2008/01/14 - 2008/01/14
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のださん
「小堀遠州 美の出会い展」という展覧会が銀座松屋で開催されていて、本日最終日ということで、銀座1丁目から4、5丁目付近まで軽く回ってみます。
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まずは1丁目にある幸稲荷神社。
並木通りに面しています。
注意していないと素通りしてしまうくらいこぢんまりとした祠です。
商売繁盛、家内安全に霊験あらたかで、銀座の人々に親しまれているようです。 -
中央通りまで出ようとする途中に、中央通りと平行してガス灯通り。
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中央通りまで出まして、交番前に京橋の親柱。
説明板を読むと、京橋親柱は3本残っているそうで、こちらにあるのは南詰西側、かな。
あとは南詰東側と北詰東側。
そのうち、北詰東側と南詰西側は、明治8年(1875年)当時の石造りの橋のものだそうです。
擬宝珠の形になっていますね。
江戸時代には、擬宝珠がついていると幕府が管轄する「御公儀橋」を表しました。
京橋は、数少ない御公儀橋のうちの一つでした。
京橋という名は、江戸時代、日本橋を起点に、都である京へ向かって東海道を上る最初の橋だということに由来します。 -
中央通りを渡って、南詰東側の親柱があります。
こちらは、大正11年(1922年)に架けられた橋のものだそうです。
多分、ここまではまだ銀座1丁目に入ると思います。
あと1本の親柱が京橋地区に入るということでしょう。
あと1本はまた別の機会に。
ガス燈と共に、「煉瓦銀座之碑」。
明治5年の大火というのがありまして、全焼してしまった後に、東京府知事・由利公正の提唱により煉瓦街が造られました。
明治10年に完成。
残念ながら関東大震災で煉瓦街は崩壊してしまいましたが、煉瓦街はある意味銀座の原点だったということで、昭和31年に碑が建てられました。
銀座という町名ができたのは明治2年。
銀座八丁、と言いますが(銀座は1丁目〜8丁目)、繁華街として銀座と呼ぶ前は、煉瓦地または単に煉瓦と呼ばれていた、とのことです。
ガス燈の燈柱は、明治7年の実物を使用しているそうです。 -
再び中央通りを渡って南下。
銀座と言えば柳ですので、銀座の柳由来の碑。
これもほとんど目立たない。 -
2丁目の大蔵本館の壁に、錦絵のレリーフが埋め込まれているのを発見。
明治16年の野沢定吉筆「東京銀座通電気灯建設之図」。 -
そしてその前に日本最初の電気灯柱が復元されています。
明治15年(1882年)、大蔵組前に、高さ50尺(約15m)の電柱が建ち、2000燭光のアーク灯が点火されました。
当時創立準備中の東京電灯会社が、宣伝のためデモンストレーションとして点灯したもので、アメリカのブラッシュ社のポッター技師が持参した発電機を使用しました。
あまりの明るさに人々は仰天したようで、それを先ほどの錦絵が表しているということでしょう。
向こう側に松屋が見えます。
松屋に入ると、入場制限がかかっていて、待ち時間は何と40分!
やっぱ今日はやめた。
ということはもうチャンスはない。
でも、それだけ並んでまで観る気力もないし、たとえ会場に入ったとしてまともに観られるかどうかも疑わしいので、きっぱりあきらめます。
・・・このために来たのにね。
今日銀座に来た意味がなくなってしまった。 -
電気灯柱と中央通りを挟んで向かい側、つまり松屋の北側。
「銀座発祥の地 銀座役所址」碑。
銀座というのは、勘定奉行の支配の下、銀貨の鋳造を独占的に請け負った組合のことです。
慶長6年(1601年)、徳川家康が、堺の商人・湯浅作兵衛に大黒常是と名乗らせ、伏見に設けたのが始まり。
慶長11年には駿府にも銀座を設置。
慶長13年に伏見の銀座は京都に移り、さらに慶長17年には駿府の銀座が江戸に移りました。 -
松屋よりさらに南の三越までやってきました。
おなじみのライオンが迎えてくれます。
屋上まで上がってみます。 -
銀座出世地蔵尊が目立ちます。
なぜ出世地蔵なのかはよくわからないそうです。
文久元年(1861年)に三十間堀1丁目(現銀座4丁目)から掘り出されましたが、ここの縁起説明板には「出世した」という表現を使っています。
出世とは元々仏が世に出るという意味ですので、うまい表現だと思います。
ただし、この説明板には、出世したのは「明治のはじめ」と書かれているな。
震災・戦災のたびに所在不明になるが、都度地元の人々が見つけて祀り直したとのことです。
昔は地蔵尊の縁日は大変な賑わいで、明治・大正・昭和初期の銀座を代表する風俗だったそうです。 -
右の方には三囲(みめぐり)神社の小さな祠。
三井家の守護神として、三越の本支店の屋上に祀られているそうです。
それは知らなかった。
今後三越の本支店に行くときには屋上にも上がってみようかな。 -
それにしても、銀座はいつも人がうじゃうじゃいるのに、ここの屋上には今は私以外いない。
屋上からは何やら時計が見えます。 -
コーヒーでも飲んでいくことにします。
5丁目に入りますが、銀座コアの裏手。
トリコロール本店。
創業は昭和11年の名店です。
赤レンガの壁と回転ドアが名物です。
ここはエクレアも有名らしいですけども、昼食後のデザートなら良いが、まだ昼食を摂っていないので、食べるのはやめておきます。
残念ながら持ち帰りはできないとのことです。 -
中央通りは歩行者天国になりました。
今私が立っている辺りには、江戸時代、恵比寿屋・布袋屋・亀屋という大型呉服店が軒を連ねていました。
尾張町三呉服店という言い方をします。
本町の越後屋にならって「現金掛値なし」を実行していました。
江戸初期の市街地造成に、各藩へ千石につき1人の役夫を割り当てました。
これを千石夫と呼び、彼らを送り出した国名のそれぞれが町名となったそうです。
今でもこの界隈を尾張町と呼ぶ人もいるとか。
その尾張町のシンボル的存在だったのが、服部時計店(現和光)の時計台。
先の大戦で、三越は全壊状態だったが、服部時計店の建物は残っていたということで、進駐してきた米軍に接収され、PXと変わったそうです。
PXというのは米軍管理下の物品販売店で、日本人は立ち入り禁止でした。 -
中央通りをちょっと和光側へ戻って、ミキモト本店前。
真珠王記念碑が建っています。
初の真珠養殖に成功した御木本幸吉を称えて、昭和28年に建てられたそうです。
御木本幸吉が95歳のときです。 -
有楽町方面に向かっているときに、「東京慈恵会医科大学発祥之地」という碑を見つけました。
現在は西新橋にありますね(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/12360744/)。 -
これもホントにわかりにくいところにある、宝童稲荷神社の小さな祠。
歴代の将軍家の子が夭折するのを案じて勧請されたという伝承があるそうです。
だから、子育ての神様として信仰する人も少なくないのだとか。
銀座出世地蔵尊はここにあったという話もチラッと聞きました。 -
銀座松崎煎餅。
文化元年(1804年)に芝魚藍坂で創業し、三代目の慶応元年(1865年)に、当時は弥左衛門町と呼んでいた現在地に移ってきたという老舗です。
現在は7代目だそうです。
2Fにはお茶席もあり、食べていくこともできます。
私は買うだけにしておきます。 -
数寄屋橋の跡付近まで歩いてきました。
江戸城外堀に設けられた見付の一つである数寄屋橋門の前に架かっていたのが数寄屋橋。
記念碑が建っていますが、「君の名は」で知られる菊田一夫の文字で「数寄屋橋此処にありき」と彫られています。
数寄屋橋は、寛永6年(1629年)、幕府の命を受けた伊達政宗により架けられました。
昭和34年の外堀の埋め立てに伴い取り壊されました。
橋名の由来には諸説あり、一つには、幕府の数奇屋役人の居宅があったため、というものだそうです。 -
数寄屋橋公園の中に「めぐりあいの泉」があります。
その奥の建物の窓に、「泰明」という文字が見えますが、これは泰明小学校の校舎でしょうね。
関東大震災後に復興建築として建てられた鉄筋コンクリート造りです。
卒業生には、島崎藤村や北村透谷がいます。
これに関してはまた別の機会に触れられれば良いなと思います。 -
ちょっと先に「明治大学発祥の地」碑を見つけました。
明治大学は確か今は御茶ノ水駅付近にありますよね。
「明治法律学校」云々という説明がありますが、法学部が強いということでしょうか?
明治14年(1881年)の開校だそうです。 -
明治大学発祥の地碑と晴海通りを挟んで向かい側。
有楽町マリオンがある敷地まで渡ってきました。
有楽町の説明板が立っています。
有楽町の名の由来には、織田信長の弟であり茶人でもある織田有楽斎がここに居住していたという説がありますが、この説明板ではそれを断定してしまっています。
織田有楽斎が拝領した屋敷は数奇屋屋敷といい、これも数寄屋橋の名の由来の一説です。 -
下のほうにある、安政3年(1856年)の地図を見てみます。
数寄屋橋があり、その奥が南町奉行所だったということがわかります。
大岡越前守忠相で有名ですね。
有楽町マリオン付近にその碑があるという話を聞きましたが、まだ見たことはありません。
ちょっと探し回ってみたが見つけることができなかった。 -
数寄屋橋交番の裏手。
関東大震災の記念塔。
「彫塑界の巨匠の北村西望先生が「平和の神」を象徴して制作されたものであります」
標語が書かれていますが、「不意の地震に不断の用意」だということです。
かみしめながら銀座を去ります。
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