2007/09/10 - 2007/09/10
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megmeguさん
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青春18きっぷ、最後の1回分で行った日光の続編で、東照宮の後半と二荒山神社、大猷院の旅行記です。
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東照宮の奥宮にお参りして、本宮へ。
拝殿の前にある唐門には龍がおった。
この龍、海外から取り寄せた紫檀(したん)や黒檀(こくたん)を使うた寄木細工でできてるそうや。
白いとこは胡粉の色。迫力あるなあ。
拝殿のなかは撮影禁止。
ここもお坊さんが説明してくれはる。
手の込んだ細工のオンパレードやった。
東照宮には徳川家康のほかに、源頼朝、豊臣秀吉も祀られてるそうや。
なんでやろ。
東照宮にはいろんな不思議がありそうやなあ。 -
薬師堂へ。
ここには鳴龍がおる。
お坊さんが説明して、最後に龍の顔の下で、大きな音で拍子木をカーンって打ちはった。
すると澄んだ鈴を転がすようなコロリンリンというような音が後を追って聞こえる。
こんなにはっきり聞こえる鳴龍は初めてやった。
ここも撮影禁止で、自分で確認しようと手を打ってもあかん。 -
帰りに、じっくりと陽明門を観た。
508体もの彫刻に埋めつくされて重そうやった。 -
陽明門、右側大羽目板の彫刻
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陽明門、左側大羽目板の彫刻
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一日中観てても飽きへんから「日暮門」とも呼ばれるそうやけど、その通りかもしれん。
人物の彫刻もあった。ひょうきんな雰囲気。
こんなにすごい東照宮、たった1年5か月でできあがってんて。 -
杉並木の続く上神道を通って二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)に向かうた。
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二荒山神社は、一部工事中やった。
重厚やけど、東照宮とは違うて華美さはなくて落ち着いた雰囲気。
二代将軍秀忠が東照宮を最初に建てたころに、ここも造りはったそうで、東照宮ももとはこんな雰囲気やったんかもしれん。 -
神社のお庭、神苑に入るには別に200円がいる。
そんなに大きなお庭やない。
お神輿3基が納めてある神與舎(しんよしゃ)や手招きする大黒様のいはる大黒殿もあった。
大黒殿のなかには「太郎丸」っていう大きな刀剣も展示してあった。
大黒殿の横には運試しの輪投げが置いてあった。輪が3つあったけど、私は絶対に入りそうになかったからやらへんかった。
縁結びの笹、子授け安産の石、弁財天、日枝神社、朋友神社(みとのじんじゃ)といろんな神さんがいはった。
奥のほうに二荒霊泉があった。
左から、若水、酒の泉、知恵の水っていう木札が立ってる。
本殿裏の洞窟から湧き出てる眼病のええという薬師霊泉と1キロほど山のほうにある滝尾神社の境内に湧く名水「酒の泉」を引いてきて合わせてあるそうや。
「酒の泉」でお酒を造ると銘酒ができるそで、境内に酒樽がぎょうさん奉納されてた。
霊泉は澄んだ味わいでおいしいお水やった。 -
化燈籠(ばけとうろう)っていうんもあった。
これに火を灯すと妖しい姿に化けたそうで、武士が切りつけた刀痕が70数か所もあるっていうことや。
よう見てみたんやけど、刀痕はわからへんかった。 -
最後に大猷院に向かうた。
ここは三代将軍家光の霊廟。
二代将軍秀忠のは芝の増上寺にあるそうや。四代目以降の将軍のは、上野の寛永寺か増上寺。
最後の将軍慶喜のは谷中霊園にあるねんて。 -
東照宮の喧騒が嘘のように、ここは静かで参拝者も少ないけど、外国の人がけっこういはった。
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仁王門にいはる阿吽の仁王様も立派。
このころにも筋トレしてる人がおったんやろうか。
輪王寺の教化部に尋ねたら、京都七条仏所の康智(こうち)さんが造りはったそうや。
この裏側に、明治4年の神仏分離で移された東照宮の仁王さんが26年間いはってんて。
仁王門の表にも裏にも仁王さんがいはったことになる。 -
ここの石畳は神奈川県根布川の石で、濡れると赤や青に変わるそうや。そう言われてみると赤かったような気がする。濡れてへんときは何色なんやろう。
御水舎(おみずや)の天井には龍の墨絵が描かれてて、昔は水盤に映ったので「水鏡の龍」「水呑みの龍」って言われてたらしい。今は墨が薄くなってはっきりとは映らんそうや。 -
階段を上がると二天門。四天王のうちの持国天と広目天が祀られてる。
その裏側には、風神と雷神がちょこんといはった。
風神の手の指は4本で東西南北を、雷神のは3本で過去・現在・未来を表してるそうや。足の指は両方とも2本で天と地を示してるねんて。
俵屋宗達の風神雷神図は足も手も五本の指やったと思う。
この風神・雷神、もともとは東照宮の陽明門にいはったそうや。それが。明治の神仏分離でここに移されてしまってんて。
仁王さんは明治30年に元の場所に戻ることができはってんけど、風神・雷神はまだ戻られへん。
陽明門の風神・雷神さんのいはった場所には、木像の武将がいはる。
いつか帰るはることができるんやろか。
風神・雷神は京都七条仏所の康音(こうおん)さんの作やそうや。 -
二天門をくぐったとこに、変わった石があった。
これは祭礼の時「幡」を建てる礎石やそうで、境内に何か所かあるそうや。
まわりに置いてある石は何なんやろう。 -
石段を上がった踊り場に案内板があって、「天界から人界庭園を眺めて御覧下さい」って書いてあった。
左手に見える建物が、大猷院霊廟の管理所、別当所竜光院。
家光さんのいはるとこが天界で、管理所は人界なんかなあ。
苔が青々とした中に石燈籠が並んでて、不思議な静けさやった。 -
石段の先には夜叉門があった。
入り口四方には、4体の夜叉像。赤は毘陀羅(びだら)、緑は阿跋摩羅(あばつまら)、白は鍵陀羅(けんだら)、青は烏摩勒伽(うまろきゃ)で、それぞれ東西南北を表す色やそうや。
ちょっとひょうきんなお顔つきやった。 -
細かい細工が施された唐門の奥が拝殿。
この先に相の間(あいのま)・本殿が続いてて、相の間まで上がることができる。
外観は黒を基調にしたシックな色使いやけど、中は金ぴかやった。
寺院の本尊は南を向いてお祀りするもんで、東照宮もそうなってる。
でも、大猷院の本殿は鬼門である東北を向いているねんて。
家光公が、「死後も東照大権現(家康公)の側でお仕えする」と遺言したからっていうそうやけど、地図で見ると、ほんまは恒例山のほうを向いて建ってるねんて。
北東向きでは寺院としての形に外れてしまうので、本殿の奥の壁の裏にもう一つ部屋を造って、そこに釈迦三尊画像が後ろ向きに掛けられて、南を向くようにしてあるそうや。 -
本殿回廊を出ると、白い壁の門がある。この門が奥院の入り口にあたる皇嘉門(こうかもん)。
奥院に、家光公が眠る墓所があるそうや。
家光公350年忌にあたる2000年4月5日から11月30日までの間は、特別に公開されていたそうや。
次に公開される時には、この世におらんか、おっても行けへんやろうなあ。 -
やっと青春18きっぷの最後の分を使うた、日光社寺めぐりが終わった。
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