2006/10/15 - 2006/10/26
322位(同エリア602件中)
rojinさん
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- 旅行記44冊
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- 160,381アクセス
- フォロワー7人
アドリア海に面した南イタリアは、複雑な歴史をもつ地域だが交通の不便なこともあり、なかなか行くチャンスが無かった。今回トレッキングの好きな友人との二人旅でバーリを出発点に、マルチーナフランカ~ローコロトンド~アルベロベッロ~レッチェと白い迷宮都市を巡った後、世界遺産のアマルフィ海岸とカプリ島のトレッキングに出かけた。
心の温かい地元の人達との触れ合いができて100%満足のいく旅になりました。
<実際に喋った片言イタリア語:例>
空港にてバス停の場所を聞く
すみませんが(女性に)Scusi signora!
バス停はどこ? Dov'è la fermata?
ーー(返事) あそこよ A là
わかった ありがとう Va bene. Grazie.
バスの運転手さんに行き先を聞く
すみません!これは市内へ行く?
Scusi sinore ! Questo va a centro?
ーーうん、駅へ行くよ
Sì. Alla statione.
わかった。有難う Va bene. Grazie.
レオンドーレ・ホテルへ行きたいんですが OK?
Vorrei andare a Hotel Leon D'oro. OK?
ーー大丈夫だよ OK.
ホテルのチェックインをする
今晩は! Buonasera !
名前は コ・オ・ノ Mi chiamo K-O-N-O.
日本からきました Vengo dal Giappone.
今夜、シングルを2つ予約してあります
Ho prenotato due camera singole stanotte.
これが予約書です Ecco la conferma.
ホテルの受付で
6時にモーニングコールをお願い Vorrei la sveglia alle sei.
ーー了解 Sì.
朝食は何時? A che ora è la colazione ?
ーー 7時です Alle sette.
わかった Va bene.
鉄道駅にて切符を買う
お早う!マルチーナ・フランカまで切符2枚下さい
Buongiorno!Per Martina Franca,due,per favore.
ーーSì.
時刻表を見せて? Mi fa vedere l'orario ?
何時に出発 ? A che ora parte?
ーー次は8時22分 Il prossimo 8.22.
一番線です Binario uno.
分かった、有難う Ho capito. Grazie.
ワインの店で
こんちわ!ちょっと見ていいですか?
Buongiorno ! Posso vedere ?
どのワインがおすすめ?Che vino consigliarmi?
ーーこれですよ Questo.
この白ワインは幾ら? Questo vino bianco quanto costa ?
ーー4.5ユーロです 4.5 Euro.
OK これを下さい OK. Prendo questo.
日本から来たんですが Sono vengo dal Giappone.
写真を撮らせて? Posso farLe una foto?
ーーうん、いいよ Sì, Sì.
有難う!さよなら! Grazie ! Arrivederci !
以下省略
なお、イタリアへ個人旅行するのは3回目なので、少しはイタリア語を喋るのに慣れてきた感じがしましたね。
(持参カメラはデジカメFinepix)
(写真の半分以上は同行のS氏が撮影したものです)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(写真は私鉄バーリ駅のホーム)
ミラノ国際空港で国内便に乗り継いでバーリ空港に到着したのは深夜23時少し前。市内行き最終バスが23:15に出ることを事前に調べてあったので、バス停へ急ぎました。
空港出口で掃除中のオバサンに、
「 Scusi signora ! Dov'e la fermata ?」
( すみませんが、バス停はどこ ?)
と聞くと、
ーー” A là ” ( あそこよ )
「 Grazie ! 」 ( 有難う! )
旅で最初に喋ったイタリア語だが簡単に通じました。
乗客は、我々を含めたった4人だけ。飛行機を降りた他の人々は迎えの車や自分の車の置いてある駐車場へと散っていったのです。
ここの空港は照明も明るい上に、巨大駐車場が完備している近代的空港で、治安の悪さなど全く感じ無かった。
やってきたシャトルバスの運転手さんに、
「 Scusi sigore! Questo va a centro ?」
( すみません! これは市内へ行きますか ?)
ーー” Sì. Alla statione. ”
( うん 駅へ行くよ )
1人4.5ユーロの運賃を二人分を手渡しながら、
「 Vorrei andare a Hotel Leon d’Oro. O K ? 」
( ホテル・レオンドーロへ行きたいんですが、 O K?)
ーー” O K ”
すると、乗客の一人が英語で、そのホテルは駅前にあるよ、と
教えてくれたので助かりました。
「 Ho capito. Grazie ! 」( 分かった、有難う ! )
バスは20分ほどでバーリ駅前に到着。
駅前の広場の向こうにホテル・レオンドーロのネオンが見えたので一安心。
ホテルのチェックインもイタリア語で挑戦してみた。
"Buonasera! Mi chiamo KONO,venngo dal Giappone.
Ho prenotato due camere singole stanotte.
Ecco la conferma. "
( 今晩は! 日本から来たコウノです。今夜シングル2部屋を
予約してあります。これが予約書です。)
ところが、ここで思わぬハップニングが起きてしまったのです。
レセプションの男性が、満室で駄目、代わりに駅の裏側のホテル・エクセルシオールを準備したから、そこへ車で送ってやる、と言うのです。(英語)・・・・・・
文句を言ってもはじまらない、諦めるしかありません。
本当に旅はなにが起きるか分からないですね!!
しかし無事に別のホテル・エクセルシオールに宿泊出来てよかった。新築したての設備は完璧、快適なホテルだったからです。
翌日、旅の出発点バーリから私鉄・Sud-estの電車に乗ってマルチーナ・フランカへと向かいました。
まず切符を買う必要があります。
切符売場は私鉄ホームの端っこにありました。
「 Buongiorno! Per Martina Franca,due, per favore.」
( お早う! マルテイーナ・フランカまで2枚 ください )
-- ” Sì. ”
「 Mi fa vedere l'orario? 」
( 時刻表を見せて?)
-- ” Il prossimo 8.22 . Binario uno. ”
( 次の電車は8時22分、1番線だよ。)
「 Ho capito. Grazie! 」
( わかった、有難う!)
こんなやりとりで簡単に切符が買うことができました。
終点のマルテイーナ・フランカで下車し、駅前に出ると、家の少ない坂道が広がっています。地図で見ると今日泊まるホテルは、離れた丘の旧市街の近くにあるので、駅前にあったスーパーで道順を尋ねました。
「 Buongiorno! Scusi signora! Vorrei andare al
centro storico. Dov'è la strada ? 」
( 今日は!すみません! 旧市街へ行きたいの
ですが、道順は?)
-- ”Centro storico? Andare apiedi? ”
( 旧市街? 歩いていくの?)
「 Sì.(ええ)」
--- ”A destra, sempre diretto. In fondo,giri a sinistra,si trova centro storico. ”
( 右へ真っ直ぐ行くのよ。そして突き当たりを左に行 ったら、旧市街へ行くわ。)
「 Ho capito. Grazie mille! 」
( 分かった。どうも有難う!)
教わった通りの坂道を、リュックを背負って旧市街を目指して歩いて行きました。 -
(写真はワイン・ショップの店主)
旧市街へく向かって歩いて行くと、途中、ワイン・ショップが道端にあったので覗いてみることにしました。
「 Buongiorno! Posso vedere? 」
( 今日は! ちょっと見ていい?)
「 Che vino consigliarmi? 」
( どのワインがおすすめ ?)
-- ” Questo. ”
( これさ )
「 Questo vino bianco,quanto costa? 」
( この白ワインはいくら? )
-- ” 4.5 euro. ”
( 4.5ユーロ )
フルボトルの白ワインが700円弱なら買得かな。
「 OK. Prendo questo. 」( OKこれをください )
「Sono vengo dal Giappone. Posso farLe una foto?」
( 日本から来たんですが、写真を撮らせて?)
-- ” Sì. Sì. ”
( いいよ )と快諾してくれたのでパチリ。
「 Grazie! 」( ありがとう!)
-- ” Prego. ”( いやーどうぞ ) -
ワイン店の主人との記念写真です。
-
30分位歩いて辿り着いたマルチーナ・フランカの旧市街は風情のある街でしたね(写真)。 昔の王宮もありましたよ。 歴史書によれば、イタリアでは異民族の外敵から身を守る必要があった為、丘の上に街を築くことが多いようです。
-
旧市街の王宮から5分ほどの近くに予約したホテルがあって、そのホテルの前には公園があり、遠足でしょうか、小学生達が先生に引率されて集まっていました。
-
予約済みのホテルの名前は<HOTEL VILLA DUCALE>ー
4つ星ホテルです。
「 Buongiorno! Mi chiamo K-O-N-O,vengo dal Giappone.」
( こんちわ! 日本から来た コ・オ・ノです)
「 Ho prenotato due camere singole per tre notti.」
Ecco la conferma.
( シングルを2部屋3泊で予約してあります)
-- ” Ah, signor KONO ”
( ああ コ・オ・ノさんですね。今部屋を片付け
ているので、1〜2時間したら入れますよ )
「 Ho capito. Allora posso lasciare questo bagaglio
qui ? 」
( わかりました。では荷物をここに預けていい?)
-- ” Certo. Prego.”
( 勿論、結構ですよ )
「 Avete una pianta della città? 」
( 街の地図はある ?)
-- ” Sì. Questa. Ecco la prego. ”
( はい これです。どうぞ )
「 Grazie. Posso farLe una foto? 」
(有難う。 写真を撮らせて )と頼むと恥ずかしがって・・・・・
でもパチリとシャッターを切って 「 Grazie!」 -
荷物をホテルにあずけて、早速マルチーナ・フランカの旧市街の散策に出かけることにします。 迷路のような旧市街を通り抜けて反対側に出たら 途中で通りかかった人がスーパーの買い物籠を下げていたので、スーパーの場所を教えて貰いました。
そのスーパーで水、牛乳、白ワイン、ヨーグルト、パン、ハム等を買い求めてから、宿へ戻ろうとしたら、旧市街の迷路に迷いこんでしまったのです。
そこへ、柿をダンボール箱に一杯詰め込んだ夫婦が
通りかかったので、
「 Scusi signore! Dov'è la Palazzo Ducale? 」
( すみません! 王宮はどこでしょうか? )
-- ” Ah, questo strada. ”
( ああ、それはこの道ですよ )
スーパーのビニール袋を手にした二人の東洋人を見て親切心が動いたのか
”この柿をどうぞ ”と奥さんが熟れた柿を4〜5個くれる。
「 Quanto costa? 」
( いくらですか? )と聞くと、
-- ” No,no. Prego! Prego! ”
( いや、タダですよ。どうぞ、どうぞ )
「 Grazie mille! 」 ( どうも有難う!)
「 Sono vengo dal Giappone. Posso farLe una foto? 」
( 日本から来たんですが、写真をいいですか? )
-- ” Sì, Sì. ”
( いいですよ )と喜んで応じてくれました。
「 Grazie! Chiao! 」
( 有難う! さようなら!
-- ” Chiao! Buon viaggio! ”
( さようなら! 良いご旅行を! )
思い出の一幕となった次第です。 -
翌日は、ローコロトンドとアルベロベッロへ日帰り観光に出かけました。
実は、はじめマルチーナ・フランカ駅から鉄道で行く予定だったのですが、生憎ストライキの為、バスに急遽切り替えるハメになってしまったのです。
そのストライキというイタリア語<SHIOPERO> の発音を駅員さんが<ショーベロ>と喋ったので、はじめ何のことか分からず、駅で困ってしまいました。
ホテルから駅までの道のりは1KMもあり、結局往復して宿の近くのタバッキ店まで戻り、そこでバス切符を買い、バス停と発車時刻を教えてもらったのです。
「 Vorrei andare a Locorotondo.」(ローコロトンドへ行きたい)
「 Due, per favore. 」( 2枚ください )
「 Dov'è la fermata? 」( バス停はどこですか ?)
-- ” A là. ”( あそこだよ )
「 A che ora parte il prossimo pullman? 」
( 次のバスは何時発車ですか? )
--” Otto trenta. ”
( オットートレンタ )
オットートレンタ? 意味がすぐに分からなかったので、
「 Può scrivelò qui? 」
( ここに書いてくれませんか )と頼むと、
紙に8:30と書いてくれた。そうか8時半のことなのか!
「 Ho capito。 Grazie! 」
( わかった。 有難う!)
やってきたバスに乗り込む際、運転手さんに、
「 Per Locorotondo? 」( ローコロトンドへ行く? )
-- ” Sì. ”( うん )
「 Può dirmi quando devo scendere? 」
( 降りるとき教えて? )
と頼むと頷いてくれます。
「 Ho capito. Grazie. 」
( 分かった 有難う!)
写真はローコロトンドへ向かうバスの運転手さん。 -
ローコロトンドへ向かう道中でバスから見かけた尖がり屋根の小屋。これが<トウルッリ>という珍しい家です(写真)。
運転手さんの合図でローコロトンドのバス停で降りたのですが、5差路の交差点だったので、方向が分からず戸惑っていると、親切な運転手さんが席から顔をだして、手で示してくれました。
「 Grazie !」( 有難う !) -
ローコロトンドは丘の上に位置する不思議な迷宮都市。立ち寄る観光客が少なく、地元の人の態度は、とても温かく親切でした。
又ここの白ワインは知る人ぞ知る逸品だそうです。地元の人に進められたレストランで昼食時に白のグラス・ワインを飲みましたが、あまりにも美味しかったので、思わずチップを多く出してしまいました。 -
旧市街へ向かう坂道を歩いていると、日向ぼっこをしている地元の老人を見かけたので、「 我々二人が日本からの観光客だ、」と話しかけるニッコリ。
-
旧市街の真ん中に小さな観光案内所があったので立ち寄ると、担当の男性が、地図をくれたり、トイレの場所も教えてくれたり、とても親切に応対してくれました。
-
迷路のような路地にまで清掃人がやってきてゴミ収集をやっていた。話しかけると笑顔が実に爽やかだ。
買い物袋を抱えたオバサンに、スーパーマーケットの場所を教えて貰ったり、ワインショップの主人には、地元でも評判の美味しいリストランテを紹介して貰ったり、散策中に出会った地元の人達との愉しい出会いができました。
こちらが、「 Sono vengo dal Giappone. 」(日本から来た)
と言うと、皆んな満面の笑顔で応えてくれたのです。 -
ローコロトンドの街中で見かけた教会をスケッチしてみました。
-
先ほどの5差路のバス停まで戻り、今度は別のバスでアルベロベッロへと向かいました。
行き先が違うと、バス停も別の場所になるので、近くの切符売りの店( GIORNO という看板がある店 )で予め聞いておいたので難なくアルベロベッロの鉄道駅前に着くことが出来ました。
世界文化遺産に登録されているアルベロベッロですが、トウルッリと呼ばれている尖がり屋根の石積小屋は、バスの中からも多く見られ、日常生活に密着した住居の一部なんだ、ということがよく分かりました。 アルベロベッロという地区は、それらのトウルッリが密集している特殊な場所で、すっかり観光地化しています。
バス停から歩いて20分ぐらいの場所です。
その隣に接しているアイアピッコロ地区(写真)は、今でも地元の人々がトウルッリで生活していました。 生活感が感じられましたね。 -
観光地化していないこの地区の住居群を散策していると、一人の
地元老人に出会ったので、トウルッリを背景に我々二人の記念写真のシャッターを押して貰らいました。
その老人の嬉しそうな対応が印象的でした。 -
写真はトウルッリを修復している珍しい光景です。
アルベロベッロを散策してから、宿のあるマルチーナフランカへは鉄道で戻りました。ストライキは午前中だけだったんです。 -
翌日、鉄道で片道2時間のレッチェへ日帰り観光に出かけました。レッチェは古代ローマ帝国の支配下に栄えた古都ですが、その後ビザンテイン帝国、ノルマン人、ドイツ人、スペイン人の支配を受けた複雑な歴史をもっています。
写真はレッチェ駅のホームです。
疾駆する電車の窓から眺めた南イタリアの大地には、オリーブの木々が茂り、それらの幹が全て斜めに傾いています。アドリア海を吹き抜ける風のせいでしょう。
そして土地の表面には石灰岩の堆積している様子も見えました。
バロック建築に使われる石灰岩は、雨水を含むと硬く凝縮するので、建築物が数百年も保たれるといわれます。
終点のレッチェ駅で降りたのは数人しか居ませんでした。
私鉄と国鉄の合流点がレッチェ駅です。
帰りの切符を予め買っておこうと思い、どこに私鉄の切符窓口が
あるかなあ・・・国鉄の窓口で聞いてみた。
「 Scusi signore! Dove posso comprare il biglietto
per Sud-est ? 」
( すみません、Sud-est線の切符はどこで買えますか?)
ーー” A la giri a destra,lo si trova. ”
( そこを右に行った右側だよ )
「 Va bene. Grazie.」
( わかった。 有難う。)
イタリアでは私鉄の切符売り場はホームの中、待合室のような所にあることが多いんですね。 バーリ駅もそうでした。 -
レッチェの市街地図は国鉄のインフォメーションで貰いました。
「 Buongiorno ! Avete una pianta della citta ?」
( こんちわ! 街の地図がありますか ?)
ーー” Sì、Ecco la prego. ”( はい、どうぞ )
地図には観光向けに散策ルートが、赤色、緑色、黄色と3つに区分されています。 S氏と相談の上、緑ルートから始めることにしました。
歴史の重みを感じさせる旧市街の石畳の路地を辿って行きますと、軽トラックで野菜や果物を売っている行商人がいましたので、足をとめ、ミカン、バナナ、オレンジなどを買い求めました。
近所のオバサン達も買っていましたよ。
城壁の門を潜って旧市街に入りましたら、急にヨーロッパ人の観光客が多くなり、歴史的遺産の<円形闘技場>や<古代ローマ劇場>がありました。
この辺が旧市街の中心地なのでしょう。
次に黄色ルートの路を散策することにします。 -
地図を頼りに歩いていたのですが、複雑な路地が多く道に迷ってしまい、困ってしまいました。 運良く道端で背広姿の男性が立ち話をしていたので、
「 Scusi signore ! Mi sono perso. Dov'è siamo ? 」
( すみません! 道に迷ったんですが、ここはどこ ? )
持っていた地図を差し出すと、ペンで印をつけてくれましたので助かりました。
「 Ho capito. Grazie ! 」
( わかりました。 有難う ! ) -
狭い石畳の路地には、こんな果物屋さんも並んでいます。
この店でミカンとバナナ・オレンジなどを買い求めたましたが、
近所のオバサン達も買い物にきている生活感溢れた店です。 -
レッチェの散策をしているところです。
-
流石にレッチェは大都会ですね。アフリカ系黒人の人々も見かけました。
-
今日で旅も五日目です。これからイタリア半島を横切ってアマルフィまで行く長距離移動せねばなりません。マルチーナ・フランカの宿をチェックアウトをする際、受付の女性二人に写真を撮らせてと頼むと、今度は喜んで二人並んで笑顔で応じてくれました。
Grazie! Arrivederci ! ( 有難う! さよなら !) -
3連泊したマルチーナフランカからターラント経由サレルノ経由アマルフィへと向かう7時間の長距離移動です。
ガイドブックでも乗り継ぎの詳細が分からず不安が一杯だったのですが、ラッキーにも実際にはスムーズに進みました。
まず、ターラントまでのバスの運転手に、このバスは国鉄駅に停まるか尋ねたら、
ーーSì. Vicino stazione.
( うん、 駅近くにね )
実際に4〜5分のところにターラントの駅があったのです。
駅で、今度はサレルノまでの切符をを買うと、5分後にバスが出るよ、そのほうが早くサレルノに到着する、と言われて
電車をやめて、バスに乗り込みました。
予定より1時間早く、サレルノ駅前に着くことができてほっと
したのですが、 問題はここからアマルフィ行きのバスにうまく乗れるかどうか。 ガイドブックによると、バス乗り場が不明で、どのバスかも分かりにくい由。
駅構内入り口のEDICOLA の看板がある店内でバス切符を買ったさいに、 アマルフィ行きバスはどこで乗れるか?と聞いたら、
ーーA là。 Ah ! Qello pullman !
( あそこ。 あ! あのバスだよ ! )
店のすぐ前にやってきたバスを指して叫んだ。
Grazie !
アマルフィ行きバスに無事乗れたのですが車内は満員。
学校帰りの生徒たちが大勢乗っていたのです。
バスは海岸沿いの崖道をどんどん北上していきます。
( 写真は人波で混雑するサレルノ駅前のバス停 ) -
アマルフィは昔は海運貿易港として栄えた歴史ある街。
住宅は狭い海岸から急峻な崖の上へ上へと積み上げるように建っています。
狭い道路を行き交う車で大変危険な場所でもありますね。
我々が乗ったバスは15時頃、漸く終点のアマルフィへ到着しました。 -
アマルフィは流石に人気の観光地ですね。至る所に観光客が目に付きます。
-
たまたま学校の下校時間に遭遇したらしく、地元の生徒達が元気に家路に戻る光景が実に躍動的です。
-
同上
-
親が迎えにきている姿もありました。
とにかく活気溢れる街です! -
-
アマルフィには世界から観光客が集まりますね。
-
予約済みの宿は港から徒歩数分の所にある<LIDOMALE>という三つ星ホテルです。その女主人は貫禄十分。(写真)
海岸の道路沿いに数軒建っているうちの一つです。
玄関はぐるっと回り込んで、大聖堂のある広場から入ります。
ここに3連泊して近くの絶景の街<ラヴェッロ>や<ポジターノ>へ出かけてウオーキングを楽しむ予定です。 -
アマルフィ大聖堂に早速足を運んでみました。
内部はなかなか見応えがありました。 -
アマルフィの夜明けです。
-
朝焼けに輝く断崖に点在する家々です。
-
隣の街・ラヴェッロは急峻な崖の上に位置しているので、海の景色が抜群で、ヨーロッパでも有名な景勝地のようですね。あの有名な作曲家ワーグナーもここの別荘に滞在して作曲に専念したそうです。
このラヴェッロへ翌日の朝、バスに乗って行くことにしました。
ウオーキングはアマルフィまでの下りルートの予定です。
バス・ターミナルは海岸にありました。
「 Dov'è la fermata per Ravello ? 」
( バス停はどこですか ?)
切符売り場で聞くと、白いテントのある所だよ、という返事。
すでに数人のハイカー達がストックを手に集まっていました。
バスに乗るとき 運転手さんに、
「 Vorrei andare a Ravello. Pùo dirmi quando devo scen dere ? 」
( ラヴェッロへ行くんですが、降りる時、教えてくれる?)
と頼んでおいたので安心して乗っていられます。
ラヴェッロで降りたのは我々二人と地元の数人だけ。
同じバスに乗ったハイカー達は、途中で降りていきましたよ。
まずは、地図を片手に絶景ポイント巡りからスタートです。 -
金持ちが所有する別荘のような建物が多く点在する中で、地元の人達でしょうか、休んでいました。
-
写真は絶景ポイントの一つ「ルーフォロ」という所です。
ここは有名なワーグナーが歌劇<バジルファル>の一部をこの地で作曲したといわれています。
建物の内部に入ってみると、流石に」ワーグナーの曲が流れており、荘厳な雰囲気を醸しだしていましたね。
絶景ポイントは庭の先端にあり、そこから見下ろす地中海(アドリア海)の景色は本当に抜群です。 -
崖の上にも土産物屋さんがありました。
-
さあ、これから崖下へ向けて帰路のトレッキング開始です。 観光案内所で貰ったウオーキング地図を頼りに急坂の崖道を下っていくと、途中レモン栽培農家があり、その入口には手作りの表札がありました。 このような手書きの石の陶板が当地の名物のようです。
-
この断崖を下って海岸までトレッキングです。
足の長いイタリア人にふさわしい段差の大きな石段が、直線で200Mほど断崖に切り開かれており、足の短い日本人には大変なルートです。 痛くてへとへとに疲れてしまいました。 -
やっと海岸に辿り着きましたがへとへと。
すると、海辺で釣りをしている老人を見かけました。
話しかけると、実に健康的・爽やかな笑顔で応じてくれました。
Posso farLe una fotografia ?( 写真撮っていい ?)
ーー Sì, Sì. ( どうぞ、どうぞ )
これで疲れも忘れ、愉しい旅の一幕となった次第。 -
アマルフィ海岸のスケッチです。
-
翌日、今度は<ポジターノ>の街へ、バスで向かいます。
その途中に「エメラルドの洞窟」があるので、そこへ立ち寄ることにします。
洞窟までは道路からエレベーターで降ります。
洞窟のなかには小さなボートが浮かんでおり、ガイドの青年が狭い洞窟を操って案内してくれました。
しかし、肝心のエメラルド色の海水は畳一畳ぐらいしか見えません。ガッカリです。 一緒に乗り込んだニュージランドからきた旅行者も同じ感想でしたよ。
バス道路までエレベーターで上がると、特産レモンを一杯積み込んだ車が停まっていました。 -
特産レモンを積んだ売り子さんから、お土産の買い物です。
-
その近くに観光バスが停まっていたので、運転手さんにも話しかけて、写真を一枚撮らせて貰いました。
-
そして本日の目的地<ポジターノ>も断崖にへばりついた街です。
Positanoという名前のバス停はなく、崖上にあるChiesa Nuovaというバス停で降りて、海岸までは地元の人達が使う階段を降りていくことになります。1kmの急な坂道です。
多くのホテルやB&Bは急峻な崖にへばりつくように建っており、
アドリア海の絶景を眺められます。
観光客達は、こんなリゾート地に滞在して休暇を過すのでしょうか。 -
ポジターノ海岸で寛ぐ観光客です。
-
この絶景の迫力は、写真ではどうしても伝わりません!
生で体験しないと感じることができませんね。 -
思い出の一コマです。
-
坂を下った先に教会があります。
-
偶然、地元の結婚式にでくわしました。・・・
この教会で結婚式を挙げることがイタリア人の若者の間で憧れとか。なにかの本で読んだことを思い出しました。
帰りも坂道を登ってChiesa Nuovaのバス停まで歩き、そこからアマルフィへ戻りました。
これで三日間の滞在完了です。 -
そして、いよいよ旅も終盤がちかくなりました。 今日はアマルフィからバスでソレントへ移動し、そこから船でカプリ島へ渡ります。
途中のソレントで宿泊すれば、もっと余裕のある旅になったのにな、と後から反省しましたが・・・
というのは、ソレントの街は相当見応えのある観光都市だと思ったからです。
バスは1時間半かかって私鉄ソレント駅前のターミナルに到着したので、手荷物を駅構内のバルに預けて観光散策しようと思ったのですが、”きょうは日曜日だから早く店を占めるのでダメ”と断られてしまいました。
困ってしまいましたが、仕方がない。別のバルに入って頼んでみようと、街の中心地タッソー広場へ向かいました。
途中の店で昼食用にピザとジュースを買い込んで、
「 Può depositare il bagaglio qui ? 」
( ここに荷物を預かって貰えますか ?)
と頼むと頷いてくれたので一安心。
タッソー広場周辺は日曜日で天気がよくなった為か、家族連れや観光客で溢れるほどの賑やかさです。
土産物屋さんが立ち並ぶ細い路地<チェザレオ通り>を散策したり(写真)、海の見える公園のベンチで買ったばかりの昼食を食べたり、2時間ほど、ソレント観光を楽しみました。
そして荷物を受け取ってからカプリ島へ行くフェリー乗り場へ
崖の階段を下って歩いて向かいます。
かなり離れているのでふつうはバスかタクシーでいく所なのでしょう。 -
しかし、ここで大失敗をやってしまいました! カプリ島へ向かう高速艇があと5分後に出発する、というので、急いで切符売り場に向かい、50ユーロ紙幣を窓口に出して
「 Per Capri,due biglietti,per favore. 」
( カプリへ2枚、下さい )
と言ったら、かかりの中年男性が発券機をガチャガチャ動かして故障だよ、と別の男性を呼んだのです。
早くしないと、船が出発しちゃうよ、と男たちの動きに気をとられていたら、目の前の50ユーロ紙幣が突然10ユーロに変わってしまったのです。文句を言おうとしても言葉が出てこない! 結局、先方の誤魔化しを咎めることが出来なかったのです! -
高速艇が到着したカプリ島の港<マリーナ・グランデ>には観光客が一杯つめかけており、日本人も大勢いましたね。
我々は、そこからミニバスでアナカプリ地区にある予約済のホテルへと移動します。
細い崖道をミニバスはくねくねと登りますが、窓からの景観は絶景の一言。(写真)
この景色はよくガイドブックなどにも紹介されていますね。
終点のチェアーリフト乗り場には観光客で溢れていました。
予約済のホテルは歩いて5分の所にある<Bellavista>。 -
Bellavistaというホテルは洒落た別荘風です。
-
写真は泊まったホテルの主人。
レセプションにいた主人に、カプリ地区へ歩いて行ける唯一の道
<フェニキア人の石段>なるウオーキング・ルートの場所を確認したら、なんと!岩石の崩落で現在は閉鎖中との返事・・・
仕方がないので、明日はカプリ地区までミニバスで行き、そこから断崖絶壁のウオーキング・ルートを歩くことに予定を変更しました。 -
ウオーキング開始の出発点は<ウンベルト一世広場>というところ。そこから細い石畳の路を行くと、やがて登り坂となる。
地元の左官屋さんに道を聞いて<Arco Naturare>という絶景ポイントを目指して歩く。一緒の写真も喜んで撮らせてくれた。(写真)
この<カプリ地区>の歴史は古く、2000年前のローマ皇帝が、この一郭に別荘を持ったというから驚きですね。
路の両脇に立ち並ぶ邸宅にも風格があります。 -
漸く海側の崖道に到達すると、真にカプリ島らしい絶景が目に飛び込んできます。
-
トレッキングの道筋には、本当に絶景が続きます。
-
カプリ地区のトレッキングはかなり急な坂道を下るので体力が要りますね。
-
とうとう目指すカプリ島のトレッキングの見所<Arco Naturare>に到りました。 眼下に大きな岩山があって、その中央部分がアーチ状に抉られており、その下にエメラルド色の海が輝いています。 早速ここで記念のスケッチをしました。
この先の険しい石段を1000段も下り、海岸沿いにウオーキングルートは続きました。 -
ここカプリ島でも手作りの焼き物で作った門標をみかけました。
-
これも見かけた門札です。
-
可愛い門札もありましたよ。
-
カプリ地区のきついトレッキングを終えて、またミニバスでアナカプリ地区へ戻ってきましたが、今度はアナカプリ地区にも絶景ポイントがあるらしいので、そこを目指して歩いて行くことにします。
途中、可愛い子どもの手をひいた婦人に出会ったら、先方から声をかけてきました。
” Buongiorno signori ! ”
Per Belvedere Mignisterie ?
( こんにちわ! ベルベデーレへいくんですか ?)
「 Sì. 」( ええ ) と返事をすると、
” OK. Sempre diretto. Beatiful Spot. ”
( これをまっすぐ行けばOKですよ、美しいところよ )
「 Ho capito. Grazie mille. Posso fare una foto ?」
( わかりました。どうも有難う。写真いいですか ? )
” Sì, Sì, Prego. ”
( ええ、 いいわよ、どうぞ )
笑顔で応じてくれた。
パチリと親子の姿をカメラに収めた。
Grazie !Chiao !( 有難う。バイバイ !)
Buon viaggio ! Chiao !(ではね!いい旅してね!)
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アナカプリ地区トレッキング終点の最先端<ベルヴェデーレ>にはこんな絶景が待っていました。
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アナカプリ地区の海岸です。
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トレッキングを終えて戻ってきてから、近くの地元のピザ屋さんで夕食用のピザをを持ち帰りにして貰います。
「 Sono vengo dal Giappone。 」
( 日本から来た )と言うと笑顔で応対してくれるので嬉しくなります。 -
地元の記念にと、カプリの帽子も買うことにしました。
一緒に記念撮影を頼むと、快諾。 -
翌朝、カプリ島から船でソレントへ戻り、そこから
ナポリまで私鉄に乗って移動します。
途中のポンペイ遺跡観光は、予定していたのですが、小生が疲れていたのでS氏の了解を得てパスすることにします。 -
いよいよ旅の最終地ナポリに到着です。
ナポリ中央駅前は車の洪水で街全体が騒音と廃棄ガスに包まれ、
まさに<喧騒の都市>であることを実感しましたね。
本日の宿までは駅前のバスターミナルから30番バスを探して乗り込み、向かいましたが、駅前広場が大きすぎてバスターミナルを探すのに苦労しました。 なぜなら Bus terminalという英語が通じず、イタリア語の Il terminal degli autobusという表現を知らなかった為です。
ここは車の多いことやスリ・ヒッタクリなどが多いので十分注意しなければなりません。タクシーもボッタクリが多い由。
旧市街へ行くには、定期的にシャトルバスがホテルから出ているので、それに便乗して散策にでかけることが出来ました。 -
ナポリ散策はゆっくり時間をかけたかったのですが、明日、帰国便に乗るので、間違ってもトラブルを起こさない様に慎重に街歩きをした次第です。 ここは信号が少なく、あっても青信号はすぐに赤信号に変わってしまうから道路を横断するのが忙しい。
地図を片手に観光名所をいくつか見て回りました。
Castel Nuovoからガレリア〜トレド通り〜王宮〜プレビシート広場〜サンタルチア海岸〜ナポリ港などを、2時間あまり歩きまわりました。 -
ナポリの歴史地区は世界文化遺産に登録されているように、
そこから眺めるサンタルチア海岸にかけの景色はよかったですね。
遠くにベスヴィオ火山が見えます。 -
海岸にはフェリーなどが発着していますが、釣り糸を垂れている地元の人もいました。(写真)
このへんはナポリでも治安の悪い雰囲気はなく、観光客が夕方の街をのんびり散策している姿を多くみかけましたよ。
宿まではシャトルバスで戻ります。 -
夜、ナポリで泊まったホテルの部屋から外を見たら、なんと
ベスヴィオ火山の夜景が飛び込んできました。
月明かりにポッカリ浮かぶベスヴィオ火山とは!
この景色に感動して、早速スケッチです。
これで10日間に亘った長い南イタリアの旅も漸く終幕となりました。
明日の帰国便フライトを再確認して就寝することにしましょう。
おわり -
母親に手を引かれた女の子がとても可愛かった!
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