山西省旅行記(ブログ) 一覧に戻る
北京での前半の週末は計画通りに世界遺産2ヶ所と<br />北京郊外の古刹巡りが出来たので、21日{月}朝<br />北京西駅より山西省の大同に移動すべく8時50分<br />発の1115次包頭行き空調軟座普快臥{快速列車<br />の1等寝台車ー包頭は内モンゴル自治区第2の都市<br />で列車は翌日早朝到着の為、北京出発時より寝台車<br />になっている。}に乗り込んだ。<br />この列車を選んだのは、北京〜大同間の車窓の景色<br />を楽しみかったからだが、予想に反して列車は発車<br />して1時間のすると緑の少ない岩肌の山間を縫う様<br />に走り、そこを過ぎると荒涼とした平原ー緑の農作<br />物畑が余り見られないーの様な景色が延々と続く6<br />時間半の列車の旅だった。

「中国の世界遺産を訪ねて」 山西省編

5いいね!

2007/05/21 - 2007/05/26

66位(同エリア132件中)

0

67

kan-abe@千葉さん

北京での前半の週末は計画通りに世界遺産2ヶ所と
北京郊外の古刹巡りが出来たので、21日{月}朝
北京西駅より山西省の大同に移動すべく8時50分
発の1115次包頭行き空調軟座普快臥{快速列車
の1等寝台車ー包頭は内モンゴル自治区第2の都市
で列車は翌日早朝到着の為、北京出発時より寝台車
になっている。}に乗り込んだ。
この列車を選んだのは、北京〜大同間の車窓の景色
を楽しみかったからだが、予想に反して列車は発車
して1時間のすると緑の少ない岩肌の山間を縫う様
に走り、そこを過ぎると荒涼とした平原ー緑の農作
物畑が余り見られないーの様な景色が延々と続く6
時間半の列車の旅だった。

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー

PR

  • <br /> 列車は午後3時半大同駅に到着した。<br /> 大同は約1500年前北方騎馬民族の鮮卑族が南下<br /> して漢民族を圧迫し北魏王朝を樹立してここを都と<br /> した。<br /> その後宋代後期には再度北方民族である遼や金が南<br /> 下して副都とした古い歴史のある街である。<br /> 駅前広場に出て見ると人がまばらでがらーんとして<br /> おり、山西省北部第一の街にしては拍子抜けだ。<br /> 早速駅構内に有る中国国際旅行社に寄り「雲岡石窟<br /> と懸空寺1日ツアー{100元}を申込み、ホテル<br /> を聞いたら駅のすぐ隣の飛天賓館を一泊朝食付きで<br /> 140元で紹介してくれた。<br /> ホテル行き部屋を見てみると値段の割りにはまずま<br /> ずで、すぐに2泊する事にし、荷物を置き、カメラ<br /> を手に古都探訪に出掛けた。<br />  <br />  


     列車は午後3時半大同駅に到着した。
     大同は約1500年前北方騎馬民族の鮮卑族が南下
     して漢民族を圧迫し北魏王朝を樹立してここを都と
     した。
     その後宋代後期には再度北方民族である遼や金が南
     下して副都とした古い歴史のある街である。
     駅前広場に出て見ると人がまばらでがらーんとして
     おり、山西省北部第一の街にしては拍子抜けだ。
     早速駅構内に有る中国国際旅行社に寄り「雲岡石窟
     と懸空寺1日ツアー{100元}を申込み、ホテル
     を聞いたら駅のすぐ隣の飛天賓館を一泊朝食付きで
     140元で紹介してくれた。
     ホテル行き部屋を見てみると値段の割りにはまずま
     ずで、すぐに2泊する事にし、荷物を置き、カメラ
     を手に古都探訪に出掛けた。
     
      

  •  <br /> 車やバイクが走っている現代の街並みの交叉点の<br /> ど真中に古い街の面影を示す鼓楼が鎮座している。<br /> 何となく違和感を感じる。<br /> 

     
     車やバイクが走っている現代の街並みの交叉点の
     ど真中に古い街の面影を示す鼓楼が鎮座している。
     何となく違和感を感じる。
     

  • <br /> 鼓楼ーその昔太鼓で時を知らせる為に街の中央に<br /> 建てたのだろう。西安もそうだったし、この後に<br /> 行った平遥もそうだった。<br /> この鼓楼は明代に建てられ、その後清代に何度か<br /> 修復され今に伝わっている。<br /> この鼓楼を保存して行くのであれば、せめてこの<br /> 交叉点の周りだけでも同じ時代の建築様式で一緒<br /> に保存してほしかったと感じた。


     鼓楼ーその昔太鼓で時を知らせる為に街の中央に
     建てたのだろう。西安もそうだったし、この後に
     行った平遥もそうだった。
     この鼓楼は明代に建てられ、その後清代に何度か
     修復され今に伝わっている。
     この鼓楼を保存して行くのであれば、せめてこの
     交叉点の周りだけでも同じ時代の建築様式で一緒
     に保存してほしかったと感じた。

  •  九龍壁。明の太祖朱元章の第13子である朱桂の<br /> 邸宅の前に建てられた照壁{門の前建てられた魔<br /> 除けの障壁}<br /> 北京の北海公園内の九龍壁、故宮内の九龍壁と並<br /> んで中国三大龍壁と称されている。<br /> なかでもこの九龍壁が最古最大の由。<br />  

     九龍壁。明の太祖朱元章の第13子である朱桂の
     邸宅の前に建てられた照壁{門の前建てられた魔
     除けの障壁}
     北京の北海公園内の九龍壁、故宮内の九龍壁と並
     んで中国三大龍壁と称されている。
     なかでもこの九龍壁が最古最大の由。
     

  • <br /> 通りの名前は忘れたが、商店街一本だけが明代の<br /> 街並みが復元されていた。


     通りの名前は忘れたが、商店街一本だけが明代の
     街並みが復元されていた。

  • <br /> 前の写真の対面。<br /> この街並みが鼓楼の周りに欲しかった。


     前の写真の対面。
     この街並みが鼓楼の周りに欲しかった。

  • <br /> 裏通りに入ると住宅街の街並みも少し保存されて<br /> いる。<br /> 写真は小さな商店らしい。酒、煙、文化と張り紙<br /> してある。{文化とは何を売っているんだろう。}


     裏通りに入ると住宅街の街並みも少し保存されて
     いる。
     写真は小さな商店らしい。酒、煙、文化と張り紙
     してある。{文化とは何を売っているんだろう。}

  • <br /> 懸空寺の模型。<br /> 明日は待望の現物が見れると思うとわくわくする。<br /> 


     懸空寺の模型。
     明日は待望の現物が見れると思うとわくわくする。
     

  • <br /> 翌日、中国国際旅行社の主催する「懸空寺と<br /> 雲岡石窟を巡る一日遊覧」に参加した。<br /> 参加者は欧米人12名、台湾人2名、と小生の<br /> 合計15名。<br /> 小雨の中先ずは懸空寺に向かった。<br /> <br /> 写真は岩壁に張り付いている懸空寺の遠景。  <br /><br /><br /><br /> 


     翌日、中国国際旅行社の主催する「懸空寺と
     雲岡石窟を巡る一日遊覧」に参加した。
     参加者は欧米人12名、台湾人2名、と小生の
     合計15名。
     小雨の中先ずは懸空寺に向かった。
     
     写真は岩壁に張り付いている懸空寺の遠景。  



     

  •  懸空寺の近景。<br /> <br /> 懸空寺は中国五岳の一つ恒山の山中にある。<br /> 昨日模型を見て凄いと思ったが、現地で現物を<br /> みると正に空中楼閣である。<br /> 

     懸空寺の近景。
     
     懸空寺は中国五岳の一つ恒山の山中にある。
     昨日模型を見て凄いと思ったが、現地で現物を
     みると正に空中楼閣である。
     

  • <br /> 真下から見た懸空寺。


     真下から見た懸空寺。

  • <br /> 懸空寺の入口。<br /> 待望の所に来たのに雨とはついてない。


     懸空寺の入口。
     待望の所に来たのに雨とはついてない。

  • <br /> ガイドの話しによると、1500前の創建時には<br /> もっと下の方に有ったが何度か洪水に流され上に<br /> 移動したらしい。<br /> 今は岩壁の左端にダムが造られている。<br /> 


     ガイドの話しによると、1500前の創建時には
     もっと下の方に有ったが何度か洪水に流され上に
     移動したらしい。
     今は岩壁の左端にダムが造られている。
     

  •  <br /> 懸空寺参観後大同に戻り、西郊外の武周山南麓に<br /> 有る雲岡石窟の見学に行った。<br /><br /> 雲岡石窟は敦煌莫高窟、洛陽の龍門石窟と並ぶ<br /> 中国三大石窟の一つである。

     
     懸空寺参観後大同に戻り、西郊外の武周山南麓に
     有る雲岡石窟の見学に行った。

     雲岡石窟は敦煌莫高窟、洛陽の龍門石窟と並ぶ
     中国三大石窟の一つである。

  • <br /> 雲岡石窟の正面入口。<br /><br /> 洛陽の龍門石窟に比べ規模的には予想外に小さい。


     雲岡石窟の正面入口。

     洛陽の龍門石窟に比べ規模的には予想外に小さい。

  • <br /> 中部石窟群の5〜8窟の外面。<br /> 内部は洞窟になっており、大小さまざまなサイズ<br /> の色彩豊かな仏像が彫られている。


     中部石窟群の5〜8窟の外面。
     内部は洞窟になっており、大小さまざまなサイズ
     の色彩豊かな仏像が彫られている。

  • <br /> 洞窟の中の巨大で色彩豊かな仏像。<br /> {ごめんなさい。暗くて何にも見えない?仏像の<br /> 見事さに圧倒されてフラッシュを忘れたみたい}<br /> <br />


     洞窟の中の巨大で色彩豊かな仏像。
     {ごめんなさい。暗くて何にも見えない?仏像の
     見事さに圧倒されてフラッシュを忘れたみたい}
     

  • <br /> ブルーやグリーンの色鮮やかな仏像。<br /> 洛陽の龍門石窟にはこんな鮮やかな色使いの<br /> 仏像は無かった。年代が古いのに・・・。


     ブルーやグリーンの色鮮やかな仏像。
     洛陽の龍門石窟にはこんな鮮やかな色使いの
     仏像は無かった。年代が古いのに・・・。

  • <br /> これも洞窟の中の大仏。


     これも洞窟の中の大仏。

  •  第九窟の赤の色ずかい鮮やかな仏像群。

     第九窟の赤の色ずかい鮮やかな仏像群。

  •  第11窟付近の外面

     第11窟付近の外面

  • <br /> 第18窟の洞窟の中の大仏。


     第18窟の洞窟の中の大仏。

  •  <br /> 雲岡石窟を代表する第20窟の大仏。<br /> どちらが美男子か?判定が難しい?

     
     雲岡石窟を代表する第20窟の大仏。
     どちらが美男子か?判定が難しい?

  •  判定はこちら・・・。

     判定はこちら・・・。

  •  東部石窟群の外景<br />

     東部石窟群の外景

  • <br /> 東部石窟群の中での最大大仏。<br /> やはり洞窟の中にある。


     東部石窟群の中での最大大仏。
     やはり洞窟の中にある。

  • <br /> 東部石窟群の一見変った仏像。<br /> 洞窟の中の仏塔に仏像が彫られている。<br />


     東部石窟群の一見変った仏像。
     洞窟の中の仏塔に仏像が彫られている。

  • <br /> 大同に2泊後5/23朝新建南路バスターミナルより<br /> 先ず太原に移動した。<br /> デラックスバスで高速道路を一気に南下、3時間半の<br /> 旅で車票は89元{約1400円}、中国は本当に交<br /> 通費が安い。<br /> 太原に到着後、今日は太原を素道りして平遥まで足を<br /> 延ばす事にした。平遥行きのバスは別のターミナルか<br /> らの発着の為タクシーで移動。これが又平日の昼なの<br /> に道路は大渋滞だ。<br /> ターミナルビルの窓口で「平遥行き」と言うと26元<br /> で5分後に出るバスが有ると言う。慌てて車票を買い<br /> 指定されたバスを探すと15人乗り程度のマイクロバ<br /> スだ。車票には「行き先、車番号、発車時刻、料金が<br /> 小さな字で印刷されていた。<br /> 所定のバスを探して近ずくと車掌が「間もなく発車だ<br /> 」と荷物をバスの中に運んでくれた。座席に座って再<br /> 度車票を確認すると料金は25元と印刷されている。<br /> どうやら窓口の中年女性に1元ネコババされた様だ。<br /> こちらは高齢の旅行者だ。しかもバスの発車時刻は迫<br /> っまている。その場ではバレないと思ったのだろう。<br /> それにしても、1元のネコババとはいかにもミミッチ<br /> イー。<br />


     大同に2泊後5/23朝新建南路バスターミナルより
     先ず太原に移動した。
     デラックスバスで高速道路を一気に南下、3時間半の
     旅で車票は89元{約1400円}、中国は本当に交
     通費が安い。
     太原に到着後、今日は太原を素道りして平遥まで足を
     延ばす事にした。平遥行きのバスは別のターミナルか
     らの発着の為タクシーで移動。これが又平日の昼なの
     に道路は大渋滞だ。
     ターミナルビルの窓口で「平遥行き」と言うと26元
     で5分後に出るバスが有ると言う。慌てて車票を買い
     指定されたバスを探すと15人乗り程度のマイクロバ
     スだ。車票には「行き先、車番号、発車時刻、料金が
     小さな字で印刷されていた。
     所定のバスを探して近ずくと車掌が「間もなく発車だ
     」と荷物をバスの中に運んでくれた。座席に座って再
     度車票を確認すると料金は25元と印刷されている。
     どうやら窓口の中年女性に1元ネコババされた様だ。
     こちらは高齢の旅行者だ。しかもバスの発車時刻は迫
     っまている。その場ではバレないと思ったのだろう。
     それにしても、1元のネコババとはいかにもミミッチ
     イー。

  • <br /> 平遥迄は約2時間、城壁外でバスを降り、バイク三輪<br /> 車で城内にはいり、市楼近くの小さな客桟{旅館}に<br /> 宿を取った。<br /> 平遥は明代の城壁と城壁の中の明、清代の街並みや寺<br /> 廟、県役所がほぼ完全な形で保存されている中国唯一<br /> の街であり、郊外の古刹双林寺や鎮国寺と併せて世界<br /> 文化遺産に登録されている。<br /> 写真は城壁上に設置されている江沢民前国家主席参観<br /> 時の記念碑。


     平遥迄は約2時間、城壁外でバスを降り、バイク三輪
     車で城内にはいり、市楼近くの小さな客桟{旅館}に
     宿を取った。
     平遥は明代の城壁と城壁の中の明、清代の街並みや寺
     廟、県役所がほぼ完全な形で保存されている中国唯一
     の街であり、郊外の古刹双林寺や鎮国寺と併せて世界
     文化遺産に登録されている。
     写真は城壁上に設置されている江沢民前国家主席参観
     時の記念碑。

  • <br /> 南門の城楼。<br /> 平遥の城壁の建造が始まったのは西周時代の事と言わ<br /> れているから約2800年前であるが、今の城壁は明<br /> 代の初期{640年前頃}に拡張され、その後清代に<br /> 何度か改修されている。


     南門の城楼。
     平遥の城壁の建造が始まったのは西周時代の事と言わ
     れているから約2800年前であるが、今の城壁は明
     代の初期{640年前頃}に拡張され、その後清代に
     何度か改修されている。

  •  <br /> 城壁は全周約6km、高さ約10m城門は全部で6つ。<br /> 平遥の城壁を上から見ると亀の形に見えると言われるが<br /> 南門が頭で北門が尻尾、東西に2つずつある門が左右の<br /> 足と言う。<br /> その為平遥は「亀城」とも呼ばれて来た。

     
     城壁は全周約6km、高さ約10m城門は全部で6つ。
     平遥の城壁を上から見ると亀の形に見えると言われるが
     南門が頭で北門が尻尾、東西に2つずつある門が左右の
     足と言う。
     その為平遥は「亀城」とも呼ばれて来た。

  • <br /> 城壁上には当時{清代?}の大砲等も展示されている。<br /> 中国での「城」は日本の「城」と意味が違い、城市=<br /> 都市と言う意味。<br /> 従って城壁は都市を守る壁と言う意味である。


     城壁上には当時{清代?}の大砲等も展示されている。
     中国での「城」は日本の「城」と意味が違い、城市=
     都市と言う意味。
     従って城壁は都市を守る壁と言う意味である。

  •  城壁の内側と客を待つバイク3輪車。

     城壁の内側と客を待つバイク3輪車。

  • <br /> 城壁の外側。<br /> 4隅に角楼が建ち、約50mおきに見張り台の敵楼が<br /> 設けられている。


     城壁の外側。
     4隅に角楼が建ち、約50mおきに見張り台の敵楼が
     設けられている。

  • <br /> 城壁の外側から見た南門城楼。


     城壁の外側から見た南門城楼。

  •  旅館の前から見た400年前の商店街{南大街}と市楼<br /> の遠景。

     旅館の前から見た400年前の商店街{南大街}と市楼
     の遠景。

  • <br /> メインストリートの上にどっかりと建っている市楼。<br /> 左下のパラソルと右側の旅館のカンバンを取り、通行人<br /> の服装を当時の物に替えれば正に460年前にタイムス<br /> リップした風景。


     メインストリートの上にどっかりと建っている市楼。
     左下のパラソルと右側の旅館のカンバンを取り、通行人
     の服装を当時の物に替えれば正に460年前にタイムス
     リップした風景。

  • <br /> ライトアップされた市楼。<br /> 上海や北京の様に多色でキンキラキンにしないのがまた<br /> 趣がある。


     ライトアップされた市楼。
     上海や北京の様に多色でキンキラキンにしないのがまた
     趣がある。

  • <br /> 小雨にけむる南門城楼。


     小雨にけむる南門城楼。

  •  市楼上から見たメインストリート{南大街}の南側。<br /> かすかに南門城楼が見える。

     市楼上から見たメインストリート{南大街}の南側。
     かすかに南門城楼が見える。

  • <br /> 市楼上から見た家並み。


     市楼上から見た家並み。

  • <br /> 同じく市楼上から見た南大街の北側。


     同じく市楼上から見た南大街の北側。

  •  県が{県の役所跡}。<br /> 明代に建てられたもので、中国に現存する数少ない<br /> 県クラスの役所として貴重なものである由。<br /> 広大な敷地内には県知事が公務を行った大堂の他に<br /> 牢獄や警察の詰所など多くの建物が残っている。<br />

     県が{県の役所跡}。
     明代に建てられたもので、中国に現存する数少ない
     県クラスの役所として貴重なものである由。
     広大な敷地内には県知事が公務を行った大堂の他に
     牢獄や警察の詰所など多くの建物が残っている。

  •  古民居博物苑。<br /> 当時の裕福な一般人の住居の入口。<br /> 大道りに面している。<br /> 

     古民居博物苑。
     当時の裕福な一般人の住居の入口。
     大道りに面している。
     

  • <br /> 玄関棟を入ると中庭があり、中央に、その奥の家人<br /> の住居棟への門があり、両側には使用人室や厨房が<br /> 有る。


     玄関棟を入ると中庭があり、中央に、その奥の家人
     の住居棟への門があり、両側には使用人室や厨房が
     有る。

  • <br /> 一番奥の家人の居住棟。<br /> 中庭を囲んで正面と両側に居住室が有る典型的な<br /> 四合院図造りの建物。<br /> ここは玄関棟を除き、家人の居住棟は平屋造りだが、<br /> もっと裕福な所では総二階建て造りも有った。<br /> <br /> 市楼の周辺にはこの様な四合院造りの建物が沢山有り、<br /> 今は通りに面した玄関棟でレストランをやり、奥の居<br /> 住棟で旅館やっている。<br /> 欧米人も物珍しさと安さで結構利用している様だ。h <br /> 


     一番奥の家人の居住棟。
     中庭を囲んで正面と両側に居住室が有る典型的な
     四合院図造りの建物。
     ここは玄関棟を除き、家人の居住棟は平屋造りだが、
     もっと裕福な所では総二階建て造りも有った。
     
     市楼の周辺にはこの様な四合院造りの建物が沢山有り、
     今は通りに面した玄関棟でレストランをやり、奥の居
     住棟で旅館やっている。
     欧米人も物珍しさと安さで結構利用している様だ。h 
     

  • <br /> これは居住棟出入り口より玄関棟を見た写真。<br /> 玄関棟の向こうに大通りがある。


     これは居住棟出入り口より玄関棟を見た写真。
     玄関棟の向こうに大通りがある。

  • <br /> 平遥大劇堂


     平遥大劇堂

  • <br /> 大劇堂の内部。{暗くてちょっと見難いが}<br /> 正面に立派な舞台があり、客席には沢山の角テーブル<br /> とそれを囲んで椅子が並べて有る。<br /> 流石に金融業発祥の地である。<br /> 彼らは400年も前から今で言うデナーショウを楽しん<br /> でいたのだろうか?。<br /> 


     大劇堂の内部。{暗くてちょっと見難いが}
     正面に立派な舞台があり、客席には沢山の角テーブル
     とそれを囲んで椅子が並べて有る。
     流石に金融業発祥の地である。
     彼らは400年も前から今で言うデナーショウを楽しん
     でいたのだろうか?。
     

  • <br /> 平遥の九龍壁。<br /> 何時頃の創建か確認出来なかったが大同のものと比べ<br /> ても甲乙着け難い程綺麗だ。


     平遥の九龍壁。
     何時頃の創建か確認出来なかったが大同のものと比べ
     ても甲乙着け難い程綺麗だ。

  • <br /> 市内の所々に見受けられる特徴有る建物。<br /> 今は、手前の平屋はお土産屋、二階建ての家では<br /> 旅館のカンバンを出している。


     市内の所々に見受けられる特徴有る建物。
     今は、手前の平屋はお土産屋、二階建ての家では
     旅館のカンバンを出している。

  • <br /> ここは市内でも珍しい三階建て。


     ここは市内でも珍しい三階建て。

  • <br /> 写真は逆光で影絵となってしまったが、こんな所に<br /> 古い教会があった。<br /> 建物の古さから見てこの街が整備された時代の明代<br /> に建てられたものと推定されるが、それにしてもそ<br /> んな時代、こんな内陸部にキリスト教が布教されて<br /> いたとは・・・。<br /> 正に当時のキリスト教の布教への執念を見せ付けら<br /> れた思いがする。


     写真は逆光で影絵となってしまったが、こんな所に
     古い教会があった。
     建物の古さから見てこの街が整備された時代の明代
     に建てられたものと推定されるが、それにしてもそ
     んな時代、こんな内陸部にキリスト教が布教されて
     いたとは・・・。
     正に当時のキリスト教の布教への執念を見せ付けら
     れた思いがする。

  • <br /> 門が開いていたので中へ入って建物の中を覗いて見た<br /> ら数人の信者が朝のミサの最中だったので、写真は遠<br /> 慮して、ミサの邪魔をしない様そっと出て来た。


     門が開いていたので中へ入って建物の中を覗いて見た
     ら数人の信者が朝のミサの最中だったので、写真は遠
     慮して、ミサの邪魔をしない様そっと出て来た。

  • <br /> これは小生が泊まった旅館の玄関棟{今はレストラン<br /> になっている。}から奥を見た写真である。<br /> 中央に家人の居住棟{今はお客の泊まり部屋}への出<br /> 入り口が有り、左側は従業員の部屋、右側は厨房にな<br /> っていた。


     これは小生が泊まった旅館の玄関棟{今はレストラン
     になっている。}から奥を見た写真である。
     中央に家人の居住棟{今はお客の泊まり部屋}への出
     入り口が有り、左側は従業員の部屋、右側は厨房にな
     っていた。

  • <br /> 一番奥の元は家人の居住棟だった所で、今は泊まり客<br /> 用の部屋になっている。<br /> 部屋数は正面に3部屋と両側に各2部屋の計7部屋の<br /> こじんまりとした四合院造りの旅館で、元々これを建<br /> てた住人は平遥では裕福さでは程々ぐらいの人では?<br /> 同じ四合院造りでも大きい所は総二階建てで、中庭も<br /> ここの10倍は有る屋敷と呼ぶに相応しい所も有った。<br /> 因みに小生の泊まった部屋は右側の手前から2部屋目<br /> である。


     一番奥の元は家人の居住棟だった所で、今は泊まり客
     用の部屋になっている。
     部屋数は正面に3部屋と両側に各2部屋の計7部屋の
     こじんまりとした四合院造りの旅館で、元々これを建
     てた住人は平遥では裕福さでは程々ぐらいの人では?
     同じ四合院造りでも大きい所は総二階建てで、中庭も
     ここの10倍は有る屋敷と呼ぶに相応しい所も有った。
     因みに小生の泊まった部屋は右側の手前から2部屋目
     である。

  • <br /> 小生の泊まった部屋は、ドアーを開けると左手にオン<br /> ドル式の一坪サイズの寝床があり、その奥に畳一畳程<br /> の水周り部屋があり、玄関ドアーを開けた所は3畳弱<br /> の土間になっていて、家具やテレビ、荷物台があり、<br /> 全部で6畳一間程度広さで、一泊朝食付きで100元<br /> であった。


     小生の泊まった部屋は、ドアーを開けると左手にオン
     ドル式の一坪サイズの寝床があり、その奥に畳一畳程
     の水周り部屋があり、玄関ドアーを開けた所は3畳弱
     の土間になっていて、家具やテレビ、荷物台があり、
     全部で6畳一間程度広さで、一泊朝食付きで100元
     であった。

  • <br /> 玄関ドアーを開けると3畳弱の土間になっている。


     玄関ドアーを開けると3畳弱の土間になっている。

  • <br /> 寝床部屋の隣りの水周り部屋。<br /> 最低限の設備はついていた。


     寝床部屋の隣りの水周り部屋。
     最低限の設備はついていた。

  • <br /> 翌朝、古城郊外にあって、古城と共に世界文化遺産に<br /> 登録されている古刹「双林寺」に出掛けた。<br /> 創建は北魏代にさかのぼる言われているから1500<br /> 年前の頃。<br /> 2000体を越える彩色塑像が有名。<br /> 周囲はぐるりと城壁に囲まれている。これも又平遥と<br /> 同様盗賊対策か?


     翌朝、古城郊外にあって、古城と共に世界文化遺産に
     登録されている古刹「双林寺」に出掛けた。
     創建は北魏代にさかのぼる言われているから1500
     年前の頃。
     2000体を越える彩色塑像が有名。
     周囲はぐるりと城壁に囲まれている。これも又平遥と
     同様盗賊対策か?

  • <br /> 天王殿の四天王像


     天王殿の四天王像

  •  菩薩殿に安置されている千手千眼観音菩薩坐像{明代の<br /> 像}と大勢の信徒?。<br /> 当日は寺の縁日らしく、朝8時頃より大勢の人達が参拝<br /> に訪れ、線香をかざして拝んでいる。<br /> たいして広くない境内に大勢の人達がひしめき合い、線<br /> 香の煙もけむく、落着いて参観も出来ず早々に引き揚げ<br /> る事にした。

     菩薩殿に安置されている千手千眼観音菩薩坐像{明代の
     像}と大勢の信徒?。
     当日は寺の縁日らしく、朝8時頃より大勢の人達が参拝
     に訪れ、線香をかざして拝んでいる。
     たいして広くない境内に大勢の人達がひしめき合い、線
     香の煙もけむく、落着いて参観も出来ず早々に引き揚げ
     る事にした。

  • <br /> この菩薩坐像 最近お化粧直ししたのか05年7月発刊<br /> された「中国悠遊紀行ー平遥」に紹介されている写真よ<br /> り綺麗になっている。<br /> いや待てよ・・・、菩薩の顔、最内側の上にかざしてい る両手の位置、胸の前にかざしている両手の形が写真と<br /> はっきり違う。<br /> この2体の坐像は別物だ。小生が拝観した坐像は多分<br /> 一般公開用の影武者か?<br /> <br />


     この菩薩坐像 最近お化粧直ししたのか05年7月発刊
     された「中国悠遊紀行ー平遥」に紹介されている写真よ
     り綺麗になっている。
     いや待てよ・・・、菩薩の顔、最内側の上にかざしてい る両手の位置、胸の前にかざしている両手の形が写真と
     はっきり違う。
     この2体の坐像は別物だ。小生が拝観した坐像は多分
     一般公開用の影武者か?
     

  • <br /> 平遥は一泊のみにして、午後早目に太原に移動し、北京<br /> に戻る夜行列車の乗車券を受取るべく中国国際旅行社を<br /> 訪れ、その後予約済みの太原駅に近い交通大厦に早目に<br /> チェックインした。<br /> 太原市は山西省の省都でその歴史は古く今から2500<br /> 年前の春秋時代の趙の都が置かれた所である。<br /> 又、漢代以降常に南下圧力を掛け続けて来る北方騎馬民<br /> 族への防衛拠点となって来た街でもある。<br /> この様に古い歴史のある街であるのに見るべき物が余り<br /> 無いのが残念だ。<br /> だが、戦時中から終戦〜引揚げ迄の約5年間小生の親父<br /> が軍属として在住していた街でもあって、前々から一度<br /> は行って見たいと思っていた街でもあり、今回やっと実<br /> 現出来た。


     平遥は一泊のみにして、午後早目に太原に移動し、北京
     に戻る夜行列車の乗車券を受取るべく中国国際旅行社を
     訪れ、その後予約済みの太原駅に近い交通大厦に早目に
     チェックインした。
     太原市は山西省の省都でその歴史は古く今から2500
     年前の春秋時代の趙の都が置かれた所である。
     又、漢代以降常に南下圧力を掛け続けて来る北方騎馬民
     族への防衛拠点となって来た街でもある。
     この様に古い歴史のある街であるのに見るべき物が余り
     無いのが残念だ。
     だが、戦時中から終戦〜引揚げ迄の約5年間小生の親父
     が軍属として在住していた街でもあって、前々から一度
     は行って見たいと思っていた街でもあり、今回やっと実
     現出来た。

  • <br /> 郊外の小高い丘の上に建つ太原のシンボル双塔寺の<br /> 山門。<br /> 本来は永そ寺と言うが文宣塔という二つの塔が有名で<br /> 双塔寺と通称されている。


     郊外の小高い丘の上に建つ太原のシンボル双塔寺の
     山門。
     本来は永そ寺と言うが文宣塔という二つの塔が有名で
     双塔寺と通称されている。

  • <br /> 2つの文宣塔。<br /> 塔は夫々八角十三層、高さ約54m。中に階段があり最 上層迄登る事が出来る。<br /> 明代の創建で、建物は全て木造建築を模してレンガで造<br /> られている。


     2つの文宣塔。
     塔は夫々八角十三層、高さ約54m。中に階段があり最 上層迄登る事が出来る。
     明代の創建で、建物は全て木造建築を模してレンガで造
     られている。

  • <br /> 山西博物院。<br /> 中国はどこへ行ってもそうだが、博物館と名が付く建物<br /> は皆デザインが奇抜なものが多い。<br /> 夜9時20分発の北京行夜行列車までには未だ5時間程<br /> の時間が有るので荷物を駅の一時預かり所に預け、市内<br /> 散策と足裏マッサージで数年前より念願だった山西省の<br /> 旅を終りにした。


     山西博物院。
     中国はどこへ行ってもそうだが、博物館と名が付く建物
     は皆デザインが奇抜なものが多い。
     夜9時20分発の北京行夜行列車までには未だ5時間程
     の時間が有るので荷物を駅の一時預かり所に預け、市内
     散策と足裏マッサージで数年前より念願だった山西省の
     旅を終りにした。

この旅行記のタグ

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 273円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP