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1976年5月<br /><br />久々に「キンシャサ日記」をブログに登録する。<br />キンシャサは、コンゴ民主共和国(私の滞在時はザイール民主共和国)の首府であり、旧ベルギー領コンゴ時代はレオポルドビルと呼ばれていた。<br /><br />私は1971年より、コンゴ川(当時ザイール川)を渡るアフリカ第一の橋を造るプロジェクトにかかわり、1976年から78年にかけてザイール政府の一員として日本政府から派遣され、現地に滞在することになる。<br /><br />「キンシャサ日記」は、【001】から【523】まで、「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/および「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に書いてきたが、中略して1976年5月分【601】から再出発する。<br /><br />中略分は、いずれ後の機会に書く予定にしている。<br />また【601】以降は、仕事の話は別の機会に譲り、しばらく日常生活を主体にする。<br /><br />1975年秋に急に決まり、大急ぎで支度を調え、1976年1月に駆けつけ赴任したザイールだったが、その後3ヶ月を経て大きな問題を解決し、ようやく少し落ち着いた。<br /><br />その間の大きな問題とは、第一にプロジェクトの進め方に対する日本政府の方針を固めること。<br />第二に派遣先のザイール政府における、自分の地位を固めること。<br /><br />それから、ザイールでの生活基盤を固めること。<br />ザイールでの生活は、石油ショックによる財政破綻や、アンゴラ戦争の余波で、非常時の趣を呈していた。<br /><br />私自身の生活基盤固めはもちろんだが、在任中の日本人部下の日常感じている危機感を救うことも、課題であった。<br /><br />私は赴任に際して、夢を持っていた。<br />それは、1億2千万人の日本人と4千万人のザイール人とを、心で結びつけることだった。<br /><br />これは世界に住む人々の相互理解につながる、大きな課題である。<br /><br />せっかくの機会に、この大き過ぎるとも思える夢を、実現の可能性だけでも確かめて見たい。<br />そのために考えたのは、マスコミを最大に活用することだった。<br /><br />マスコミを動かすには、どうすればいいのだろうか。<br />そして選んだのはスポーツであり、日本生まれのソフトテニスに白羽の矢を立てた。<br /><br />アフリカ一の橋を造る事と、アフリカにソフトテニスを広めることとは、直接の縁はない。<br />私は前者を勤務時間における狭義の仕事、後者を勤務時間外の広義の仕事と位置づける。<br /><br />出発にあたり、日本体育協会ソフトテニス連盟にバックアップを依頼し、アフリカ普及に際しての競技名を「ナンテイ」に決めた。<br />フランス語国であるザイールで、英語名の「ソフトテニス」を避けたかったからだ。<br />

キンシャサ日記【601】両国の全国民の心を結びつけることが出来ないか

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1976/05 - 1976/05

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ソフィ

ソフィさん

1976年5月

久々に「キンシャサ日記」をブログに登録する。
キンシャサは、コンゴ民主共和国(私の滞在時はザイール民主共和国)の首府であり、旧ベルギー領コンゴ時代はレオポルドビルと呼ばれていた。

私は1971年より、コンゴ川(当時ザイール川)を渡るアフリカ第一の橋を造るプロジェクトにかかわり、1976年から78年にかけてザイール政府の一員として日本政府から派遣され、現地に滞在することになる。

「キンシャサ日記」は、【001】から【523】まで、「片瀬貴文さんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/および「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に書いてきたが、中略して1976年5月分【601】から再出発する。

中略分は、いずれ後の機会に書く予定にしている。
また【601】以降は、仕事の話は別の機会に譲り、しばらく日常生活を主体にする。

1975年秋に急に決まり、大急ぎで支度を調え、1976年1月に駆けつけ赴任したザイールだったが、その後3ヶ月を経て大きな問題を解決し、ようやく少し落ち着いた。

その間の大きな問題とは、第一にプロジェクトの進め方に対する日本政府の方針を固めること。
第二に派遣先のザイール政府における、自分の地位を固めること。

それから、ザイールでの生活基盤を固めること。
ザイールでの生活は、石油ショックによる財政破綻や、アンゴラ戦争の余波で、非常時の趣を呈していた。

私自身の生活基盤固めはもちろんだが、在任中の日本人部下の日常感じている危機感を救うことも、課題であった。

私は赴任に際して、夢を持っていた。
それは、1億2千万人の日本人と4千万人のザイール人とを、心で結びつけることだった。

これは世界に住む人々の相互理解につながる、大きな課題である。

せっかくの機会に、この大き過ぎるとも思える夢を、実現の可能性だけでも確かめて見たい。
そのために考えたのは、マスコミを最大に活用することだった。

マスコミを動かすには、どうすればいいのだろうか。
そして選んだのはスポーツであり、日本生まれのソフトテニスに白羽の矢を立てた。

アフリカ一の橋を造る事と、アフリカにソフトテニスを広めることとは、直接の縁はない。
私は前者を勤務時間における狭義の仕事、後者を勤務時間外の広義の仕事と位置づける。

出発にあたり、日本体育協会ソフトテニス連盟にバックアップを依頼し、アフリカ普及に際しての競技名を「ナンテイ」に決めた。
フランス語国であるザイールで、英語名の「ソフトテニス」を避けたかったからだ。

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