2007/07/26 - 2007/07/26
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4nobuさん
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午後2時過ぎにブルージュからブリュッセルに着く。ホテルに荷物を預けてグラン・プラスに出かける。グラン・プラスではしばらく豪華な建物に囲まれた広場の景観と広場の皆さんの動きをしばらく眺めて楽しむ。
そのあとブルッセル恒例の観光コースの小便小僧を見た後ギャルリー・サン・チュベール界隈を土産ものを仕入れるために主にチョコレート店を覗きながらホテルに戻る。
美食の街での期待の夕食はイロ・サクレ地区にある人気の海鮮料理店のシェ・レオンで取る。私の食したのはムッシェル(ムール貝)のクリーム煮。ここのメニューで発見して躊躇せず注文。この店のパリ支店ではそんなでもなかったのだがここのは絶品だった。
ポピュラーなワイン蒸しよりほんの少し高いがぜひ賞味ください。貝が好物なのでよく摂るがクリーム煮を出す店は少なくこれで4回目。最初は友人のドイツ人宅で、彼いわく「貝にはクリームがよく似合うのはあたり前」とにやり。
貝の苦手なかみさんはかにのクロケットを摂る。
グラン・プラス
仏語でGrand-Place,ダッチ語でGroteMarktはブリュッセルの中央市場スクェアでタウンホール、王の家、ブラバン公爵の館、ギルド(職の同業組合)の家で囲まれた世界一美しい広場と言われている。かのジャン・コクトーが「絢爛たる劇場」と言ったとか。
どうしてこの高い評価を得たのかを私なりに考えると。
・ 財布の豊かなギルド同士が絢爛なデザインを競ってほとんど同じ時期に揃って建設した。
・ 他の町に比べて街の規模に対して比較的小さな広場。
・ 広場の広さに丁度よくバランスした高さに統一。
その結果豪華なしかも個性のある建物が揃って広場に面したことになったのであろう。
グラン・プラスの歴史
この市の商業地域には15〜17世紀のいろんなスタイルの木造建物がごちゃ混ぜに建っていた。そこにタウンホールを建設するために広場が拡張された。当時の市場の生業のバター、チーズ、鰊、石炭に由来する通りの名が今も残る。
1695年8月にVilleroyが率いる7万名のフランス軍の大砲と破砕機によって完全に破壊され、僅かにタウンホールの石造部分のみが残った。戦後の4年間にギルドがこの広場を再建する。再建に際して市の評議員と市長による行政指導の結果、夫々のスタイルはゴシック、バロック、ルイ14世風などの組み合わせで表面的にはごちゃ混ぜなのに関わらず異常なほどの調和性を実現できた。これが他には見られないこの広場の特徴だ。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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広場の北面で存在感を示す王の家(Maison du Roi)現在市立博物館。
13世紀にはここに木造家のパン屋があったのでダッチ語ではBroodhuitというのはこれに由来する。
15世紀にブラバント伯爵の行政のために後期ゴシック様式の石造の建物となり伯爵の家と呼ばれた。
16世紀にスペイン・ハプスブルク領なりカール5世が王となったので王の家と呼ばれるようになる。
1695年に、冒頭に記した、フランス軍による破壊の後の修復では別の外観になった。1873年Victor Jamaerによって上記の後期ゴシック様式が再現された。 -
広場の東面を占めるブラバン公爵の館。
7つのギルドが入っている。一階にはレストラン、ホテル、事務所が入っている。
正面は(通常は三角形だが)円弧の華麗なペディメントと19本のスマートな付け柱(ピラスター)で飾られている。この19本のピラスターには夫々公爵の胸像があるのでこの名が付く。
バロックの流れのコロサル様式でイタリアの影響が大きい。屋根は当時フランスの建築の影響があるそうだ。 -
広場には地元のサラリーマン風、観光客、若者などで賑わっている。背後はブラバン公爵の館
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二人の子供をつれてやってきた若奥さん。
子供の遊ぶ姿を撮ろうと懸命に追っかけている。さぞいい思い出になるだろう。 -
夢中で遊ぶ子供たち
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これも、夢中で遊ぶ坊や
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広場を横切るボーイスカウトのグループ。近くで大会があったようだ。
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ボーイスカウトと付き添った?親が疲れたのか休憩中
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猫と犬を散歩させる夫人。コン取り合わせが奇抜なのか皆の注目。注目されるのが楽しくて散歩に来ているらしく、なかなか立ち去らない。
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注目される猫、犬と夫人
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写真を撮る人も現れる。
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接近して犬猫を撮る
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小便小僧。今日はボーイスカウトの扮装。やはり大会があったらしい。
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街角の小便小僧の前は人だかり。
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記念写真を撮る人が沢山で近づけない。
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広場を離れてサン・チュベールのアーケードに行き。お土産のチョコを買う。
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サン・チュベールのアーケードにはカフェもあって道にまでテーブルがはみ出す。
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ホテルへの帰り道にある王立オペラ座通称モネ劇場。
1152席と比較的こじんまりしたオペラ劇場。音響効果のよいことで知られている。ここの音楽監督だったのが日本でもよく知られる大野和士。
1830年にここで上演されたオベールの「ポルティチの聾唖の娘」でナポリの漁師の蜂起の合唱「屈辱にまみれて奴隷の身に甘んじるよりも死を選ぶ。祖国よ万歳!」が聴衆の心を動かし、上演の途中から外になだれ出てオランダからの独立運動が始まる。その40日のちに独立が実現する。
またドイツオペラのフランス語初演はほとんどがここだったことを今回知った。
建物の歴史:
1700年に劇場としてイタリア人銀行家によって建立。1420年にベルギーで初めての造幣所がつくられた跡地だったので貨幣を意味するモネの通称が付く。後年ナポレオンにワーテルローで勝利したオランダ王ウイリアム1世によって建替えられる。 -
ホテルへの帰り道。モネ劇場の前の広場からグランプラスの方向。
(この絵では右に少し見える)のがX型の近代的な総合高層ビルでシネマコンプレックス、ゲームセンター、ミュージックホール、レストランなどの娯楽設備が下層にある。以前に来たときは若者で雑踏していたが今日はなぜかひっそり。
向かうのビルが再開発で取り壊し中、右に部分的に見える黄色の枠は以前の建物の外壁を再利用するための支持道具。
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