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武田信玄公・武田勝頼公ゆかりの史跡・寺院を巡った日帰り旅行記です。朝6時に東京を出発し、最初の目的地韮崎には8時過ぎに到着しました。韮崎では新府城と武田八幡宮に立ち寄りました。

2007年6月 韮崎市史跡寺院巡り(新府城・武田八幡宮)

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2007/06/13 - 2007/06/13

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めるくん

めるくんさん

武田信玄公・武田勝頼公ゆかりの史跡・寺院を巡った日帰り旅行記です。朝6時に東京を出発し、最初の目的地韮崎には8時過ぎに到着しました。韮崎では新府城と武田八幡宮に立ち寄りました。

  • 中央道韮崎インターをおりて20分程で新府城に到着しました。画像を見ると普通の小山にしか見えませんが、織田軍の甲斐侵攻を迎え撃つために築城された立派なお城なのです。

    中央道韮崎インターをおりて20分程で新府城に到着しました。画像を見ると普通の小山にしか見えませんが、織田軍の甲斐侵攻を迎え撃つために築城された立派なお城なのです。

  • 新府城本丸へと続く階段入り口です。

    新府城本丸へと続く階段入り口です。

  • この階段をずっと登ってきました。足が棒になりました。

    この階段をずっと登ってきました。足が棒になりました。

  • 新府城想定復元図です。登った階段の位置は稲荷曲輪辺りからです。

    新府城想定復元図です。登った階段の位置は稲荷曲輪辺りからです。

  • 新府城についての案内板その?です。

    新府城についての案内板その?です。

  • 新府城についての案内板その?です。

    新府城についての案内板その?です。

  • 新府城は武田勝頼公の命で家臣の真田昌幸(真田幸村のお父さん)と原貞胤が中心となって築城しました。

    新府城は武田勝頼公の命で家臣の真田昌幸(真田幸村のお父さん)と原貞胤が中心となって築城しました。

  • 天正9年(1581年)2月に起工して、その年の12月に勝頼公が入城してますので、かなりの突貫工事であったと云われてます。しかし翌年3月には織田軍の侵攻に対抗できないとの判断から、自ら城に火をつけ落城となってしまいます。

    天正9年(1581年)2月に起工して、その年の12月に勝頼公が入城してますので、かなりの突貫工事であったと云われてます。しかし翌年3月には織田軍の侵攻に対抗できないとの判断から、自ら城に火をつけ落城となってしまいます。

  • ただの草むらではありません。本丸です。意外と広いです。

    ただの草むらではありません。本丸です。意外と広いです。

  • 本丸から一段下がった所が二の丸です。

    本丸から一段下がった所が二の丸です。

  • ただの草むらではありません。二の丸です。ここも意外と広いです。

    ただの草むらではありません。二の丸です。ここも意外と広いです。

  • 二の丸の奥は七里岩(八ヶ岳の火山活動によって隆起)の崖になってます。画像のとおりかなりの高低差となってます。

    二の丸の奥は七里岩(八ヶ岳の火山活動によって隆起)の崖になってます。画像のとおりかなりの高低差となってます。

  • 新府城を一通り見学した後、武田八幡宮へ向かいました。弘仁13年(822年)に創建。その後武田信義公(信玄公の15代前の祖先)がこの社を氏神としたそうです。画像は二の鳥居です。

    新府城を一通り見学した後、武田八幡宮へ向かいました。弘仁13年(822年)に創建。その後武田信義公(信玄公の15代前の祖先)がこの社を氏神としたそうです。画像は二の鳥居です。

  • 武田八幡宮の案内板その?です。

    武田八幡宮の案内板その?です。

  • 八幡宮総門です。

    八幡宮総門です。

  • 舞殿?拝殿?忘れてしまいました。

    舞殿?拝殿?忘れてしまいました。

  • 織田軍の甲斐侵攻が間近に迫った時、勝頼公夫人(北条夫人)が武田八幡宮を訪れ夫勝頼公の武運を願った願文を奉納してます。

    織田軍の甲斐侵攻が間近に迫った時、勝頼公夫人(北条夫人)が武田八幡宮を訪れ夫勝頼公の武運を願った願文を奉納してます。

  • 重要文化財武田八幡宮本殿です。

    重要文化財武田八幡宮本殿です。

  • 武田八幡宮の案内板その?です。

    武田八幡宮の案内板その?です。

  • 武田八幡宮の見学を終えて中央道韮崎インター近くの『涙の森』という史跡に立ち寄りました。新府城に火をつけ東へ逃れた勝頼公一行でしたが、ここで勝頼公夫人(北条夫人)が焼け落ちる新府城を振り返り嘆き悲しみ、一句詠んだと云われてます。

    武田八幡宮の見学を終えて中央道韮崎インター近くの『涙の森』という史跡に立ち寄りました。新府城に火をつけ東へ逃れた勝頼公一行でしたが、ここで勝頼公夫人(北条夫人)が焼け落ちる新府城を振り返り嘆き悲しみ、一句詠んだと云われてます。

  • 勝頼公夫人(北条夫人)の句<br /><br />うつつにはおもほえがたきこのところ<br />あだにさめぬる春の夜の夢

    勝頼公夫人(北条夫人)の句

    うつつにはおもほえがたきこのところ
    あだにさめぬる春の夜の夢

  • 涙の森から数百メートル先に『回看塚』という史跡があります。ここでも後ろ(焼け落ちる新府城)を見て勝頼公夫人(北条夫人)が、更に一句詠んだと云われてます。<br /><br />春がすみたちいづれどもいくたびか<br />あとをかへして三日月の空<br /><br />これより次の目的地甲府へ向かいます。<br />続きは次の旅行記で。

    涙の森から数百メートル先に『回看塚』という史跡があります。ここでも後ろ(焼け落ちる新府城)を見て勝頼公夫人(北条夫人)が、更に一句詠んだと云われてます。

    春がすみたちいづれどもいくたびか
    あとをかへして三日月の空

    これより次の目的地甲府へ向かいます。
    続きは次の旅行記で。

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