2007/02/13 - 2007/02/14
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tabijiisanさん
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イスタンブールからバスで西に走り、フェリーでダーダネル海峡を渡り、トロイ遺跡を観光後アイワルクに泊まる。翌日、イズミールを経て、エフェソス遺跡を観光し、パムッカレ近くの温泉リゾートホテルに泊まる。その行程を記録する。
写真はエフェソスの図書館跡
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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イスタンブールのホテルを朝7時半にバスは出発する。金閣湾にかかる橋を渡って、マルマラ海の海岸線に沿って西に進む。ゲリボリ半島のエジュバトに到達し、ここで、バスごとフェリーに乗り、ダーダネル海峡を渡りアジアへ。
このルートを通るのは、2回目で、前回は1997年の夏だった。沿道には、前回より4−5階建の高層住宅が増えている。そして、どの家にも衛星放送用のパラボラアンテナと太陽熱温水器が取り付けられていた。イスタンブールのベットタウンとして発展しているのだろう。 -
沿道で目にしたアーモンドの花とモスク。
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エジェバト港にて。
フェリーに乗り込む女性たち。 -
ダーダネル海峡を行くバラ積み船。
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エジェバト港を出港したフェリー。
後方はエジェバト港。
港を12時に出発する。約30分の乗船時間で対岸のチャナッカレに着く。船内では、物売りが偽ブランド香水を10ドルで売り歩いていた。前回は絵葉書、スカーフや玄関マットをしつこく売っていたが、今回は見られなかった。 -
カモメの群れがフェリーを追いかけてくる。
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遺跡の入口にあるトロイの木馬。丁度、作り直しをしていた。
トロイの木馬の故事。
トロイのプリアモス王の王子パリスが、スパルタ王妃絶世の美女ヘレネに横恋慕し彼女を誘拐する。激怒したスパルタ王はギリシャ連合軍でトロイに攻めかかる。神々も二分する争いとなり、不死身といわれたアキレスも唯一の弱点の足首をパリスに射抜かれて絶命。また、パリスも戦死、戦線は10年間膠着。そんなある朝、ギリシャ軍は撤退、大きな木馬が残されていた。勝ったと思ったトロイは、城門を壊して木馬を町の中に入れ、祝宴を開いた。その夜、夜陰に乗じて戻ってきたギリシャ軍と木馬に隠れていた50人の兵士でトロイを攻撃。オデュッセウスの策略だった。隙をうかれたトロイは瞬く間に陥落、ヘレネは無事にスパルタへ帰ることができた。
これがホメロスが紀元前800年頃に書いた英雄叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」のトロイ戦争である。 -
この季節、トロイの遺跡にアーモンドの花が咲乱れていた。
アーモンドは桜の仲間で地中海沿岸が原産地。確かに桜の花によく似ている。この花が春に実になる。ナッツとして食用になるアーモンドである。梅干の種(核)の中に入っている仁に相当するものがアーモンドとなる。 -
トロイの遺跡に15時到着。
写真は1番古い第一市の石垣
トロイの遺跡は現在ドイツ隊が、ベンツの援助で発掘作業が続けられている。
トロイの遺跡は紀元前3000年前の第一層から、ローマ時代の第九層(〜紀元600年)まで同じ場所に異なった都市が築かれた。シュリーマンの発見した有名なトロイの財宝(プリアモスの宝と呼ばれる。1873年発見)は第二層(BC2100)から出土したものとされており、トロイ戦争より1000年前の地層であった。そのため、今ではこの遺跡は、文学上のトロイ戦争と関係があるとは見なされていない。(「古代世界の謎、トロイ」ドナルド・イーストン、1998年より)
シュリーマンは作業員を遠ざけて財宝を発掘し、密かに持ち出したもので、彼の死後、ベルリンの博物館に寄贈された。第二次大戦末期にソ連に運び出され、現在モスクワのプーシキン博物館に保管されている。ドイツとトルコが返還要求しているが、トルコに返還されることになっていると、ガイドは説明した。まだ返還は実現していない。 -
第八市(BC1000−AD85)のギリシャ人の都市
丸い井戸は生贄の血を流すもの、四角い井戸は水の井戸。アレキサンダー大王も遠征の途中でこの地に留まり奉納品を捧げている。 -
第二市の石畳の傾斜道(BC2400)
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ローマ時代のオディオン(音楽堂)
第九市(BC85〜AD600) -
バスはトラックの荷台に乗った少女たちとすれ違う。どこか働きに行った帰りなのであろう。
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トロイとイズミールの中間辺りの海岸に面したリゾート地のアイワルクに、2時間半ほどで到着する。ここのホテルのハリック・パークに泊まる。
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朝7時半にホテルを出発する。
まず、ホテル近くの宝石店に寄る。エコノミックなツアーでは許容するしかない。
この宝石店で1番高価なトルコ石を聞くとマネキンを飾っているネックレスだと言う。お値段は聞きそびれた。
海岸沿いの道の左側に塩田があり、昔ながらの方法で塩を生産していた。 -
イズミールにあるトルコ最大の石油化学コンビナートが望まれた。このプラントは年52万トンのエチレン生産設備を有する。このプラントの増強工事に三井造船が受注している。
食塩の電解設備を併設し、苛性ソーダ、塩化ビニール樹脂を生産しているが、まさか、原料塩を近くの塩田の塩だけに賄っている訳であるまい。 -
イズミールにある火力発電所。
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イズミールは人口300万人の大都会で、大きな高層アパート群が立並んでいる。
トルコのエーゲ海沿いに張り付いた島々の殆どがギリシャ領になっている。ギリシャとの国境紛争が絶えないが、エーゲ海に石油が発見され、新たな火種となっているとガイドは説明していた。 -
アイワルクのホテルから3時間でエフェソスに到着する。
エフェソスは紀元前11世紀のイオニア人の時代から栄え、ヘレニズム、ローマ時代まで繁栄が続いた。
写真はエフェソス遺跡入口の見学路沿いにある水道管。 -
エフェソスは図書館をはじめ見事なローマ時代の遺跡が残っている。ピカイチの世界遺産と思われるが、2001年に世界遺産に申請されたにもかかわらず、「推薦遺産や緩衝地帯の範囲の地図、それに管理計画の準備と実行が必要」との理由で、審議延期となり、世界遺産にノミネートされていない。
私見だが、図書館の正面2階にウィーンの博物館のコピーである智恵、運命、学問、美徳の女神像が飾ってあったり、共同トイレが作ってあったり、娼館への道しるべがあったり、怪しい感じがしないでもない。
これだけ有名で、観光客が多いと世界遺産にこだわらないのであろう。
写真は「クレテス通り」で、ヘラクレスの門からケルスス図書館まで続く石畳の道路。道の左右には、円柱、彫像の台座や高級住宅跡の繊細なモザイクの床や、公衆トイレなどが見られる。 -
正面の建屋はドイツ発掘隊の作業場。
聖マリアとのかかわり。
今回は寄らなかったが、近くに「聖マリアの家」がある。ガイドは聖マリアがここで死に、その墓があると言う。まさかトルコのこの地に?と思ったが、調べてみると、聖マリアの死んだ場所に、エルサレムとエフェソスの2説がある。エフェソス説では聖ヨハネはこの地にマリアを帯同し、マリアはこの地で死んだとされている。キリスト教を国教としたコンスタンティアヌス帝はエフェソスに聖マリア教会、聖ヨハネ教会を建設した。1967年に法王パウロ6世はここで儀式を行い、お墨付きを与えた。聖マリアが住んでいたと称する家が18世紀に発見され、「聖マリアの家」と呼ばれている。 -
ヘラクレス門から、クレテス通りの正面突き当たりにある「ケルスス図書館」。図書館は、2世紀初期、ケルススを記念して建設された2階建て、列柱式の美しいファサードが印象的な建物。アレキサンドリア、ベルガマと並んで、当時、三大図書館と称された12万冊の蔵書を収蔵する図書館で、正面に、四体の女神像を配している。
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公衆トイレに腰掛て、熱心に説明をするガイド。
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娼館への道しるべ。
左足の右に女性の顔、上にハートマークが彫られている。 -
24,000人も収容できる、半円の直径が158mもある大劇場で、演劇の上演や市民参加の集会のほか、観客席が高い所にあることから猛獣と剣士の格闘などのショーにも使われたとのこと。
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エフェソス遺跡近くのレストランで昼食をとった後、バスは2時半に出発し、海岸線を離れ東の山間部に向かう。道路と並行して、電車が走っていた。
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