展示したなんて、万に一つも無いかと思いますが...。
このあとにもう一棟展示室があったのですが、そちらの壁画といい、器系といい、まさか中高生の作品?、そんなわけないですよね。だって「すごく価値の高いもの」だって説明がありましたから...。 -
裏庭の塔関係は流石に本物のようでした。
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遺跡公園みたいでいい感じです。
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駐車場へ。
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