2007/05/21 - 2007/05/26
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kan-abe@千葉さん
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北京での前半の週末は計画通りに世界遺産2ヶ所と
北京郊外の古刹巡りが出来たので、21日{月}朝
北京西駅より山西省の大同に移動すべく8時50分
発の1115次包頭行き空調軟座普快臥{快速列車
の1等寝台車ー包頭は内モンゴル自治区第2の都市
で列車は翌日早朝到着の為、北京出発時より寝台車
になっている。}に乗り込んだ。
この列車を選んだのは、北京〜大同間の車窓の景色
を楽しみかったからだが、予想に反して列車は発車
して1時間のすると緑の少ない岩肌の山間を縫う様
に走り、そこを過ぎると荒涼とした平原ー緑の農作
物畑が余り見られないーの様な景色が延々と続く6
時間半の列車の旅だった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
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-
列車は午後3時半大同駅に到着した。
大同は約1500年前北方騎馬民族の鮮卑族が南下
して漢民族を圧迫し北魏王朝を樹立してここを都と
した。
その後宋代後期には再度北方民族である遼や金が南
下して副都とした古い歴史のある街である。
駅前広場に出て見ると人がまばらでがらーんとして
おり、山西省北部第一の街にしては拍子抜けだ。
早速駅構内に有る中国国際旅行社に寄り「雲岡石窟
と懸空寺1日ツアー{100元}を申込み、ホテル
を聞いたら駅のすぐ隣の飛天賓館を一泊朝食付きで
140元で紹介してくれた。
ホテル行き部屋を見てみると値段の割りにはまずま
ずで、すぐに2泊する事にし、荷物を置き、カメラ
を手に古都探訪に出掛けた。
-
車やバイクが走っている現代の街並みの交叉点の
ど真中に古い街の面影を示す鼓楼が鎮座している。
何となく違和感を感じる。
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鼓楼ーその昔太鼓で時を知らせる為に街の中央に
建てたのだろう。西安もそうだったし、この後に
行った平遥もそうだった。
この鼓楼は明代に建てられ、その後清代に何度か
修復され今に伝わっている。
この鼓楼を保存して行くのであれば、せめてこの
交叉点の周りだけでも同じ時代の建築様式で一緒
に保存してほしかったと感じた。 -
九龍壁。明の太祖朱元章の第13子である朱桂の
邸宅の前に建てられた照壁{門の前建てられた魔
除けの障壁}
北京の北海公園内の九龍壁、故宮内の九龍壁と並
んで中国三大龍壁と称されている。
なかでもこの九龍壁が最古最大の由。
-
通りの名前は忘れたが、商店街一本だけが明代の
街並みが復元されていた。 -
前の写真の対面。
この街並みが鼓楼の周りに欲しかった。 -
裏通りに入ると住宅街の街並みも少し保存されて
いる。
写真は小さな商店らしい。酒、煙、文化と張り紙
してある。{文化とは何を売っているんだろう。} -
懸空寺の模型。
明日は待望の現物が見れると思うとわくわくする。
-
翌日、中国国際旅行社の主催する「懸空寺と
雲岡石窟を巡る一日遊覧」に参加した。
参加者は欧米人12名、台湾人2名、と小生の
合計15名。
小雨の中先ずは懸空寺に向かった。
写真は岩壁に張り付いている懸空寺の遠景。
-
懸空寺の近景。
懸空寺は中国五岳の一つ恒山の山中にある。
昨日模型を見て凄いと思ったが、現地で現物を
みると正に空中楼閣である。
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真下から見た懸空寺。 -
懸空寺の入口。
待望の所に来たのに雨とはついてない。 -
ガイドの話しによると、1500前の創建時には
もっと下の方に有ったが何度か洪水に流され上に
移動したらしい。
今は岩壁の左端にダムが造られている。
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懸空寺参観後大同に戻り、西郊外の武周山南麓に
有る雲岡石窟の見学に行った。
雲岡石窟は敦煌莫高窟、洛陽の龍門石窟と並ぶ
中国三大石窟の一つである。 -
雲岡石窟の正面入口。
洛陽の龍門石窟に比べ規模的には予想外に小さい。 -
中部石窟群の5〜8窟の外面。
内部は洞窟になっており、大小さまざまなサイズ
の色彩豊かな仏像が彫られている。 -
洞窟の中の巨大で色彩豊かな仏像。
{ごめんなさい。暗くて何にも見えない?仏像の
見事さに圧倒されてフラッシュを忘れたみたい}
-
ブルーやグリーンの色鮮やかな仏像。
洛陽の龍門石窟にはこんな鮮やかな色使いの
仏像は無かった。年代が古いのに・・・。 -
これも洞窟の中の大仏。 -
第九窟の赤の色ずかい鮮やかな仏像群。
-
第11窟付近の外面
-
第18窟の洞窟の中の大仏。 -
雲岡石窟を代表する第20窟の大仏。
どちらが美男子か?判定が難しい? -
判定はこちら・・・。
-
東部石窟群の外景
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東部石窟群の中での最大大仏。
やはり洞窟の中にある。 -
東部石窟群の一見変った仏像。
洞窟の中の仏塔に仏像が彫られている。
-
大同に2泊後5/23朝新建南路バスターミナルより
先ず太原に移動した。
デラックスバスで高速道路を一気に南下、3時間半の
旅で車票は89元{約1400円}、中国は本当に交
通費が安い。
太原に到着後、今日は太原を素道りして平遥まで足を
延ばす事にした。平遥行きのバスは別のターミナルか
らの発着の為タクシーで移動。これが又平日の昼なの
に道路は大渋滞だ。
ターミナルビルの窓口で「平遥行き」と言うと26元
で5分後に出るバスが有ると言う。慌てて車票を買い
指定されたバスを探すと15人乗り程度のマイクロバ
スだ。車票には「行き先、車番号、発車時刻、料金が
小さな字で印刷されていた。
所定のバスを探して近ずくと車掌が「間もなく発車だ
」と荷物をバスの中に運んでくれた。座席に座って再
度車票を確認すると料金は25元と印刷されている。
どうやら窓口の中年女性に1元ネコババされた様だ。
こちらは高齢の旅行者だ。しかもバスの発車時刻は迫
っまている。その場ではバレないと思ったのだろう。
それにしても、1元のネコババとはいかにもミミッチ
イー。 -
平遥迄は約2時間、城壁外でバスを降り、バイク三輪
車で城内にはいり、市楼近くの小さな客桟{旅館}に
宿を取った。
平遥は明代の城壁と城壁の中の明、清代の街並みや寺
廟、県役所がほぼ完全な形で保存されている中国唯一
の街であり、郊外の古刹双林寺や鎮国寺と併せて世界
文化遺産に登録されている。
写真は城壁上に設置されている江沢民前国家主席参観
時の記念碑。 -
南門の城楼。
平遥の城壁の建造が始まったのは西周時代の事と言わ
れているから約2800年前であるが、今の城壁は明
代の初期{640年前頃}に拡張され、その後清代に
何度か改修されている。 -
城壁は全周約6km、高さ約10m城門は全部で6つ。
平遥の城壁を上から見ると亀の形に見えると言われるが
南門が頭で北門が尻尾、東西に2つずつある門が左右の
足と言う。
その為平遥は「亀城」とも呼ばれて来た。 -
城壁上には当時{清代?}の大砲等も展示されている。
中国での「城」は日本の「城」と意味が違い、城市=
都市と言う意味。
従って城壁は都市を守る壁と言う意味である。 -
城壁の内側と客を待つバイク3輪車。
-
城壁の外側。
4隅に角楼が建ち、約50mおきに見張り台の敵楼が
設けられている。 -
城壁の外側から見た南門城楼。 -
旅館の前から見た400年前の商店街{南大街}と市楼
の遠景。 -
メインストリートの上にどっかりと建っている市楼。
左下のパラソルと右側の旅館のカンバンを取り、通行人
の服装を当時の物に替えれば正に460年前にタイムス
リップした風景。 -
ライトアップされた市楼。
上海や北京の様に多色でキンキラキンにしないのがまた
趣がある。 -
小雨にけむる南門城楼。 -
市楼上から見たメインストリート{南大街}の南側。
かすかに南門城楼が見える。 -
市楼上から見た家並み。 -
同じく市楼上から見た南大街の北側。 -
県が{県の役所跡}。
明代に建てられたもので、中国に現存する数少ない
県クラスの役所として貴重なものである由。
広大な敷地内には県知事が公務を行った大堂の他に
牢獄や警察の詰所など多くの建物が残っている。 -
古民居博物苑。
当時の裕福な一般人の住居の入口。
大道りに面している。
-
玄関棟を入ると中庭があり、中央に、その奥の家人
の住居棟への門があり、両側には使用人室や厨房が
有る。 -
一番奥の家人の居住棟。
中庭を囲んで正面と両側に居住室が有る典型的な
四合院図造りの建物。
ここは玄関棟を除き、家人の居住棟は平屋造りだが、
もっと裕福な所では総二階建て造りも有った。
市楼の周辺にはこの様な四合院造りの建物が沢山有り、
今は通りに面した玄関棟でレストランをやり、奥の居
住棟で旅館やっている。
欧米人も物珍しさと安さで結構利用している様だ。h
-
これは居住棟出入り口より玄関棟を見た写真。
玄関棟の向こうに大通りがある。 -
平遥大劇堂 -
大劇堂の内部。{暗くてちょっと見難いが}
正面に立派な舞台があり、客席には沢山の角テーブル
とそれを囲んで椅子が並べて有る。
流石に金融業発祥の地である。
彼らは400年も前から今で言うデナーショウを楽しん
でいたのだろうか?。
-
平遥の九龍壁。
何時頃の創建か確認出来なかったが大同のものと比べ
ても甲乙着け難い程綺麗だ。 -
市内の所々に見受けられる特徴有る建物。
今は、手前の平屋はお土産屋、二階建ての家では
旅館のカンバンを出している。 -
ここは市内でも珍しい三階建て。 -
写真は逆光で影絵となってしまったが、こんな所に
古い教会があった。
建物の古さから見てこの街が整備された時代の明代
に建てられたものと推定されるが、それにしてもそ
んな時代、こんな内陸部にキリスト教が布教されて
いたとは・・・。
正に当時のキリスト教の布教への執念を見せ付けら
れた思いがする。 -
門が開いていたので中へ入って建物の中を覗いて見た
ら数人の信者が朝のミサの最中だったので、写真は遠
慮して、ミサの邪魔をしない様そっと出て来た。 -
これは小生が泊まった旅館の玄関棟{今はレストラン
になっている。}から奥を見た写真である。
中央に家人の居住棟{今はお客の泊まり部屋}への出
入り口が有り、左側は従業員の部屋、右側は厨房にな
っていた。 -
一番奥の元は家人の居住棟だった所で、今は泊まり客
用の部屋になっている。
部屋数は正面に3部屋と両側に各2部屋の計7部屋の
こじんまりとした四合院造りの旅館で、元々これを建
てた住人は平遥では裕福さでは程々ぐらいの人では?
同じ四合院造りでも大きい所は総二階建てで、中庭も
ここの10倍は有る屋敷と呼ぶに相応しい所も有った。
因みに小生の泊まった部屋は右側の手前から2部屋目
である。 -
小生の泊まった部屋は、ドアーを開けると左手にオン
ドル式の一坪サイズの寝床があり、その奥に畳一畳程
の水周り部屋があり、玄関ドアーを開けた所は3畳弱
の土間になっていて、家具やテレビ、荷物台があり、
全部で6畳一間程度広さで、一泊朝食付きで100元
であった。 -
玄関ドアーを開けると3畳弱の土間になっている。 -
寝床部屋の隣りの水周り部屋。
最低限の設備はついていた。 -
翌朝、古城郊外にあって、古城と共に世界文化遺産に
登録されている古刹「双林寺」に出掛けた。
創建は北魏代にさかのぼる言われているから1500
年前の頃。
2000体を越える彩色塑像が有名。
周囲はぐるりと城壁に囲まれている。これも又平遥と
同様盗賊対策か? -
天王殿の四天王像 -
菩薩殿に安置されている千手千眼観音菩薩坐像{明代の
像}と大勢の信徒?。
当日は寺の縁日らしく、朝8時頃より大勢の人達が参拝
に訪れ、線香をかざして拝んでいる。
たいして広くない境内に大勢の人達がひしめき合い、線
香の煙もけむく、落着いて参観も出来ず早々に引き揚げ
る事にした。 -
この菩薩坐像 最近お化粧直ししたのか05年7月発刊
された「中国悠遊紀行ー平遥」に紹介されている写真よ
り綺麗になっている。
いや待てよ・・・、菩薩の顔、最内側の上にかざしてい る両手の位置、胸の前にかざしている両手の形が写真と
はっきり違う。
この2体の坐像は別物だ。小生が拝観した坐像は多分
一般公開用の影武者か?
-
平遥は一泊のみにして、午後早目に太原に移動し、北京
に戻る夜行列車の乗車券を受取るべく中国国際旅行社を
訪れ、その後予約済みの太原駅に近い交通大厦に早目に
チェックインした。
太原市は山西省の省都でその歴史は古く今から2500
年前の春秋時代の趙の都が置かれた所である。
又、漢代以降常に南下圧力を掛け続けて来る北方騎馬民
族への防衛拠点となって来た街でもある。
この様に古い歴史のある街であるのに見るべき物が余り
無いのが残念だ。
だが、戦時中から終戦〜引揚げ迄の約5年間小生の親父
が軍属として在住していた街でもあって、前々から一度
は行って見たいと思っていた街でもあり、今回やっと実
現出来た。 -
郊外の小高い丘の上に建つ太原のシンボル双塔寺の
山門。
本来は永そ寺と言うが文宣塔という二つの塔が有名で
双塔寺と通称されている。 -
2つの文宣塔。
塔は夫々八角十三層、高さ約54m。中に階段があり最 上層迄登る事が出来る。
明代の創建で、建物は全て木造建築を模してレンガで造
られている。 -
山西博物院。
中国はどこへ行ってもそうだが、博物館と名が付く建物
は皆デザインが奇抜なものが多い。
夜9時20分発の北京行夜行列車までには未だ5時間程
の時間が有るので荷物を駅の一時預かり所に預け、市内
散策と足裏マッサージで数年前より念願だった山西省の
旅を終りにした。
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