2006/10/18 - 2006/10/24
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ジャクリンさん
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頤 和 園は北京市内から25km程北西の郊外にあります。12世紀に皇帝の離宮として造園されたのが始まりで、その後、清朝末期に西太后によって完成されました。
庭園の広さは約300万平方m,も有ります。その庭の中の昆明湖は数100年かけて平地を掘り、そしてその土で万寿山を築きました途方もない広さと時間・・・こんな企画も広大な土地を持つお国柄だこそ出来るんでしょう・・・
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頤和園は入り口から目を
見張るようなカラフルな彩色です。
門の向こうに仁寿殿が
見えています。 -
仁寿園は頤和園で一番重要な建物です・・・
此処で西太后が政務を執ったり外国使節との接見を行った場所です。ちょうど改装中で、3000年も
前の銅製の鏡や色とりどりの貴石を飾った花籠などを目にすることは出来ませんでした。残念! -
この像は角は鹿、顔は狼、蹄は馬、
背中は龍、尾は牛、の中国の伝説上
のチーリンです。
キリンビールのマーク
で色も分かリますヨ・・・・ -
自然に出来た坑です。沢山の数
ですが忘れました・・ -
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暫く歩くと昆明湖たどり着きました。
遙か向こうに仏香閣が見えています。この湖は庭園の中に造られた池なんですね。
大きさに驚き!あきれるばかりです。 -
仏香閣は高い石の上に建てられて四重の塔です
堂々とした構えのこの塔から頤和園全体の景色が見おろせます -
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路上で太筆に水を含ませて書を書いている小父さん小母さんがいました。流石書の国!
お上手です -
光緒帝が10年間に渡り西太后によって軟禁され
ていた玉欄堂です。こんな綺麗な場所
なので軟禁されていたなんて想像出来ませんが
堂の門は今も煉瓦でふさがれている所もあり
光緒帝が外界と接触出来ないようにした証拠が
残っていると云う事です。 -
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楽寿殿
西太后の居室です。食事は目で見るだけの観賞用テーブルと食べるテーブル。主菜が60皿、菓子・くだもの30皿、山海の珍味が120皿。一日の食費は、白米5トンが買える価値、白銀60両も使ったそうです。
ほとんどの残飯は僕が食べたんでしょうけど・・・ -
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同じような門が次々に現れて自分で撮った
写真もこんがらがって分からなくなって
しまいました。 -
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長廊・・・
長さ728mの回廊です・・昆明湖沿いに弧を描いてます・・ -
柱の梁は歴史、古典文学、神話などが約8000描かれています
三国志・西遊記なども描かれています -
長廊の途中には、いくつか あずまや があります
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梁に描かれた絵は、風景画や歴史、神話、その他諸々・・
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雲輝玉宇。すぐ後ろは昆明湖ですがよく見えません
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排雲殿です。後ろに一寸見えるのは仏香閣です。
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混明湖に浮かぶ遊覧船
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「絶対沈まない船」すなわち「絶対に覆らない王朝」
の意で造られた石の船です。1750年乾隆帝の時代に建
てられた時、屋根は中国風でした。 -
船は湖の景観を楽しむ
為に、また清国の安定性を象徴する為に建造されました。
1860年の英仏連合軍の焼き討ちで上層部分が焼失します。
その後大理石のようにペイントした西洋風の木造屋根に
変わりました。船体は大理石で36mあります
絢爛豪華な贅を尽くしたこの園を西太后はこよなく愛し晩年は長期滞在したそうです。誰でも居心地良いですよネ〜・・・
このあと北京で輪タクで胡同巡りです。
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