2007/06/16 - 2007/06/16
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のださん
今日は川崎に行く用事があるので、自転車で六郷橋という橋を渡っていきます。
川崎宿は東海道の2番目の宿で、六郷橋というのは徳川家康が架けさせたものですが、洪水で流され、以後約200年間、渡し舟の時代がありました。
「六郷渡し」という言い方をし、広重なども絵を描いたりしています。
現在の六郷橋には、第一京浜(国道15号線)という道路が走っています。
ちなみに、東京都の一部と神奈川県の一部を分けている川を多摩川と言いますが、その多摩川に架かっている橋の一つが六郷橋です。
六郷というのは、六郷橋から川崎に渡る手前の東京都大田区の地名ですが、その六郷の寺社を中心に回ってみます。
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今日も朝から暑過ぎだ。
出発したのは9:15くらいでしたが、もっと早く出れば良かった。
まず訪れたのは安養寺。
所在地は大田区西六郷二丁目で、多摩川沿いです。
元々河川敷内にあったのを、明治終わりか大正初めかに現在の場所に移した、とのことです。 -
門の前には「古川薬師道道標」。
東海道の雑色から多摩川道に入る分岐点に建てられた道標だそうです。
区画整理のため、現在の安養寺に移されたとのことです。
この安養寺の最寄り駅は、京急の「雑色駅」です。
最寄りと言っても、歩いてだと結構かかると思われます。 -
「銀杏折取禁制碑」
古くから、銀杏の下垂の乳部を削り取ると乳の出が良くなる、という言い伝えがありました。
これは、聖武天皇の皇后である光明皇后が、この寺に銀杏を奉納して祈願すると乳の出が良くなったことによるもので、削り取るものが後を絶たなかったので、1690年に当時の住職栄弁がこの石碑を建てた、とのことです。
よくわからないのですが、石碑を建てただけで人々が行為をやめたのでしょうか? -
「富士講碑」
富士山の信仰集団を富士講と呼び、その講名と講紋を刻んでいる記念碑で、百味講社が建てたそうです。
百味講社というのは、百味供に参集する信仰集団で、碑面にも「百味供養」とあります。
百味供養は、薬師如来に百味の供物を献上し、加護を祈願するものです。
薬師如来だけなのでしょうか?
恥ずかしながら私は知りません。
そう言えば、この寺は「古川薬師安養寺」という言い方をしますね。 -
本堂です。
本尊は薬師如来だけでなく、阿弥陀如来・釈迦如来も含めた三尊だそうですが、非公開です。
当然お祈りはして、ここを後にします。 -
続きまして、同じく西六郷二丁目にある宝幢院を訪問します。
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梵鐘が見えますが、大田区最古の梵鐘だそうです。
水船(手水石)も区内最古だそうで、区指定文化財です。 -
弘法大師立像は外せません。
真言宗の寺院は、弘法大師の像が建っているところが結構多いですね。 -
「お砂踏み巡拝所」とあります。
四国八十八ヶ所霊場の砂が納められているそうです。
住職が四国遍路のときに持ち帰ったそうです。
ちなみに、こちらの寺院は玉川八十八ヶ所霊場の第88番札所です。 -
こちらでお祈りをしますが、本堂は別にあり、コンクリート造りで、本尊は阿弥陀如来です。
それではこちらはというと、多摩川不動尊堂と言って、不動明王が祀られているそうです。 -
宝幢院を後にします。
もう10時だ。
途中にグリコの工場があります。
こんなところにあるとは。
この辺は小さな町工場が多いという感じですが、これはかなりでかそうです。 -
第一京浜に出てきました。
この道路を南下すると、六郷橋です。 -
ちょっと進むと六郷神社入り口です。
こちらの鳥居は、方角から言って正門ではないと思われ、西門とでも言うべきでしょうか?
参拝します。 -
手水石があります。
今は使用されていません。
何と、源頼朝が寄進したとのことです。
こちらの神社は、源頼義・義家が創建したと言われていますが、頼朝も奥州征伐の際に先祖の例に倣ってこちらで祈願したそうです。 -
それでは、一旦正門(と思われるところ)から出てみます。
鳥居前の太鼓橋は、梶原景時が寄進したそうです。
頼朝が景時に社殿を造営させた、とされています。 -
境内に入って、目立つ大きな碑を見てみます。
「忠魂碑」とありますが、脇に「東郷平八郎」の名前も見えます。
実は文字を東郷平八郎が書いたそうで、建立したのは帝国在郷軍人会六郷村分会だということです。 -
「六郷講社碑」。
要するに講社とは信仰集団のようなものですが、この一帯の集団ということでしょうか? -
六郷橋が木造だった時代の橋柱、とでも言いましょうか?
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こちらの狛犬は、区内最古だそうです。
普通の狛犬と異なる風貌をしていて面白い。 -
祀られているのは応神天皇です。
歴代3人しかいない、「神」の字を諡号に持つ天皇の一人で、実在がほぼ確実とされる最古の天皇です。
実在はしたのでしょうが、母が神功皇后とか、神功皇后が朝鮮出兵した際お腹の中にいて冷やして出産を遅らせたとか、111歳まで生きたとか、眉唾もののエピソード満載です。
古い時代だから仕方ありませんね。
武内宿禰が父であるという説もあります。
ちなみに、歴代天皇の諡号に関しては調べてみると面白いですが、長くなるのでこの辺で。 -
六郷神社からさらに南の、北野天神、通称「(落馬)止め天神」までやってきました。
六郷橋のすぐそばです。 -
もう何と書いているか見えなくなってしまっていますが、「六郷の渡し」跡の標柱です。
「日本橋へ四里半」とあります。
ということは18kmくらいですか。
ここから日本橋まで18km?
そんなに近いのですか?
私の感覚だと、ここから18kmだとせいぜい品川辺りまでだと思っていましたが、全然違うようです。
品川までだと10km程度か? -
通りゃんせ、だそうです。
なつかしいですね。
そう言えば、「♪天神様の細道じゃ」って歌っていましたね。
私は御用がありますので、通させて頂きます。 -
細道には、「平癒塚」「止め塚」「學成就塚」と3つの柱が立っており、絵馬がかけられています。
止め神社の「止め」には、「試験に落ちるのを止める」とか「病気を止める」とか、いろいろ意味があるそうです。 -
止め神社碑。
ここに説明がありますが、「止め神社」の名の由来は、8代将軍徳川吉宗が、乗っていた馬が暴れて落馬しようとしたのを、北野天神の御加護で止めた、ということだそうです。
暴れん坊なのは馬のほうだったわけですね。
この神社のことは旅人の間でも評判になり、やがて「落馬止め」から「落馬」を抜いて、「止め」天神の愛称で今日まで親しまれている、とのことです。 -
左が「万年石」、右が「千年石」。
力自慢を競うため抱えた力石を、自分たちが一生達者で暮らせるようにと、「鶴さん千年石」「亀さん万年石」と名付けたそうです。 -
社殿。
祭神はもちろん菅原道真です。 -
天神社から見える位置に、六郷橋のアーチがあります。
六郷橋は大正14年に鉄筋になりましたが、その後増加する交通量に耐えられなくなったので、昭和60年に現在の新六郷橋が架けられた、ということです。
その前のアーチをそのまま残しているということですね。
昭和59年の工事で事故があり、数名が亡くなったそうです。 -
橋に上がります。
これを渡ると川崎市です。
なぜか警官が数名。
今日は何かあるのでしょうか?
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