2003/09/05 - 2003/09/06
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SUOMITAさん
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今回はParisへの学会旅行であったため、フランクフルト→(列車)ルクゼンブルグ→(列車)パリ→ミュンヘン(インスブルックへ行く)→ヘルシンキ→(夜行列車)→ロバニエミ(ラヌア)→ヘルシンキ→ミュンヘンとかえってきた。HEL1550発LH5233便でMUC1750着。タクシーで再度市内へ。今回はFourpoints by Sheraton Munchen Centralとした。オクトーバーフェストの会場近くのTheresienwieseにある。(ちなみに2004年の学会もこのちかくのババリアホテルにとまった)静かでよいところである。
到着後初めてミュンヘンの町にでる。Odeonsplatzで降り、レシデンツや市庁舎をみてMarienplatzへ。そしてAugustinerのビアレストランのバルコニーでたらふくビールを飲む。やっとバイエルンに来たと思う。中央駅で地下鉄でTheresienwieseへ。
翌日はダッハウへ。S2という近郊電車で20分。小さな郊外の町であった。帰ってきてから12時の新市庁舎のグロッケンシュピールを見る。三越付近のお土産屋によって少し買い物のあと1530発のLH714で日本に。
少ない時間のミュンヘンであったがそれなりに楽しめたし、ダッハウが印象的であった。
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ダッハウの強制収容所。3万人がここで殺されたと。私たちが驚いたのはここがミュンヘン郊外で、塀のすぐ外側には一般民家があったことであった。普通の市民が生活していた隣に収容所とは。当時のドイツ人にとってはあまりに日常的な光景だったのか。ヒットラーのミュンヘン蜂起などナチスの歴史をおもいだす。
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ここにはユダヤ人のみでなくロマの人々、精神障害者、身体障害者、さらには共産党、社会民主党員までが収容されたと。ファシズムのおそろしさと今の時代につうじるきな臭さを感じた。帰りはずっとバスをまっていたがなかなかこなかった。少し歩いてもっとバスが来る道まで行き、何とかバスがきた。帰る日だったので少しあせる。
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最後にグロッケンシュピールを聞くことができた。なかなかこったし掛け時計で必見の価値はある。
今回のたびは16日間のながきにわたり、5カ国をわたった。最初は学会で緊張していたが、最後にダッハウをみて歴史を考えさせられた。フィンランドの歴史やエストニアの歴史、そしてもちろん日本の歴史など第二次大戦前後の歴史は私たちに多くのことを語ってくれている。
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