2007/02/25 - 2007/02/25
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morino296さん
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昨年の同じ頃、北野天満宮の梅花祭を楽しんだ後、大徳寺へ行きました。広大な大徳寺を、1時間ほど見学させてもらいました。旅行記のUPを忘れていて1年経ってしまいました。
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旧大宮通り大徳寺前にある大徳寺納豆やさん
宋元の昔中国から禅僧によって持ち帰られた秘法を一休禅師より授り六百余年を経ているそうです。 -
旧大宮通りのお店の軒先に飾られる錘馗様
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大徳寺 旧大宮通りから入山しました。
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大徳寺 勅旨門
山門前にある、前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門、後水尾天皇より拝領したと伝えられます。 -
大徳寺 山門
応仁の乱後、享禄2年(1529)に一休禅師の参徒連歌師宗長等が一階部分を寄進、天正17年(1589)千利休により二階部分が完成され金毛閣と名づけられました。
利休は上層に自身の木像を安置、これが豊臣秀吉の怒りをかい、秀吉はこのことを楯に利休に自決を迫ったといわれています。
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大徳寺 仏殿
大現国師により創建された仏殿は、応仁の乱で消失。一休和尚等によって再建された後、寛文5年(1665)那波常有によって改めて建造されたもの。
仏殿前のイブキも再建当時に植栽されたものだそうです。 -
大徳寺 イブキの解説
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大徳寺 仏殿
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大徳寺 法堂
当初の建物は、応仁の乱によって消失。
寛永13年(1636)、小田原城主稲葉丹後守正勝、正則父子により現在地に再建。
天井には、狩野探幽の筆による龍が描かれています。 -
大徳寺 塔頭 聚光院の解説
永禄9年(1566)に、三好長慶の菩提寺として建立されました。
茶道三千家の菩提寺ともなっています。
方丈内部には、狩野松栄・永徳の障壁画(国宝)があります。 -
大徳寺 塔頭 聚光院
通常は非公開。非公開文化財の特別公開が行われていました。 -
大徳寺 塔頭 聚光院
名勝に指定されている方丈庭園の百積庭。
その他、建物内は撮影できませんでした。 -
大徳寺 塔頭 興臨院の解説
大永年間(1521〜28)に能登の畠山義総が仏智大通禅師を開祖として建立、以来畠山家菩提寺となる。その後、畠山家が没落するが天正9年(1581)に加賀百万石の基礎を築いた前田利家により改修が行われ、前田家の菩提寺となりました。 -
大徳寺 塔頭 興臨院
通常は非公開です。 -
大徳寺 塔頭 龍源院(?)の梅
瑞峯院の前にある塀越に見えた梅です。位地関係から龍源院の梅と思われます。 -
大徳寺 塔頭 瑞峯院の解説
天文4年(1535)に九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟が帰依した大満国師・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)を開山として創建。 -
大徳寺 塔頭 瑞峯院
こちらは公開されています。 -
大徳寺 塔頭 瑞峯院の玄関前庭
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大徳寺 塔頭 瑞峯院の唐門
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大徳寺 塔頭 瑞峯院の玄関
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大徳寺 塔頭 瑞峯院
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大徳寺 塔頭 瑞峯院 独坐庭の解説
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大徳寺 塔頭 瑞峯院 独坐庭
開祖である大満国師の400年遠忌に作庭された創作的な蓬萊山式庭園。
打ち寄せる荒波にもまれながら悠々と独り坐す蓬萊山の崇高な姿を表しているそうです。 -
大徳寺 塔頭 瑞峯院 閑眠庭(かんみんてい)
キリシタン大名・大友宗麟の思いを汲んだ創作の庭で、7組の石組からは見る角度によって隠された十字架が浮かびあがるといわれます。
(どの角度から見ればよいのでしょうか?) -
大徳寺 塔頭 瑞峯院の茶室
解説によると、餘慶庵、安勝軒、平成待庵と3つの茶室があるそうですが、これがどれか分かりません。 -
大徳寺 塔頭 瑞峯院
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大徳寺 塔頭 瑞峯院の茶室
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大徳寺 塔頭 瑞峯院にて見つけた一輪
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大徳寺 千躰地蔵塚
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