2007/08/29 - 2007/08/29
11509位(同エリア17021件中)
スキピオさん
8月29日(水)
不完全燃焼の睡眠のまま、7時過ぎにホテルを出て散歩する。ホテルの場所はサン・ドニの門のすぐ近くだったので、奇跡小路(注)から、後からやって来る中学の友人たちの宿泊予定のホテル「メトロポール・オペラ」界隈、つまり証券取引所界隈まで行った。
注:「奇跡小路」とは、中世から17世紀にかけてのごろつきや乞食たちのたまり場のことで,昼間物乞いに出かけた足や目の悪い身障者たちがここに戻るとたちまち治ってしまうことから,この名がついた。ヴィクトール・ユゴーの『ノートル・ダム・ド・パリ』で活写されている。もっとも有名な奇跡小路はサン・ドニ門の近く。
写真は、メニルモンタン通りの歩道の落書き、この絵は他にもいくつかあった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
-
【テイロール通り(10区)】
この通りに、到着した日に泊まったホテルがある。インターネット予約したのだが、シャワー、トイレ付きで44ユーロだった。 -
【テイロール通りの入り口】
一見個人の家の門と思える。 -
【サン・マルタン門】
パリ市長と市参事会がルイ14世のために建てた(1674年)凱旋門、高さは17メートル。 -
【サン・ドニ門】
1672年にパリ市がルイ14世の勝利を記念して建てた。高さは24メートル、エトワールの凱旋門ができるまで、パリで最高だった。 -
【ノートル=ダム・ド・ボンヌ・ヌーヴェル教会】
奇跡小路の真ん中にある教会。残念ながら入ることができなかった。 -
【証券取引所(2区)】
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【ガイヨン広場】
この広場の向かいに、パン屋があったので、朝食用のパンを買った。アップルパイに似たパンで、ほかほかのショソン・オ・ポンムとクロワッサンを買い、歩きながら食べる。こんなこと日本にいると考えられないが、パリでは違和感なくできるから不思議だ。 -
【ルネッサンス座】
ここグラン・ブールヴァールは劇場が多い。かつて一番賑やかだった通りだ。 -
【ヨハン・シュトラウス像】
ブールヴァール・サン=マルタン沿いにある。 -
【テイロール像】
ブールヴァール・サン=マルタン沿いに、シュトラウス像と並んでいる。
通り名にもなっているテイロール男爵(1789-1879)は、作家で、芸術家の擁護者だった。後、元老院議員となる。 -
【共和国広場のマリアンヌ像】モリス作
共和国像や自由の女神像は、通称マリアンヌと呼ばれる。この共和国広場はまさにオースマン男爵の手になるものだ。この辺りから東側の地区は常に反乱の地となったために見通しのよい、広い広場にした。
僕の滞在先は、この共和国広場からメトロで一本、「テレグラフ」という駅だ。 -
【メニルモンタン(20区)の落書き・・・ネモ(?)】
滞在先で、旅装を解く。家人と半年ぶりに再会する。
昼食はメニルモンタン通りを下って途中のトルコ料理でケバブ(注)とビールをとる(6+2ユーロ)。
注:アシエット・ケバブまたはアシエット・グレックという料理で、焼き肉の削ぎ落しと,サラダ、ポテトフライ,クスクスのようなものが皿に盛られて、ギリシャ・トルコ風のパンが付く。相当な量で大体6ユーロが相場,対して、ケバブ・サンドウィッチは肉の削ぎ落しとサラダ、ポテトフライがギリシャ・トルコ風のパンに挟まれたもの。4.5ユーロくらいが相場だ。 -
【メニルモンタンの落書き『獄中』・・・メスナジェ】
題名は僕がつけました。格子付きの扉をうまく利用したメスナジェの作品です。 -
【メニルモンタン通りからポンピドゥーセンター方面を望む】
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【メニルモンタン通り】
以前紹介したメスナジェの作品。『俺たち、メニルモンタンっ子』 -
【ホテル・ド・ヴィル(4区)】
第一日目は、何はともあれホテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)の展示会を見るために、ここに足を運ぶ。 -
門衛の人が、展示会の入り口は裏側だから、裏に回るようにと言ったので、オテル・ド・ヴィルを一回りする。すると後ろに、立派な教会と広場がある。
【サン=ジェルヴェ・サン=プロテ教会】
名前は、古代ローマ時代、ネロ治世下に殉教した聖ジェルヴェと聖プロテ兄弟に由来する。
ここのパイプオルガンはパリ最古(1601)のもので、1656年から1826年まで、クープラン一族の8人が奏者を務めた。 -
広場では、貧しい人たちのための簡易レストランが開かれていた。
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【ヴェリブ(貸し自転車)の駐輪場】
オテル・ド・ヴィルの裏に、駐輪場があった。 -
【ヴェリブ(貸し自転車)の駐輪場】
これは至る所にあり、規模はほとんど同じ。今やパリは自転車だらけだ。 -
【ヴェリブ(貸し自転車)の駐輪場】
カードを持っている人は、ここの読み取り機にカードをつけて、ボタンを押せば、自転車を利用できる。カードは別の所で2ユーロ弱で買わなければならない。 -
【今回の展示会は、ダリダの生涯】
彼女は庶民に本当に人気があるのだろう。入場制限をするほどの混みようだった。もちろん、中・高年層が主な見学者だ。撮影禁止なのでその光景が撮れなくて残念だった。
注:ダリダはモンマルトルの歌手として庶民に親しまれたが,1987年に自殺する。享年54歳だった。日本ではアラン・ドロンとの掛け合いの歌『甘いささやき』が大ヒットした。詳しくは「モンマルトルの墓地を歩く」をご覧下さい。 -
【メトロ、セーヴル・バビローヌ駅(7区)】
ダリダ展の後は、奇跡のメダル教会に向かう。降りた駅は、デパート「ボン・マルシェ」のすぐそばの「セーヴル・バビローヌ」。 -
【デパート「ボン・マルシェ」】
1852年、アリスチード・プシコーはここにあった養老院を買い取り、最初はモードの店に、次に安くて何でも揃う、つまりデパートにした。これが世界最初のデパート「ボン・マルシェ」の誕生だ。ちなみに、「ボン・マルシェ」とは「安い」という意味だが、150年後の今では・・・看板に・・・あり? -
【デパート「ボン・マルシェ」のウィンドー】
この夏のテーマはトーキョーなのだろうか。 -
【デパート「ボン・マルシェ」のウィンドー】
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【奇跡のメダル教会内陣】
さて、いよいよ「奇跡のメダル教会」。カトリーヌ・ブーレ(注)のご遺体を見せていただいたが、やはり、何とも言えないものを感じた。結局,信仰とは信じるかどうかなのだ。彼女の遺体は「もしかすると蝋人形なのではないか?」そう思っているのでは、信仰とはほど遠い所にいるのかもしれない。胸の上で祈りのポーズをとりながらしっかり合わせた手、あれはまぎれもない彼女だ、と信ずることから始まるのかもしれない。
注:カトリーヌは1831年に礼拝所で聖母マリアの出現を体験する。以来この場所は「奇跡のメダル教会」と呼ばれ,カトリーヌは聖女となる。ルルドの聖母の出現を体験した(1858年)聖ベルナデットもそうだが,聖人の肉体は腐敗しないとされている。
信仰もない僕が、祈るのも変だが,滞在先のマダムが穏やかに暮らせるように祈らせてもらった。
帰りに,青い色のメダルを10個ばかり買った(10ユーロ)。 -
【ラエネク病院】
ラエネク(1781-1826)は、聴診器を発明したフランスの医師だ。1816年、彼はある婦人の診察の際、子供の遊びからヒントを得て、紙を巻いて管を作りそれを胸に当てて、音を聞いた。これが聴診法の始まりとなった。
それまでは耳を直接胸に当てて聞いたので、ご婦人たちはいやがり、不潔な病人のときは医者がいやがり、うまくできなかったらしい。 -
【メトロ、ヴァノー駅】
風変わりなメトロ駅。 -
【メトロ・ミュージシャン】
シャトレ駅の一番人気のこの場所には、常にミュージシャンが腕前を披露している。
ここで乗り換えて帰途につく。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 迷子さん 2007/09/26 14:41:12
- パロ〜レ♪パロ〜レ♪とお邪魔すます〜。
- お帰りなさいっ!
晩夏〜のパリーは如何どすたか?
おメダイも入手出来、おめでとうであります??
あの礼拝堂の内部、懐かしいっす〜。
迷子が行った日はミサが在ったので押すな押すなの大混雑どすた。
相変わらずボンマルシェのウィンドーはオサレ〜!
スキピオ様のパリー旅行紀はそこらへんのガイドブックより
読んでて為になるし、パリーの横顔が見られて楽しいのだー!
迷子はこれからチョックラ近所のスーパーに
特売の旅に出掛けますだ、後程ジックリと
拝見させて頂きますだ〜。
- スキピオさん からの返信 2007/09/27 20:21:10
- RE: モンパルナスタワーのこと
- 去年か一昨年、メトロの通路を歩いていたら、すばらしいコピーのポスターが貼ってありました。それは、モンパルナスタワーの最上階にあるレストランのものです。そこには「ここから、あなたはパリで最も美しい景色を見ることができます!」と書かれていました。
確かに、そのレストランからだけ、モンパルナスタワーは見えませんね。こんなエスプリが大好きです。
特売の旅はいかがでしたか。
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