2007/09/23 - 2007/09/23
239位(同エリア639件中)
ハイペリオンさん
- ハイペリオンさんTOP
- 旅行記150冊
- クチコミ86件
- Q&A回答32件
- 392,094アクセス
- フォロワー46人
恒例のミャンマーの秋祭りが飛鳥山公園で行われた。開催者は春とは違ってミャンマーの民主化を目指す団体、NLDである。僕は、火祭りがここの日だとは全く知らず、代々木公園のラオスフェスティバルに
行くつもりだったが、ミャンマー好きの方のブログでこの日だと知り、急遽変更して飛鳥山公園に向った。おりしも現地ミャンマーでは、僧侶たちが国民生活の改善を求めるデモを起こしたのと同時期だった。民主化同盟主催のイベントらしく決起集会風に殺伐とした雰囲気になるのかと、やや怖いもの見たさ的興味も生じたが、そこはやっぱり異国のミャンマー人らしく、のんびりと始まったのである。
なお火祭りとは、春に行われる水掛祭りと対になる行事と言っていいものである。雨季の間、僧侶たちは僧院にて修行に励むが、このことを安居(あんご)と言う。これが約3ヶ月間続く。この間、お釈迦様は天界で母親に教えを説いている。そして、雨季が終わる頃になって地上へ降りてくる。ちょうど安居が終わる頃である。だいたい10月の満月の夜なのだが、お釈迦様の足元がよく見えるようにと、仏壇や仏陀の方角とされる東側に火を灯す。これが火祭りである。ミャンマーでは仏塔の尖塔にまで火が灯されるというから、実際に見れば、かなり幻想的で美しい光景であろうことが想像される。
- 交通手段
- JRローカル
PR
-
最初は女性コーラス3人を率いたバンド。ミャンマー語のポップスを歌っていた。やっぱり目は横のコーラス3人組に向いてしまう。やっぱり...。
-
真ん中の子が一番。すらりとした長身に長く美しい髪。言うことありません。
コーラス3人組が順番にリードボーカルをとった時に激写。 -
朝ごはんを食べていなかったので、シャンそばを注文。量が多いのは助かる。一見美味しそうだが、だしに全く味がなく、ただ辛いだけ。
-
今回も出てきましたスージーQ。前回同様パワフルなボーカルだが、喉の調子が悪いのかガラ声気味。演奏も何となくイマイチ。
MCでは天気が悪いけどどうなんだろうねえ。終わりまでもつといいんだけどねえ。みたいなでどうでもいいようなことをしゃべっていた。ミャンマーの民主化を目指す団体主催のステージに出させてもらって、ここ2、3日の新聞を読んでいれば、ほかに何か言うべきことがあるんじゃないのと言ってやりたかった。ロックを演っているけど、存在はロックでもなんでもないんだね、この人たち。
ちなみにこのスージーQというバンド名。往年のロックバンド、クリーデンスクリアーウォーターリバイバルのアルバムタイトルから取ったのか。前回そのCCRの「雨を見たかい」を演奏したのもそういうことだったのか。 -
ヒップホップバンドが登場。日本語のラップを披露していた。タイトルはStop the war。
よく日本語で詞を書けたものだ感心。見事なものである。「Stop the war, stop the war」と連呼し、「戦争なんて意味ないよ、マジで!」と叫んでいた。が、なぜ心に響いてこないのだろう。気持ちはわからないではない。しかし...。
国家が引き起こす戦争を個人レベルで反対を唱えたところであまり意味がないことが、本能的にわかっているからだろうか。歌っている本人たちにもどれだけ切実感があるのか、どうも疑問に感じてしまうからだろうか。
それにしても、ヒップホップをやっている人たちには絶対デブがいる。なぜなんだろう。 -
大量に貼られた風刺画の数々。ビルマ語で書かれているからわからないが、雰囲気は伝わる。
-
女の人ばっかり撮っている自分が恥ずかしい。この方は残念ながら人妻でした。
-
彼女は春の水掛祭りでは民族衣装を着て歌っていた。それでも十分水っぽかったが、今日はかなり趣味が悪い(苦笑)。これだと風俗嬢じゃないか。
-
特に政治的なアジ演説があるわけでもなく、イベントは淡々と進んでいった。客もおとなしく見ている。イベントの出し物よりも、彼らにとって楽しいのは在日ビルマ人同士の交流なんだろう。
-
最後の方にはこういう人たちも出てきたが、みんな概しておとなしく、知り合いと歓談し、座って出し物を眺めていた。イベントの最後に民主化派との付き合いが深いジャーナリストの田辺寿夫氏の娘さんが出てきて挨拶を行った。彼女はちょっとたどたどしい日本語で現在彼の地で行われている僧侶たちのデモに触れ、「安居の間は僧院で修行を積んでいなければならない僧侶たちが外に出てくるということは大変なことなのです」「ミャンマーが一日も早く民主化されることを祈ります」と言ってこの日のイベントを締めくくった。
そして、この3日後、軍政当局は僧侶たちのデモに対して最悪の対応を行なった。多くの大衆が殴打され、僧侶は犠牲になり、日本人ジャーナリストまでが、まるで虫けらのように殺された。
当局による力ずくの弾圧は、この国での大衆運動による民主化の限界をはからずも露呈することになってしまった。たしかに、80年代のフィリピン革命や、ルーマニアの革命をみれば、必ずそこには大衆側に立った軍の姿があった。イランのイスラム革命は軍が沈黙したおかげで大衆運動による革命が成立した。少なくとも軍の一部を味方につけない限り、軍政を終わらせることはほぼ不可能だろう。
ミャンマーの軍政当局者が恐れるのは、民主化後の自分たちの立場のはずだ。政権を失った後に待ち受ける新しい権力者による責任追求を恐れている。大衆運動を力で抑え続けるのは、彼らの恐怖心の現われなのだ。しかし、このまま弾圧を続けても事態は好転するはずはない、それは彼らもよくわかっているはずである。いわば、進むも地獄、退くも地獄の彼らには進むしか生き残る道が見出せないのである。
ならば、民主化を推進する側は何をすべきなのか? 当然軍の一部を切り崩し、味方に付けることである。しかし、そんな高度で柔軟な政治力を頑固しかとりえのないようなアウンサンスーチー氏が発揮できるとは思えず、NLDの首脳部にもいるとは思えない。いたならもっと前にやっていたはずである。
日本の週刊誌では、前の駐緬大使の山口洋一氏が、軍政擁護の論陣を張り、知緬派のひんしゅくを買っていた。90年代に駐緬大使を務めた田島氏も著書の中で、「現在の状況は民主化への一過程」と言っていた。
軍政首脳部とゴルフばっかりしていた人だから、こんな言葉しか出てこないのだろう。ミャンマーにいて大衆と少しでも言葉を交わすと、出てくる言葉は軍人への悪口ばかりである。それを「ミャンマーの大衆も軍人支配を容認している」などと言ってのけるのは、いかに彼らがミャンマーの大衆のことを知ろうとせずに、ただ大過なく任期を全うすることだけを考えていた証左である。
田島さんに山口さんよ、あんたたちがミャンマーで見たものとは一体何だったんだね。もし、9月27日の光景も、「民主化の一過程」とするなら、その言葉あまりに残酷すぎはしないか?
僕はでたらめな経済運営を繰り返し、大衆を押さえつけるしか能がない現在の軍人支配を当然容認するわけはないし、だからと言ってこの日の主催者でもあるNLDをはじめ民主化勢力を支持する気持ちにもなれない。彼らにしろ、もし民主化がなってミャンマーが国民国家として再出発を果たしたとき、当然沸き起こる民族問題を処理し、連邦制を堅持し続ける方法論を持ち合わせているとは到底思えない。新しい国づくりのグランドデザインを持っていないということでは軍人どもと大した違いはないのである。
しかし、大衆は民主化勢力を選択するのだろう。しかし、それは軍人支配よりはましというレベルのものである。
また何かが起こるという情報があるが、軍人を政治権力の座から引きずりおろすためにまた違う血が流れ、血を見るに敏なジャーナリストが押し寄せ、ヒステリックに情報を流し、それを酒を飲みながら見ている自分がいるかと考えると、それだけで歯がゆいしやりきれない。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
10