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1191年、アフガニスタンのスルタン、ムハンマド・グーリの軍勢はデリーに攻め寄せた。ヒンズー寺院を破壊し、仏教寺院を焼き払ったムスリムの軍勢は、デリーに到達した初めてのムスリム王朝を記念してこの地に記念碑を立てる事とした。<br /><br />その時軍勢を率いていたのは、奴隷であったクトゥブウッディン・アイバク、後にデリーのスルタン王朝の礎となるクトゥブ朝(クトゥブウッディンが奴隷だったので奴隷王朝とも言われる)を打ち立てたその人である。<br /><br />以後デリーを治めたイスラムの王朝は5世紀に渡り、この地の記念碑を建て続けた。<br /><br />因みに、始めの記念碑を造る際、ヒンズー寺院を破壊した石をそのまま利用したので、モスクの支柱にヒンズーの神様の像が見られるというありえない光景が今でも見られる。

デリー観光VOL4~デリーのイスラム王朝支配の夜明け:クトゥブ・ミナール~

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2007/07/01 - 2007/07/01

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Krisflyer

Krisflyerさん

1191年、アフガニスタンのスルタン、ムハンマド・グーリの軍勢はデリーに攻め寄せた。ヒンズー寺院を破壊し、仏教寺院を焼き払ったムスリムの軍勢は、デリーに到達した初めてのムスリム王朝を記念してこの地に記念碑を立てる事とした。

その時軍勢を率いていたのは、奴隷であったクトゥブウッディン・アイバク、後にデリーのスルタン王朝の礎となるクトゥブ朝(クトゥブウッディンが奴隷だったので奴隷王朝とも言われる)を打ち立てたその人である。

以後デリーを治めたイスラムの王朝は5世紀に渡り、この地の記念碑を建て続けた。

因みに、始めの記念碑を造る際、ヒンズー寺院を破壊した石をそのまま利用したので、モスクの支柱にヒンズーの神様の像が見られるというありえない光景が今でも見られる。

交通手段
レンタカー
  • ●アラーイの塔 Alai Minar<br /><br />スルタンのアラウッディン・ハルジによってクトゥブ・ミナールに対抗して建築を始められた塔の跡。<br /><br />建築途中でアラウッディン・ハルジが死亡した為、結局塔の建築そのものも、途中で止まってしまって、今の形のまま残っている。

    ●アラーイの塔 Alai Minar

    スルタンのアラウッディン・ハルジによってクトゥブ・ミナールに対抗して建築を始められた塔の跡。

    建築途中でアラウッディン・ハルジが死亡した為、結局塔の建築そのものも、途中で止まってしまって、今の形のまま残っている。

  • ●アラウッディンのモスク跡

    ●アラウッディンのモスク跡

  • ●クトゥブ・ミナール

    ●クトゥブ・ミナール

  • 土台部分。塔の周囲を巡る様にカリグラフの彫刻が施されている。

    土台部分。塔の周囲を巡る様にカリグラフの彫刻が施されている。

  • ●クワトゥール・イスラム・モスク跡<br /><br />1192年にクトゥブウッディン・アイバクによって、勝利を記念して建築開始(鎌倉幕府が出来た年)。後に、スルタンが暗殺されたため、クトゥブウッディン自身がスルタンを名乗り、このモスクはジャマ・マスジッドとして完成させた。<br /><br />現在ではインドに現存する最古のモスクと言われている。

    ●クワトゥール・イスラム・モスク跡

    1192年にクトゥブウッディン・アイバクによって、勝利を記念して建築開始(鎌倉幕府が出来た年)。後に、スルタンが暗殺されたため、クトゥブウッディン自身がスルタンを名乗り、このモスクはジャマ・マスジッドとして完成させた。

    現在ではインドに現存する最古のモスクと言われている。

  • モスクの入り口部分の柱型。<br /><br />そもそも柱型を取り付けるのはイスラムでは無くヒンズーの建築様式。もともと有ったヒンズー寺院を壊して作ったのだから、そのまま柱を拝借したのであろう。

    モスクの入り口部分の柱型。

    そもそも柱型を取り付けるのはイスラムでは無くヒンズーの建築様式。もともと有ったヒンズー寺院を壊して作ったのだから、そのまま柱を拝借したのであろう。

  • 入口入ってすぐの所の天井部分の装飾。<br /><br />ヒンズーや仏教によく見られるハスの花の装飾。モスクを建てた職人たちはヒンズーの工法しか知らず、自分たちの解釈でこの装飾を取り付けたようだ。<br /><br />まぁ、偶像では無いのでお咎め無かったのでしょう。

    入口入ってすぐの所の天井部分の装飾。

    ヒンズーや仏教によく見られるハスの花の装飾。モスクを建てた職人たちはヒンズーの工法しか知らず、自分たちの解釈でこの装飾を取り付けたようだ。

    まぁ、偶像では無いのでお咎め無かったのでしょう。

  • クワトゥール・イスラム・モスクを取り囲む列柱回廊。ヒンズー寺院を壊した跡の石材をそのまま使用しているので、よく見ると柱にヒンズー教の神様の像が残ったままになっている。

    クワトゥール・イスラム・モスクを取り囲む列柱回廊。ヒンズー寺院を壊した跡の石材をそのまま使用しているので、よく見ると柱にヒンズー教の神様の像が残ったままになっている。

  • ●鉄塔 Iron Piller<br /><br />モスクの敷地内少し西側に位置する不思議な鉄塔。3〜5世紀の間に造られたものと思われるが、ビシュヌ寺院の旗塔として使用されていたらしい。<br /><br />最も不思議なのが1500年以上経っているにも関わらず全く錆びていない事であり、鉄の純度は99.9%と極めて高い。

    ●鉄塔 Iron Piller

    モスクの敷地内少し西側に位置する不思議な鉄塔。3〜5世紀の間に造られたものと思われるが、ビシュヌ寺院の旗塔として使用されていたらしい。

    最も不思議なのが1500年以上経っているにも関わらず全く錆びていない事であり、鉄の純度は99.9%と極めて高い。

  • ここがモスクの聖壇(ミハラブ)部分。トルコからやってきた征服者は自分の国にあるアーチ建築を表現しようとしたのですが、建てた職人はヒンズー建築様式しか知らず、その工法で無理やりアーチを建てたので、結局今では崩れ落ちてしまってます。

    ここがモスクの聖壇(ミハラブ)部分。トルコからやってきた征服者は自分の国にあるアーチ建築を表現しようとしたのですが、建てた職人はヒンズー建築様式しか知らず、その工法で無理やりアーチを建てたので、結局今では崩れ落ちてしまってます。

  • ●イルトゥミッシュ廟 Iltumish Tomb<br /><br />1235年の建築。スルタンのイルトゥミッシュによって自身の為に建てられた廟。外壁は装飾の無い非常にシンプルなデザイン。<br /><br />屋根は既に落ちてしまっている。

    ●イルトゥミッシュ廟 Iltumish Tomb

    1235年の建築。スルタンのイルトゥミッシュによって自身の為に建てられた廟。外壁は装飾の無い非常にシンプルなデザイン。

    屋根は既に落ちてしまっている。

  • ●アラウッディンのメドレセ跡

    ●アラウッディンのメドレセ跡

  • ●アラーイの門 Alai Darwaza<br /><br />1311年の建築。当事この地を治めていたハルジ朝のスルタン、アラウッディン・ハルジによって建てられた門。初期のイスラム建築として有名。

    ●アラーイの門 Alai Darwaza

    1311年の建築。当事この地を治めていたハルジ朝のスルタン、アラウッディン・ハルジによって建てられた門。初期のイスラム建築として有名。

  • アラーイの門を別の方向から見てみた。ここで見られるアーチは完璧な建築。本来この様なアーチを表現するはずだったのだが、他の古い建物を建てた時期にはその後方が未熟であったため、結局今では崩れ落ちてしまっている。<br /><br />初期建築から100年以上後に建てられたこの建築の時代にはすでにイスラムのアーチ工法は確立されていたのであろう。

    アラーイの門を別の方向から見てみた。ここで見られるアーチは完璧な建築。本来この様なアーチを表現するはずだったのだが、他の古い建物を建てた時期にはその後方が未熟であったため、結局今では崩れ落ちてしまっている。

    初期建築から100年以上後に建てられたこの建築の時代にはすでにイスラムのアーチ工法は確立されていたのであろう。

  • ●イマーム・ザミン廟<br /><br />1539年の建築。<br />このイマームについては、特に詳しい事は知られていないが、クトゥブミナールのモスクに従事していたと思われる。<br /><br />廟の建築はシンプルはムスリム様式で、12本の支柱で正方形の形を作り出している。入口は南側に面している。

    ●イマーム・ザミン廟

    1539年の建築。
    このイマームについては、特に詳しい事は知られていないが、クトゥブミナールのモスクに従事していたと思われる。

    廟の建築はシンプルはムスリム様式で、12本の支柱で正方形の形を作り出している。入口は南側に面している。

  • 廟内は四方にJalisと呼ばれる格子状の明り取り窓が取り付けられ、その窓を通じて光が差し込んできている。<br /><br />その中央に石棺が置かれ、西側に面してミハラブが取り付けられている。

    廟内は四方にJalisと呼ばれる格子状の明り取り窓が取り付けられ、その窓を通じて光が差し込んできている。

    その中央に石棺が置かれ、西側に面してミハラブが取り付けられている。

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