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2007年11月29日(木)<br /><br />谷汲山が、西国33箇所のうち、なぜ最後の第33番目になったのだろうか。<br /><br />熊野詣の後に33箇所巡礼をする人が多いとの理由から、最初を第1番目を南紀の青願渡寺とし、巡礼後東国に帰る人の便を考えて、美濃の谷汲山華厳寺を最後にしたらしい。<br /><br />寺の歴史をひもとけば、延暦17年(798年)会津の豪族大口大領により創建され、延暦20年(801年)桓武天皇の勅願寺になったと、書いてある。<br /><br />このように、寺が創られてから後に勅願寺となった例は、少なくないようだ。<br /><br />そこで三十三箇所巡礼は8世紀に始まるが、記録は11世紀の終わりごろに書かれた「観音霊場三十三箇所巡礼記」が始めてのようだ。<br /><br />そのときの第一番は長谷寺であり、第三十三番は三室戸寺だった。<br /><br />江戸時代に入り、庶民の間に観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三箇所や秩父三十四箇所と併せて「日本百観音」と呼ばれるようになってから東国の巡礼者が増え、今のように1番から33番までの順番が決まった。<br /><br />さて、久々にやってきた谷汲山は、参道がすっかり立派になり、訪れる人も多く、賑わいが増えたように感じられた。<br /><br />写真は、<br />http://4travel.jp/traveler/katase/<br />をご覧ください。<br />

奥美濃の紅葉を訪ねて【3】谷汲山はなぜ満願寺(結願寺)になったのだろうか

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2007/11/29 - 2007/11/29

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ソフィ

ソフィさん

2007年11月29日(木)

谷汲山が、西国33箇所のうち、なぜ最後の第33番目になったのだろうか。

熊野詣の後に33箇所巡礼をする人が多いとの理由から、最初を第1番目を南紀の青願渡寺とし、巡礼後東国に帰る人の便を考えて、美濃の谷汲山華厳寺を最後にしたらしい。

寺の歴史をひもとけば、延暦17年(798年)会津の豪族大口大領により創建され、延暦20年(801年)桓武天皇の勅願寺になったと、書いてある。

このように、寺が創られてから後に勅願寺となった例は、少なくないようだ。

そこで三十三箇所巡礼は8世紀に始まるが、記録は11世紀の終わりごろに書かれた「観音霊場三十三箇所巡礼記」が始めてのようだ。

そのときの第一番は長谷寺であり、第三十三番は三室戸寺だった。

江戸時代に入り、庶民の間に観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三箇所や秩父三十四箇所と併せて「日本百観音」と呼ばれるようになってから東国の巡礼者が増え、今のように1番から33番までの順番が決まった。

さて、久々にやってきた谷汲山は、参道がすっかり立派になり、訪れる人も多く、賑わいが増えたように感じられた。

写真は、
http://4travel.jp/traveler/katase/
をご覧ください。

  • 谷汲山参道

    谷汲山参道

  • 谷汲山の参道に<br />店が並ぶ

    谷汲山の参道に
    店が並ぶ

  • 谷汲山山門

    谷汲山山門

  • 谷汲山山門

    谷汲山山門

  • 谷汲山<br />モミジ祭り

    谷汲山
    モミジ祭り

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