2007/10/18 - 2007/10/18
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sikizakuraさん
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いよいよ、本命の小坂観音院です。
武田信玄の側室として十年近くの間暮らしたといわれるお寺です。ここからの諏訪湖の眺めは一級品です。実家を滅ぼした信玄の側室となった由布姫はどんな思いで日々をここで過したのでしょうか?そんなことに思いをめぐらしながら境内をじっくり散策しました。
僕個人としては、この観音院の沖に、由布姫と信玄の遺骨が沈めらていると信じています。
「小坂観音院」の「小坂」は「おさか」と読むらしいです。「こさか」とこれまでずっと思い込んでいました。
写真は、小坂観音院から高島城を望む風景です。
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観音院そばの駐車場に止めようと思ったのですが、見つけることができず、500メートル程先の第一駐車場へ止めることになってしまいました。ここは観光バスもとめられるほどの大きな駐車場で、仮設トイレもあります。
観音院には少し遠いですが、諏訪湖畔にあり、眺めがいいですよ。 -
第一駐車場から、写真のような案内板に従って観音院まで旧道を歩きます。この案内板は数箇所の設置してありました。
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やっと、観音院の下までたどりつきました。ここに土産物屋の駐車場があります。観光客は無料で止められると書いてあります。ここに止めればよかったと思いました。
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ここから観音院がある小山の脇を上ります。
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上りつめると水呑場がありました。途中左に折れる道がありましたが、これは裏門への道だと書いてありましたので、表門へ向かうには左に折れないでまっすぐ上る必要があります。
この水呑場の左が表門へ通じる山門です。 -
水呑場から左をみた光景です。左が山門で、右は、下に下りる道です。正式にはこの右の道から来るべきだったようです。
表門がなぜ諏訪湖を背にしていて、裏門が諏訪湖側にあるのか、疑問に思いました。僕が車を止めた駐車場の辺りは埋立地だそうです。そこから、考えると、昔は観音院は諏訪湖に突き出ていて、道路は山門側にあったのでは。 -
山門前です。右は崖ですが、左側には石仏や石碑らしきものがいくつも並んでいました。
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山門前に並ぶ石碑らしきものの一つです。文字が読めたのはこれ一つでした。「観世音」と刻んであります。
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山門前に並ぶ石仏の一つです。いくつもあった石仏のうち、最も気に入ったものがこれです。友人にこれに似た顔の持ち主がいたからです。
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山門です。この観音院は龍光山観音院が正式名称のようです。観音院のある小山は龍光山であることを示しています。「小坂」というのはこの辺りの地名でした。
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山門を入ってすぐ左に、更に上に上る階段がありました。好奇心旺盛なため、早速登ってみました。
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階段途中にあった石仏の一つです。なんとなくかわいらしいですねぇ、そう思いませんか?
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のぼりつめたところに小さな祠がありました。「天照大神」と書いてありました。??
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その祠の左に並ぶ石碑と石仏。石碑には「御岳大権現」と刻んであったように記憶してます。
帰宅後調べて分かったことですが、中央が摩利支天像です。足元にイノシシがいるのが見えます。次の写真はそれをアップしたものです。 -
石仏のみをアップして撮りました。
右が摩利支天です。イノシシがはっきり見えます。
摩利支天とは知らずにカメラを向けていました。 -
そのうちの一つをアップにて撮ってみました。
これが、摩利支天です。
偶然です。家に帰ってネットで調べ分かったもので、撮るときはそうとは知りませんでした。足元にいのししがいるのですが、写真には写りませんでした。 -
階段を下りて参道に戻りました。左側に石仏が並んでいました。
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参道の右、崖側は山門から境内まで樹齢四百年以上と
いわれるサワラ並木が続きます。四百年以上ということは、もしかしたら、由布姫もこのサワラ並木を歩いていたかも知れませんね。
この並木はいいですね。こういう歴史のある寺の境内は、やっぱり早朝一人でゆっくり散策するに限ります。心が落ち着きます。 -
サワラ並木の間から諏訪湖が眺められました。この並木の間から眺める諏訪湖は格別です。
よく見ると対岸に白い点のようなものが見えるはずです。その奥に高島城があります。昔は城以外に高い建物がなかったわけですから、観音院から高島城がよく見えていたと思います。 -
サワラ並木が途切れたところに、これがたっていました。いいですね。ちょっとしたこういう心遣いが嬉しいですね。
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並木と湖畔の風景を楽しみながら歩いているうちに、表門下に辿りつきました。
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表門下から眺める諏訪湖の風景です。霞んでいてよく見えませんが、この方角に上原城址があリます。
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表門に立つとその先に観音堂が見えます。
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表門を境内から撮りました。この表門は、高島城を向いているそうです。
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表門をくぐってすぐ右側に弘法大師の銅像がありました。その昔、弘法大師がこの地を訪れたということでしょうか?説明書きがありましたが、読みませんでした。
私の上司で、ミスを犯すと、決まって「弘法も筆の誤り」と独り言を言う人物がおります。僕はそのとき、「サルも木から落ちる」だろうが、と心の中で叫んでいます。 -
そしてその弘法大師像の左横には、樹齢千年はありそうな古木が立っていました。この古木は、由布姫や信玄・勘助を知っているだろうな、と思いました。
資料によると、天然記念物の柏槇だそうです。樹齢1200年以上で、伝承によると、この地を訪れた弘法大師がその際に手植えしたものとのことです。 -
観音堂の前には、不思議な木像がありました。
資料によると、木像賓頭盧尊者坐像といって、室町時代の作だそうです。こんな大事な物を外に置いていいのかな、 -
記録によれば、この観音堂は、1715年造営ですが、その中に1506年作の十一面観音像が安置されているそうですが、見ることはできませんでした。
由布姫もこの観音像に毎日手を合わせていたことでしょう?何を祈ったのでしょうか?自害した父諏訪頼重の冥福か、息子勝頼の武運か、己の幸せか、きっと、このいずれも祈っていたのでしょう?? -
観音堂の裏です。この高台に由布姫の供養塔があります。
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ここでも、沢山の石仏が並んでいました。その一つです。
ここの石仏のすべてに、右上に番号が刻んでありました。どこかの札所の番号らしいのですが、真実は分かりません。早朝で境内に誰もいないため、聞くこともできませんでした。 -
階段下に案内板がありました。この階段を登れ、て、ことでしょう。大河ドラマにあわせて作ったものでしょう、まだ新しい。
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これが、供養塔へ行く階段です。この階段の上に供養塔があります。供養塔建立の際に作ったものでしょう、階段の石がまだ新しくきれいに整っています。
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供養塔の案内板です。この右にあります。
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供養塔です。大河ドラマの影響か、お参りする人が多いようです。まだ新しい花が供えられ、線香もたかれていました。
ここはあくまで供養塔で、昭和38年に建てたものだそうです。由布姫の墓は息子の勝頼が、高遠の城下に建てています。 -
供養塔の前を右に行くと見晴台があります。そこには記念撮影用のパネルがありました。
個人的には、これはいただけないな、と思いました。せっかく、先ほどまで、由布姫を偲んで色々と瞑想にふけっていたのに、これを見て、しらけてしまいました。 -
見晴台から眺める風景です。
信玄の遺骨が諏訪湖に沈められたという話は、有名です。僕個人の考えですが、由布姫の遺骨も、この諏訪湖の湖底のどこかに沈められていると思います。信玄が遺言で諏訪湖に遺骨を沈めるように指示した経緯を考えると、こう考えるのが…??この観音院に正式な墓がないのは、そのためでは。 -
対岸の諏訪大社辺りを撮ってみました。
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見晴らし台の奥に、あじさいの園があるそうですが、季節ではないので、再び観音堂の裏に降りてきました。
並ぶ石仏をゆっくり鑑賞しました。 -
供養塔へ通じる階段下に、石仏が並んでいます。
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その階段の、向かって更に左側の光景です。やはり多くの石仏が見られます。
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小坂観音院の事務所かな?案内所と喫茶店まであると、入り口に書いてありましたが、早朝のため、閉まっていました。
この前を通って坂を下りると、先ほどのサワラ並木に出ます。 -
先ほどの案内板の裏面です。ここからサワラ並木が続き山門へ通じています。
小坂観音院を出て、今度は高遠へ向かいました。もう少しここを散策したかったのですが、時間がないので、出ることにしました。
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