2007/10/28 - 2007/10/28
640位(同エリア644件中)
のださん
目黒不動尊からは目黒駅方向に進みます。
目黒界隈は非常に魅力的な寺社が多いので、それらを巡りながら。
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瀧泉寺に隣接する五百羅漢寺は、一見寺院とは思えません。
入場するには300円必要で、境内は撮影禁止です。
この寺は、元は本所にあったようで、「さざい(さざえ)堂」が有名で、浮世絵の題材にもなっています。
京都の仏師であった松雲元慶禅師の開基で、松雲禅師が自ら彫った木造の五百羅漢像は2つと同じ顔ありません。
寄進者には、浅野内匠頭や桂昌院もいるそうです。
他には、さくら隊の原爆殉難碑も有名で、毎年8月6日には追悼会も催されます。
聖宝堂では、当然寺に関する史料を見学できますが、特にさくら隊についての資料を見られただけでも、入って良かった。 -
五百羅漢寺からちょっと進んだところに、黄檗宗の海福寺。
境内は狭いです。
海福寺は、深川にあったお寺で、明治43年(1910)にこちらに移転してきました。
その年は明治最大の洪水があったとも言われている年で、深川は元々埋め立てられたところですので、まだ水害には弱かったのでしょうか? -
文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑。
1807年(文化4年)8月19日、神田祭や山王祭と並び称されることもある深川の富岡八幡宮例祭は、それはそれは大変な賑わいでした。
当然永代橋を渡ってやってくる参拝客も多く、橋はその重みに耐え切れず、何と落橋!
一説には1,500人以上の死者を出したと言われる、史上最悪の落橋事故です。
これら供養塔及び石碑は、現在の江東区深川2丁目付近にあった海福寺の境内に建てられ、海福寺が移転されるのとともに、これらも移設された、とのことです。 -
山門である四脚門。
上落合の泰雲寺にあったものを、明治後期に移建してきたそうです。
中央にある親柱2本とその前後に2本ずつある4本の控柱から来た名称で、江戸時代中期の特質を備える貴重なもの、とのことです。 -
梵鐘。
1683年(天和3年)の藤原正次の作品。
こちらも寺院の移転に伴って移ってきた、のかな?
底(ふち)の部分が微妙に波打っています。
傍らには、武田信玄の屋形にあったとされる9層の塔が。
江戸名所図会にも紹介されていたそうですので、相当有名だったのでしょう。 -
海福寺を後にし、山手通りの羅漢寺前交差点まで出てきました。
松雲羅漢が通行人を見守ってくださいます。 -
山手通りを進み、左手にある蟠龍寺。
1710年(宝永7年)、増上寺の霊雲上人が律宗に改めて現在地に移したとのことです。
山手七福神の一つ弁財天が祀られています。
「岩屋弁天」の名で知られています。
参道には「不許辛肉酒入山門」の結界碑が。
酒や肉などは入れるなよ、っていう教えでしょうか? -
本堂。
本尊は木像の阿弥陀如来像。
江戸名所図会に露坐の丈六金剛阿弥陀如来像が描かれていますが、こちらは明治4年、廃仏毀釈のあおりを受けたのか、フランスに渡り、現在はパリのチェルニスキー美術館が所蔵しているそうです。
本堂の向かって右側には弁天堂、そして洞窟があり、それぞれ木像、石像の弁財天が安置されています。 -
山手通りを渡り、目黒駅方向に進みます。
途中でレトロな品々を貼り付けている居酒屋か何かがあります。
面白いですね。
店主の趣味でしょうか? -
目黒川の上に架かる太鼓橋にさしかかります。
1682年の天和の大火で避難した八百屋の娘・お七は、出会った寺小姓・吉三と恋仲になり、その後吉三に会いたいが一心で放火を繰り返し、捕らえられて鈴ヶ森で火あぶりの刑に処せられます。
お七の処刑後、お七が恋焦がれた寺小姓である吉三が、西運と改名し、お七の菩提を弔うために行人坂を改修し太鼓橋を架けた。
この八百屋お七の話は、場所によって語られている内容が若干異なっており、よくわかりませんが、一説ではお七の恋人の名は山田佐兵衛(吉三とは同一人物とも別人とも)。
現在の橋は、平成3年に完成したものです。 -
太鼓橋を渡ると、目黒雅叙園。
ここには確か就職活動で2、3度入っただけで、あまり記憶には残っていません。
「昭和の竜宮城」と称され、百段階段が有名です。
勝手に見学できる、かどうかは知りません。
ここの敷地の一部が、明王院という寺院でした。
明王院は、明治13年ごろ大円寺に吸収されました。 -
お七が処刑されたことを知った吉三(一説には山田佐兵衛)は、自害しようと思ったが果たせず、明王院に身を寄せて西運と改名しました。
念仏行にでかける前に、お七の菩提を弔いながら水垢離をとった、その場所がこの「お七の井戸」。
目黒不動−浅草観音間を一心に歩き、隔夜日参一万日の行を成し遂げました。
往復10里=約40km。
とてつもない精神力です。 -
目の前に行人坂。
聞きしに勝る急な坂ですね。
って言うか通ったことあるはずですけど、あまり憶えていません。
江戸三大大火の一つとして明和9年(1772年)の「目黒行人坂大火」が挙げられます。
坂の途中にある大円寺で発生した火事が風に乗って、千住辺りまで燃え広がりました。
死者は2万人弱とされています。
原因は放火で、犯人は、大円寺の和尚に破門されたことを根に持っていた坊主・真秀。
この真秀を捕らえたのが、池波正太郎に鬼の平蔵と呼ばれた長谷川平蔵宣以の父であり、当時火付盗賊改方を務めていた長谷川平蔵宣雄。
真秀は浅草で火あぶりの刑に処せられます。
その年、やっと仮住まいを始めた秋に暴風雨に見舞われるなど災難が続いたため、明和9年は「めいわく年」だ!ということで、年号が安永へと改められます。
「年号は安く永しと変われども諸色高直(しょしきこうじき)いまにめいわく」
田沼意次の時代です。
ちなみに、長谷川平蔵宣以は、松平定信とは仲が悪く、どちらかと言うと田沼寄りだったという噂もあります。 -
行人坂を上っていって右側に大円寺。
目黒行人坂大火後、76年間も再建を許されませんでしたが、島津家の菩提寺となることでようやく許されます。
再建できなかったのは失火元だからということである意味当然の処分と言えますが、余談ですが明暦の大火(振袖火事)の出火元とされる本妙寺は、何らお咎めなしでした。
だから本妙寺に責任はない、とする説も有力になってきていますが、明暦の大火の出火元に関しては今もはっきりとしていません。
それにしても参拝客が多いですね。
今日は歩いていると団体客をよく見かけます。 -
太鼓橋に使用された石材と同じものを使ったベンチだそうです。
行人坂の改修や太鼓橋の建造に使われた資金は、江戸市民からの寄進を元手にしたものだったようです。 -
石像の五百羅漢像。
見るものを圧倒する迫力です。
目黒行人坂大火の犠牲者を弔うために造られたとされていますが、実はそれに関しては確かな史料はないそうです。 -
とろけ地蔵。
江戸時代に品川沖で網に引っかかったものを漁師が引き上げたものだそうで、悩み事をとろけさせてくれるそうです。 -
本尊である釈迦如来立像。
普段は開帳されていません。
体が透けて見えるような薄い衣をまとっており、生きたお釈迦様を拝むのと同じご利益があるともされていることから、「生身の釈迦如来」と呼ばれています。
生身と書いて「しょうじん」と読むそうです。
正式には清涼寺式釈迦如来。 -
大円寺は山手七福神の大黒天を祀っていますが、他の六福神もいますね。
ここに来れば七福神をすべて巡ったのと同じこと、とはさすがにならない、かな? -
「お七地蔵尊」がいますね。
右側の碑に関しては、説明板を見ても書かれていませんが、西運のものであることは間違いないでしょう。
うわさでは(何だようわさって)、「お七吉三縁起絵巻」の中の画だそうです。 -
再び行人坂を上ります。
この辺りに多くの行人が住むようになったから、行人坂と呼ぶようになったそうです。
途中「富士見茶屋と夕日の岡」という看板がありますが、注意していないと全く気づかないくらい目立ちません。
江戸時代は富士見の名所であった目黒。
目黒不動尊への参詣客でにぎわっていたこの坂からも、当然美しい富士山と夕日が見えたことでしょう。
さて、看板があるところから、今上ってきた坂を振り返って景色を楽しんでみます。
・・・まあこんなものです、東京は。 -
行人坂を上りきって、目黒駅前には、また別の坂が現れます。
目黒の坂と言えば、今や行人坂よりも「権之助坂」。
行人坂に比してゆるやかです。
この坂の名前は、菅沼権之助という名主を人々が讃えたことから来ています。
菅沼権之助の墓は中目黒にあるそうです。
どこまで史実かわかりませんが、菅沼権之助の悲話に関しては、目黒区のサイト(http://www.city.meguro.tokyo.jp/info/saka_miti/saka/toubu/t_07.htm)と品川区のサイト(http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/page000002100/hpg000002019.htm)に紹介されています。
ここでなぜ品川区が出てくるか?
実は、目黒区にはJRの駅は一つもなく、私が今立っているところ及び目黒駅は品川区に入ります。
つまり、権之助坂は、目黒区と品川区をまたいでいるということです。
目黒のさんま祭りも、目黒・品川の両区で開催されます。
ちなみに、品川駅は港区に入ります。
これは有名な話です。 -
駅前にある久米美術館(所在地:品川区上大崎)。
佐賀藩出身の歴史学者で「米欧回覧実記」を著した久米邦武と長男で洋画家の久米桂一郎の史料や作品を所蔵・展示しています。
現在の展示は、「久米邦武・桂一郎と有田瓷器」展。
二人の陶磁器への関わりを特集しています。
目黒はゆかりの地だそうですが、どんなゆかりなのかは知りません。
マイナーだからなのか何なのか、駅前にあるのに客はほとんどいない。
そのおかげでゆったり観られます。
実際の磁器も展示していますが、それよりも磁器に関する史料が多いです。
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