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武田信玄公・武田勝頼公ゆかりの史跡・寺院を巡った日帰り旅行記です。積翠寺(甲府市)を出発し、県道31号線太良ヶ峠を越えて午後2時頃甲州市塩山へ到着しました。

2007年6月 甲州市史跡寺院巡り(恵林寺・雲峰寺・大善寺・景徳院・栖雲寺)

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2007/06/13 - 2007/06/13

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めるくん

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武田信玄公・武田勝頼公ゆかりの史跡・寺院を巡った日帰り旅行記です。積翠寺(甲府市)を出発し、県道31号線太良ヶ峠を越えて午後2時頃甲州市塩山へ到着しました。

  • 塩山恵林寺へ到着です。このお寺は武田信玄公の菩提所として大変有名です。境内に信玄公のお墓もあります。

    塩山恵林寺へ到着です。このお寺は武田信玄公の菩提所として大変有名です。境内に信玄公のお墓もあります。

  • 恵林寺入り口です。

    恵林寺入り口です。

  • 四脚門(通称赤門)です。武田氏滅亡後、織田軍によって焼かれましたが、その後徳川家康公によって再建されました。国の重要文化財です。

    四脚門(通称赤門)です。武田氏滅亡後、織田軍によって焼かれましたが、その後徳川家康公によって再建されました。国の重要文化財です。

  • 恵林寺の案内板です。

    恵林寺の案内板です。

  • 三門です。1582年織田軍による恵林寺焼き打ちの際、快川国師(信玄公参禅の師)が炎上する三門楼上で唱えた言葉は大変有名です。<br /><br />安禅必ずしも山水を須いず<br />心頭滅却すれば火自から涼し<br /><br />

    三門です。1582年織田軍による恵林寺焼き打ちの際、快川国師(信玄公参禅の師)が炎上する三門楼上で唱えた言葉は大変有名です。

    安禅必ずしも山水を須いず
    心頭滅却すれば火自から涼し

  • 信玄公の訓言です。

    信玄公の訓言です。

  • 恵林寺も武田神社(躑躅ヶ崎館址)に負けず劣らず観光客が沢山いました。

    恵林寺も武田神社(躑躅ヶ崎館址)に負けず劣らず観光客が沢山いました。

  • 恵林寺庫裡です。宝物館と合わせて入場料700円を払って、中を見学しました。<br />

    恵林寺庫裡です。宝物館と合わせて入場料700円を払って、中を見学しました。

  • この屏風の人物は信玄公でしょうか。

    この屏風の人物は信玄公でしょうか。

  • 庫裡玄関にある風林火山の屏風です。<br />

    庫裡玄関にある風林火山の屏風です。

  • 疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山 !<br />

    疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山 !

  • こちらも信玄公でしょうか。

    こちらも信玄公でしょうか。

  • 画像右のおじさんがなかなか動かず被写体となってしまいました。動かざること山のごとしです。

    画像右のおじさんがなかなか動かず被写体となってしまいました。動かざること山のごとしです。

  • 武田不動尊!こ、これが見たかった〜

    武田不動尊!こ、これが見たかった〜

  • 信玄公が剃髪した際の髪の毛を漆に混ぜて像の胸に塗りこめたと伝わります。幸いにも織田軍の焼き打ちを免れた貴重な像です。(この像は大河ドラマ風林火山オープニングテーマの映像にもでてきます)

    信玄公が剃髪した際の髪の毛を漆に混ぜて像の胸に塗りこめたと伝わります。幸いにも織田軍の焼き打ちを免れた貴重な像です。(この像は大河ドラマ風林火山オープニングテーマの映像にもでてきます)

  • 信玄公のお墓です。(撮影してスミマセン)

    信玄公のお墓です。(撮影してスミマセン)

  • 信玄公のお墓の案内板です。

    信玄公のお墓の案内板です。

  • 恵林寺にいた看板犬その?。お疲れ気味かな。

    恵林寺にいた看板犬その?。お疲れ気味かな。

  • 恵林寺にいた看板犬その?。お利口そうなお顔ですね。

    恵林寺にいた看板犬その?。お利口そうなお顔ですね。

  • 恵林寺を後にして次に訪れたのは雲峰寺です。大菩薩峰登山口近くにあります。画像は本堂へ至る階段の途中にある仁王門です。

    恵林寺を後にして次に訪れたのは雲峰寺です。大菩薩峰登山口近くにあります。画像は本堂へ至る階段の途中にある仁王門です。

  • 仁王門、本堂、書院、庫裏が重要文化財に指定されてます。

    仁王門、本堂、書院、庫裏が重要文化財に指定されてます。

  • 雲峰寺本堂です。

    雲峰寺本堂です。

  • 雲峰寺庫裏です。

    雲峰寺庫裏です。

  • 雲峰寺宝物館です(入場料300円)。実はここに来るのをかなり楽しみにしていました。武田家滅亡の際家臣が下記宝物をこのお寺に隠したそうです。<br /><br />?日本最古と云われる日の丸御旗(武田家家宝)<br />?孫子の旗(現存するのが7〜8本、うち4本所蔵)<br />?諏訪神号旗<br />?馬標旗<br /><br />勿論これらのお宝は撮影不可なので下記サイトをご覧下さい。<br /><br />http://www.koshu-kankou.jp/takeda/index.html<br /><br /><br /> <br /><br />

    雲峰寺宝物館です(入場料300円)。実はここに来るのをかなり楽しみにしていました。武田家滅亡の際家臣が下記宝物をこのお寺に隠したそうです。

    ?日本最古と云われる日の丸御旗(武田家家宝)
    ?孫子の旗(現存するのが7〜8本、うち4本所蔵)
    ?諏訪神号旗
    ?馬標旗

    勿論これらのお宝は撮影不可なので下記サイトをご覧下さい。

    http://www.koshu-kankou.jp/takeda/index.html


     

  • 雲峰寺を後にして次に向かったのが勝沼大善寺です。画像は大善寺山門です。

    雲峰寺を後にして次に向かったのが勝沼大善寺です。画像は大善寺山門です。

  • 国宝大善寺薬師堂です。

    国宝大善寺薬師堂です。

  • 薬師堂の案内板です。薬師堂は弘安9年(1286年)建立ですが、お寺自体の開創は養老2年(718年)まで遡ります。

    薬師堂の案内板です。薬師堂は弘安9年(1286年)建立ですが、お寺自体の開創は養老2年(718年)まで遡ります。

  • このお寺に立ち寄った理由は、韮崎の新府城を焼き払い、東へ逃れた武田勝頼公一行が最初に宿泊した地として知られているからです。織田・徳川連合軍に対して勝ち目がないと判断した多くの家来・従者達が、夜の闇に紛れ勝頼公の元から離れたそうです。

    このお寺に立ち寄った理由は、韮崎の新府城を焼き払い、東へ逃れた武田勝頼公一行が最初に宿泊した地として知られているからです。織田・徳川連合軍に対して勝ち目がないと判断した多くの家来・従者達が、夜の闇に紛れ勝頼公の元から離れたそうです。

  • 大善寺を後にして次に訪れたのは甲斐大和景徳院です。武田家終焉の地、すなわち武田勝頼公最期の地です。ここへ来るのは三度目となります。この地での詳しい出来事は下記の旅行記をご覧下さい。<br /><br />http://4travel.jp/traveler/merukun0120/album/10140843/<br /><br />

    大善寺を後にして次に訪れたのは甲斐大和景徳院です。武田家終焉の地、すなわち武田勝頼公最期の地です。ここへ来るのは三度目となります。この地での詳しい出来事は下記の旅行記をご覧下さい。

    http://4travel.jp/traveler/merukun0120/album/10140843/

  • 景徳院山門。

    景徳院山門。

  • 勝頼公、勝頼公夫人生害石。

    勝頼公、勝頼公夫人生害石。

  • 勝頼公、信勝公、勝頼公夫人のお墓。(撮影してスミマセン)

    勝頼公、信勝公、勝頼公夫人のお墓。(撮影してスミマセン)

  • 景徳院本堂。

    景徳院本堂。

  • 景徳院を後にして、いよいよ最後の目的地である天目山栖雲寺を訪れました。

    景徳院を後にして、いよいよ最後の目的地である天目山栖雲寺を訪れました。

  • 1348年開山。歴史があります。

    1348年開山。歴史があります。

  • このお寺には信玄公・勝頼公の先祖武田信満公のお墓があります。上杉禅秀の乱(1416年)に信満公が加担し敗れ、この地で自害したそうです。

    このお寺には信玄公・勝頼公の先祖武田信満公のお墓があります。上杉禅秀の乱(1416年)に信満公が加担し敗れ、この地で自害したそうです。

  • 信満公のお墓の案内板です。勝頼公は最期の地として、先祖が眠る天目山栖雲寺を目指したと云われてます。しかし、その願いも叶わす麓の田野で最後を迎えることとなったのです。

    信満公のお墓の案内板です。勝頼公は最期の地として、先祖が眠る天目山栖雲寺を目指したと云われてます。しかし、その願いも叶わす麓の田野で最後を迎えることとなったのです。

  • 天目山栖雲寺から眺める富士です。日帰りですが旅の締めとしては素晴らしい景色を見ることが出来ました。(鉄塔と送電線が邪魔ですが)自分としては大変充実した一日でしたが、無理矢理同行させた春吉君と鼠男はどうだったのでしょうか・・・<br />

    天目山栖雲寺から眺める富士です。日帰りですが旅の締めとしては素晴らしい景色を見ることが出来ました。(鉄塔と送電線が邪魔ですが)自分としては大変充実した一日でしたが、無理矢理同行させた春吉君と鼠男はどうだったのでしょうか・・・

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この旅行記へのコメント (2)

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  • もにかさん 2007/06/16 23:38:43
    濃厚な1日でしたね〜
    充実感が写真にも文章にも満ち溢れていますね〜
    天候にも恵まれていたようで良かった良かった。

    ランキングの他の方々の内容を見ても恵林寺というところは
    非常に人気が有りますね。

    ところで
    >四脚門(通称赤門)です。武田氏滅亡後、織田軍によって焼かれましたが、その後徳川家康公によって再建されました。

    これは、徳川家康は何か武田に思いがあったのでしょうかね?


    北条夫人は享年二十歳と聞きます。
    ・・・心が痛みます。

    めるくん

    めるくんさん からの返信 2007/06/17 00:05:23
    RE: 濃厚な1日でしたね〜
    マイページへの訪問毎度ありがとうございます。

    武田VS織田・徳川という構図ではありますが、
    武田家に対しての思いは信長公・家康公には大きな違いがありました。
    信長公は武田家滅亡後、武田家親族・重臣を捕らえては次々と処刑しました。いわゆる根絶やしです。逆に家康公は信長の意に背き内々に優秀な旧武田家家臣を召抱えています。敵ながら家康公は信玄公のことを尊敬していたとも云われてます。

    戦国時代にありながら慈悲や情けを重んじたがゆえ、
    最終的には頂点に立ち、結果、戦国時代に終止符を打ったと思われます。


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