2008/05/24 - 2008/06/07
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kan-abe@千葉さん
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今回の旅の旅程は
北京〜承徳〜山海関〜興城〜瀋陽〜ハルピン〜長春〜成田と周
る15日間の旅である。
写真は仁川空港にて小生の搭乗を待つアシアナ航空OZ333便
{B737型機}である。
中国の地方都市を訪ねる場合、仁川空港経由の韓国系の航空機
利用が便利である。
今回も北京IN〜長春OUTは往復とも当日乗り継ぎ可だった
{復路ハルピンOUTでは当日乗り継ぎ不可の為旅程を変更した
「承徳」清朝歴代皇帝の避暑地{世界遺産}
「山海関」長城の最東端。渤海湾の海中迄達している。{世界遺産}
「興城」山海関の北側約100kmに位置する小城壁都市。
「瀋陽」清朝が北京に入城する前の皇宮があった所。
「ハルピン」帝政ロシヤ時代にロシヤ人が創った街。
「長春」旧満州国の首都。当時は新京と称していた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- アシアナ航空
-
翌朝、北京六里橋バスターミナルより北東方向に向かってバスに揺られる事約4時間、午後1時頃終点の承徳駅前に到着、タクシーで日本から予約を入れておいたホテルにチェックインした。
その間承徳到着直後より白タクに纏われ付かれ、結局観光の足としての車とガイド{中国語の}付きの一日半観光を450元{約6800円}で手を打った。承徳の見所は、皇帝の離宮である避暑山荘とチベット仏教の寺院群が建立されている外八廟とがあるが、今日は半日なので、先ずは外八廟を周る事にした。
写真は普寧寺大雄宝殿前にて。 -
普寧寺大乗之閣前にて。
普寧寺は1755年に清朝第6代皇帝乾隆帝が創建したもので、中には世界最大の木彫佛の千手千眼観音菩薩立像が安置されている。 -
外八廟にはチベット様式の建築物が多い。
それは歴代王朝と同様清朝も北方異民族との関係に手を焼き、外モンゴル部族の支配を強固にする為モンゴル族が帰依しているチベット仏教を活用した。
写真の普詫{こざと偏}宗乗之廟はチベットのラサの
ポタラ宮を模して1767年から71年にかけて創建された。 -
普詫宗乗之廟の山門
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同廟の瑠璃牌坊{牌坊とは額を揚げた門の事}
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大紅台
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「慈航普渡」清朝の宮殿建築様式にチベットの装飾が
加味されている。 -
承徳の奇峰{遠景}
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同上
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同上{近景}
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根元は意外に太い。
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この離宮は第四代皇帝康き帝が造営を思い立ち、第六代乾隆帝の時代の1792年完成迄約60年の歳月を要した。
毎年5月から9月迄皇帝一族は多くの宦官を率いてこの山荘に移り、北京の故宮は空になったと言われている。
山荘は「宮殿区」「湖景区」「平原区」「山景区」からなっている。
「湖景区」一角からは温泉が湧き出し、この一帯の古名「熱河」を記した碑が建っている。
近年復元整備が進み、1994年世界文化遺産に登録された。 -
「熱河」の碑。
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「湖景区」には沢山の入り江が有る大きな湖が有り、江南地方の景色を模している。
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「湖景区」の風景。散歩に疲れた足を湖畔のあずま家でこの景色を見ながら休めることが出来る。
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山荘は山有り、湖有りの広大な敷地が全て城壁で囲まれている。 -
山の上の城壁からは、遠くにポタラ宮はじめ沢山のチベット寺院が遠望出来る。
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翌朝山海関に向かうべく秦皇島行きの長距離バスに乗った。山越えの道を走る事約5時間、渤海湾に面した、この付近では最大の街秦皇島に着いた。{近くには中国共産党幹部の避暑地で有名な北戴河がある。}
ここで昼食を取った後公共バスに乗り換えて走ること約15分、承徳を出発して6時間やっと山海関に到着
した。
写真は山海関駅。 -
日本でネット予約したホテルにチェックインして荷物を置くや待望の天下第一関と長城が渤海湾の海中に迄
達している老龍頭に車を走らせた。{日暮れ迄に是非
見たかったから。}
写真左側の遠景が老龍頭。右側はその約200m手前の長城の東端。ここでも長城が波打ち際のすぐ近くまで迫っている。 -
老龍頭の遠景 -
老龍頭をバックに記念撮影。 -
老龍頭の近景。 -
老龍頭の澄海楼。 -
老龍頭の200m北側の長城。 -
山海関の旧市街も写真の様な城壁に完全に囲まれている。{城壁の向こう側が旧市街} -
旧市街を取り囲んでいる城壁の上。 -
海岸の老龍頭より5km程の所にある天下第一関。
明代末期にはヌルハチ{清朝初代皇帝}が率いる清軍
が何度も突破を試みたが全て失敗に終わり、武力での突破は出来なかった。
日中戦争時にも重要な争奪地となった。 -
長城は渤海湾の老龍頭から始まって天下第一関である山海関城楼に続き、更に北西に伸び山に駆け上る。
そこが「角山長城」と言う。
長城は内陸の山岳地帯に伸びて一度は河によって途切れるが、そこからの敵の侵入を防ぐ為河を跨いで更に続いている。その河を跨いだ所の長城を「九門口長城」又は河の上の長城から「水上長城」と呼ばれている所が有ると言う。
今日はタクシーをチャーター{一日200元ー3000円で交渉}してそちらの方迄足を伸ばして見ようと
思う。
写真は角山長城の入城門。 -
山岳地帯に駆け上がっている角山長城。 -
修復されて観光客が登れるのはこの城楼迄。 -
城楼より更に上は明代に築城されたまま修復されておらず、一部崩れている所も有り、観光客は立ち入り禁止になっている。 -
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角山長城を観光した後更に九門口長城に足を伸ばした。 -
一見最近修復した様に見受けられた。{いつ頃修復したのか聞き忘れた。} -
比較的最近修復したらしい跡がはっきり見える。 -
山岳地帯に伸びている長城。 -
こんな河の上迄長城を築くとは、明朝がいかに北方騎馬民族の侵略を恐れていたかが解かる。 -
「明長城の隧道」
長城の北側まで掘り抜けていて、この隧道を利用して
明軍{天下第一関の守備隊}がガリラ活動をしていたらしい。
隧道の中の所々に部屋が掘られていて、人形で当時の活動状況を展示していた。 -
山海関の観光はこれで終わりひして、翌朝山海関駅より快速列車に乗り、次の目的地興城{山海関より約150km北にある小城壁都市}に向かった。 -
興城駅。田舎の駅らしく、こじんまりした駅であった。観光地でないのでやむえないかも〜〜〜。 -
興城の旧市街は一辺1600mの城壁で正方形に囲まれている。 -
一辺1600mの中央部には東西南北にこのような城門が有り、各城門は十字路の大通りで結ばれている。 -
十時路の交点は街の中心として、ここに鼓楼が建っており、太鼓で時を知らせていた。 -
大通りの街並み。 -
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大通りに面した所では2階建ての家も見受けられたが、それ以外の所ではほとんどが城壁より低い平屋
建てであった。 -
ここの城門は、他の城壁都市{平遥や山海関の様な}と比べちょっと違う城門の造りをしている。
写真を注意して見ると城門の左右手前に城壁の先端が
見える。これは城門前広場を城壁で取り囲む様な造りに成っている。
これは敵の攻撃から城門を守り易くする為の造りの様に見られる。この様な造りの城門は始めてだ。
ここ興城は長城の北側に有って、常に北方騎馬民族の
襲撃の恐れが有って、城門の防御を主体にした造りだ
と思われる。
ただ、ここが北方騎馬民族の襲撃に落城した事が無かったかどうかは聞き漏らした。 -
興城に1泊した後翌朝快速列車にて瀋陽に向かって北上、4時間の列車の旅を楽しんだ。
空調軟座快速、興城〜瀋陽チケットが48元、4時間の快速一等座席の旅で770円とは、中国の交通手段の料金はとのかく安い。
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