2007/02/10 - 2007/02/11
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tabijiisanさん
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ルーマニアとの国境に位置するルセから、バスでヴェリコ・タルノボを通り、観光の後、シプカ峠を抜け、バラの谷で有名なカザンラクに泊まる。翌日、西に向かって走り首府ソフィアへ。ここからリラの僧院を往復し、ソフィア泊。翌日、南東へ向け走り、ブルガリア第2の都市プロヴディフを観光後、更に南東へ。トルコの国境の町エディルネを経て、イスタンブールへ。この3日間を綴る。
写真はソフィア中心部にあるソフィア像。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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朝8時にルセを出発する。ここからバスと運転手、現地ガイドは、ブルガリア組と交代する。ルセの市街地を抜けると広々とした平原を走る。小麦やブドウの作物畑だ。
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川筋には所々崖が露出している。30分程で、その崖にある洞窟の一つに到着する。洞窟は、13世紀にキリスト教の修道士が修行した所で、内部の壁面、天井に壁画が描かれている。トルコのカッパドキアほど大規模でないが同じような洞窟がいくつか存在している。世界遺産イヴァノヴァの岩窟教会である。14世紀にオスマントルコに征服された以降放置されていた。
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急な崖の中ほどに洞窟はあるので、この洞窟に入るために急な山道を登らねばならない。洞窟内の壁画の一つ。
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イヴァノヴォの岩窟教会を出発し、古都のヴェリコ・タルノヴォに向かう。途中の車窓から、窓ガラスが破れた荒れた感じの工場が目立った。
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1時間半後にヴェリコ・タルノボに到着する。
この町は1187−1393年に栄えた第2次ブルガリア帝国の首都だった。ビザンチン帝国に対抗してバルカン半島の全域を治めたこともある。1398年にオスマン・トルコとの3ヶ月の激烈な戦いの後、滅亡する。
ブルガリアが独立した1879年には、ここで最初の議会が開かれたが、首都はソフィアに移転する。平地が少なく交通不便なこの町が、首都に適さないのはよく分かる。
今のタルノボには、名門タルノボ大学などがあり、文教都市として栄え、ブルガリアのアテネと呼ばれている。
ビルの壁面に東欧圏独特な壁画が描かれていた。 -
旧市街の土産物屋の店先。
旧市街には、金銀細工、革製品、木彫り、陶器などの工房を兼ねた小さな土産屋が、軒を連ねていた。
なお、琴欧州は当地の出身である。 -
当地出身のキリル文字の創始者である聖キリルに因む聖母誕生教会。
キリル文字はロシア文字の元祖で、ロシア文字はロシア人が発明したものでなく、当地の僧侶のキリルとその兄が、聖書をスラブ語に翻訳するために発明したものと言う。 -
旧市街の公園にレーニンと見まがう髭の人物の銅像があった。
この人物は1854−1895年との記載のため、レーニンではないと慧眼の参加者は指摘した。NHKの「世界ふれあい町歩きーヴェリコ・タルノヴォ」によると、オスマン・トルコから独立した時の首相スタンホロフの銅像だった。 -
昼食を食べたホテルの隣のビルにも、壁面に東欧圏独特な壁画が描かれていた。
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昼食を食べた旧市街のホテルから
ヴェリコ・タルノヴォのツァレヴェッツの丘を望む。
後方の塔は大主教区教会。
丘の周囲には城壁が復元されている。この丘は首都だった頃、宮殿があった所で、三方が絶壁に囲まれ、堅固な天然の要塞である。旧市街との連絡は一本の石橋だけ。オスマン・トルコとの激戦を今でも偲ぶ事が出来る。 -
ブルガリアの現地ガイドマリアさん。
彼女は、ブルガリアの黒海に面した工業都市ブルガスに神戸製鋼がプラント輸出した際に、通訳として雇われて、すっかり日本びいきになった方。当時の自分の失敗談を交えてガイドするなど愉快なガイドさんだった。
後ろの塔は、当地がブルガリア帝国の都として、最も栄えた時の4人の王の記念碑である。 -
昼食後、峠を越えて、バラの香水の産地として有名なカザンラクの谷に向けて出発する。約2時間の行程である。
途中、社会主義時代のモニュメントと思われる労働者の石像が残っていた。 -
道は渓谷に沿って、南下する。車窓から朽ち果てた工場が目に付く。工場建屋に売り出し中との看板がかかったものがあるが、完全に瓦礫の山と化しているものすらある。途中通過したカブロヴァの町は、繊維、刺繍、皮革、鍛治屋などの手工業の町とあるが、荒れ果てた町は痛々しい感じがした。この山間の町にEC加入の恩恵が何時もたらされるであろうか。
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同じく荒廃した工場建屋。
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道は上りがきつくなり、松の造林地を抜けるとシプカ峠(標高1326m)に達する。この峠に巨大な石造りの塔が立っていた。
1877年の露土戦争(ロシア対トルコ)の激戦地で多くのロシア兵が犠牲になった末、ロシアが勝利した。それが契機となり、ブルガリアが独立を達成した。東欧圏一の親ソ国家だったブルガリアの原点だと言う。
この塔はその戦勝記念碑「自由の碑」(高さ32m)である。
この峠から下った麓がカザンラクである。その入口の森の中に金ぴかの葱坊主で目立つロシア正教のシプカ僧院がある。1902年完成し、主にロシア兵が葬られている。
写真はシプカ僧院。 -
この近くにバラ博物館があった。330年に及ぶ当地のバラ産業の歴史が展示されている。ここでは、バラの花弁を蒸留してバラ油を取り出す古い形式の蒸留器が展示していた。
今は真冬、バラの木にすらお目にかかれなかった。5月下旬から20日間ほどが、花の採取時期。1ヘクタールのバラ畑から、トラック山盛り一杯の3.5トンの花弁がとれ、やっと1kgのバラ油が抽出出来ると言う。当地のバラ油は年産量800kg。 -
この町にも壁面に壁画が描かれているビルがあった。
この地には、世界遺産「トラキア人の墓」がある。1944年の防空壕の建設中に、偶然、金の仮面、金杯などの副葬品が出土し、がぜん注目された。紀元前4世紀頃に先住民のトラキア人が造ったもの。社会主義時代にこれらの財宝はロシアに運び去られ、その後返還されたが、まだ返還されていない物もある由。
この遺跡に案内されたが、本物は完全に密閉保存され、見学出来るのは、その隣に完全に復元された模型である。内部の壁面、天井に精巧なフレスコ画が描かれている。
畑の中に墳丘がいくつも点在しているのが見える。1000個もあり、ドイツやフランスの協力で発掘調査が行われているが、行き届かず盗掘が横行していると言う。社会主義時代に作られたダムに沈んでいる墳丘もある由。 -
町の中心地に我々が泊まったカザンラク・グランド・ホテルがあった。
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翌日、朝7時半にホテルを出発する。西へ210km、ソフィアまで3時間の道程である。
早朝、どんより曇っている。ホテル周辺を散策したが、石炭を燃やした匂いが町中に漂っていた。三方を山に囲まれ冬は特に空気が溜まり易いのだろう。
左手には雲の切れ間に、雪を抱いたバルカン山脈(最高峰2375m)が見える。
途中の町に米軍基地があるとガイドは教えてくれた。カーキ色の装甲車が沢山置かれていた。今回訪れた3国は全てNATOに加入しており、ルーマニア、ブルガリアはイラクに派兵している国である。 -
車が少ないのにバスは60kmの制限速度を良く守る。
10時にソフィアに入る。雲間に、右側に雪を抱いた山々が見える。この山も標高2200mを越している。
かなり古ぼけた7-8階の高層アパート群が目に付く。やはりここは東欧圏なんだと自覚する。
町の中心街にあるホテルに荷物を降ろし、ソフィアの市内観光に向かう。
写真は、ソフィア中央駅に近い我々の泊まったプリンセスホテル近くの建物。 -
まず、半地下にある聖ペトカ教会へ案内される。
オスマン・トルコ時代に、教会はモスクより高く造れなかった為、半地下式になった。車道下の地下道を通って教会に行く。 -
聖ペトカ教会の前にある巨大なソフィア像。
天高く、黒い衣装を身に纏い、右手に月桂樹(勝利)を持ち、左手にフクロウ(智恵)を持つソフィア。
ここは旧共産党本部に近く、当時巨大なレーニン像があった所。2001年に建立された。 -
ブルガリア正教の聖ネデリャ教会。
オスマン・トルコ支配からの解放後に、周辺の個人の教会や神学校を集めて、この大きな丸屋根の教会が建造された。
丁度、日曜日のため、信者で賑わい、結婚式の一行も訪れていた。 -
聖ネデリャ教会内部。
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聖ネデリャ教会の結婚式のカップル。
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シェラトン・ホテルの裏手にある聖ゲオルギ教会。3〜4世紀に煉瓦で建造された円形の教会で、ローマ時代の貴重な建造物だ。ソフィア市内で、もっとも古い教会だという。教会の背後にローマ時代の浴場あとがあり、この界隈をソフィアのフェロ・ロマーニと言う人もいる。
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旧共産党本部。現在は議会が入っている由。
手前の壁は大統領府。 -
丁度12時になり、大統領府前の衛兵の交代式に遭遇した。至ってささやかな式だった。
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旧王宮の国立美術館。
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聖ニコライ・ロシア教会。
ソフィアに移住してきたロシア人が、1913年に建立したもの。金ぴかの葱坊主と緑のドームが印象的。 -
聖ニコライ・ロシア教会近くの公園に骨董市が開かれていた。共産党時代の遺物が人気があるようだ。肩章、帽子、軍服などが並んでいた。
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アレクサンダル・ネフスキー教会。
この寺院は、露土戦争(1877-78)で、20万人のロシア人兵士が戦死したことを慰霊する目的で建造されたもの。1882年に着工し、40年の歳月を費やして完成した。その間に、第1次世界大戦があり、ロシア革命(1917年)があった。
広大な広場の中央に高さ60m、バルカン半島で最大、5000人を収容できる教会が聳えている。共産主義時代はどうなっていたのだろうか。メーデーを開くのに格好の場所のように思はれるが。ロシア正教の教会はモスクワでは、倉庫にされていたのだから、この周りでメーデーをやったとは考えにくい。
内部は撮影禁止。各地から集められた大理石、シャンデリアは豪華そのもの。
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