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藤沢での用件(仕事)を早々に済ませ、源義経公ゆかりの地を訪れました。源義経公を知らない人はいないと思いますが、念のため・・・<br /><br />【平安末期の武将。日本で始めて武家政治(幕府)を始めた源頼朝公の異母弟。一の谷戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼす。平家打倒後、兄頼朝公との確執が深まり追われることとなる。奥州藤原氏(藤原秀衡公)を頼り平泉に留まるが秀衡公の死後、後継者に裏切られ(衣川の戦い)自害する。】

2007年12月 藤沢本町・鎌倉腰越(源義経公ゆかりの地)

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2007/12/12 - 2007/12/12

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めるくん

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藤沢での用件(仕事)を早々に済ませ、源義経公ゆかりの地を訪れました。源義経公を知らない人はいないと思いますが、念のため・・・

【平安末期の武将。日本で始めて武家政治(幕府)を始めた源頼朝公の異母弟。一の谷戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼす。平家打倒後、兄頼朝公との確執が深まり追われることとなる。奥州藤原氏(藤原秀衡公)を頼り平泉に留まるが秀衡公の死後、後継者に裏切られ(衣川の戦い)自害する。】

  • 鎌倉市腰越にある満福寺です。平家討伐後、義経公は兄頼朝公との確執について誤解を解くため鎌倉に赴いたのですが、鎌倉入りを許されず満福寺で待機となります。

    鎌倉市腰越にある満福寺です。平家討伐後、義経公は兄頼朝公との確執について誤解を解くため鎌倉に赴いたのですが、鎌倉入りを許されず満福寺で待機となります。

  • 満福寺本堂です。

    満福寺本堂です。

  • 本堂の手前には義経公の慰霊碑がありました。

    本堂の手前には義経公の慰霊碑がありました。

  • 傍らには弁慶の手玉石がありました。

    傍らには弁慶の手玉石がありました。

  • こちらは弁慶の腰掛石です。

    こちらは弁慶の腰掛石です。

  • 弁慶が墨をするのに使った硯池です。(フェンスの奥に水が溜まっていました。)その他義経公使用の井戸もあるそうですが見忘れてしまいました。

    弁慶が墨をするのに使った硯池です。(フェンスの奥に水が溜まっていました。)その他義経公使用の井戸もあるそうですが見忘れてしまいました。

  • 拝観料200円を払って本堂へ入りました。写真は胸に源氏の家紋笹りんどうが描かれた鎧です。(後世の物と思われます)

    拝観料200円を払って本堂へ入りました。写真は胸に源氏の家紋笹りんどうが描かれた鎧です。(後世の物と思われます)

  • これが有名な腰越状です。(兄頼朝公への服従の意を記した嘆願書)

    これが有名な腰越状です。(兄頼朝公への服従の意を記した嘆願書)

  • 本堂の襖絵です。(鎌倉彫りの漆絵)描かれているのは義経公と静御前です。

    本堂の襖絵です。(鎌倉彫りの漆絵)描かれているのは義経公と静御前です。

  • こちらの襖絵は義経公と静御前の別れを描いたものでしょうか。

    こちらの襖絵は義経公と静御前の別れを描いたものでしょうか。

  • 頼朝公の追っ手から逃れ、山伏に変装し奥州へ向かう義経公です。

    頼朝公の追っ手から逃れ、山伏に変装し奥州へ向かう義経公です。

  • 詠い舞う静御前です。<br /><br />吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな・・・ <br />

    詠い舞う静御前です。

    吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな・・・

  • 義経公最期の時、弁慶は無数の矢を受けながらも仁王立ちで主人義経公を守ります。

    義経公最期の時、弁慶は無数の矢を受けながらも仁王立ちで主人義経公を守ります。

  • 義経公の最期です。

    義経公の最期です。

  • 満福寺から数分歩くと相模湾に突き当たります。写真は鎌倉方面を撮ったものです。遡ることおよそ800年前、義経公もここから鎌倉の方を見ていたのでしょうか。

    満福寺から数分歩くと相模湾に突き当たります。写真は鎌倉方面を撮ったものです。遡ることおよそ800年前、義経公もここから鎌倉の方を見ていたのでしょうか。

  • 腰越から藤沢本町へ移動しました。平泉で自害した義経公の首級は、鎌倉に送られ首実検後相模湾へ捨てられたそうです。(現代では考えられませんが・・・)<br />そして捨てられた首級が川を遡りこのあたりまで流れついたそうです。

    腰越から藤沢本町へ移動しました。平泉で自害した義経公の首級は、鎌倉に送られ首実検後相模湾へ捨てられたそうです。(現代では考えられませんが・・・)
    そして捨てられた首級が川を遡りこのあたりまで流れついたそうです。

  • 義経公の首級を清めたと伝わる井戸です。

    義経公の首級を清めたと伝わる井戸です。

  • 義経公慰霊碑です。偉大なる先人を想い合掌です。

    義経公慰霊碑です。偉大なる先人を想い合掌です。

  • 首洗い井戸から数分歩いて白旗神社へ到着しました。

    首洗い井戸から数分歩いて白旗神社へ到着しました。

  • 義経公の首級がこの地に流れ着いたことを聞いた兄頼朝公が建立したそうです。

    義経公の首級がこの地に流れ着いたことを聞いた兄頼朝公が建立したそうです。

  • 白旗神社本堂です。

    白旗神社本堂です。

  • ここにも弁慶ゆかりの石が。

    ここにも弁慶ゆかりの石が。

  • 白旗神社の義経公慰霊碑です。再び合掌・・・<br /><br />27年前に平泉へ(義経公最期の地)、22年前に京都鞍馬へ(義経公幼少期に修行した地)訪れた時の事を思い出しました。随分時が経ちましたが改めて訪れてみたいものです。<br />

    白旗神社の義経公慰霊碑です。再び合掌・・・

    27年前に平泉へ(義経公最期の地)、22年前に京都鞍馬へ(義経公幼少期に修行した地)訪れた時の事を思い出しました。随分時が経ちましたが改めて訪れてみたいものです。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • もにかさん 2007/12/14 00:17:24
    またまた源氏ですね
    以前お話したかと思いますが、うちの父はむかし幼少の私に
    「源氏は兄弟同士で殺し合い、主系はたった3代しか続かなかった。
     しかし平家は滅びる時も一族一緒だった。だから平家は華麗なんだ。」
    と、偉そうに説いていました。

    依頼、私の頭の中には 
    平家=雅  
    源氏=政治的 
    という印象が付いて離れません。

    なので、
    ここでまた静さんに踊って…
    やっぱ止めます。

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