2007/07/17 - 2007/07/17
256位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/17(火)第10日目:マラムレシュ地方観光2日目(w/現地ガイド)
【宿泊:Pension Prisacaru(ヴァド・イセイ村)】
サプンツァの陽気な墓とアトリエ見学、農家を訪ねる(スタン氏の奥さんの家だった)、サプンツァの建築中の木造教会見学、シゲッツ・マルマッツィエイ散策&野菜市場、水力粉曳き機、水力を利用した木造洗濯機のあるお宅を見学
サプンツァの「陽気な墓」で写真を撮ることは、今回の旅行のハイライト中のハイライトの中のハイライトだと楽しみにしていましたから、とにかく写真を撮りまくりました。
墓標の鮮やかな「サプンツァ・ブルー」に負けない、輝くような晴天も、撮影意欲を誘いました。
おかげでお墓だけで手元に60枚以上残りました。
それも、あとからデジカメの液晶画面とにらめっこして、少しでも気に入らないものは削除して厳選した上で、です。
実は、「陽気な墓」の魅力は、素朴派のような絵や美しいデザイン、大好きな青を基調とした色使い、といった視覚的要素だけではありません。
死者から生者へのメッセージという形でつづられた碑文が、ユーモラスな詩になっているのです。
それはルーマニア語の中でも、ハンガリー語からの外来語が混ざったサプンツァ地方の方言で書かれています。
1人で見学しに行ったら、ルーマニア語もハンガリー語も分からない私には、何と書かれているか、さっぱり分からなかったでしょう。
現地ガイドのニコラエさんは、私が目に留めた墓標の碑文を、一つ一つ英語に翻訳してくれました。
おかげで、墓めぐりの楽しさが倍増しました。
中にはもちろん、楽しいなどと能天気に構えていられないものもありました。
幼くして事故で亡くなった少女。まだ前途ある若者。夫や子供に先立たれ、孤独な半生を送った婦人。
戦争のせいとはいえ、殺された人の恨みのこもった碑文もありました。
「私の首は人知れず埋められたため、この墓の中にはない!」という叫びは、故人のものだけでなくも、残された遺族の嘆きでもあったでしょう。
また、前回訪れたときにはピンピンしていたという、ニコラエさんの顔見知りの墓もありました。
ちなみにこの墓碑の文言は、遺族が書いたものでも、故人の遺言でもなく、墓職人であり、この「陽気な墓」の創始者イオン・スタン・パトラッシュ(Ioan Stan Patras)氏が───そして1977年の彼に彼が亡くなった後は弟子だった後継者のドゥミートル・ポップ・ティンク(Dumitru Pop Tincu)氏が考えるのだそうです。
それも、遺族から話を聞いたりするのではなく、自分が知る故人の生前のことを思い出して、自分で詩作するそうです。
村全員のことをよく知っているからこそできることです。
「陽気な墓」の職人は、画家であり彫刻家であり詩人でなければならないのです。
「陽気な墓の創始者である墓作りのイオン・スタン・パトラシュ/
小さな少年の頃から/
私はイオン・スタン・パトラシュと呼ばれていました/
善良なみなさん、私の話を聞いてください/
私が言うことはウソではありません/
私は生きている間、一時でも/誰かに不幸を望んだことはありません/
しかしこれ(墓作り)が、私ができる最善のことだったのです/
誰でそれをあれ求める人に対して/
ああ、私のこの哀れな世界よ/
あまりに厳しいものでした、その中での私の人生は」
(RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックに掲載されていた碑文の英訳をさらに私訳したもの)
http://www.romanianmonasteries.org/buymaramuresbook.html
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「陽気な墓」の創始者イオン・スタン・パトラシュ氏の墓
現地ガイドのニコラエさんいわく、この墓の肖像画は威厳をもたせるため不機嫌そうな顔つきをしているけれど、実物はとても気さくな人だったそうです。
また、服装はこの地方の伝統衣装だそうです。
黒い皮ジャケットに青や赤の刺繍が入っていますが、青の刺繍が入っているのは高級だそうです。
そして白いシャツにはたいてい袖口などに赤い刺繍が入っていて、このように赤いヒモで前を結わくようになっています。
ちなみに、スタンが姓で、イオン・パトラシュが名前です。
ルーマニア人の名前も、日本人やハンガリー人の名前のように姓が前に来ることともあるし、西欧風に最後に来ることもあるそうです。
公的文書では姓名を先に書くそうです。
この墓を建てたのは後継者のドゥミートル・ポップさんかと思ったのですが、Lonely Planetによると本人が生前に完成させておいたものだそうです。
碑文も自分で書いたそうです(Lonely Planetでは「長ったらしい碑文」とちょいと辛辣です)。
でも、Metaneira社のマラムレシュガイドブックでは、生前に完成させられなかったと反対のことが書かれてあります。
一体どちらかしら。
彼は14才で父親を亡くしてからずっと家族を支えてきたそうですが、その彼が背負ってきた「十字架」のことが碑文に書かれています。
表紙で私訳した碑文のうち、最後の2行がきっとそれにあたるのでしょう。 -
伝統衣装を着た男性の墓
青いポケットと青いふちどりのジャケットと赤いシャツのひもが伝統な衣装。
イオン・スタン・パトラシュさんの服装にくらべると、ずっと一般的な衣装だそうです。 -
のんべぇの墓
仕事を終えて一杯!───というかんじに見えるのですが@
飲まなきゃいられない、という憂鬱そうな顔にも見えます。
窓の外には美しい森の景色が描かれています。 -
マリア様の像が見られる、少し古いタイプの墓
「ここに私は眠ります/アヌーツァ・ホルディスが私の名前です/
私はこの世に生きている間ずっと/一生懸命働きました/
私と私の夫/イオン・ホルディスが私の夫の名前ですが/
私たちはすべてを自分たちの手で行いました/
たとえ私たちに子がなくとも/
羊や牛を飼いました/
夏には家畜のために乾草を作りました/
でも私は85歳でこの生涯を終えました」
(RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックに掲載されていた碑文の英訳をさらに私訳したもの)
RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックに英訳が掲載されていた碑文(上記はそれをさらに私訳したもの)は、確か、この墓の裏に書かれてありました。
この墓標には、墓の真ん中に赤い衣の聖母マリアが描かれています。 -
車が好きだけど、ティーンエージャーで亡くなった青年の墓
墓碑に写真が付いています。
「ここに私は眠ります/ゲオルゲ・ポップが私の名前です/
山の見事なモミの木のように/私は両親の土地で生きました/
若くて気立てがよくて/
そんな私のような者は村にたくさんいたわけではありません/
軍を終えたとき/私は自分のために車を買いました/
そして国中を旅しました/
たくさんの友達ができました/
とても親切な友達ばかりでした/
これが私の好きな生き方でした/
私が青春時代を/
土の中で朽ちて過ごさねばならなくなったとき」
(RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックに掲載されていた碑文の英訳をさらに私訳したもの) -
司祭に仕える助祭の墓
この墓の絵を見て、「2人埋葬されているのですか」とニコラエさんに聞いたところ、ニコラエさんはこの碑文をその場で英訳し、この絵の司祭に仕える右側の助祭だろうと教えてくれました。
その英訳がMetaneira社のマラムレシュガイドブックにもありました。
「ここに私は眠ります/
イオン・トゥルダの息子グリゴーレが私の名前です/
私はまた、イオヌ・ハイクの息子でもあります/
40年間この村の助祭を務めました/
私は聖なる祭壇で仕えました/
私には素晴らしい息子が3人います/3本の牡丹のような/
そして私はディオカとグルガに教えました/
私のように教会で歌うことを/
神よ、彼らを祝福したまえ/
私は73才でこの生涯を終えました」
(RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックに掲載されていた碑文の英訳をさらに私訳したもの) -
トラクター運転手の墓
絵の下のデザインに、神の目が3つ!? -
夫や息子のために料理している女性の墓
-
さきほどの墓標の裏
料理が好きだけど、もうできない、と碑文で嘆いています。
絵の上のモチーフ、ピラミッドの中に神の目って、これはひょっとしてフリーメイソンのシンボル!? -
伝統的なジャケットを制作している仕立て屋さんの墓(手前)と消防士の墓(奥)
黒に青い縁取りのある伝統的なジャケット。
そして近代的な設備とともに消防士さん。 -
ジャーナリストの墓
写真付です。
勤勉な人の墓、かと思ったら、ニコラエさんが碑文を読んで教えてくれました。 -
車の事故で死亡した人の墓
かわいらしくも美しい景色なのに、絵の主題は自動車事故……。 -
司祭をよく手伝った女性の墓
碑文を読むまで、誰の墓か分かりませんでした@ -
機織りしている女性の墓
伝統的なマラムレシュ地方のお宅。
機織り機のある部屋に、赤と白の縞模様のブランケットと白い織物の枕や布団があるベッドに、壁には陶器の絵皿@ -
車の事故で死んだ少女の墓
まだ幼い少女ですよね……。 -
悪い事をした人の墓
牧歌的なイラストかと思ったら、盗んだ馬のようです。
絵の上の双頭の黒いハトは、悪魔を意味するそうです。
警告の意味が込められています。
このような墓はもちろん大変珍しく(そりゃそうでしょう@)、2つしかないそうです。 -
もう一つの黒いハトのある墓
人の奥さんをとったり、酒と女に溺れた人の墓。
右端に、金髪・赤毛・黒髪の女性の頭の絵があります。
たくさんの女性と関係したことを示しているそうです。 -
プラムを樽に詰めている女性の墓
これで果実も焼酎たるパーリンカを作るのでしょう。
でも、樽のプラムそのままでも美味しそう@ -
古くて色あせた墓標
トラックを運転する絵が描かれていますが、写真の故人はまだだいぶ若いです。 -
イコンなどの修復師の墓
ニコラエさんの知り合いの墓、亡くなったのは2005年だそうです。
前回、会ったときはまだ元気だったのに───とニコラエさん。 -
糸紡ぎする女性の墓と、墓地にある教会
ひととおり墓を見学したあと、涼をとる目的もあって、この併設の教会の中に入りました。
石造りの教会の中は涼しいですからね。
実は、この「陽気な墓」に到着し、敷地の外に車を止めたとき、塀の向こうからニコラエさんに声をかけてきた「おっちゃん」がいました。
シャツ姿で、こんがり日に焼けてたくましい、陽気な大工のおっちゃん、というかんじでした。
2人は知り合いかな、と思っていたら、ニコラエさんが話途中で、「この墓地の教会の司祭さまだよ」と紹介してくれました。
───えっ、司祭さま!? -
「陽気な墓」と、墓地にある教会
「陽気な墓」で買ったポストカードより
ニコラエさんいわく、昔(共産主義時代?)はここに正教会を建てることができなかったそうです。
許可が下りた後、村人たちの寄付に支えられながら、司祭さまが指揮をとって建てたそうです。
指揮するだけでなく、自らの手も使って。
どうりで大工姿のおっちゃんに見えたはずです@
もちろん、ミサのときは司祭服を身にまとい、どこから見ても司祭さまにしか見えない格好に「変身」するのでしょう(笑)。
この司祭さまはとても活動的な方で、いまやスルデシュティの木造教会を抜いて78メートルの高さを誇るサプンツァ・ペリの新しい木造教会の建設も、ここの教会の司祭さまが中心になって進めているそうです。 -
「陽気な墓」に併設の教会内部
イコノスタシスとシャンデリア
マラムレシュの正教会が、カトリックの教皇の権威を認めつつ、正教会の典礼を温存するギリシャ・カトリック教会に変わることで、カトリックのハンガリー王国やハプスブルグ帝国のもとで生きながらえようとしました。
その話を、ガイドのニコラエさんから、昨日のスルデシュティの教会と、この教会の中で聞きました。
1度目はピンと来なかったのですが、2度目は良く分かりました。
でも、教会の中に入ってしまえば、思いっきり正教会で、カトリックらしさは私の目にはちっとも見当たりませんでした。
ギリシャ・カトリック教会は、マラムレシュ地方だけでなく、今まで訪れた他のトランシルヴァニアの町にもありました。そして、マラムレシュ地方とトランシルヴァニア地方はその翻弄された歴史においては一蓮托生な時期もありました。
なので、きっと今までも、ルーマニア正教会だと思いながら見学して、実はギリシャ・カトリック教会だった、というのは、意外にあったかもしれません。
(と思ったのですが、むしろ本来のルーマニア正教会に戻った教会も多かったかもしれません。) -
「陽気な墓」に併設の教会内部
天井とシャンデリア
この教会は、ハプスブルグ家支配下ではカトリック教会を名乗っていましたが、中身はルーマニア正教会だ、とニコラエさん。
ギリシャ・カトリック教会と正教会の見分けがつかない私に、ニコラエさんがポイントをいくつか教えてくれました。
カトリックの名残は、とんがったアーチの窓や、一廊式に見せかけた中の構造、つまりプロナオス、ナオス、といったように部屋が分断されていないところなどだそうです。 -
「陽気な墓」に併設の教会
天井画
一番大きく写っているのは、「イエスの誕生」でしょう。それとも「マリアの生涯」かしら。
左に「最後の晩餐」がちらりと見えます。 -
「陽気な墓」に併設の教会
イコノスタシス上部
一番上は、真ん中にイエスのイコン、そして左右に12使途たち。
その下は、イエスの生涯の場面のイコンが並んでいます。
イコノスタシスは飾られるイコンの図柄は、こういう風にだいたい決っています。 -
香木入れ
「陽気な墓」に併設の教会にて
司祭さまが「聖別」の儀式を行うときに、聖水をふりかけながら、これを振り回し、鈴をシャンシャンと鳴らします。
そんな写真が、マラムレシュの写真集にあります@ -
香木入れ
「陽気な墓」に併設の教会にて -
「陽気な墓」に併設の教会
背後の2階
カトリック教会ならここにパイプオルガンがあるところですが、正教会ではここの2階は少年たちのための席です。 -
陽気な墓のチケット売り場で買ったパンフレットと私の旅日記の一部
SAPANTA───「サパンタ」ではなく、「サブンツァ」です。
Aの上に山形がちょこんと乗っている場合は「ウ」、谷型がちょこんと乗っている場合は「ア」と読みます。
ついでにTの下にちょろんとおまけがあると、ツァ、ツィ……となります。 -
陽気な墓の墓標の故人の特徴を示すイラストの浮彫部分の写真ずらり
サプンツァ・パンフレットより -
陽気な墓に併設の教会の司祭さま
サプンツァ・パンフレットより
現地では大工のおっちゃん?───と勘違いしかけた司祭さまの艶姿@
司祭さまの名前は、ルツァイ・グリゴーレ(Lutai Grigore)というそうです。 -
雪景色の陽気な墓
サプンツァ・パンフレットより
さすがにこのような雪景色を観光客が見る機会はおいそれとないでしょう。
というのも、厳しい冬は、マラムレシュ地方は雪で閉ざされ、バスも運行しなくなったりするので、観光に向いていないのです。
じっくり滞在しようというのでもなければ、このような冬にマラムレシュ地方を訪れようと考える人もほとんどいないでしょうし。
しかし、このように雪に埋もれると、さすがの陽気な墓も、墓地らしく見えます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- weepingredogerさん 2017/09/23 11:33:01
- 愉快なお墓ですね
- きれいな写真が沢山で愉快ですね。文中に「陽気な墓」に併設のギリシャ・カトリック教会とありましたが、元々教会があってそのチャーチヤード(教会附属墓)です。またギリシャ・カトリック教会とありますが、ルーマニア正教の教会(Church of the Nativity of the Mother of God)が正しいと思うのですが。如何でしょうか。
- まみさん からの返信 2017/09/26 19:57:02
- RE: 愉快なお墓ですね
- weepingredogerさん、はじまして。コメントとご指摘ありがとうございます。
あらためて自分の旅行記と資料にしたものを読み返してみました。なつかしかったです。
教会が墓地に併設というのはたしかにおかしかったですね。私は墓地ばかりに注目していたので、教会の方がおまけ感覚になってしまったせいだと思います。
ギリシャ・カトリックの方は、ガイドのニコラエさんがルーマニアのGreek-Cathoric Churchの説明をしてくださったのですが、現在は正教会に戻っていると言われていたので、おっしゃるとおり今は正教会なのだと思います。
この教会の名前を教えてくださってありがとうございます。裏付けとして地図を検索したのですが、あの当時はあとからなかなか分からない教会の名前も地図でかなり調べることができて、今はとても便利になりましたね。
コメントを加筆修正する予定です。ありがとうございます。
> きれいな写真が沢山で愉快ですね。文中に「陽気な墓」に併設のギリシャ・カトリック教会とありましたが、元々教会があってそのチャーチヤード(教会附属墓)です。またギリシャ・カトリック教会とありますが、ルーマニア正教の教会(Church of the Nativity of the Mother of God)が正しいと思うのですが。如何でしょうか。
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