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本編の中にわすかですが バンコック市内のことを描いています。<br /><br /><br />加奈子の旅 バンコック編           浅山一郎<br /><br />八島加奈子34歳、顔立ちはふっくらとして顎骨は<br />丸みを帯び、眼光は女性にしては鋭く、色気は感じないが、<br />その特有の明るさが魅力の秘密である。<br />某化粧品メーカーの研究所の品質管理課に勤めている<br />レディである。<br />婚期を逸した感がある。けれど、純一はそんな<br />加奈子を見て、<br />とても流暢に話しのできる<br />近代的な女性として憧れていた。<br />何よりも加奈子は明るく誰にでも接していた。<br /><br />春がきた。桜が咲きぽかぽかと陽気で温暖な空気が<br />周囲に漂い始めた頃である。<br />加奈子が突然バンコクに行くことになり、<br />会社に辞表を提出したのである。<br />純一は戸惑った。憧れの加奈子が突然バンコク<br />に行くと言い出した。<br />無論、会社は彼女のバンコク行きを知らない。<br />家事のためとだけ言ってある。<br />純一はまだ加奈子に愛を告白していなかった。<br />研究の日々でいつのまにか恋愛も遠のき、<br />最後の男盛り不惑の40歳を迎えていた。<br /><br />九州の父親は某有名大学の教授をしている。<br />母は京都の生まれで、前身で言えば有名な<br />公家の出身で、某市郊外の見晴らしのいい閑静な<br />邸宅に住んでいる有数の資産家でもあった。<br />何度かの見合いも進められたが、加奈子のこと<br />を考えると、つい伸びていった。<br />いつかの夜、コンサート帰りのホテルのレストラン<br />で加奈子から両親のことを聞かれたことがあった。<br /><br />純一はただ゛「大学の教授をしています。<br />まあ、お金にはあまり不自由していません。」<br />と軽く答えた。<br /><br />加奈子はにっこり笑っただけで、何も言わなかった。<br />純一は告白しようと思った。けれど不安だった。<br />婚期を逃していると思われる加奈子だったけれど、<br />いつも表情は明るく、まるで婚姻など眼中にない、<br />純一を好いているかどうかさえ表情からも<br />言葉からも読み取れなかった。<br />結局、告白を思いとどまった。<br />名前の通り純情一途の純一であった。<br /><br />加奈子はバンコクに旅立った。<br />その前の夜、純一に会って食事した。<br />ただ、それだけであった。<br />純一の気持ちはわかっていた。<br />けれど加奈子は踏み切れなかった。<br />加奈子は不倫に身を焦がしていた。<br />純一は束の間の癒しのような存在であった。<br />いま、加奈子は一足先に旅立った愛人、<br />遠藤実の跡を追っていた。<br />遠藤は加奈子の勤務する某化粧品メーカーの子会社、<br />K化粧品販売の社長であった。<br />すでに不倫関係になって3年が流れていた。<br />いつか遠藤は妻子と別れて加奈子と一緒になろうと言っていた。加奈子は全面的にそれを信用したわけではなかった。<br />けれど、遠藤の巧みな愛撫に溺れている時の<br />いい知れぬ快感に喜びを感じていた。<br />遠藤は優しかった。たまの休日には旅行にも連れて<br />行ってくれたし、生活の足しにと数十万円を<br />惜しげもなく渡してくれた。食事をしたり、<br />飲みに行ったりもした。<br />けれど、決して高級なエルメスやシャネルや<br />ルイビトゥンなどのブランド物は一切買わなかった。<br />ブランド物は特に他人の眼を引きやすい。<br />そこに加奈子の周到な用心深さがあった。<br /><br />3年の間、加奈子はその金を使わず預金していた。<br />両親には給料の範囲内で時々小遣いを上げる程度で、<br />できるだけ質素な生活に勤めた。<br />不倫のことは誰にも気づかれていない。<br />預金も1000万近くになった。<br /><br />加奈子は虎のように襲い掛かる強かさでなく、<br />雌豹のようにじっとチャンスを待つ強かさを持っていた。<br />しかし、まだ加奈子はそのことに気づいていなかった。<br />遠藤は今度バンコクに和食料理店を開業した。<br /><br />加奈子を誘ったのである。加奈子にとっても毎日、<br />気を使いながら周囲の眼を気にして逢うことに<br />ちと疲れていた。<br />毎日、誰に気兼ねもなく遠藤の胸に抱かれていたかった。<br /><br />逡巡することなくあっさりと決めた。<br />専門学校を卒業して2年ほどアメリカに留学<br />していた加奈子にとって海外での生活に不安はなかった。<br /><br />バンコクでの新しい生活が始まった。新居は日本人<br />が居住しているバンコクでは比較的安全なブロムボン駅<br />近くのスクムビット通りを北に入った小さな<br />2DK式のマンションであった。<br />家賃は遠藤が払ってくれた。<br />バンコクの居住環境は安全第一と考えての<br />遠藤の配慮であった。<br />けれど 開店した和食料理店「青天」はプロムボン駅<br />から一つ目のアソーク駅シェラトングランデの<br />近くにある中国風建物の1階にあった。周囲は駅<br />付近の騒音と公害に隔離されたような小さな庭園<br />の林の奥まったところにあるが、この付近の道路<br />はやけに野良犬が徘徊し目立つ界隈である。<br />現地の人間はほとんどこない。いわばバンコク<br />滞在の日本人を専門とする客層であった。<br />遠藤の人脈の広さを感じた。<br /><br />開店早々から店の駐車場には高級車がひっきりなし<br />に出入りした。<br />店舗面積も200平方メートルの広さで、担当の厨房、<br />それに現地採用のタイの少女達であった。<br />加奈子はフロアー全体のマネジメントとその少女達<br />20人の指導をまかされた。<br />ここで加奈子はひとつの誤算を生じたことにきづかなかった。<br /><br />日本を離れる時、タイ語の勉強ということで<br />両親にも純一にもそれとなく説明していた。<br />タイ語ははじめてであった。<br />簡単なタイ語は日本を離れるまでの数ヶ月間で多少マスターしていた。<br /><br />「 サワッディー カップ 」「 サーバイディー ル カップ」<br />「カウジャイ」「マイ チャイ カップ」。<br />何とか多少の言葉は理解できるし、英語も話せる。<br />けれどバンコクは英語圏ではなかった。<br /><br />なんとか-1ヶ月の間に簡単な会話は出来るようになった。<br />店は昼過ぎに出勤で午後10時までの仕事で多忙であった。<br />遠藤との逢う瀬がみるみるうちに減って行くような<br />きがした。<br />毎日会えると思っていたが、仕事が多忙で1日を<br />終えるとぐったりする日もあった。<br /><br />誤算は仕事の多忙さであった。<br />タイの少女達は計算が出来なかった。<br />みな貧しい地方から出てきた少女達で教育<br />を満足に受けていなかった。<br />加奈子は教育係りのように手取り足取りその子達に教えた。<br />サブマネジャーの中国系の名前を持つ少女<br />リーゥイが小さい愛くるしい体を眼一杯に使って加奈子によく仕えてくれた。<br />それでも加奈子は神経の休む暇はなかった。<br />遠藤はほとんど店にいなかった。<br /><br />その間店に来る客達と知り合いになり、休日には<br />いろいろなところに出かけた。<br />タイ式マッサージにも出かけた。心地よい<br />感触が日ごろの疲れを癒した。<br /><br />ニューハーフキャバレーショーのマンボやラチャダー<br />にも友達の里香と出かけた。<br />チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケット<br />にも出かけた。<br />30万平方メートルもあるチャトゥチャック公園<br />の南側の敷地で週末に開かれるフリーマーケット<br />で日本人観光客もよく訪れる。<br />膨大の敷地の広さ、出店数のすごさ、まさに何でもそろう巨大マーケットである。<br />けれど加奈子は次第に疲れていく自分を感じていた。<br /><br />遠藤と逢った夜、ベットで言った。<br /><br />「いつになつたら、一緒になってくれるの。」<br /><br />遠藤は単身赴任であったが時折日本へ帰って行った。<br />その時加奈子はふと寂しい思いに駆り立てられた夜があった。<br /><br />「もう少しもう少し待って欲しい。」<br /><br />といつも遠藤は言っていた。<br />けれど何故かこの夜は違った。<br />加奈子への魅力が薄れたのか、あるいはほかに<br />タイの愛人が出来たのか、<br />やや冷めた口調で<br /><br />「なあ、加奈子、このままでは君も婚期を逸<br />してしまうし、私もこの店に資本をかけた以上<br />成功させなければならない。<br />幸いいまのところは軌道に乗って店も順調だし、<br />君が望めばこのまま仕事をしてもらってもいい。<br />けれどやはり妻子を捨てるわけには行かないし。」<br /><br />加奈子は冷静であった。いずれくるであろう<br />この日の回答を予期していた。<br /><br />加奈子は日本に帰る決意をした。<br />六星占術の羅針盤の示すように加奈子は財力を<br />なさねばならない。<br />加奈子は昭和45年10月3日うまれ、六星占術で<br />水星人であった。水星人は、非常に利己的で<br />クールな性格の持ち主だ。ある意味で、人生をつねに<br />醒めた目で見ているところがある。<br />意思が強く、つねに自分を見失わないで冷静に行動し、<br />一時の情熱に身を任せて、自らを破滅させてしまうよ<br />うなことはない。 <br /> 水星人に与えられているのは、そもそも<br />「孤独な世界」なのだ。このことは、<br />幸せとが不幸という次元の問題ではなく、<br />そういう運気のもとにうまれたのだ、ということなのだ。<br /> だがら、孤独な世界に生きてこそ、<br />成功する可能性もあると加奈子は思っている。<br />結婚がすべてを開放するとは考えてない。<br /><br />豹のように強かにじっとチャンスを待ち、<br />豹のような牙があることにはじめてきづいた。<br /><br />遠藤から手切れ金として500万円を貰った。<br />けれど、遠藤と切れたわけではない。<br /><br />「またバンコクにきたら遊んでくださいね。」<br /><br />とにっこり微笑んで言った。<br /><br />日本に帰国して数日休みこれからのことを考えた。<br /><br />「そろそろ私も形だけは整えなくちゃ。」<br /><br />純一に逢うことにした。<br />そして結婚を申し込んだ。両親はとても喜んでくれた。<br /><br />純一は意外そうな顔していた。<br />しかし、顔はほころんでいた。<br />私の過去の顔は誰も知らない。<br />純一ならば私の手のひらにある。<br />これからは純一の妻とし、敬虔に尽くしながら、<br />精一杯人生を楽しもう。<br /><br />新居は神戸市西区の一戸建てを購入した。<br />無論、純一の両親の援助であった。<br />ある晴れた日、庭に立って純一を見送っている<br />加奈子の姿があつた。<br />「敬虔で質素な加奈子」の仮面の下の素顔は誰も知らない。<br /><br /><br />青く澄み切った神戸の空は加奈子のために<br />無限に広がって行くような気がした。<br /><br /><br />新しい旅たちの朝<br /><br />加奈子は新鮮なオゾンを胸一杯吸った。<br /><br /><br /> 参考<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%90%8D<br /><br />http://search.yahoo.co.jp/search?p=%A5%D0%A5%F3%A5%B3%A5%C3%A5%AF&amp;amp;fr=top&amp;amp;src=top&amp;amp;search.x=14&amp;amp;search.y=9   <br />http://book.matrix.jp/book/06.html<br /><br />本小説もどきは一気に4時間で書き上げ推敲しておりません。<br />あしからずご了承くださいませ。

加奈子の旅 バンコック編

11いいね!

2006/09/05 - 2006/09/16

13170位(同エリア22959件中)

2

10

浅山 (あさやん)

浅山 (あさやん)さん

本編の中にわすかですが バンコック市内のことを描いています。


加奈子の旅 バンコック編           浅山一郎

八島加奈子34歳、顔立ちはふっくらとして顎骨は
丸みを帯び、眼光は女性にしては鋭く、色気は感じないが、
その特有の明るさが魅力の秘密である。
某化粧品メーカーの研究所の品質管理課に勤めている
レディである。
婚期を逸した感がある。けれど、純一はそんな
加奈子を見て、
とても流暢に話しのできる
近代的な女性として憧れていた。
何よりも加奈子は明るく誰にでも接していた。

春がきた。桜が咲きぽかぽかと陽気で温暖な空気が
周囲に漂い始めた頃である。
加奈子が突然バンコクに行くことになり、
会社に辞表を提出したのである。
純一は戸惑った。憧れの加奈子が突然バンコク
に行くと言い出した。
無論、会社は彼女のバンコク行きを知らない。
家事のためとだけ言ってある。
純一はまだ加奈子に愛を告白していなかった。
研究の日々でいつのまにか恋愛も遠のき、
最後の男盛り不惑の40歳を迎えていた。

九州の父親は某有名大学の教授をしている。
母は京都の生まれで、前身で言えば有名な
公家の出身で、某市郊外の見晴らしのいい閑静な
邸宅に住んでいる有数の資産家でもあった。
何度かの見合いも進められたが、加奈子のこと
を考えると、つい伸びていった。
いつかの夜、コンサート帰りのホテルのレストラン
で加奈子から両親のことを聞かれたことがあった。

純一はただ゛「大学の教授をしています。
まあ、お金にはあまり不自由していません。」
と軽く答えた。

加奈子はにっこり笑っただけで、何も言わなかった。
純一は告白しようと思った。けれど不安だった。
婚期を逃していると思われる加奈子だったけれど、
いつも表情は明るく、まるで婚姻など眼中にない、
純一を好いているかどうかさえ表情からも
言葉からも読み取れなかった。
結局、告白を思いとどまった。
名前の通り純情一途の純一であった。

加奈子はバンコクに旅立った。
その前の夜、純一に会って食事した。
ただ、それだけであった。
純一の気持ちはわかっていた。
けれど加奈子は踏み切れなかった。
加奈子は不倫に身を焦がしていた。
純一は束の間の癒しのような存在であった。
いま、加奈子は一足先に旅立った愛人、
遠藤実の跡を追っていた。
遠藤は加奈子の勤務する某化粧品メーカーの子会社、
K化粧品販売の社長であった。
すでに不倫関係になって3年が流れていた。
いつか遠藤は妻子と別れて加奈子と一緒になろうと言っていた。加奈子は全面的にそれを信用したわけではなかった。
けれど、遠藤の巧みな愛撫に溺れている時の
いい知れぬ快感に喜びを感じていた。
遠藤は優しかった。たまの休日には旅行にも連れて
行ってくれたし、生活の足しにと数十万円を
惜しげもなく渡してくれた。食事をしたり、
飲みに行ったりもした。
けれど、決して高級なエルメスやシャネルや
ルイビトゥンなどのブランド物は一切買わなかった。
ブランド物は特に他人の眼を引きやすい。
そこに加奈子の周到な用心深さがあった。

3年の間、加奈子はその金を使わず預金していた。
両親には給料の範囲内で時々小遣いを上げる程度で、
できるだけ質素な生活に勤めた。
不倫のことは誰にも気づかれていない。
預金も1000万近くになった。

加奈子は虎のように襲い掛かる強かさでなく、
雌豹のようにじっとチャンスを待つ強かさを持っていた。
しかし、まだ加奈子はそのことに気づいていなかった。
遠藤は今度バンコクに和食料理店を開業した。

加奈子を誘ったのである。加奈子にとっても毎日、
気を使いながら周囲の眼を気にして逢うことに
ちと疲れていた。
毎日、誰に気兼ねもなく遠藤の胸に抱かれていたかった。

逡巡することなくあっさりと決めた。
専門学校を卒業して2年ほどアメリカに留学
していた加奈子にとって海外での生活に不安はなかった。

バンコクでの新しい生活が始まった。新居は日本人
が居住しているバンコクでは比較的安全なブロムボン駅
近くのスクムビット通りを北に入った小さな
2DK式のマンションであった。
家賃は遠藤が払ってくれた。
バンコクの居住環境は安全第一と考えての
遠藤の配慮であった。
けれど 開店した和食料理店「青天」はプロムボン駅
から一つ目のアソーク駅シェラトングランデの
近くにある中国風建物の1階にあった。周囲は駅
付近の騒音と公害に隔離されたような小さな庭園
の林の奥まったところにあるが、この付近の道路
はやけに野良犬が徘徊し目立つ界隈である。
現地の人間はほとんどこない。いわばバンコク
滞在の日本人を専門とする客層であった。
遠藤の人脈の広さを感じた。

開店早々から店の駐車場には高級車がひっきりなし
に出入りした。
店舗面積も200平方メートルの広さで、担当の厨房、
それに現地採用のタイの少女達であった。
加奈子はフロアー全体のマネジメントとその少女達
20人の指導をまかされた。
ここで加奈子はひとつの誤算を生じたことにきづかなかった。

日本を離れる時、タイ語の勉強ということで
両親にも純一にもそれとなく説明していた。
タイ語ははじめてであった。
簡単なタイ語は日本を離れるまでの数ヶ月間で多少マスターしていた。

「 サワッディー カップ 」「 サーバイディー ル カップ」
「カウジャイ」「マイ チャイ カップ」。
何とか多少の言葉は理解できるし、英語も話せる。
けれどバンコクは英語圏ではなかった。

なんとか-1ヶ月の間に簡単な会話は出来るようになった。
店は昼過ぎに出勤で午後10時までの仕事で多忙であった。
遠藤との逢う瀬がみるみるうちに減って行くような
きがした。
毎日会えると思っていたが、仕事が多忙で1日を
終えるとぐったりする日もあった。

誤算は仕事の多忙さであった。
タイの少女達は計算が出来なかった。
みな貧しい地方から出てきた少女達で教育
を満足に受けていなかった。
加奈子は教育係りのように手取り足取りその子達に教えた。
サブマネジャーの中国系の名前を持つ少女
リーゥイが小さい愛くるしい体を眼一杯に使って加奈子によく仕えてくれた。
それでも加奈子は神経の休む暇はなかった。
遠藤はほとんど店にいなかった。

その間店に来る客達と知り合いになり、休日には
いろいろなところに出かけた。
タイ式マッサージにも出かけた。心地よい
感触が日ごろの疲れを癒した。

ニューハーフキャバレーショーのマンボやラチャダー
にも友達の里香と出かけた。
チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケット
にも出かけた。
30万平方メートルもあるチャトゥチャック公園
の南側の敷地で週末に開かれるフリーマーケット
で日本人観光客もよく訪れる。
膨大の敷地の広さ、出店数のすごさ、まさに何でもそろう巨大マーケットである。
けれど加奈子は次第に疲れていく自分を感じていた。

遠藤と逢った夜、ベットで言った。

「いつになつたら、一緒になってくれるの。」

遠藤は単身赴任であったが時折日本へ帰って行った。
その時加奈子はふと寂しい思いに駆り立てられた夜があった。

「もう少しもう少し待って欲しい。」

といつも遠藤は言っていた。
けれど何故かこの夜は違った。
加奈子への魅力が薄れたのか、あるいはほかに
タイの愛人が出来たのか、
やや冷めた口調で

「なあ、加奈子、このままでは君も婚期を逸
してしまうし、私もこの店に資本をかけた以上
成功させなければならない。
幸いいまのところは軌道に乗って店も順調だし、
君が望めばこのまま仕事をしてもらってもいい。
けれどやはり妻子を捨てるわけには行かないし。」

加奈子は冷静であった。いずれくるであろう
この日の回答を予期していた。

加奈子は日本に帰る決意をした。
六星占術の羅針盤の示すように加奈子は財力を
なさねばならない。
加奈子は昭和45年10月3日うまれ、六星占術で
水星人であった。水星人は、非常に利己的で
クールな性格の持ち主だ。ある意味で、人生をつねに
醒めた目で見ているところがある。
意思が強く、つねに自分を見失わないで冷静に行動し、
一時の情熱に身を任せて、自らを破滅させてしまうよ
うなことはない。
 水星人に与えられているのは、そもそも
「孤独な世界」なのだ。このことは、
幸せとが不幸という次元の問題ではなく、
そういう運気のもとにうまれたのだ、ということなのだ。
 だがら、孤独な世界に生きてこそ、
成功する可能性もあると加奈子は思っている。
結婚がすべてを開放するとは考えてない。

豹のように強かにじっとチャンスを待ち、
豹のような牙があることにはじめてきづいた。

遠藤から手切れ金として500万円を貰った。
けれど、遠藤と切れたわけではない。

「またバンコクにきたら遊んでくださいね。」

とにっこり微笑んで言った。

日本に帰国して数日休みこれからのことを考えた。

「そろそろ私も形だけは整えなくちゃ。」

純一に逢うことにした。
そして結婚を申し込んだ。両親はとても喜んでくれた。

純一は意外そうな顔していた。
しかし、顔はほころんでいた。
私の過去の顔は誰も知らない。
純一ならば私の手のひらにある。
これからは純一の妻とし、敬虔に尽くしながら、
精一杯人生を楽しもう。

新居は神戸市西区の一戸建てを購入した。
無論、純一の両親の援助であった。
ある晴れた日、庭に立って純一を見送っている
加奈子の姿があつた。
「敬虔で質素な加奈子」の仮面の下の素顔は誰も知らない。


青く澄み切った神戸の空は加奈子のために
無限に広がって行くような気がした。


新しい旅たちの朝

加奈子は新鮮なオゾンを胸一杯吸った。


 参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%90%8D

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%A5%D0%A5%F3%A5%B3%A5%C3%A5%AF&amp;fr=top&amp;src=top&amp;search.x=14&amp;search.y=9   
http://book.matrix.jp/book/06.html

本小説もどきは一気に4時間で書き上げ推敲しておりません。
あしからずご了承くださいませ。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 浅山 (あさやん)さん 2007/08/05 17:30:21
    ありがとうございました。
    この物語のためにバンコックをいろいろ歩き写真も撮り店も取材したのですが メモリフラッシュ紛失のため 画像が少なくなりました。実際のモデルは
    があつたのかどうか みなさんのご想像にお任せします。
    投票ありがとうございました。
  • 浅山 (あさやん)さん 2007/06/21 13:43:45
    バンコック見聞記
    http://blogs.yahoo.co.jp/asayama55/folder/175880.html?m=lc&sv=%B2%C3%C6%E0%BB%D2&sk=0

    やふーブログで公開しています。。
    残念なことは デジカメ操作ミスでアユタヤ関係の写真すべてなくなったことです。残念

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