2007/02/06 - 2007/02/10
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tabijiisanさん
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今年一月ルーマニア、ブルガリアはEUに加入した。この加入を旅行会社は絶好のチャンスと捉えたのか、急にこの両国へのツアーが増加したようだ。
所がドナウ・デルタ観光が入ったツアーを狙っていたが、予定人数が集まらずキャンセルとなり、よりお得なルーマニア、ブルガリア、トルコをバスで2週間かけて巡るツアーに変更することにした。このツアーはお得なだけあって、参加者は37人(男性15人、女性22人)。これをバス1台、添乗員1名、イアホンガイド無しで案内するのだから、大変である。
しかし、それなりに大満足のツアーであった。
写真はルーマニア第2の都市ブラショフの旧市街にある聖ニコラエフ教会正面。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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成田13時15分発のルフトハンザ航空のミュンヘン行き便にて出発する。ミュンヘンでブカレスト行きに乗換える予定。乗客は日本人のツアー客でほぼ満員である。ANAとの共同運航便で機体はエアバスA-340-300。この便は北海道の札幌上空を通過して後、日本海を横切りシベリアに上陸する。雲の切れ目からシベリアの凍て付いた湿原が見える。凍結した氷が点在し、夕日に照らされて、美しい。ヘルシンキ上空を経て、12時間余りの飛行の後
定刻より15分早くミュンヘン着。ミュンヘン空港での待ち時間3時間。ミュンヘンの日本との時差は8時間である。 -
ミュンヘンから2時間の飛行の後ブカレストに現地時間
12時に到着する。ブカレストと日本との時差は7時間のため、8時間遅らせた時計を1時間進める。
飛行機が2-3機しか止まっていない小さいローカル空港で、とても首都の空港とは思えない。 -
現地ガイドが専用バスでお出迎えの後、空港から10分ほどの郊外にあるホテルに着く。このホテルはコンフォート・リン・オトペニと言い、日本のビジネスホテルの風情だった。一泊65ユーロを売り物にしていて、案内された部屋はシャワーだけのバスのない部屋であった。
翌日は朝8時出発の強行軍で、ブカレストを素通りして北に向い、ブラショフ、シギショアラの観光地を巡る予定である。 -
ブカレストの郊外の幹線道路を北に向かう。道路に面して平屋の石造りの民家が途切れなく立並んでいる。自家用車を置いている家もあるが、見るからに貧しく荒れた感じがする。
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1時間ほど走った後、右側に大きな冷水塔を備えた石油精製工場が現れた。このプロイエシュテ付近は古くから石油が産出し、石油の中心地だった。ナチスは第2次大戦初期の1940年初め、バルカン作戦をイタリア軍と共同で進め、この石油地帯を手中にした。枢軸軍の貴重な石油となったが、1944年にはソ連軍に占領された。1967年大統領となったチャウシェスクは東欧圏にありながら、ソ連の軛から逃れる政策を取り、ソ連軍の撤退、ソ連と対立していた中国との友好政策を掲げた。それを西側諸国が評価し、巨額の資金を貸し付けて近代化された。ルーマニアは東欧圏の中では唯一石油の産出国で1937年には、世界7位の石油産出国だった。しかし、今では石油の産出は減少し(2002年で600万トン)、石油の輸入に頼っている。内陸部に位置するこの工場は、黒海沿岸からパイプラインで原油を運んでいるのだろうか。
ルーマニアは東欧圏の中では唯一イタリア、フランス、スペインと同じラテン系民族国家でもある。 -
プロイエシュテのアパート群。共産党時代のアパート群は近代化されているのだろうか。近くにはカルフールのスーパーが進出していた。
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ブラショフへの幹線道路に沿って、所々に石油井戸が稼動していたが、大型のポンプは無かった。
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道路は徐々に高度を上げて、保養地シナイアに向き合う。
荒れたリゾートが目に付いた。 -
北の方向に雪を抱いた高山が見えてきた。
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シナイアでは、道路の左側から思いがけなく、聳え立つ鋭鋒が現れた。右の鞍部にはロープウェイが通っている。今の時期には、山の中腹にスキー場が開場し、スキー客で賑わう由。
行楽期には、ケーブルの終点から約2時間のハイキングで最高峰のブチェギ山(標高2507m)に到達できる由。 -
右側の山頂に、大きな十字架が設置してあった。
この写真でも拡大画面で確認できる。 -
車窓から見たシナイアの教会
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シナイアの峠では、線路に沿って幹線道は走っている。
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ブラショフ近郊のカルフール
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11時半にトランシルバニア地方の中心地、ルーマニア第2の都市ブラショフ旧市街に到着。12世紀にドイツ人に建てられた町である。ハンガリー公国の一部だったトランシルバニア地方が、ルーマニアとなったのは、比較的新しく1881年に過ぎない。
まず、聖ニコライ教会(1760年建造)に案内される。
ルーマニア正教の教会で、内部は撮影禁止だった。正教では、立って礼拝するので、ベンチはない。正教は礼拝の際の十字の切り方が逆である。(正教は右から、カソリックは左から)正教ではパイプオルガンがなく、コーラス隊がその役割を果たす。等現地ガイドは説明する。
教会の脇に、昔学校の後が小博物館となっている。ドイツ人が移住後、先住ルーマニア人はルーマニア語の使用を制限され、この教会付属の学校で初めてルーマニア語の授業が許可され、ルーマニア語の聖書が印刷された。その印刷機が保存してあった。 -
近くの黒の教会と言われるプロテスタントの教会に行く。内部は撮影禁止。
14世紀後半から80年の歳月をかけて建立された。高さ65mもあるゴシック様式の教会である。1689年ハプスブルグ軍の攻撃を受け火災で外壁が黒焦げになったことから名付けられた。そのまま、300年余りも外壁は補修しないで保存してある訳だ。内部にはフレスコ画もイコンもなく、トルコの絨緞コレクションが飾ってあった。ルーマニア最大のパイプオルガンがある。 -
黒の教会近くのスファトゥルイ広場。
周囲の建物はブリュッセルやアントワープの広場のギルドの建物に似ている。あたかもベルギーの広場にいるようだった。 -
ブラショフ旧市街にある聖ニコライ教会の入口の広場にあった真新しい兵士像。
ルーマニア語でしか碑文は書かれていなかったが、1939年の文字が読み取れた。第二次大戦でドイツが石油確保のために仕掛けたバルカン作戦は1940年の3月から始まり、ルーマニア、ブルガリアは1944年までドイツ軍の支配下にあった。1939年9月のポーランド進攻で第2次大戦は始まったが、当時、バルカン諸国に周辺大国の圧力が強まった時期である。ルーマニア東部にソ連が進攻、アルバニアはイタリアに併合された。
この像について現地ガイドに質問したが、回答は無かった。 -
大型の鳩。Collared Dove
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大型の日本で見られない犬。
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無邪気ないたずらっ子。
最近、日本では余り見られなくなった。 -
ブラショフのレストランで遅い昼食をとった後、30分ほ走った後、要塞教会プレジュメルに15時に着いた。16世紀の建設で、中央に教会があり、その周囲を4階建ての
200の個室を持つアパートのような砦が取り巻いていて外側は強固な城壁となっている。城壁には小さい銃口を備え、オスマン軍の攻撃に反撃できるようになっている。オスマン軍の攻撃に対し最後まで持ちこたえそうだ。篭城して耐えた個室内に当時の生活備品、武器が展示されていた。 -
要塞教会プレジュメルの全景。中央の教会の尖塔が見える。
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要塞教会プレジュメルの前に現地の若者がたむろしていた。帽子が珍しいので撮らせて貰った。
彼等は建設労働者で、空手を知っており、日本はブッシュのことを応援しすぎると言うようなことを言っていた。 -
要塞を見学後、北西へ約2時間バスを走らせ、シギショアラ旧市街のホテルに向かう。バスは旧市街に入れないので、約15分、暗くなった石畳の上り道を歩かされた。ホテルの名はSighisoara
写真は翌日早朝のホテルの写真である。 -
翌朝8時半にシギショアラの旧市街の観光に出かける。と言っても、狭い旧市街なので30分ほどホテルの周りを歩き回っただけだった。旧市街は城壁をめぐらした丘の上にあり、城壁が随所に残り、要所要所に見張りの塔が設けられている。その塔の名に夫々靴屋、洋服屋、肉屋のギルドの名が付けられている。何回もトルコ軍に占領されている。
ここは吸血鬼ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュの父ダラクルがハンガリー王により幽閉された場所である。ヴラド・ツェペシュはここで生まれた。その生家はレストランになっており、近くにヴラド・ツェペシュの像が設置されていた。 -
旧市街のシンボルの時計塔。
からくり時計があるが、老朽化のため特別の場合以外、動かしていない。
内部の見学は予定されていなかったが、内部は博物館になっていて、手術器具など雑多な陳列物がある由。ドイツのロケット開発のリーダーで後に米に渡り、アポロ計画に貢献したブラウンを指導し、彼と行動を共にしたヘルマン・オーベルト(1894-1990)はここシギショアラの生まれである。そのためこの博物館に彼の資料、ロケット関連の資料が展示されている。 -
シギショアラを10時出発し、今日観光するブラン城へ向かう。150km、2時間半の行程である。その途中、世界遺産サスキス村の要塞教会(14世紀に建立)に立寄る。
写真はその付近の街並みである。各家の教会がふさいでいるのが特徴。 -
世界遺産サスキス村の要塞教会。
内部の見学は予定されてなかった。城壁、塔、天守閣、教会が良く保存されている由。 -
近くのおじいさんが自分の家を見せてくれた。中庭に面し家畜小屋があり、羊、鶏が溢れていた。近くの雪原には放牧している羊が群れていた。
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