2007/08/24 - 2007/08/24
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しんちゃんさん
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銭形平次(ぜにがたへいじ)が神田(かんだ)明神(みょうじん)下の長屋に住んで十手を握り江戸の町を平和にする。銭形平次の「岡っ引き」は非公認ながら町奉行・警察の末端を握っていたそうです。そんな舞台の「神田明神」を見学しました。創建は天平2年(西暦730年) 奈良時代です。歴史は古く、この時代は古事記・日本書紀・東大寺起工と言った言葉が聞かれます。30年ぶりに訪問しました。昔は地味な色合いでしたが、平成になって建て替え、まぶしいくらいに、ピカピカでした。「CATS」公演前に時間がありましたので秋葉原から歩いて行きました。
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鳥居前後はビルの谷間の「神田明神」正式名称「神田神社」
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総門(隋神門)前の説明版からです【神田神社御由緒、御祭神、一の宮:大己貴命おおなむのみこと(だいこく様)二の宮:少彦名命すくなひこなのみこと(えびす様)三の宮:平将門たいらのまさかど(まさかど様)正式名称・神田神社。東京都心一〇八町会の総氏神様で、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場・魚市場の人々からもあつく崇拝されております。・・・・略】
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青が眩しい、扁額
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隋神門わきの“立て札”よりコピーです。「隋神門欄間彫刻」隋神門四方の欄間彫刻は四神が彫られ、中央部には御祭神大國主之命の神話が描かれている。四神とは、中国古代の天文学上、北極星を中心として、東は青龍(蒼龍)西は白虎、南は朱雀(朱鳥)、北は玄武(玄武亀)夫々の星を禽獣の名をもって表された。わが国では大宝元年(701年)朝儀の儀仗に四神の矛が飾られ、それ以来、魔除けの神として崇められている。またこれらを五色に配当され、東を青、西を白、南を赤、北を黒、中央を黄とされた。近年身近なものとして、大相撲における土俵の各方位には色房を垂らしてそれぞれの方角を示しているのが見受けられる。
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隋神門右側、誰だろう?
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隋神門左側、誰だろう?うっかり、ちゃっかり、すっかり控えるの忘れました!又行けばいいや・・・
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神田神社の手洗い水
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秋葉原「メイドさん」がお客様と写真撮影に訪れていました。
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メイドさんのポーズ
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だいこく様尊像。HPでは「昭和51年完成。高さ6,6メートル重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像として建立された」と載っています。
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えびす様尊像。HPに詳しい説明がありますが要約すると「ご尊像は、海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて大海原を渡られる『えびす様』のお姿・・・東京芸術大学学長・宮田亮平教授によって、鍛金工芸の優れた技術で美しく完成いたしました」ウンヌン・カンヌンなんとか、かんとか・・・
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おみくじ捨て場!
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本殿、御社殿(国の登録文化財)だそうです。鉄筋コンクリート作りです。
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説明文からです。【「鉄製天水桶」(てつせいてんすいおけ)神田神社本殿前にある鉄製の天水桶は、その碑文から、神田あるいは新川辺りの江戸の酒屋が世話人となり、「摂州灘大石」と「筋違外」の酒屋により、弘化四年(1847年)に奉納されたことがわかります。また他に「下り・地廻り酒屋中」との碑文もあり、ここから株仲間との関わりが強く想起されます。・・・略・・・また二人の鋳物師の名前が見られますが、おそらくは神田の堀口武兵衛が仕事を請負って、川口の永瀬源七に鋳造させたものと思われます。神田神社の「鉄製天水桶」は、江戸時代の信仰の一端、特に神田神社と周辺の人々との関わりを考える上で、欠くことのできない貴重な資料です。】
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本殿前、右側の「鉄製天水桶」(てつせいてんすいおけ)
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境内内案内図
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立て札説明板からです「銭形平次碑」銭形の平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公である。平次の住居は、神田下の元の台所町ということになっている。此の碑は、昭和45年12月有志の作家と出版社とが発起人となり、縁りの明神下を見下ろす地に建立された。石造り寛永通宝の銭形の中央には平次の碑、その右側に八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が建てられた。
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右側に八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑
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「国学発祥の地」ネットからです「荷田春満が江戸に下ってより初めて国学の教場を開いたのが、当神社社家芝崎邸内であったことから江戸における国学の発祥の地とされている」碑文は長〜いので略!!
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立て札説明板より「祖霊社」この世に生を受け社会生活をする者が、ご先祖の遺徳を偲び怨霊に感謝の祈りを捧げる場所が祖霊社であります。この祖霊社には、神田神社一千二百有余年の歴史の中で、当社を崇拝され、お力を、お尽くし下さった、先人の御霊や護国の英霊を始め、氏子・崇拝者各位の先祖の御霊がお祀りされています。以下略・・・・(長〜い、んだもん)
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「水野年方顕彰碑」説明板よりのしんちゃんの要約です。【この顕彰碑は浮世絵系、日本画家“水野年方”を顕彰(けんしょう)するために門人らが建設したものである。江戸時代最後に生まれ明治時代後半に物故となりました。やまと新聞を初めとする新聞雑誌の挿絵(さしえ)を担当、新聞は一段の発展をとげたそうです。神田東紺屋町(神田山本町)に深く関わりがあり門弟も多く千代田区の歴史を考える上で重要だそうです】高さ3.78m正六角形一辺40.7Cmだそうです。
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“立て札”よりコピーです。「末広稲荷神社」【当社御創建の年代は不詳でありますが、元和二年(1616年)頃のもので、極めて古い神社であります。昔より、庶民信仰が篤(あつ)く、霊験あらたかな出世稲荷さまとして尊崇されている。現社殿は、昭和41年2月28日に東京鰹節類卸商組合の有志により再建された】
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しんちゃんの後に、メイドさんが付いて来たのか、メイドさんをストーカーしたのか定かではありません。
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「金毘羅大神」と「三宿稲荷神社」
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「江戸神社」神田明神HPからです。【ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)大宝2年(702)江戸の地=現在の皇居内=に創建された江戸最古の地主神。現社殿は平成元年、神田市場の移転により、大神輿を御神座として再興された】
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左下説明板より「江戸神社本社神輿」神田市場大神輿、この神輿は昭和33年5月に鳥越鹿野神輿製作所に於いて名人鹿野喜平一生一代の作であります。精巧と筆麗さを誇りその大きさは公称台輪四尺三寸重量は千貫で現存日本一の大神輿です。江戸神社奉賛会
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30年前に訪問時にもありました明神甘酒(天野屋)当たり前、歴史は神田明神と同じくらい古いお店です。
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江戸言葉?「かうぢ」漢字では“麹”です。
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甘酒の元、麹は「五杯分:700円」「十杯分:2000円」・・・「25杯分:3900円」等々様々でした。
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明神甘酒(天野屋)店内HPは「http://www.amanoya.jp/」お店の地下に麹菌を作る「土室(むろ)」があるそうです。
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明神甘酒「380g:735円」
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お店の西側はレトロ調の喫茶店で甘酒を・・・
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東側「お店」西側「喫茶店」
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有名人も訪問
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いつも思いますが、サインは、いつ、どこでも誰が読んでも、分かるサインにして下さい。お願いします!と言う訳で「神田明神」訪問記終了です。まだまだ沢山、歴史が一杯ある場所であります。ハイ!
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